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第5話




ひとしきり泣いてスッキリしたあと、私は暖炉の火に当たる獣人の男…ロイドをベッドの上からぼんやり見つめていた。


まさか、私の努力に目を向けてくれる人にこんなところで出会えるなんて思ってもいなかった。そんな人はもうこの世界のどこにもいないんじゃないかと諦めかけていたのに…丁度そんなタイミングで目の前に現れるなんて。


私は暖炉の前で何か草のようなものを火に炙っているロイドを見つめた。なんだかハーブのような爽やかな香りがするけど…薬品でも作るつもりなんだろうか。首を傾げつつ彼の動向を見守っていると、突然むしゃあっと音を立てながら豪快にその草を食べ始めたではないか。


まさかの食べるために炙っていたらしい。それにしてもこの家には食器もないのだろうか…手で鷲掴みしたまま加熱するなんて危険すぎる。というか熱くないのだろうか。




「火傷しないの?」


「このくらい平気だ」


「そう…」




彼は猫科の獣人に見えるけれど、火は怖くないらしい。それとも、本当は猫科じゃないのだろうか。


彼の事が気になった私はベッドから降りると、机の上に置いたままになっていたパンとチーズを持って彼に近づいた。顔は火に向いたままだけれど、耳がぴこぴこと動きながら私の方に向いている。猫耳…かわいい…。


そんな彼の傍らで、徐にパンを半分に千切るとその内の一つを彼に差し出した。




「貴方もパンを食べて」




彼は驚いた顔をした後、ふいっと顔を逸らして「俺はいい」と言って、また草に噛み付いた。




「もう外で食ってきた。それはお前の分だ」


「外で食べてきたのにまた食べてるってことは、まだお腹が空いてるんでしょ?」


「そんな硬いパンなんか俺はいらねェ。いいからお前が食べろ」




もしかしてパンが嫌いなんだろうかと思ったけれど、彼の腰から伸びる長い尻尾は時折ゆっくりと左右に振られるだけ。前世で飼っていた猫は機嫌が悪いともっと激しく尻尾を振っていたから、きっとパンが嫌いという事はないはずだ。




「硬いパンだって焼いたらきっと美味しいわ」




私はそう言ってパンを浮遊魔法で浮かせ、暖炉の火に当てる。焦げた麦の香ばしい香りが漂い、パンの表面がこんがりと良い焼き色に仕上がった。それを火から離し、ロイドの前に持ってくる。その間に今度はチーズを火に当てた。




「貴方の分よ」


「はぁ…」




なかなか受け取ろうとしない彼に痺れを切らして声をかけると、大きなため息と共に受け取ってくれた。その後すぐにパンの上にとろけたチーズを乗せる。見た目と香りは悪くない…けど、黒パンは普段貴族が食べている白パンよりかなり硬い。温めてもそんなに硬さは変わらないだろう。でも…




「…うまい」


「でしょ?」




一口食べた彼が、思わず口から出てしまったといった風にそう言った。私は嬉しくてついドヤ顔で返してしまった。




「いや…別に味はいつも通りだ」


「でもいつもより美味しいって思ったんでしょう?どうしてか教えてあげるわ」




誰かと一緒に食べる食事は美味しいのよ。


そう言って私も自分のパンに口を付ける。パンは酵母が少ないのかやっぱり硬いし、チーズも味が薄い。だけど隣で美味しそうにパンを頬張る彼を見ていると、なんだかそれも悪くないような気がした。




「美味しい」




◇◇◇




翌朝、目が覚めると何処かへ出掛けようとするロイドがいた。まだ夜が明けたばかり…5時くらいのはずだけれど。




「何処へ行くの?」


「…仕事だ」


「待って!」




一言告げてすぐさま家を出ようとするロイドに思わず声をかけた。彼は立ち止まってくれたけれど、あまり長居はしたくないのか尻尾がゆらゆらと不機嫌そうに揺れている。




「私を家に帰して欲しいの」


「……」


「貴方のことは喋らないし、この場所のことも誰にも言わないわ。だからお願いします」


「それは…」




必死にお願いしてみるも、彼は迷っている様子で何も答えようとしない。私を売ればきっといい金額になるだろう。毎日白パンを買っても生活に困らないはずだ。最初から簡単には帰してくれないだろうとは思っていた。




「なら、せめて外に出る許可をください」


「ダメだ。この辺りは凶暴な獣もうろついてる。下手をすれば死ぬぞ」


「貴方の保護魔法の範囲からは出ないわ。このままずっと家の中にいたら気が滅入りそうなの」




私が外に出れば逃げると思っているのか、ロイドはやはり首を縦には振らない。こうなったらあのおねだりポーズを今一度発動するしか…あれめっちゃ恥ずかしいんだけど、背に腹は変えられない。




「お前、施錠魔法は使えるか?」


「えっ?つ、使えますけれど」


「なら、何かあったら家に入って施錠魔法を掛けろ。俺の保護魔法が簡単に破られるとは思えないが、万が一があるかもしれねェ」


「…い、いいの?外に出ても」


「逃げ出そうとすれば獣の餌になるだけだ。お前はそこまで馬鹿じゃないだろう」




思ったよりもあっさり承諾された事に驚いて惚けた顔をしていると、フッとロイドから空気の抜けたような音がした。咄嗟にそちらを見てみると、既にフードを被った後で顔はよく見えなかったけれど、形の良い薄い唇が緩やかな弧を描いていたように見えた。もしかして、笑った…?


しかしロイドはその後すぐに家を出て行ってしまい、真相を知る術はなくなってしまった。そして先程の話通り、彼は家に施錠魔法をかける事なく去っていった。


私は机の上にいつの間にか用意されていた小さな林檎1つを朝ごはんとして食べたあと、恐る恐る扉に手を掛ける。ここに来てから外に出るのは初めてだ。一つしかない窓から見えた景色は森のように感じたけれど、実際はどうだか分からない。一応警戒しながら扉を押す。


すると、外は窓から見えた景色通り深い森だった。背の高い木々に隠れるようにして建っているあまり頑丈そうではない小屋。それがこの場所だった。でも家の周りをよく見てみると、少しは手入れをしているのか雑草はあまりないし、小さくて可愛らしい白い花が少し生えているのが分かった。どうやらこの白い花が生えている範囲がロイドの保護魔法の範囲らしい。




「こんなに雄大な森は初めて見た…でも、少し空気が重いわね」




木が茂っているせいで辺りは少し薄暗いけれど、所々に木漏れ日が射し込んでいて幻想的な雰囲気だった。瘴気のせいで空気が薄いような錯覚に陥るのが少し残念だ。


私は辺りを見渡しながらゆっくりと外を歩き始めた。実はロイドの事で少し気になっている事があったのだ。ここに連れ去られてからまだ1日も経過していないけれど、私はあの人の事を本当はいい人なんじゃないかと思い始めている。


昨夜ふと目が覚めて暗い室内に目を凝らしてみると、暖炉の前で丸まって眠るロイドの姿が見えた。あの家には最初からベッドは一つしかなかった。恐らくその一つしかないベッドを私に譲って、彼は床で眠っていたのだろう。食べ物も、昨日は外で食べて来たと言っていたけれど、わざわざ家に戻ってきて草を齧っているくらいだから、大して食べられてはいないはずだ。それなのにパンもチーズも私に与えようとしてくれた。


寝床も食糧も譲ってくれる誘拐犯なんて聞いたことがない。いくら商品に傷を付けないためとは言え、普通の犯罪者ならもう少し非道な扱い方をしてきそうなものなのに。もしかして、私が可愛すぎて酷い事が出来ないとか…?


…いや、ちょっと納得しそうになったけど、だとしたらさっきのやり取りの時点で私は家に帰ることが出来たはずだ。この世界の私がお願いする事を拒否出来る人はあまりいない…言っていてちょっと恥ずかしいけど、本当にそうなのだ。なのに彼は迷った様子ではあったけれど、承諾はしてくれなかった。普通なら迷う素振りすら見せずに私の言うことを聞いてしまうはずなのに。そうしなかったということは、きっとそれだけ彼がお金に困っていたという事だろう。


それだけ生活が苦しいのに攫ってきた私に食糧や寝床を提供してくれるというのは、やはり彼の本来の性格が優しいからなのではないだろうか。


私の外見に惑わされない彼の反応は新鮮で、前世で普通の人間として生きてきた私としてはその自然な反応がとても嬉しかった。彼の前ではありのままの自分でいられる。出来る事なら彼がこんな事をしなくても生きていけるような支援をしてあげたいけれど…彼はそもそもラゴールの外に住んでいる部外者だ。貴族の私が国民でもない彼に支援をすることは難しい。それに、いくらかお金を渡したところで世間から除け者にされる彼の状況は変わらない。彼の居場所となれるようなものを用意してあげることは出来ないだろうか…。




ドサッ




考え事にのめり込んでいると、突然家の裏手の方から音がしてビクリと体が跳ねる。思考に意識が飛んでいて周りへの警戒を怠ってしまっていた。今の大きな音…もしかして、ロイドが言っていた凶暴な獣だったりして。


そこまで考えて思わずゴクリと喉を鳴らす。私の実力を知っているロイドが「下手をすれば死ぬ」と言ったのだから、きっとそれだけ強力な獣がいるに違いない。でも、もし小さな獣だったら様子を見るくらい大丈夫かもしれない。一応ここはロイドの保護魔法で守られているし、大きな獣だったら家に引き返せばいい。


私は足音を立てないようゆっくりと裏手へ向かい、そっと向こう側を覗き込んでみた。すると、そこに居たのは…地面に蹲る人間だった。


よく目を凝らしてみると、怪我をしているのか脚を押さえて苦しんでいる。私はいくつかある魔法の中でも光魔法が得意で、光魔法の応用からなる治癒魔法ならかなり自信がある。助けるつもりで咄嗟に飛び出すと、怪我をしている人の元へ向かった。




「酷い怪我…でもこのくらいなら治せるわ」




打ち所が悪かったのか脛の辺りは恐らく折れている。それに打撲と擦り傷も…何があったか分からないけれど、高い所から落ちてしまったのだろうか。でも私の治癒魔法なら骨折も治せる。


しかし、早速治療しようと手を翳した所である問題に気付いた。…ロイドの保護魔法があったんだった。私と怪我人の間には優しい光を放つ保護魔法の壁があり、このままでは治療を行うことが出来ない。




「どうしよう…」




ロイドの保護魔法は強力で、私が解除することは難しそうだ。仮に解除出来たとしても、保護魔法の外に出ないという約束を違えたとして今後は外に出してもらえなくなるかもしれない。それだけでなく、私の保護魔法を貼り直した後に強力な獣がやって来て襲われたらロイドが戻ってくるまで持ち堪えられず死ぬかもしれないのだ。




「ううっ…」




私が迷っている間にも怪我人は脚が痛む様子で辛そうに呻いている。迷ってる場合じゃない。




「なんとかしないと……そうだ!」




保護魔法と治癒魔法の性質は実はとても近い。どちらも光魔法から派生しており、治癒魔法を使用する際は防菌のために患部に保護魔法を施しながら治癒魔法をかけて、保護魔法越しに治療することもある。つまり治癒魔法は保護魔法を貫通する。ただそこまで専門的な治療はやった事がないし、一度医療施設の見学をした時に見たことがあるだけだ。成功するかどうかはやってみなければ分からない。もし試してみてダメだったら…その時は全力でロイドの保護魔法を解除しよう。


私は意を決して両手を怪我人の患部に向けて突き出すと、治癒魔法を発動した。すると、性質が近いせいか私の治癒魔法はロイドの保護魔法にどんどん吸収されていっているようだった。


まずい…このままじゃ魔力を吸われるだけで貫通なんて出来ない。もっと威力を上げて、範囲を狭く…針の穴を通るようなイメージで。


治癒魔法の淡い黄緑色の光が細くなっていき、徐々に保護魔法に吸収されににくなっていくのが分かった。そしてその後、本当に針の穴を通ったように黄緑の光の線がスッと保護魔法の外へ放たれた。




「よし。あとはこのまま範囲を広げて…」




その威力を保ったまま糸を太くしていくイメージを描く。するとそのイメージ通りに治癒魔法の範囲が広がり、怪我をしている箇所に光が当たるとみるみるうちに回復していった。傷が完全に治癒された事を確認すると魔法を解除する。ホッと胸を撫で下ろしながら怪我人の様子を伺おうと顔を上げると、そこには美しい顔をしたエルフが驚いた様子で私を見ていた。


金髪に緑の瞳。長く尖った耳。エルフで間違いないだろうけれど、エルフは警戒心が強くて人間の前には滅多に姿を現さないから私も見るのは初めてだ。それにしても綺麗な顔…少女のようにも見えるけれど、多分男の子だ。私よりもいくつか年下に見える。




「あの…怪我の具合はどうかしら?もう痛まない?」




エルフの少年は私の言葉を聞いておずおずと立ち上がると、脚の具合を確かめた後控えめに頷いて見せた。多分大丈夫という意味だろうけど、なんだか少し怯えているようにも見える。




「そう。良かった…。なら、もう一人で帰れるわね」




そう言って彼を見送るために私も立ち上がると、意図を理解したのか少年もようやく口を開いた。




「あ、ありがとう」


「ええ。貴方の怪我が治って本当に良かった。でももうこの辺りにはあまり近付かない方がいいわ。ここの家主に見つかったら怒るかもしれないから」


「…わかった」




気をつけて帰ってね、と笑顔で見送る。少年は頬を赤らめながらもサッと素早い動きでその場を離れていった。


エルフは獣人と同様に醜い生き物として差別されている。でもエルフの女性は人気があるんだよね…ただ尖った耳が受け付けない人もいて、万人に好かれているわけじゃない。そしてこの世界のエルフは警戒心が強く獰猛で、目が合うとすぐに襲ってくるという話を聞いた事がある。だからもしエルフに会ったらまず逃げろと誰もが口々に言うのだ。でも、さっきの子を見るにそんな獰猛な性質には見えなかった。むしろ、人間に怯えていたような…。もしかしたらエルフは私が聞いていたような性質ではないのかもしれない。


そう考えながら家に戻って施錠魔法をかけようと扉に手を伸ばす。すると、閉めた扉がすぐ開いた。




「ロイド!?」




扉の向こうから現れたのは仕事に行ったはずのロイドだった。まだ1時間くらいしか経っていないのにもう戻って来たのか。驚いて固まる私をロイドはじっと見たあと、少し不機嫌そうな声で言う。




「保護魔法が干渉を受けていた。何があった?」




まさか私の魔法を感じ取って戻ってきたの?ま、まずい…。




「はやく答えろ」




どうしよう…





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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫耳いいですよね [一言] 美醜逆転ものが大好きなので、今後の展開に期待しています!
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