26.前編 ホワイトデイ[過去回想◆]
三月十四日、ホワイトデイ当日。
バレンスイートのカフェの予約は満室。
そして、タインスイートのホワイトデイ商品は昨日までに完売した。
今日は全面カフェとなった両店舗に、私の居場所は無かった。
昨日までは一緒に準備していたのに、当日カフェの手伝いはさせてもらえなかった。
仕方がないので、学園で時間を潰そうといつものように中庭に行くと、そこは恋人達で埋め尽くされていた。
タインスイートのカフェに入れなかった人達が、学園に戻ってきたみたいだ。
中庭を諦めて、図書室に向かった。
図書室に人の気配はなく、静かな空気が流れていた。
私は一番奥の席に座り、小さく息を吐いた。
幸せそうな人達を見るのは嬉しくて、友達から恋人の話を聞くのは楽しい。
バレンスイートもタインスイートも経営は順調で、今回のイベントの収益はほとんどないけれど、いい宣伝になったはず。
今まで利用した事がなかった人達にも知れ渡り、今後利用客の増加が見込める。
何も問題はないし、全て上手くいっている。
それなのに……今は何も感じない。
この感覚は、久しぶりだった。
五年前の、あの時以来だ……。
◆◆◆◆◆
あの日、私は小麦畑に祈りを捧げていた。
収穫を前にした小麦達は、私の豊穣の加護により、どこよりも多く実り爽やかな風に揺られていた。
加護を持つ者は、十歳の誕生日の時に親から知らされる。
この時、私はまだ加護の事を知ったばかりだった。
豊穣の加護は、作物に祈りを捧げると、実がよく育ち、とても美味しくなる加護だと教えてもらった。
実際、私が祈ればその畑の土は柔らかく肥沃になり、とても美味しい野菜がたくさん採れた。
その野菜を使った飲食店が評判になり、農産地であるクロニア男爵領に、王都から食べ物目当ての旅行客が来るようになった。
小さな街は大きくなり、飲食店が増えて宿が建ち並び、男爵領は更に豊かになった。
みんな喜んでくれて、私はとても嬉しかった。
でも、両親に『加護の事は誰にも話してはいけない、聞いた人が罰を受けてしまうかもしれないから』と言われていた。
この時は、よく分からなかったけれど、誰にも罰を受けてほしくなかったから、絶対に人には話さないと強く思った。
だから、その日も人に知られないように、一人で祈りに来ていた。
見つからないように祈っていたけれど、周囲には人が居る。
日は高く登り、みんなお昼を食べていた。
だから、油断していたのだ。
近くで馬の蹄の音がした、馬車が私の後ろを通る。
通り過ぎた、と思い振り向こうとしたその時、バタンとドアが開き私の体がフワリと浮かんで、馬車の中に吸い込まれた。
何が起こったのか分からなかった。
今思えば、あれは魔術だったのかもしれない。
でも、その時の私は自分の身に起こった事が理解できず、声を上げる事もできなかった。
馬車の中には、私と同じくらいの髪の長い子供と、腕に無数の傷がある男の人が居た。
男は私の顔を見てニヤリと笑い、隣の子供に目で合図をした。
私が何も言えず固まっていると、子供が大きなハンカチで私の口を塞いで、私は深い眠りに落ちた。
目を覚ますと、私はベットに寝かされていた。
ここでようやく冷静になって、自分が誘拐されたのだと理解した。
手は後ろで縛られていたけれど、足は自由だったので、ベットから降りて、周囲の状況を確認した。
ドアが一つ、窓が一つ、光は窓から入る月明かりだけ。
ドアには鍵がかかっていて、中から開ける事は出来なかった。
小窓は背伸びをして、ようやく外を見ることができる位置にあった。
近くに生い茂る木々が風に揺られ、眼下に広がる街には暖かい光が灯る。
少し小高い場所に建つ、建物の中に居るようだ。
二階以上の高さがある。
何の建物だろう……。
そんな事を考えつつも、男爵領ではない風景に、私は急に不安になった。
ここはどこ?
あれから、どのくらい時間が経ったの?
誘拐されたとして、犯人の目的は?
私はこれから、どうなってしまうの?
お父様に会いたい、お母様に会いたい、みんなの所に戻りたい。
一人暗い部屋の中で感じる不安、恐怖、絶望。
悪い考えばかりが浮かび涙が溢れた。
そして、私は心を守る為に、感じる事を放棄した。
ここから私の記憶は途切れている。
三日間誘拐されていたと、両親に教えてもらった。
記憶の空白は、多分二日間。
今も何があったのか思い出せない。
でも、助け出された時に見た、街の光景だけは、今でも鮮明に思い出す事ができる……。
それは、この地の生が全て失われたような世界だった。
窓から見えていた木々は朽ち、畑は荒れ果て、花も草も生えていない。土は乾きヒビが入り、いつか本で読んだ不毛の地を思わせた。
あまりにも様変わりした街を見渡し、私の意識は再び暗闇に落ちていった。
目覚めると、私は男爵領に戻っていた。
衰弱はしていたが外傷はなく、家族の愛を感じて心も癒され、二、三日もすればいつも通りの生活に戻る事ができた。
全て夢だったのかと思うくらいの非現実的な出来事も、最後に見た街の姿が私を現実に引き戻した。
それから、私はある推測を立て、自分の加護について調べることにした。
加護に関する本を伝記から童話まで読み漁った。
そして、私と同じピンクローズと同じ色の髪と緑の目を持つ親族の存在に行きついた。
それは、私が二歳の時に亡くなった、母方の祖母ノーラだった。
更に調べて辿り着いたのは、祖母の遺品の中にあった鍵の付いたノート。
鍵は、私が生まれた時に母が祖母から預かっていたブローチだった。
そして、私は真実を知った。
祖母は、分かっていたのかもしれない。
同じ色を持つ私が加護を持ち、加護の力に疑問を持つ事を。
そして、思い悩む事を……。
◇◆◇◆◇
豊穣の加護とは、
幸福を祈れば大地を豊かにし、実りを授けるモノ。
人々に幸福をもたらし、豊かな心を育むモノ。
ただ、逆を思えば、大地は乾き朽ち果てる。
人々は不幸を感じ、嘆き悲しみ苦しむ。
人々の為に幸福を祈りなさい。
自分の為の幸福は、時として人を不幸にする。
愛する人の幸福も、間違えば多くの人が不幸になる。
広く浅く、皆の幸福を祈るのです。
大きな加護の力は、心を縛る枷となる。
【ノーラの手記】




