第1話
ラゴール王国のフォルテ公爵の令嬢アリシア。
前世で日本人として生きていた私は、ある日異世界の貴族令嬢として生まれ変わっていた。日本での私がどうなってしまったのかを知る術はなく、不思議と未練もなかったので今更元の世界に戻りたいとは思わなかった。少しさっぱりしすぎだろうか。このサバサバした性格は前世の時からなので諦めてほしい。
というより、公爵令嬢として生まれた私は覚えなくてはならない事も多くて前世に想いを馳せる暇もなかったというのが正しいかもしれない。将来は王族の誰かと結婚し、夫を支える存在となるため毎日政治や語学、マナーにダンスの勉強と前世の知識を持ってしても追いつくのがやっとという状況だったのだ。まぁそれも16歳になった今となっては新しく覚える必要のあるものも減って多少マシにはなったのだけど。
このまま順調にいけばきっと私は他の上級貴族令嬢と同じように身分の高い人と結婚して、子供を産んで、社交で夫を支えながら歳を取って死んでいくのだろう。この世界は日本より生活水準は低いし、平民はまだまだ貧しいし、奴隷も存在する。貴族として生まれた時点でかなり恵まれているのは理解しているのだが、それを差し引いても私にはこの先の将来に不安があった。
それは私がこの世界で最も美しいと称されるほど美人に生まれてしまったためである。
…何を言っているんだと思ったでしょう?私もこんな事自分で言いたくないけど、残念ながら事実なのである。
艶のあるピンクブロンドの長い髪。とろりと甘い蜂蜜色の大きな瞳。透き通る白い肌と細く柔らかな手足。顔のパーツの配置は奇跡と呼べるほど完璧に整っていて、顔の輪郭も無駄な肉がどこにも見当たらず滑らかな曲線を描いていた。
正に絶世の美女。未だに鏡を見てもこれが自分自身だとは信じられないほどだ。普通なら喜ぶべきことなのだが、何故それを“残念”と表現しなければならないのか。それは、この世界が日本と比べてかなり美醜に囚われた価値観を持っているためだ。
例えば普通の見た目の人がお店でパンを一つ買おうとしたとする。当然その人はパンを一つ買える。けれどそれが普通よりずっと見た目が劣る人だったら、お店は急にそのパンの値段を二つ分の値段に書き換えてその人に売ろうとするだろう。その事を抗議でもしようものならお店はその人を店から追い出して、もうその人にはパンを売ることはないのだ。そして反対に見目の良い人がパンを買おうとすれば、一つ分のお金で二つのパンが笑顔とともに提供される。それくらいこの世界は美醜に囚われた価値観を持っており、見た目の良さは生まれつき持てる財産でもあるのだ。
当然私も例に倣って優遇され、無条件に他人に優しくされてきた。でも私には前世で日本人として生きた記憶がある。見た目によってそれほどまでに態度を変える他人に良い印象は抱けなかったし、何より信用も出来なかった。周囲はそれが当たり前だと思っているからか悪気なく他人の見た目を評価するけれど、それもはっきり言って気分が悪かった。月並みの言葉だけれど、「人は見た目じゃない」と思うのだ。そう思いたいのだけれど…こんな世界では通用しないのかもしれないと、私は毎日思い知らされている。
「さぁ、アリシア様。結い終わりましたよ」
「ありがとう」
「今日もなんてお美しいのでしょう。どんなお召し物もお似合いになられますが、ピンクブロンドの御髪に爽やかなライムイエローのドレスがとても映えますわ。まるで花の妖精のようです」
これからこの国の王様に挨拶をしにいくため、張り切って身なりを整えてくれた侍女がうっとりとした表情で私を褒め称えてくれる。大袈裟に聞こえる賛辞だけれど、この場合はまだ控えめな方である。ひどい時は何か神様の啓示でも受けたのかと言うほどしばらく手を組んで拝みながら私を褒めていたりするから。
「ありがとう。でもこのドレスならきっと貴女にも似合うと思うわ。肌が白くて綺麗だから、こういう明るい色の服が合うと思うの」
「まぁ、私のような者にもそのようなお優しいお言葉をありがとうございます。アリシア様はお心までお綺麗なのですね」
「……」
侍女はそう言ってにこやかに笑っているけれど、多分本気には取られていないと思う。侍女はどちらかというと綺麗な見た目をしているけれど、私の方がどうしても美人だと言わざるを得ない。確かに自分よりも綺麗な人間が着ている服を勧められても良い気持ちはしないか…でも本心だったのにな。
それ以上は何も言わず、私はそのまま部屋に訪れた執事に案内されて王の元へ向かった。
先日王室から通達があり、私がリヒュート第一王子の婚約者に選ばれたのだ。今日はその挨拶として王城へ招かれている。王子とはまだ数回しか会ったことがなく、そこまで親しくはない。けれど…彼は自分の見目の良さをどうにも鼻にかけているような印象があってあまり好きではない。でも彼を支える存在として私が選ばれたのであれば、私はその役目を精一杯全うするだけ。女性には優しいと言うから、暴力的でないだけ良かったと思うことにしよう。
「アリシア!」
「…ご機嫌麗しゅうございますリヒュート殿下。ですが何故こちらに?」
「謁見の前にそなたに一目会っておきたくてな。ああ、今日も美しい。本当に天の使いか、美の女神イアリシャのようだ」
「勿体ないお言葉です」
謁見室へ向かっていた道中、何故かリヒュート王子が待ち構えていて、私に気付くと嬉しそうに声を掛けてきた。そしてそのまま私を案内してくれていた執事を下がらせてしまう。どうやらこの後謁見室で顔を合わせる予定なのに、わざわざその前に会いに来てくれたようだ。律儀だなぁ…女性に優しいというのは本当らしい。
「夫婦になるのだから、そんなに堅苦しくしなくていい。それとも緊張しているのか?大丈夫だ。父上も母上も本当に美しい令嬢だと褒めていた。父上がそなたを世界で最も美しいと称えた話は有名であろう?」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかしまだ婚約が決まったばかりの身ですので、殿下とはこれからゆっくり親睦を深めていきたいと思っております」
「ふむ…それもそうか。そういえばアリシアは魔法の腕も立つらしいな。先日ラゴールで数える程度しかいないというエファーの称号を得たとか。素晴らしい才能だ」
国内で5人目ね5人目。国民ですら知ってるようなことなのにまさか王子は知らないのだろうか。つい眉が動きそうになったのをなんとか耐えて微笑みを維持する。
実はこの世界には魔法が存在していて、体内に流れる魔力を駆使して人々は生活している。火を灯したり、物を浮かせて運んだり。魔石という魔力が篭った石を使うことでも魔法を扱うことができるが、魔石はとても高価なので庶民が使うことはあまりなく、貴族でも普段使いするような者は少ない。なので魔石を使わずに沢山の魔法が扱える人間というのは貴重なのだ。
エファーというのは100種の魔法を扱い、3種の上級魔法を扱える人間にだけ与えられるとても名誉な称号で、過去にエファーとなった者の中には吟遊詩人にも詠われた大賢者も含まれている。そして私はつい先日、5人目のエファーを名乗ることを許されたのだ。
エファーとなるために私は幼い頃から令嬢教育と並行して沢山努力をしてきた。毎日毎日、それこそ寝る間も惜しんで魔法を学び、鍛錬を繰り返した。元々平均並みだった魔力量も、鍛錬を重ねたおかげでかなり増やす事ができ、今は上級魔法を連続で出しても倒れないくらいに成長している。エファーになることは私の目標だったのだ。周囲から求められたわけではなく、幼い頃に自分で決めたことだった。そんな過酷な目標を立てた理由は…
「美しいアリシアはなんでも出来てしまうのだな」
これだ。
王子は悪びれた様子はなく、さらりと言った。まるで私がなんの努力もせずエファーになったかのように。
しかし、悲しい事にこんな風に言う人間は王子だけではない。この世界では美しいだけで生きていけるほど人々は美醜に囚われている。だから美しく生まれた人間は必要以上に努力をしない。そこにいるだけで他人に持て囃され、甘やかされるから。世界で一番美しいと言われた私が努力をして魔法を扱う必要などないから、周囲は私が忙しくてご飯を食べられない日があったり、増えた魔力に酔って吐いてしまうような幼少期を送って来たことなど想像もしないのだ。
この世界に生まれた私は、ただ美しいだけの私だった。自分の価値が外見の美しさしかないような気がして嫌だった。だから、努力をしてエファーになれば、誰かが私を見てくれるんじゃないかと思った…けれど、結局私は“美しいアリシア”のままだった。こんなの贅沢な悩みだということは分かっている。だけど、外見を差し引いた本来の私を見てくれる誰かに出会いたいと願うことくらい許して欲しい。
「さて、そろそろ謁見の時間だな。そなたといると時間が経つのがあっという間だ」
「私も殿下とお話しできて嬉しく思います」
元々時間はなかったと思うのだが。…いや、王子は私を気遣ってわざわざ会いに来てくれたのだろうし、そんな風に思ってはいけない。会話の端々に外見の話が出てくるのでちょっと疲れてしまったせいだろう。そのうち王子との会話にも慣れていかなければ……自信がないけど。
「やはり緊張しているようだな…言葉が固い。いや、無理もないだろう。他でもない私との婚約の顔合わせだからな」
「……。そうですわね。少し緊張してしまっているようです」
言葉が固いのはまだ親しくないからだとさっき説明したが?
…おっと、つい語気が強くなってしまった。この鼻につく話し方はやはり苦手だ。うっかり笑顔のままフリーズしてしまった。というか、早く謁見室に向かいたいのだけど、王子は私を遅刻させる気だろうか。
会話を早く切り上げたいのだが、あまり失礼な態度を取るわけにもいかず話を合わせる。すると何を思ったのか、王子は特徴的な唇を緩ませて微笑むと私の頬に手を触れてきた。
「大丈夫だアリシア。私が付いている」
「…は、はい。ありがとうございます殿下」
「うむ」
突然肌を触られるとは思わず硬直する。いや、これがもし価値観の合う男性だったならここまで不快ではなかっただろう。しかし王子とはずっと会話が噛み合わないし、私の心の扉は全く開く様子がない。この状態で断りもなく触れられるのは痴漢と言ってもいい。いや、振り払える分まだ痴漢の方がマシか。
青褪めて固まる私を照れているとでも思ったのか王子は笑って今度はドレスから露出した私の肩に手を伸ばしてきた。ひ、ひい。もう流石にやめてくれ。断ろうと慌てて口を開いた時。
「安心しろアリシア。そなたは私の隣で笑っているだけでいいのだから」
開いた口からは声も、空気も吐き出されることはなく、ヒュッと喉の奥が詰まる音だけが聞こえてきた。周囲は不思議なほど静かで、近づいてくる王子の足音すら聞こえない。
笑っているだけでいいの?
これから先、私はそうして生きていくの?
笑っているだけでいいのなら、それは私である必要があるの?
足元から何かが崩れていくような感覚がしてその場を動くことが出来ない。あと少しで王子の指先が私の肩に触れそうな距離になった時、突然ドンッ!という大きな音がして王子の後ろの中庭に、何かが現れた。
「なっ、なんだ!?」