28.後編 ホワイトデイ
「エレナちゃん」
声をかけられて、過去から思考が引き戻された。
声のした方を見ると、サージスが私の右隣の席に座っていた。
頬杖をついたまま、彼はニヤリと笑う。
「やっと気付いてくれた」
「いつから?」
「一時間くらい前かな? 呼びかけても気付いてくれないから、ずっとエレナちゃんを見てたよ」
一時間も前から?
隣に座ったのも全く気づかなかった。
「私に何かご用ですか?」
「ん? こーんな難しそうな顔してたからさ、何かあったのかなって」
そう言って、サージスは眉間に皺を寄せて難しそうな顔をして見せた。
私はそんな顔をしていたのか。
図書室に他の人が居なくてよかった。
「昔の事を、思い出していたの」
あまり詳しく話せない内容なので、曖昧に返事をして、苦笑いを返した。
「昔の事ねぇ……。そうだ!覚えてる?エレナちゃん達が最後に侯爵領に来た時の事」
「覚えてるわよ、サージスはまだ私より背が小さくて、可愛かったわよね」
「あの頃は、よく眠れてなかったからね。十歳の誕生日が来てからは特にひどくて、毎日二時間くらいしか寝れてなかったから、一年くらい成長が止まってたんだ」
「そんなに深刻だったの?悪夢を見るから、よく眠れてないとは聞いたけど……」
毎年、父は商談の為に侯爵家を訪れていて、私も五歳の時から父の商談について回っていた。
私が八歳の時、侯爵家に今年は連れて行けないと父に言われた。
その年、魔の森で魔獣が大量発生して、戦闘中に侯爵夫人が亡くなったと聞いた。
侯爵領民は、子供以外は例外なく有事の際は兵士となる。
突然の別れは珍しい事ではなく、彼らはその覚悟を持って国防にあたっている。
それは分かっているけれど、とても悲しかった。
翌年、久しぶりに侯爵家を訪れると、サージスは前回会った時より身体は細く、背は私より小さくて、目の下には濃いクマができていた。
何か病気なのかと心配したけれど、ただの寝不足だとサージスは笑っていた。
「エレナちゃん、すごく心配してくれて、夜同じ部屋で寝てくれたんだよね」
「悪夢を見るって言うから、夜中に起きた時に、誰か側にいれば安心かなって思ったのよ」
「それから少しずつ眠れるようになって……エレナちゃんが帰る頃には、悪夢は見なくなったからね」
「クマも薄くなって、滞在最終日には、外で一緒に遊べるようになったのよね」
「あの時は、本当にありがとう」
「ふふっ、私も弟ができたみたいで、嬉しかったわ」
「弟かぁ。だから『一緒に寝てあげるわ』なんて言えたのか」
「そうね、守ってあげなきゃって思ったの」
「僕はドキドキして、最初は別の意味で眠れなかったけどね」
「え?」
「好きな子と手を繋いで一緒のベットで寝るとか、眠れるわけがないと思って、あの時一度断ったんだよ? エレナちゃん意外と頑固だから押し切られちゃったけど」
「え……」
「でも、夜起きて好きな子が隣に居るって、癒されるんだね。あれは悪夢も吹き飛ぶよ」
待って、サージスはすごくいい笑顔で話し続けているけど、好きな子って……私?
あまりに普通に流れていく話に戸惑う。
それが顔に出ていたのか、サージスが苦笑いをして言った。
「入学式の時に、プロポーズしたよね?あれは冗談でも嘘でも、その場の勢いで言ったわけでもないよ。僕はずっとエレナちゃんの事が好きなんだ」
「私の事を?なんで……」
「好きな子に悪夢から助けてもらって、生きる希望ももらったんだ。恋に落ちるなって、無理な話だよね?」
「でも、私は……」
「答えなくて大丈夫だよ。ただ、ちゃんと僕の気持ちは伝えておきたかったんだ。ゆっくりでいいから、考えてみてほしい。それまで、恋人って事でとう?」
「恋人?」
「できれば、君を守れる立場が欲しいんだ。周りに婚約者だと勘違いされている状況でも、ある程度助けになれるかと思ったけど。それだけだと、いざという時僕に迷いが出そうで……どこまで関わっていいのかなって」
いつのまにか、私の右手はサージスの手の中にあった。
そして、私の手に何か乗せられた。
金属の冷たさが手に伝わる。
「これ……」
「入学式の時は、エレナちゃんに会えるのが嬉しすぎて忘れてたんだ。だからプロポーズが本気だと信じてもらえなくても仕方がないよね」
「ピンクローズのネックレスに……赤いルビー?」
「エレナちゃんが卒業するまで、これを着けておいて、虫除けになるから。必要なくなったら返してくれればいい……。いや、よくないよ?そうならないように頑張るけど。
もしも、いらなくなったら……待って、やっぱり無理。
もしもの話でも返して欲しくない、どうしよう。気持ち重いよね? でも、 エレナちゃんの幸せが一番だから、もしもの時は気に病まないでほしい。うん、これは本当」
「ふふっ、ありがとう」
真剣に、すごく早口で話すサージスを見ていたら、思わず笑ってしまった。
驚いたけど、彼の気持ちは嬉しい。
だから、私も言葉にできる限りの本心を告げる事にした。
「私、恋ってどうしたらいいのか、よく分からないの」
「うん、それでもいいよ。そうだ、僕の恋しい人だから、恋人って事でどうかな?」
「分からないままでもいいの?」
「僕がその分、エレナちゃんに恋してあげるから大丈夫」
「人を愛するのも怖いの」
「どうして怖いの?」
「まだ、言えないわ」
「話せるようになったら、いつでも聞くからね。理由があるなら一緒に考えよう」
「一緒に……どうすればいいのか、考えてくれるの?」
「もちろん!もし解決できなくても、エレナちゃんの分まで僕が愛してあげるから、安心して」
「それは、何か違う気がするわ」
「バレたか」
いたずらがバレた子供のように、おどけて笑う彼の顔を見ていたら、私の悩みも二人で考えれば、なんとかなるような気がしてきた。
「恋人になってもいいけど条件があるわ。契約書を作成してもいいかしら?」
「それで僕を受け入れてくれるなら」
そう言って、サージスは契約用紙を取り出して、サラサラと一行目を書いた。
「契約用紙持ち歩いてるの?」
「商談用にね。まずは、エレナちゃんが『恋をして人を愛する事ができたら、この契約は破棄する』っと……うん、エレナちゃんが幸せなら僕は……」
「サージス、契約条件は私が決めてもいい?」
「もちろん、エレナちゃんが好きに決めていいよ」
私はサージスから契約用紙を受け取り、三行目まで書き込み自分の名前をサインして、サージスに渡した。
「ちゃんと読んでからサインしてね」
「もちろん!でも、エレナちゃんが出した条件なら何でも……えっ?!」
彼は、契約書を何度も読み直してから、私の顔を見て固まった。
予想外の条件だったのか、なかなかサインをしないサージスに、私は笑顔で促した。
「問題がなければ、サインしてくださいね」
「待って、エレナちゃん。これ魔術契約用紙だから、二人のサインが揃ったら、契約内容は変えられないよ?」
「知っているわ。ディメオスと契約した時にも使いましたから」
「……この内容で、本当にいいんだね?」
「えぇ、私が考えて書いたのよ。問題ないわ」
私の答えを聞いて、彼はようやく契約書にサインをした。
すると、書類が淡く光り二枚に別れて、恋人契約が成立した。
私達は一枚ずつ契約書を手に取った。
「まさか、一行目に条件を書き足すとは思ってなかったよ」
「私が恋人以外の人に、目を向けると思っていたの?」
「そんな事は思ってないけど、恋に落ちるのは止められないからさ」
「私は簡単に恋したりしないわ」
「そうか……うん、そうだよね」
ようやく納得したのか、サージスは笑顔で頷いた。
「この契約が破棄されたら、レナって呼んでもいいかな?」
「いいわよ、約束ね」
そう言って、私はサージスから貰ったネックレスを首にかけた。
窓から夕陽が差し込んで、私達を照らす。
二つの影は、そっと寄り添い、一つになった。
◆◇◆◇◆
大きな加護の力は、心を縛る枷となる。
恋をして、愛した人の幸せを願えば、他の人が不幸になってしまうかもしれない。
そして、愛した人にもし裏切られたら、その人の不幸を願って破滅させてしまうかもしれない。
だから、私は人を愛するのが怖かった。
けれど、彼が一緒に考えてくれるというのなら、まだ起こっていない事を一人で不安に思うよりも、彼を信じてみようと思った。
◇◆◇◆◇
【恋人契約】
一、エレナが、恋をして人を愛する事ができたら、この契約は破棄される。そして、この契約が破棄された時、エレナは恋人と婚約する。
二、サージスの想いがエレナから離れるまで、この契約は継続する。もしも想いが離れた時は、契約は白紙となり契約書は消滅する。
三、エレナが学園卒業後、この契約書が消滅していなければ、この契約は破棄される。
エレナ・クロニア
サージス・スワリエ
読んでいただき、ありがとうございました!
ホワイトデイ編は完結です。
新たな恋人契約が結ばれました。
最初は、エレナの為にサージスが恋人役を引き受けて、その間にエレナを振り向かせる事ができるのか?!
みたいな話の予定が、書いていたらエレナの不安を感じて、サージスに契約書を書かせてました(笑)
婚約契約の破棄に始まり、新たな契約のスタートです。
引き続き、ゆっくり更新して完結を目指します!
よろしくお願いします♪




