表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/129

幕間 翡翠の後始末

 翡翠妃であるヤシュ・ドラグーンが行方不明になり、シュバルツによって救い出された。

 事態が収束して、壊れた建物が修復され……紆余曲折はあったものの、事件は解決したように思われた。


『…………』


 とある夜、後宮に忍び込む影があった。

 ヤシュが拉致されてから後宮の警備は強化されている。

 近衛騎士がヴァイス捜索のために出払っているとはいえ、さすがに上級妃が誘拐されたとなれば人手を厚くしないわけにはいかない。

 今の後宮に忍び込むことができる人間など、警備の人間にスパイを潜り込ませている『夜啼鳥』くらいのものである。


「ここにヤシュ様がおられるのか。まったく、忍び込むのも一苦労じゃて」


 空を飛んで後宮に降り立ったのは、背中から羽を生やした鳥の獣人だった。

 金色の瞳を光らせて夜間飛行してきたその男は梟の獣人。人間サイズの梟が黒い服を着て、闇夜に乗じて後宮に忍び込んできた。


「お待ちしておりました。こちらになります」


 庭に現れた女性が侵入者を出迎える。

 事前に知らせを受け、庭に迎えに出てきたのは頭に角を生やした山羊の獣人。

 翡翠妃であるヤシュ・ドラグーンの専属侍女をしているメエーナという名前の女性だった。


「本国からの伝令、ご苦労様です。盟主様はどのように仰せですか?」


「下働きの下女ごときには話さぬ。さっさとヤシュ様のところに案内してもらおう」


「…………」


 すげない回答にメエーナがピクリと眉を跳ねさせる。

 舌打ちでもしそうな不機嫌な表情であったが……すぐに無表情になって「では、こちらへ」と先導する。

 メエーナの案内で梟獣人が翡翠宮の中へと入っていく。

 事前に人払いでもしていたのか、宮殿に勤めているはずの侍女や女官は姿を現さない。


 やがて二人は翡翠宮の奥にある一室に到着した。

 メエーナがノックして、中からの応答を待つことなく扉を開く。


「ヤシュ様、伝令の使者殿をお連れいたしました」


「…………」


 部屋の中にはテーブルが置かれており、その向こうに翡翠宮の主であるヤシュ・ドラグーンが待ち構えていた。

 椅子に座ったヤシュは踊り子のような民族衣装を身に着けており、顔の下半分をヴェールで覆って隠している。

 ヤシュの後ろにはメエーナとは別に、布で顔を隠した女官が立っていた。


「…………」


「ヤシュ様は仰います。『長旅、ご苦労だった。そちらに座りなさい』と」


 ヤシュの横に歩いて行ったメエーナが主の言葉を通訳する。

 梟獣人は金色の瞳をわずかに細め……のっしのっしとテーブルまで歩いて行き、ヤシュの対面の椅子に腰かけた。


「お久しいですなあ、ヤシュ様。お元気そうで何よりでございます」


「む……」


 梟獣人の挨拶にメエーナが表情を歪めた。

 座れとは言ったものの……格上の人間であるヤシュに対して、椅子に座って挨拶するなど言語道断。本来であれば、床に膝をついて挨拶するべきである。

 梟獣人の態度は、この男がヤシュのことを軽んじていることの証明。

 どうやら、本国から他国に嫁がされ、挙句に王太子の暗殺に利用されたヤシュのことを下に見ているようだ。


「まさか生きておられるとは思いませんでしたぞ。竜に転じたことはこの町に潜んでいる仲間が確認していましたが……まさか王太子を殺すこともできず、元の姿に戻ってしまうとは。いやいや、予定調和とはいきませんなあ」


「……まるでヤシュ様が死んだほうがよかったとでも言いたげですね。不敬ですよ?」


「ワシはヤシュ様と話しておる! 下女は黙っておれ!」


 口を挟んできたメエーナを梟獣人が一喝する。

 メエーナはギリギリと奥歯を噛んで梟獣人を睨みつけるが……その袖をヤシュが引く。


「は……ヤシュ様?」


「…………」


「かしこまりました……ヤシュ様が仰います。『挨拶はもう結構。母上……盟主殿からの言伝とはいかなるものでしょうか?』と」


「……おっと、無駄話が過ぎましたな。盟主閣下の御言葉を伝えさせていただきます」


 梟獣人が居住まいを正し、背筋を伸ばして主君の言葉を代弁する。


「『盟主が娘にしてドラグーン一族の姫――ヤシュ・ドラグーンは直ちに本国に帰還するように。王太子ヴァイス・ウッドロウとの婚姻は破棄する』とのことです。我らが手引きいたしますゆえ、早急に亜人連合国へと戻りましょう」


「…………」


 一方的な通達にヤシュがわずかに目を細める。


「ヤシュ様が仰います。『急に帰国しろとはどのような理由か? ウッドロウ王国との協議もなく上級妃が帰国するようなことがあれば、両国の関係にヒビが入りますよ?』と」


「それはヤシュ様が気にされることではありませぬ。我が国とウッドロウ王国はそもそもが敵国。すでにヤシュ様が竜に変化して王太子を殺害しようとしたことはしられております。遅かれ早かれ、友好関係は崩れることでしょう」


「ヤシュ様が仰います。『王太子であるヴァイス・ウッドロウ殿下は亜人連合国の謀略について国王陛下に報告していません。まだ両国の友好関係が崩れると決まったわけではありません』と」


「ヴァイス・ウッドロウはいずれ王となる男。奴が報告しようとしまいと、すでに友好は終わったも同じこと。ヤシュ様を斬ることなく後宮に放置しているのも、戦になった時の人質にしようとでも企んでいるのでしょう」


 梟獣人は猛禽類特有の嘴を撫でながら、嘲笑うように喉を鳴らした。


「竜に変化したということは、ヤシュ様は王太子を愛しているのでしょうな。しかし……獣人を心から愛する人間などおりませぬ。犬と猫が交尾をすることがないように、人と獣人は相容れぬ存在なのです。悪い事は言いませぬゆえ、盟主閣下の命令通りに帰国されよ」


「…………」


 梟獣人の申し出にヤシュは無言。

 ヴェールで表情を窺うことができないが……どことなく不服そうな雰囲気が伝わってくる。

 梟獣人もヤシュの内心に気づいたのだろう。「フッ」と溜息をついて肩をすくめた。


「ヤシュ様の母君……すなわち、盟主閣下にもかつて愛する男がおりました。相手も獣人でしたが……身分の低い道ならぬ恋というやつです」


「…………!?」


 驚いて瞳を見開くヤシュに、梟獣人が淡々とした口調で話を続ける。


「二人は思いあっていましたが……その愛が許されることはなかった。先代の盟主閣下は母君が竜に変化することを恐れて相手の男を殺害しました。母君は絶望して、先代様に命じられるがままに他の男との間に子を成した。それがヤシュ様です」


「…………!」


「愛した男を喰らって精を奪う……そんな本能を持った竜に恋人を作ることなど許されない。ヤシュ様がどのようにして変化した状態から元に戻ったのかは知りませぬが……どうせすぐに破綻するでしょう。せっかく生き延びることができたのですから、不毛な恋など捨てて国に戻り、盟主様の後を継がれるがよろしい」


「ヤシュ様が仰います。『随分と勝手なことを……』」


「勝手なことを、言う、です。私の、何を知っている?」


「ッ……!?」


「ヤシュ様!?」


 突然、通訳を介することなくヤシュがしゃべりだした。

 決まった相手以外とは会話することすら許されていない姫の発言に、メエーナも梟獣人も目を見開いて驚く。


「驚く、違う……私はもう、亜人の姫と違う、です」


 たどたどしく紡がれる言葉。

 それが意味しているのは……ヤシュがすでにウッドロウ王国に嫁いでおり、亜人連合国の姫ではないということ。

 ゆえに亜人連合国の掟に従う義務はないと言いたいのだろう。


「それは……本国に戻るという命令を拒否するということですかな?」


「そう、です」


 梟獣人の確認に、ヤシュは迷うことなく答えた。


「私は、シュバルツ様の妻、です。亜人連合、もう帰らない」


「シュバルツ……?」


 梟獣人は首を傾げた。

 知らない名前だったが……どこかで耳にしたような気もする。

 ウッドロウ王国を調査する過程で聞いたことがあるが、重要度が低いために記憶から捨てた単語だった。


「まあ、何でもいいでしょう。盟主様からは連れ帰れと命じられましたが……こうなった以上は是非もない。嫁がせた姫が殺されたとなれば戦争を起こす口実には十分。兵士の戦意を高揚させるためにも、できるだけ無残に死んでいただきましょう」


「貴様、ヤシュ様を殺すつもりですか!?」


「動くな、貴様も死にたくはないだろう?」


 梟獣人が笑う。

 愚かでか弱い女たちを嘲笑う。


「やめておけ、ワシは亜人連合国が隠密部隊の長ぞ。ちょっと護身術をかじった程度の下女にヤシュ様を守ることなど……」


「出来ないだろうな、そっちの女には」


「ッ……!?」


 後宮にいるはずのない男の声。

 梟獣人が立ち上がって身構えるが……それよりも先に、それは起こった。


()ッ!」


「グヌウッ……!?」


 目にも止まらぬ斬撃が梟獣人の身体を深々と斬り裂く。

 長年、磨きあげた『殺し技』を使う暇もなく梟獣人の身体が両断される。


「馬鹿、な……!」


「ああ、お前は馬鹿だったよ。獣人兵がどれほど強いかは知らんが……そこは俺の間合いだ。油断しまくって椅子に腰かけた時点で勝負は決まっていたようだ」


「…………!」


 梟獣人の身体が床に倒れ……そのまま動かなくなった。


「シュバルツ、様……!」


 ヤシュがその男……シュバルツ・ウッドロウに抱き着いた。

 シュバルツは先ほどまで顔を隠していた布を取り、ヤシュの背中をポンポンと優しく叩く。


「よく頑張ったな。偉いぞ」


「ん……頑張った」


 年上とは思えないほど子供っぽい少女が、あどけない顔を愛する男の胸に押しつける。


 シュバルツが身に着けているのは女性の衣服――後宮で働いている女官の制服だった。

 わざわざ女装して、顔を隠したうえで話し合いの場に紛れていたのである。


「やれやれ、潜入任務の際に何度か女装をしたことがあるが……スカートってやつは、何度着ても慣れないな」


「あら、お似合いですよ? 普段着にしてもよろしいのではないでしょうか?」


「ん、似合う」


 メエーナに続いて、ヤシュもまた「うんうん」と首肯する。

 メエーナのほうは嫌味で言っているのだろうが、ヤシュの表情は本気だった。シュバルツは「勘弁しろよ」と苦笑いをする。


「馬鹿な使者は殺した。これで亜人連合国が大人しくなると良いんだが……」


 正直、ここから先の展開はシュバルツにも予想できないことである。

 亜人連合国の上層部はかつての宿敵であるウッドロウ王国を憎んでいるようだが……二つの国が戦争をしていたのは百年も前のこと。

 若い世代は戦争していた事実を知っていても、憎しみなどの感情はほとんど持っていない。

 だからこそ、ヤシュを使って王太子暗殺を目論み、さらには彼女を殺害して戦争のきっかけにしようとしたのだろう。


「大義名分もなく戦いを仕掛けてくることはないはず。あったとしても、勝つのはウチの国だろう」


 現在、ウッドロウ王国は四方の国々と同盟関係を結んで国交が安定している。

 亜人連合国が裏切って戦争を仕掛けたとしても、大義名分がない以上、他の同盟国はウッドロウ王国に味方をするはず。

 どう考えても勝てる戦である。国民も望んでいない負け戦を仕掛けてくるほど、亜人連合国の盟主が愚かでないことを祈るばかりである。


「……母の気持ち、わかった」


「ん……?」


 シュバルツに抱き着いたままのヤシュが消えそうな声でつぶやく。


「母、私を愛してない。愛する男の子、違う。だから捨てた。犠牲にした」


「ああ……なるほどな」


 シュバルツはヤシュの言いたいことを察した。

 梟獣人が口にしていたことがどこまで正しいのかは知らないが……あの男はヤシュの母親が愛していない男との間にヤシュを産んだと言っていた。

 愛されることなく生まれた子供であるからこそ、王太子を暗殺するための捨て駒として送り込むことができたのだろう。


「…………」


 落ち込んだ様子で肩を震わせているヤシュを見下ろし……シュバルツは痛ましげに表情を歪めた。

 母親からの愛情を受けなかったのはシュバルツもまた同じである。

 自分を愛していない女を「母」と呼ばなければいけない虚しさは、理解できるつもりだった。

 理解できる。できるからこそ……こういう時、何を言っても慰めにならないこともわかってしまう。

 本気で落ち込んでいるときに必要なのは慰めの言葉などではない。

 自分が愛されている。大切にされているという実感である。


「よっと」


「ん……!?」


 シュバルツはヤシュの身体を抱きかかえた。

 ちゃんと飯を食っているのかと心配になるような軽い身体である。


「朝まではまだ時間があるな……今からお前を抱くが問題ないな?」


「…………!」


 ヤシュは驚いて目を見開くが、ポッと顔を染めるだけで抵抗はしない。

 そんなリアクションを無言の肯定として受け取って、シュバルツは寝室に向けて歩き出した。


「そういうわけだ……後片付けは任せたぞ」


「…………めえ」


 死体を片付けろというシュバルツの命令に、部屋に残された山羊角の女官は憎々しげな顔で鳴いたのである。


 翌朝、目覚めたヤシュの顔からは落ち込んだ雰囲気が消し飛ばされていた。


 いったい、何が彼女の心の暗雲を晴らしたのか……それは察して余りある話である。



ここまで読んでいただきありがとうございます。

よろしければブックマーク登録、広告下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

マンガBANGでコミカライズ連載中
i000000
― 新着の感想 ―
[一言] 愛する男を殺した母の言いなりになるなんてただの腑抜けじゃん 腑抜けの分際で復讐心や増悪、家族愛を重んじるなんてお笑いかよ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ