第3話(ロイド視点)
※ロイド視点
幼い頃から俺は大層醜かった。
物心付いた時には既に両親はおらず、俺は孤児だった。きっとあまりの醜さに耐え切れず俺を捨てたのだろう。無理もない。光を通さない真っ黒な髪、べっとりと濁った血のような瞳。それを少しも隠す事が出来ない主張の激しい目の形。細く尖った鼻と顎。更には生まれつき黒く焦げた肌。大体10歳を越えた辺りには大の大人が俺の顔を見て泣いて逃げ出すほどだった。
獣人の中でも一際醜かった俺はどこにいても長く身を置くことは出来ず、誰もいない森の中で生活するようになった。もちろん獣や俺と同じように世間から弾き出された奴らと鉢合わせることもある。大抵は自分の居場所を守るため命の取り合いになるが、幸いなことに魔力は他の生き物よりも多かったため鍛錬を重ねて魔法の腕を磨く事でどうにか凌いでいた。
その内仕事を求めてどんな者でも受け入れているという冒険者ギルドに加入した。しかし、どう考えても割に合わないような仕事しか回ってこず、生活は苦しいままだった。誰も受けないような厳しいクエストの攻略と、気の抜けない森での生活。過酷な日々のおかげで体力は付いたが、俺の外見は成長と共にどんどん酷くなっていった。このままでは冒険者の仕事も失うかもしれない…そう考えていた時、ギルドで俺に声を掛けてきた男がいた。
俺は冒険者を辞め、その男からの依頼をこなすようになった。
黒い噂の絶えない金持ちの誘拐や暗殺…所謂義賊のような事が主な仕事内容だ。とはいえ、通常の倫理から外れていることは理解していた。だが俺がその仕事を遂げる事で救われる者がいることもまた事実だった。金は手に入るし、俺のする事を喜んでくれる誰かがいる。俺のしている事を咎められる奴なんかいない。そんな奴は毎日なんの苦労もなく生きている人間だけだ。真っ当に生きたくても生きられない俺のような存在が生きていける方法なんて限られている。
このままこの先も、俺はこうして一人で生きていくんだろう。最初から一人だった。今更自分の隣を並んで歩く温かな存在など求めやしない。俺は親にすら見捨てられるほど、醜い存在なのだから。
その日も依頼をこなすため、俺はラゴール城へ侵入した。魔力探知に引っかからないよう隠密魔法を使えば簡単に侵入できた。様々な貴族がこの城を訪れるため、獲物の動向を探るには絶好の場所だった。
屋根の上から様子を伺っていると、貴族らしき女が一人、執事に連れられてやって来た。身なりからして貴族の中でもかなり良い家の娘だろう。俺もあんな家に生まれていたら何か違ったのだろうか…いや、この顔だ。結局辿る道は同じだろう。
馬鹿な考えをやめ別の場所に移ろうとした時、不意に女の顔が目に入った。その瞬間、全身の毛が逆立ち、ぶわりと尻尾が膨れる。
なんだあの女は……あんなに美しい生き物を俺は見た事がない。
風に靡く度に陽光に透ける桃色の髪。こぼれ落ちそうなほど大きく優しげな蜂蜜の瞳。新雪のように滑らかで白い肌。どこを取っても美しくない場所などなかった。いつの間にか仕事の事など頭から抜け落ち、花に吸い寄せられる虫のようにその女の後を追っていた。
もう少しだけ、あの美しいものを見ていたい。
その一心で女を見つめていると、やがて中庭の前で一人の男と合流する。あれはこの国の王子だ。相変わらず整った外見をしている。それにしても、何故あの美しい女と親しげに話をしているのだろうか。モヤモヤとしたものが胸の辺りに広がったところでハッと我に返る。誰と親しくなろうとあの女の勝手だろう…何を考えているんだ。
しかし、王子が女の頬に手を触れたのを見てまたモヤモヤが再発する。なんなんだこれ…さっきからなんかおかしいな。まさか、王子に対して対抗心でも持ってるのか?この俺が?外見も権力も金も、なんでも持っているあの男に俺が勝てるものなんて何一つないというのに?
いや…そういえば王子が魔法を扱えるという話は聞いた事がないな。人間の魔力量など大した事はないだろうし、魔法を使えば今この場であの女を連れ去る事も出来るんじゃないか?
……いや、待て。連れ去ってどうする。そんな事をしても泣き叫ばれて気絶されて終わりだ。あの美しい女の顔が恐怖と嫌悪に歪む所など見たくない。
ドンッ!
「お、お前!ここで何をしている!」
先程までそう思考していたはずだった俺は、気付けば中庭に降りて王子に叫ばれていた。何してんだ俺は…。
だがこのまま何もせず帰るわけにもいかない。とりあえず…憂さ晴らしに王子だけでも軽く吹き飛ばしておくかと掌を王子に向けて風魔法を放つ。すると、予想もしていなかった事が起きた。何故か女が王子の前に飛び出してきて完璧な保護魔法で王子を守って見せたのだ。そして二人の会話から女の名前が“アリシア”だという事が分かった。
アリシア…咄嗟にあの動きが出来る人間がこんな所にいるとは。思わず口の端が上がるのが分かった。
美しい外見に見合わずアリシアは強かった。俺の氷の矢を風で跳ね返し、保護魔法の弱点を的確に突いた火魔法で俺を上手く誘導し、最後には上級魔法である雷を連続で繰り出してきやがった。上級魔法を連射してくる貴族の娘なんて聞いたことねェぞ。
だが流石に魔力が底をついたのかその後は座り込んでしまった。俺が浮遊魔法で雷を避け切ったとは想像も付かなかったらしい。そりゃそうか。浮遊魔法での飛行は上級魔法の中でも難易度が高い。今まで俺の他に出来る奴を見た事がないくらいだ。
ちょっと脅かすつもりで王子に支えられるアリシアを抱えて上空へ上がる。すると、魔法についての知識も豊富なのか、浮遊魔法で飛行する俺を見て固まってしまった。いや、もしかしたら獣人に触られたのがショックだっただけかもしれないが。この時の俺は気分が高揚していてそういったところまで頭が回っていなかった。戦いになるとついハイになってしまうのは獣人にはよくある事なのだ。
だからいつもなら目深に被ったままのフードも意気揚々と外して、これ見よがしに素顔を晒して見せた。期待通りの反応を見せる王子や遅れてやってきた騎士共。俺の顔を見ただけで吐いちまうなんて城付きの騎士も大した事ねェな。そう嗤って氷の矢をお見舞いする。こっちには人質もいるから反撃も難しいだろう。手も足も出せなくて可哀想になァ。
その時、またしても予想外な事態が起こった。
「お願いやめて!」
大人しくしていたアリシアが俺の腕を掴んで止めようとしてきたのだ。この女…危機的状況とはいえ自分から俺に触れてくるだと?しかも、真っ直ぐ俺の顔を見ている…よな?どういうことだ?
混乱で思わず固まっていると、アリシアは今度は更にしっかり俺の目を見て言葉を紡いだ。
「やめてください…これ以上誰も傷つけないで。お願いします」
可憐…という言葉を人生で一度も使ったことなどなかった。だが、もし使うなら今目の前にいる彼女にこそ使うべきだろう。女神の化身だと言われても信じてしまえそうなほど美しい顔が切なげにこちらを見上げ、潤んだ瞳に見つめられると無条件に従いたくなってくる。それに、誰かにこんなに真っ直ぐ見つめられたのなんて恐らく人生で初めてだ。なんなんだ…なんでお前は俺をそんなに真っ直ぐ見ていられるんだ。
気がつけば俺はアリシアを連れて家に戻っていた。
シュナウドの森の瘴気は魔力が少ない人間には毒となるが、恐らくアリシアなら大丈夫だろう。魔力切れで眠っている様子のアリシアに自分の魔力を移し、顔色が戻った事を確認すると俺のベッドに寝かせた。丁度昨日洗ったばかりだが、きっとこんな小さくて汚い家の中で俺なんかの使っているベッドに寝かされたと分れば起きて早々に発狂するかもしれないな。さっき俺の顔を見て話していたのだって大切な王子様が傷付けられるのが嫌だっただけだろう。きっと次に目を覚ました時はこの女もあの王子のように俺を醜い化け物だと罵るだろう。
俺はその後扉をしっかりと施錠し、家全体に保護魔法を掛けて再び外に出た。引き受けた依頼を遂行するためだ。今ラゴール国内は騒ぎになっているだろう。下手に侵入すれば見つかって殺される可能性がある…が、今までだって人間に見つかって殺されそうになった経験はいくらでもしてきた。仕事に穴を開けて食い扶持を失えばどの道死んじまう。今まで通り誰にも見つからずに仕事をこなせばいいだけだ。
予想通り捜索隊が国中を行き交っていたが、隠密魔法で奴等の探知から逃れて目的の場所に向かう。城で動向を探っていた本来の標的である貴族は今回の事件を受けて家に篭っていたため、むしろ狙いやすかった。屋敷に侵入し、一人になった所を見計らって後ろから少量の雷を流して気絶させる。縛り上げたそいつをシュナウドの近くで依頼主の男に引き渡した。
「確かにジミール男爵で間違いない。約束の報酬だよ」
「ああ」
「にしても、あの騒動の直後でよく連れて来られたもんだ。足はつかないだろうね?」
「問題ない」
男から報酬の入った袋を受け取り、すぐに懐に仕舞う。俺と同じような大きなフードで顔を隠したその男は、ギルドで最初に声を掛けてきた時から変わらない肉の付いていない薄い唇で感心したように言った。顔を見た事はないが、恐らく隠さなくてはならないほどの見目をしているのは間違いないだろう。
「攫われたのは世界一の美しさと名高いご令嬢らしいが…まさか、君の仕業だったりしないよな?」
「…知らねェよ」
「ふーん?ま、さすがに第一王子の婚約者に手を出すなんてマネはしないか。浮遊魔法で空を飛んで逃げられるような奴が君の他にもいたなんて知らなかったよ」
「……」
どこか確信めいた様子でそう言う男に俺は黙って視線を逸らした。俺だって連れてくるつもりはなかった。気が付いたらアリシアを抱えて家の前に立っていたんだ。彼女をどうこうする気はないし、しばらくしたら家に帰してやるつもりだ。
「…そういや、裏通りの飯屋に行くつもりなら今はやめといた方がいいぜ。普段は寄り付きもしないくせに今日は騎士がわんさか来てる。僕達みたいなのがうろついてたら何もしてなくたって捕まっちまうだろうさ」
「そうか…なら、ユーサリアに行く」
「ああ、それがいい。わざわざ隣国まで行かなきゃならないのは面倒だろうが、君なら空を飛んでいけばあっという間に着くだろうしね」
男は縛られた貴族の男を抱え上げると再度俺に向き直った。フードの下から覗く口元はなんだか少し言いにくそうに歪んだあと、今度は薄らと笑みを浮かべた。
「まぁなんだ…なにかあったら相談くらい乗ってやるよ。これでも君の事は結構気に入ってるんだ。なんせ7年は一緒に仕事してる仲だしな」
「気に入ってるって…お前は俺の名前も知らないだろう。俺もお前の名前を知らないし」
「イリスだ」
「!」
「遅くなったが、僕の名前だ」
どこか楽しげに名前を告げられて拍子抜けする。この手の仕事をするのに名前を告げる事はリスクになるから、敢えて名前を明かさないというのが暗黙のルールだ。だからお互い7年間も名前を知らないままだったのに、こうもあっさり告げられるとは思わなかった。
そもそも名前を呼び合える存在なんてしばらくいなかった。俺を信頼出来ると判断したということか?でももし偽名だったら…
「……俺はロイドだ」
悩んだ末、名前を告げることにした。俺なんかに偽名でも名乗ってくれるような奴なら俺も応えたいと思った。俺の名前を聞いた男…イリスは、俺と似た薄い唇で嬉しそうに笑って去っていく。それを見届けてから、食糧を調達するため隣国ユーサリアに向けて俺も歩き出した。