Act.2 存在召銘(アイデンティティ)
――いつまで経っても、彼女を突き飛ばした後に衝撃は訪れなかった。
恐る恐る目を開けば、俺の右手の甲が輝き、そしてあのトカゲモドキの前足の刃を不思議な力で防いでいた。
「江畑……くん……?どうしてここに……」
見れば、突き飛ばされた彼女が刀を杖に膝を着いて、起き上がっていた。
目を丸くしている彼女の姿を見れば、あちこちに擦り傷や切り傷が見られた。
「俺にもよくわかんねぇけど……でも、黙って見てらんなかった」
言いながら、右手にかかる圧力が増してる気がした。見れば不思議な力の正体は障壁であり、半球状に展開された赤いそれが、トカゲモドキの前足を防いでいるのだ。
改めて間近で見るとマジで気持ち悪い。爬虫類独特の質感があるくせに目がひとつで肌が黒いせいで、クリーチャーとかモンスターとか言う表現がぴったり合う。
ラノベやゲームの連中はこんなのと戦ってるのか?いくらチート能力があっても異世界にだけは行きたくないね!
「まさかそれ……刻印?江畑くん、ひょっとして……」
なんてバカげた現実逃避をしていると、泉ヶ丘が何かに気がついたようにブツブツと呟き始めた。
「は?何!鍵?」
「手の刻印よ!」
「刻印?」
見れば、たしかにそこには印があった。――今朝、猫に引っ掻かれたクロスマークが、紅く光っているのだ。
「なら存在召銘を!接続詠唱を叫んで!」
「なんなんだそのアイデンティファイだのキーコードだの!」
「存在召銘!何でもいいからそれっぽい事叫んで!」
「どっちも似たような意味だろうが!あとそれっぽい事ってなんだ!!ここに来て丸投げかよ!!!」
「いいから早く!」
「嘘だろ?!ええぃ!」
刹那思考を超高層で回転させる。俺の厨二病的ワードセンスが、ここで発揮出来なきゃいつ使い道がある。
俺が読んできたラノベや、やってきたゲームの知識が、ここで生きなきゃいつ生きる。
もう時期障壁が砕け散るだろう。こうなりゃヤケだ。直感だ。
「くそ!――疾く燃え滾れ!」
しかし、それだけでは何も変化が無い。何かが足りないらしい。
「名前を!」
再び泉ヶ丘の声が耳に飛び込んできた。
名前?文脈からしてその存在召銘の名前のことだろう。
――いや待て。知らんが?知るわけないが?何?ここに来て名前までつけろと?お前名前を練るのにはなぁ!小一時間くらい悩んでだなぁ!
「早く!」
彼女の声と同時に、障壁が音を立てて砕け散った。
ここまで来てダメなのかよ……!
嗚呼だけど、どうやら神は俺らの味方をしていたらしい。
衝撃が襲い来るよりも早く、リンと
鈴の音が鳴り響いた。直後、声が耳元に響いた。
「火之迦具土神だ」
知らない女性の声だった。妖艶で、艶やかな声。それが、どこからともなく聞こえたのだ。
「火之迦具土神!」
考えるよりも早くそう叫んだ俺に、予期した衝撃は訪れず――むしろ、あのトカゲモドキを吹き飛ばしていた。
現れたのは、赤黒い刀だった。灼熱の熱波を帯びた、炎鉄の刀。
その熱波が、トカゲモドキを後方へと吹き飛ばしたのだ。
吹き飛ばされたトカゲモドキは教室の壁を突き破り、隣のクラスで椅子と机と瓦礫に埋もれ、唸り声を上げていた。
「……すごい」
泉ヶ丘が呟いた。
「これが……存在召銘?」
「そう。……でも、詳しい事は後。今はあの色喰らいを」
そう言うと彼女は俺の隣に立ち、構えた。
「分かってるって。さぁ――」
俺は刀を構えて、トカゲモドキを見据えた。さっきまでは苦戦していたが、それは彼女が1人で戦っていたからだ。
だが、ここからは違う。俺と泉ヶ丘で、2人だ。
「――反撃開始だ!」
剣先を突きつけて、俺はそう高らかに宣言した。
2人なら、負ける気がしねぇ!