59.花の下の罠(上)
火中の栗を拾う覚悟を決めたシュバルツは、事前に『夜啼鳥』に連絡をとって後宮に忍び込む旨を連絡した。
出来ることなら、水晶妃を攻略したときのように彼らに援護をしてもらいたかったのだが……
「クロハは来られない? 何かあったのか?」
手紙で約束した「子の刻」から1時間前。
やってきた『夜啼鳥』の構成員から伝えられたのは、そんな主不在の連絡だった。
王宮にあるシュバルツの部屋まで忍び込んできたのは『夜啼鳥』の構成員。シュバルツの後輩にあたる暗殺者だった。
「ただいま、クロハ様は火急の用にて王都を空けているのです。義賊としてどうしても動かなければならぬ任についておりまして……組織の幹部クラスのメンバーも同行して出払っています」
「火急の用……俺にそれを話すつもりはあるか?」
「いえ……話せないというわけではなく、自分もその内容を知らされておりませんので」
「フム……ならば仕方がないか」
シュバルツは軽く息をついて首を振った。
クロハは本来、多忙な人間なのだ。高級娼館を経営しながら、『夜啼鳥』の首領として義賊の活動もしている。
急な用事で動けないのであれば是非もない。手持ちのカードでどうにかするしかなかった。
「クロハ様は不在ですが……誰にも見咎められることなく後宮に忍び込む手はずは整えております」
「そうか、ならば結構。可愛い妃に会いに行くとしよう。それと……悪いが、1つお使いを頼まれてくれるか?」
「はい、もちろん構いませんが……」
シュバルツは後輩の暗殺者にいくつか指示を出して、後宮へと向かった。
すでに深夜となった王宮に人影はない。
事前に『夜啼鳥』に手はずを整えてもらっていたこともあり、誰かに見られることもなく後宮の門をくぐることができた。
そのまま向かうのは、もちろん翡翠妃ヤシュ・ドラグーンが女主人として君臨する翡翠宮である。
「指定された場所は……ここで問題ないな?」
シュバルツは指示された通り、翡翠宮の庭園。その奥にあるライラックの木までやってきた。
まだ待ち合わせの時刻まで時間がある。注意深く見回すも人影らしきものはない。
そのライラックの木は庭園の奥まった場所に植えてあり、周囲を他の庭木に阻まれて人目につきづらくなっている。密会にはもってこいの場所と言えるだろう。
「…………」
シュバルツは腕を組み、無言で待ち合わせの相手を待った。気配を研ぎ澄まし、もしもの時に備えて神経を張り詰める。
そうしていると……ふと頭上からヒラリと紫色の花弁が落ちてきた。
「む……?」
落ちてきたのはライラックの花である。
ライラックの花の盛りは春から初夏。夏至も過ぎて、じきに全ての花が地面に落ちることだろう。すでに足元には多くの花びらが広がっており、半分以上の花が散った後だった。
庭園の奥にひっそりと咲いた花は、こんなふうに呼び出しを受けていなければ存在に気がつくことすらなかっただろう。
人知れず咲き、そして散っていく花。それは何とも哀しく寂しいもののように思われた。
(まあ……俺だって似たようなものか。追放された王子、国に必要ではないと判断された魔力無しの無能者。馬鹿な弟が責任を放り出して姿を晦ませなければ、表舞台に姿をさらすことなどなかっただろうよ)
シュバルツは己の境遇とライラックの花を重ね合わせて苦笑する。
花の境遇を笑える立場ではない。双子の弟であり、正統な後継者であるヴァイスが連れ戻される前に確固たる立場を築かなくては、またシュバルツは日陰者になってしまうのだ。
利用されるだけ利用され、また日の目を見ない影に追いやられる――まっぴらごめん。断固として受け入れられない。
(そうならないためにも……早急に翡翠妃ヤシュ・ドラグーンを手中に収める。できることなら、今夜にでもあの愛らしく幻想的な娘をベッドに引き込んでやろう)
「……どうやら、待ち人が現れたようだな」
不純で不埒な意思を固めていると……周囲に人の気配が現れる。
時間はちょうど『子の刻』。どうやら、約束の相手は時間にキッチリした性格らしい。
「実を言うと……こういう展開になることは薄々予想していたんだ。あの読書家で子供っぽい妃が、夜中に男を呼び出すわけがない……それはわかっていたことだ」
シュバルツはライラックの木の下から一歩前に進み出て……現れた人物に向けて語り出す。
右手を腰の剣に添え……ゆっくりとした動きで白刃を抜き放つ。
「俺は断じて騙されたわけじゃない……負け惜しみじゃないぞ? ここでお前らを片付けておくことが、ヤシュ・ドラグーンを手に入れる近道になるだろうと思ったから、あえて飛び込んでやったんだ。その辺りを勘違いするなよ?」
「…………」
シュバルツは言葉を向けるが……返ってきたのは重苦しい沈黙。肌を刺すような鋭い殺気である。
いつの間にか、シュバルツの周囲を取り囲むようにして人影が現れていた。
その影は見える限りで五つ。ひょっとしたら、他にも物陰に隠れているものがいるかもしれない。
いずれも灰色のフード付きローブを身にまとっている。以前、街中で襲ってきた襲撃者と同じ格好である。
シュバルツを取り囲む影の一つ――大柄な男が前に進み出てきて、フードの向こうから低い声を発した。
「……ヴァイス・ウッドロウ殿下。ここでお命を頂戴する」
「『頂戴』できるものならやってみろよ。まあ……その前に殺すけどな」
シュバルツは獰猛な獣が牙を剥くように笑い、襲撃者に剣の切っ先を向けたのだった。




