幕間 水晶妃はどこにいる?(下)
「まいったなあ……やってしもうたわ」
とある商会の地下室に監禁され、クレスタが困ったように溜息をついた。
スレイヤーズ王国王都にある大商会――アゼット商会と交渉に臨んだクレスタであったが、交渉は決裂。
現在は商会が経営している店の地下室に閉じ込められていた。
「まさかここまで頑なとは思わんかったわあ。後宮にいるうちに、勘が鈍ったかもしれへん」
地下室に監禁されているのはクレスタ一人である。
特に乱暴などはされていない。食事も与えられている。
アゼット商会にとってクレスタの存在は人質であり、クレスタが経営しているローゼンハイド商会に対する交渉材料だった。無駄に傷つけるような真似はされていない。
クレスタはローゼンハイド商会が王都に進出することを考えており、そのために王都の経済を牛耳るアゼット商会と話をつけにきた。
いくつもの商品を専売し、値を釣り上げている商会に対する牽制の意味合いもあったのだが……まさか、いきなり強硬手段に出てくるとは思わなかった。
ローゼンハイド商会の進出を防ぐため、アゼット商会は交渉役だったクレスタを捕らえたのである。
本来、いくらアゼット商会が旧態依然とした古い商会であったとしても、他国の商会にこのような手段はとることはない。
しかし、ここの商会長は七十を超える高齢となっており、頭の方にも加齢による問題が生じていた。若い頃よりもずっと短気になっており、思いつきで即行動をとるような短絡的な人間になっていたのだ。
商会長はクレスタの話を聞くやすぐに激怒して、彼女を捕らえて監禁したのである。
(放っといてもウチの商会のもんが解決すると思うけど……さすがに時間はかかるわなあ。あかんわ、長いこと留守にしとったら、旦那はんに迷惑がかかってまう)
クレスタが後宮から抜け出していることが露見すれば、手引きしたシュバルツが処分を受けてしまうかもしれない。
惚れた男が自分のせいで罰される――それは今のクレスタにとって許しがたいことである。
どうにかして早々に抜け出したいところだが……クレスタに自力で脱出するほどの戦闘能力はない。
変装用のマジックアイテムのおかげでまだ正体はバレていないが、護身用の武器などは奪われてしまった。
交渉して外に出してもらおうにも、地下室には世話役の使用人以外はやってこない。責任者が出てこなければ交渉のしようがない。
「旦那はん……心配してるやろな」
心配しているだろうし、怒っているだろう。
ひょっとしたら……責任だって感じているかもしれない。
「ウチも悪い女やなあ……惚れた男を振り回してしもうたわ」
どうやってシュバルツに許してもらおうか。エッチなサービスでもしたら、許してくれないだろうか?
クレスタがそんなことを考えていると……地下室の天井からガタゴトと大きな音が鳴ってきた。
まるで人が争っているような音である。悲鳴も聞こえる。
「まさか……」
クレスタの脳裏に予感がする。数分後、それは見事に的中した。
「よお、無事だったか」
地下室の扉が開いて、外から血まみれの男が現れた。
全身を返り血に染めて登場したのは予想通りの人物。クレスタの夫にして愛する恋人――シュバルツ・ウッドロウである。
「だ、旦那はん……助けにきてくれたんやな」
返り血まみれのシュバルツに、クレスタがわずかに顔を引きつらせた。
「えらい格好やけど……その、怪我はないかあ?」
「ああ、問題ない。全て返り血だ」
「そ、そっか! 良かった……良かったんかなあ、ほんまに?」
クレスタが首を傾げた。
助けを求めてはいたものの……ここまでのことは想像していない。
これほどまでに返り血を浴びるだなんて、いったい何人を斬ったというのだろうか。
「斬り殺した数は十はいってないさ。邪魔しなかった奴は気絶するだけで済ませている。優しいだろ?」
「優しいんかなあ……相も変わらずムチャクチャやね。旦那はんは」
「無茶をしたのはお互い様だろうが……まったく、危ないことをしやがって」
「うっ……それはスマンと思っとるわ。申し訳なかったなあ。迷惑かけて」
「迷惑がかかったし、心配もした……全力で猛省しろよ」
「…………!」
憮然とした顔つきで言うシュバルツに、クレスタは雷に打たれたように肩を震わせる。
クレスタは両親から奴隷として売り飛ばされて以来、愛情というものと無縁に生きてきた。
こんなふうに誰かに心配してもらうだなんて……いったい、何年ぶりだろうか?
「……おおきにな、ほんまに」
「ム……」
クレスタがシュバルツに抱き着いた。
仕事用のスーツに血がついてしまうが……構うことなく、シュバルツの胸にしがみつく。
照れたような、恥じらったような、嬉しすぎて持て余してしまう感情を、こうでもしなければ表現できなかったのである。
「うぐっ……」
シュバルツは気まずい表情でされるがままに抱き着かれている。
女性と抱き合うことなんて遊び人のシュバルツには日常茶飯事。とはいえ、こうも直接的に好意を表現されると気恥しいものがあった。
そのまま五分ほど抱擁を交わしていた二人であったが……ようやく気が済んだのか、クレスタが離れる。
「それじゃあ、そろそろ後宮に帰ろうかあ。久しぶりのシャバにおさらばや」
「ああ、その前にお前に贈り物がある。こっちにこいよ」
「ん?」
シュバルツが地下室から出て、階段を昇っていく。クレスタは不思議そうに首を傾げながらも後に続いた。
「うっわ……」
階段の上には修羅場が広がっていた。むせかえる血の匂いにクレスタが表情を歪める。
店舗であったはずの場所は、床にも壁にもべったりと赤い血が広がっていた。商品棚が倒れ、カウンターが割れ、机や椅子が血の海の中に散乱している
店には無数の死体が転がっていたが、何人かは生きているようだ。店員らしき女性や子供は目隠しをされて壁際に縛られ、恐怖のあまり震えている。
「ああ、コイツだな」
「ムガアアアアアアアアアアアッ!?」
そんな中、シュバルツが生き残りの一人を掴んで引きずってくる。
血の海の中を引きずられてきたのは、アゼット商会の商会長――ロベイト・アゼットという老人である。
シュバルツが猿ぐつわを外すと、ロベイトがスイッチが入ったようにしゃべりだした。
「ご、強盗め! ワシにこんなことをしてタダで済むと思うなよ!? ウチの商会は王家の御用達。有力貴族にも伝手があるんじゃ! そこに手を出したとなれば、貴様の親類縁者は皆殺しに……」
「五月蠅せえ!」
「ギャンッ!」
シュバルツが老人の脳天をはたく。
平手で叩いただけだが、かなり強めにはたいていた。
老人の首から上が壊れた玩具のようにグラグラと左右に揺れる。
「あ、ぐ、ぎ……」
「さて……この爺だが、どうしてくれようか? お前の好きなように始末してもいいんだぜ?」
「…………」
シュバルツの口調は悪戯っぽいものだが、目は全く笑っていない。
老人を生かしておいたのも慈悲などではなく、クレスタに処遇を決めさせるためなのだろう。クレスタが望むのであれば、どんな残虐な刑罰でも降すに違いない。
「なるほどなあ、それで贈り物か。確かに素敵なサプライズやね」
クレスタはわずかに考えた。
目の前の老人は王都に巣食い、塩や酒の値段を釣り上げて私腹を肥やしていた老害である。
直接、手にかけた者は少ないかもしれないが……この老人のせいで間接的に破滅させられ、命を落としたものだっていることだろう。
(ウチが手を下したところで、喜ぶもんのほうが多いやろなあ。だけど……)
クレスタはにっこりと笑って、しゃがんで老人と視線を合わせた。
「なあ、アゼットはん。商売をしようや」
「しょ、しょーばい……?」
ロベイトが頭をふらつかせながら、クレスタの言葉を反復する。
そんな老人に唇を釣り上げて笑いかけ……クレスタは堂々と言い放つ。
「そうや。アンタの命にいくらの値段がつくのか……商売という名の戦争の始まりや!」
〇 〇 〇
その後、アゼット商会は外部から進出したローゼンハイド商会の傘下に入ることになる。
他国の商会に王都の経済を握られることを危惧する者もいたのだが……ローゼンハイド商会が王都に枝葉を伸ばしてきたことで物流が良くなり、塩をはじめとした多くの物品の値段が安定化した。
元々、王都にいた商会も大部分が物流改善による恩恵を受けたため、声高に文句を言う者もいない。
それどころか、ヴァイス・ウッドロウ王子がクレスタ・ローゼンハイド妃と結婚したおかげだと、誰もが喜んでいた。
「それにしても……本当に生かしておいて良かったのか、あの爺を」
深夜。水晶宮にあるクレスタの寝室にて。
ベッドの端に座って水を飲んでいるシュバルツが不服そうに口を開く。
あれから、クレスタはアゼット商会の商会長と話をつけて、商会のあらゆる権利を買い上げた。
時に宥めすかし、時に暴力をちらつかせ……あらゆる手練手管を使って老人の命の値段を釣り上げるクレスタはまさしく商売の鬼だった。
ロベイト・アゼットは命と引き換えに商会長としての権利や財産を奪われ、地方の田舎町に都落ちすることになったのである。
「爺の命一つに随分と吹っかけたじゃないか。あの老人にそこまでの価値があったとは思えないがな」
「商品の価値はその人が決めることや。石ころ一つに金貨を積み上げる客だっているってことやな」
ベッドに横になっていたクレスタが身体を起こす。
今さらではあるが……シュバルツもクレスタも当然のように全裸である。
二人はまさに身体を重ねていた直後であり、ピロートークとしてそんな話題を話していたのだ。
シュバルツが水の入ったコップを手渡すと、クレスタがコクコクと喉を鳴らして中身を飲み干した。
二人とも汗をかいているが……まだまだ体力は十分。夜はこれからである。
「あの爺さん、あれでも若い頃は名うての商人として知られていたんや。人格者として慕っていたもんも多かったみたいやわ」
「そうは見えなかったけどな。権力と命にしがみついた強欲爺だろう?」
「そうやなあ……長いこと、安定した地位に居続けたことが原因やな。新しい風を吹かして商売するんやのうて、既得権益にしがみつくようになってしもうた。ああなったら商売人は終わりやね。ウチも気をつけるわ」
「あんな爺さんでも反面教師としての価値はあったわけか。どんなものでも使い方次第か」
「そうやね。今回は色々あったけど……おかげでこの国の物流を手中に収めることができたわ。想定以上の利益やね」
今回の一件がきっかけとなってローゼンハイド商会が王都の物流を握り、大手の商会を傘下に収めることになった。
もはや経済を握ったも同然。クレスタの意志一つで大勢の人間が破産したり、職を失ったりしてしまうだろう。
「なあ、旦那はん。これでウチはますます商人として力を付けて、旦那はんの役に立てるようになったわ……嬉しいやろ?」
ニンマリと訊ねてくるクレスタであったが……シュバルツはそんな気安い笑顔に寒気を感じた。
クレスタが力を付ければ付けるほど、シュバルツはクレスタを手放せなくなってしまう。
もはやシュバルツはクレスタを捨てることなどできない。経済という太い血管を握られたようなものである。
(おっかない。おっかないよな。どちらにしても捨てる気はないが……そうでもしないと不安なんだろう)
クレスタの境遇は知っている。
親に捨てられた過去があるからこそ、得意の商売でシュバルツのことを縛っていないと不安なのだろう。
(真綿で全身を縛られているようなものだな。微睡んでしまうほど心地良いが……人によっては重く感じるんだろうな)
「上等。まとめて背負ってやるさ!」
「んっ!」
シュバルツはクレスタの唇を奪い、そのまま押し倒した。クレスタが手にしていたコップが落ちて床に転がる。
(縛りたければ縛ればいいさ。クセの強い女は大好物。どんな重い女であろうと、人生丸ごと軽々と背負ってやろうじゃねえか!)
クレスタがどれほど重い女であろうと、決して手放すことはしない。
来る者は拒まず。去る者もベッドに引きずり込む。
クレスタ・ローゼンハイドはもうシュバルツの女。恋人であり妃でもあるのだから。
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