第6話
扉の前に立つロイドから一歩後ずさる。まさかこんなに早く帰ってくるなんて…でも、エルフの男の子が見つかっていないなら誤魔化すことも出来るはず。
「その…実は外で転んでしまって、治癒魔法を使って怪我を治した時に貴方の保護魔法に干渉してしまったのだと思うわ」
「怪我だと?」
「え、ちょっ」
私が後ずさった時は大人しかったのに、“怪我”というワードに反応したロイドはいきなりズンズンと大股で近付いてきた。驚いて後ろに下がるけれど、狭い部屋の中ではすぐに壁に背がついてしまう。
「どこを怪我した?」
「そ、その前にもう少し離れてください」
「いいから答えろ!」
「ひっ」
腕を伸ばせば簡単に触れてしまえる距離に思わず頬が赤くなりそうになり、慌てて声を掛けたものの急に大きな声を出されて反射的にギュッと目を瞑って縮こまってしまった。けれどすぐに目を開けると、そこには明らかに動揺した様子のロイドがいた。口を開けたり閉じたり、無意味に宙を彷徨う両腕。笑ってはいけないのに、つい頬が緩みそうになって口元を手で覆う。
「あ…その、怒鳴るつもりは……悪かった」
耳が頭につきそうなほどぺたりと下がり、尻尾もだらんと力なく垂れてしまっている。表情からは然程落ち込んでいるようには見えないのに、なんとも素直な耳と尻尾だ。その様子に抑えていたものがつい吹き出してしまった。
「ふふっ」
「なっ…」
「ごめんなさい。だって、貴方の耳と尻尾があまりにも素直に感情を表現しているんだもの」
私の言葉に焦った様子で自分の耳を片手で押さえるロイド。尻尾はぶわりと膨らんで上に上がっている。その猫っぽい反応がおかしくて、また笑うとロイドはなんとも言えない顔をして私を見た。
「怪我の心配をしてくれてありがとう。でもそんな風に急にレディに近付くものではないわ」
「…あの王子には、簡単に触らせてただろう」
「え?」
「それとも、お前にとってアイツは特別な存在なのか?」
まさかここでリヒュート王子が出てくるとは思わず、少し驚いて瞬きをする。多分お城で王子に頬を触れられた時のことを言っているのだと思うけど、あれは正直私も予想外だった。婚約者になったからと言って、然程親しい仲とは言えない相手に許可もなく触れてくるなんて思わなかったから油断していたのだ。まぁでも、本人に悪気はないだろうし、今はそこまで気にしていない。
「私のこと何も調べていないの?」
「いや…」
「ならリヒュート王子が私の婚約者なのは知っているんでしょう?私にとって特別な存在なのは確かだわ」
「お前も王子との結婚を望んでいるのか?」
王族との結婚は貴族にとってとても名誉な事だ。私が王子と結婚することで家は更に安定するし、私も将来王族と結婚して夫を支えるために多くの事を学んできた。望むか望まないかは関係ない。
「私の意思は関係ないわ。王子と結婚して、国を支えることが私の役割だもの」
「…嫌ならそう言えばいいだろう。お前が言えばきっと周りはその通りにする」
望んでいる、とは言えなかった。貴族にだって素敵な人は沢山いる。でもリヒュート王子は周囲からの人気に胡座をかいて努力をしない人だ。それがこの世界の性質上仕方のないことなのは分かっているし、そもそも私が素敵だと思える貴族は大抵人気がない…つまり、この世界で言う非イケメンだ。そして正当な評価をされないために地位も低い。私がそういう人と結婚したいと言うには、私の家の爵位が高すぎた。王族でもない下級貴族に求婚なんて…家族が知ったら悲しむに決まっている。
でも、世間から非イケメンとぞんざいな扱いを受ける彼らは、他人から評価されるために必死に努力をする人達だ。周りから与えられるものを享受するだけの人間よりも、よっぽど強いものを持っている。出来ればそういう人と一緒になりたかった…というのが本音だ。ただ、そんな事は言えるわけがなかった。
「そうね。私が言えばきっとその通りになる。だから言えないのよ」
「どういう意味だ?思い通りになるならそれでいいだろ」
「本当にそうかしら。それなら、貴方は何故みんなが私の思い通りになると考えたの?」
「そりゃあ…お前のその見た目が良いからだろ」
「そう。外見よ。みんな私の外見を見て判断しているの。中身になんて少しも興味がない。そんな人たちに奴隷のように従われても虚しいだけだわ」
努力して得た力よりも外見が評価されるせいで、誰とも心の通わない生活をしてきた。外見を褒められる事がいつしか苦痛になった。けれど、私がそれを言うことは許されない。誰もが羨むものを持っているのに、それを恨む言葉を発するのはきっと罪だ。
「お前の言ってる事は、正直俺には理解出来ない。俺は外見を褒められたことは一度もねェからな。だが…見た目以外に目を向けられてェって気持ちは、俺にも分かる」
ロイドは落ち着いた声でそう言うと、何か考えを巡らせているのか、視線を下に落とした。確かに、外見への評価だけではなく、性格や才能が評価される世界だったならお互いの人生はもう少し違ったものになっていたかもしれない。けれど、世界の理を変えるなんて出来るはずもないから、結局のところ今の理に従って生きるしかないのだ。
「変なこと言ってごめんなさい…こんな話、誰にもしたことなかったのに」
「いや…元は俺が振った話だ。それにしても、お前って結構暗いんだな。ごちゃごちゃ考えるタイプみてェだし、貴族とか向いてなさそうだ」
「なっ…く、暗い!?私が!?」
「事実だろ。そんだけ良いツラ持ってて悲観してんだから。あと、俺のこと怖がらねェし、突然こんなとこに連れて来られて落ち着いてるのも変だ。相当変わり者だな、お前」
「い、いきなりなんでそんな事言われなきゃいけませんの!?」
「でも、そうやって周りに流されずに生きてるのはすげェと思う。お前みたいなヤツがいるなんて、俺は今まで知らなかった」
赤い瞳と真っ直ぐに目が合う。正面から見た彼はやっぱり綺麗な顔で、力強い瞳に思わず吸い寄せられそうになる。先程自分の口から外見で判断される事が嫌だと言ったばかりだというのに、どうしても抗いがたい気持ちになってしまう事が悔しい。
でも、こんな風に外見抜きに私を見てくれた人は他にいなかった。ずっと欲しかった言葉を真っ直ぐに伝えてくれる彼を、尊いと思うこの気持ちは何もおかしな事はないんじゃないだろうか。
「あの、ロイド…」
きゅるるる…
無意識のうちに開いた口が何かを言いかけた時、なんとも情け無い音が部屋に響いた。信じたくはない。信じたくはないけれど、お腹に感じた振動的に私のお腹から鳴った音だろう。
私は恥ずかしさに今度こそ真っ赤になりながらお腹を押さえた。
「こ、これはその…!」
「腹が減ってんだろ?そんな恥ずかしがる事じゃねェよ。ほら」
「あ、ありがとう」
暑くなった顔を冷まそうと、顔を扇ぐ私を横目にロイドは机の上に麻袋を置いた。緩んだ口から覗くパンとチーズを見てお礼を言うと、早速パンを取り出す。しかし、昨日とは違い、麻袋の中にはもう一つパンが入っていた。
「俺の分が無いと気が済まねェお嬢様がいるからな。今回はちゃんと二つ分買ってきた」
「!」
「これで満足だろ?」
そう言って麻袋から取り出したパンをドヤ顔で齧るロイドに、頬が緩む。言葉は荒いけど、やっぱりこの人と話していると楽しい。
「ええ。これで安心して食べられるわ」
「ったく。誘拐犯の食事の心配をする令嬢なんて初めて見たぜ。お前本当に変わってるな」
「あら。誘拐した令嬢にベッドを譲る誘拐犯だって見た事ないわ。お互い様じゃないかしら?」
「フン…昨日は俺に負けて泣いてたくせに」
「なっ!その話は今関係ないでしょう!」
いつの間にか私たちは軽口を叩きながら笑い合っていた。会話の中で時折見せるロイドの笑顔はちょっと悪戯っぽくて、見た目の年齢より少し幼く見えるのが可愛いと思った。不思議だ。この人といると、私は私でいられる。見た目も地位も気にしないで、ただのアリシアでいられる。
ああ、どうしよう。家に帰らなきゃいけないのに、帰りたくなくなってしまう。
◇◇◇
その日の夜。私とロイドは家の外にある焚き火の前に横たえられた丸太に二人並んで座りながら、星を眺めていた。どういう風の吹き回しか、「少し風にあたらないか」とロイドが誘ってくれたのだ。
この世界には排気ガスはないし、街灯も少ないから星がよく見える。外気の寒さも忘れて満天の星空に目を奪われる私に、ロイドがそっと肩に毛布を掛けてくれた。
「ありがとう」
「別に。風邪を引かれても困るからな」
「そこは“どういたしまして”でいいのよ」
「へいへい」
「素直じゃないんだから」
軽いやり取りの後、少しの沈黙が落ちる。程なくして、焚き火を眺めながらロイドが口を開いた。
「元々、お前を攫うつもりはなかった」
「……」
「別の目的で城に行って、そこで偶然お前を見つけた。お前を見た途端、体が言う事をきかなくなって、気が付いたらここに連れてきちまってた…どこかに売るつもりも最初からなかった」
「…どうしてあんな脅すようなことを言ったの?」
「それも…その、勢いで言っちまっただけだ。理由もなく連れてきちまった上に、お前が俺のことを見ても動じない奴だったから驚いて…。怖がらせて悪かったと思ってる」
罰が悪いのかこちらを見ようとはしないが、彼の言葉が本心であることは声のトーンや仕草からも伺えた。でも今の説明だと、衝動的に攫いたくなるほど私の外見が好ましかったと言っているように聞こえるけれど…ロイドが私を見て狼狽えている所を何度か見た事があるから、無愛想だけど実は私の外見は気に入ってくれてたりするんだろうか。普通の人より反応が薄いから分かりにくいけど、もし少しでも好感を持ってくれているなら素直に嬉しい。
「明日、お前を家に帰す…俺の事は喋っても構わない」
ロイドの声はとても沈んでいて、まるで私を家に帰したくないと言っているように聞こえてしまう。自意識過剰かもしれない。でも、もし、本当にそう思ってくれているとしたら、私も同じ気持ちだと伝えてもいいだろうか。地位も、家も、家族も、全部を捨ててここに居たいと言っても…貴方は許してくれるだろうか。
「この二日間ずっと貴方の事を考えてた」
「え…」
「どうして私を誘拐したのか。どんな仕事をしているのか。友達や家族はいるのか。本当はどんな性格なのか。時間は沢山あったし、家の中は自由に動けたから、部屋の中を見てまわりながら考えた。でも結局部屋には何もなかった。高級品や、嗜好品、保存食、家族との思い出の品も、なにも。ここで生活しているはずの貴方の持ち物には思い入れのありそうなものが何一つなかった。でもそれで十分、貴方の普段の生活環境が見えたわ」
空っぽの部屋に一人でいるのは、寂しかった。これが日常となっている彼の事を思うと、余計に苦しくて、胸が締め付けられた。
「生きるために努力をしてきた貴方と、自分の価値のために努力をした私の実力を比べるなんてどうかしてた。でも、貴方は私を怒ったりしなかった。それがどれだけすごいことなのか…きっと普通の人には出来ないわ。貴方は心の強い人よ、ロイド」
驚いた顔で私を見つめる彼の赤い瞳に、キラリと光が反射する。綺麗な瞳。私の瞳よりもずっと、彼の瞳は綺麗に見える。
「貴方は誰も見つけてくれなかった本当の私を見てくれた。そんな貴方がこれから先もたった一人でここで生きていくなんて、私には耐えられない。私にとって貴方はもう大切な存在なの」
「なに、言って…」
「私いま家に帰ってもきっと貴方の事を忘れられない。毎日貴方の事を考えて、貴方の事を想ってしまうわ」
隣に座っているロイドに体ごと向けて、真っ直ぐに見上げる。さっき自分が言いかけたこと、今ならわかる。
「だからロイド。もし貴方が許してくれるなら…これからも貴方のそばにいてもいい?」
「は…」
「私、貴方のことが好き。ロイド」
前世でも恋をした気がするけれど、今世では初めての恋。もしこの想いが報われなくても、私は貴方に出会えた事を後悔なんてしない。