57.縮まる距離
それから、シュバルツは毎日のように後宮に通い、ヤシュに本を読み聞かせるようになっていた。
もちろん、他の3人の上級妃の下にも通っている。時折、茶会なども開きながら……喋ることの許されていない姫と静かな逢瀬が行われた。
「ん……」
「ああ、それは『桃』という果物ですね。東国の果物ですね」
「ん……?」
「ああ、極東のジパングでは桃の果実には魔除けの力があると信じられているんですよ。この場面では、男性の神が魔物にぶつけることで追い払っているようですね?」
何度か会って読み聞かせを行ううちに、いつしかヤシュが短い言葉で応答をするようになっていた。
結婚するまで相手の男と話してはいけないというのが掟だと聞いていたが……この短すぎる発声での応答は掟に触れないのだろうか?
「…………」
チラリと横に視線をやると、山羊角の女官が黙って立っているのが視界に入ってくる。
「…………」
女官は難しい顔をして立っているが、文句を言ってくる気配はない。ヤシュと直接コミュニケーションを取るようになってから、彼女は通訳としての役割を放棄するようになっていた。
(はたして、これは進歩なのか。それとも関係が悪化しているのかな? ヤシュが俺を嫌っていないことは間違いないんだが……)
以前は隣の椅子に腰かけていたヤシュであったが、最近はシュバルツの膝に座って物語を聞くようになっている。
まさに幼子に絵本を読んでいるような格好だが……ヤシュは紛れもなく成人している女性。その臀部がシュバルツの股の上にチョコンと乗っていた。
(どうなんだろうな……この感覚は。エロい気持ちにはなっていないんだが、妙に背徳的というか、非常に悪いことをしているような気分だ)
色街で生活していると、未成年の幼女が娼婦に落とされる場面を目にする機会がある。
シュバルツは幼女愛好の趣味はないので子供を買ったことはないが……もしも彼女らを相手にしていたら、こんな感覚を覚えていたのかもしれない。
(本に夢中になっているのか変にグリグリと動きやがる。勘弁しろよ……)
「んっ! んんっ!」
「ああ……続きですね。すぐに読みますよ」
シュバルツは危険な部分を刺激してくるヤシュの尻から意識を逸らそうとする。
「ん……?」
――と、そうしていると、ふとシュバルツは気がついた。
ヤシュの頭部。緑色の髪に隠れるようにして白い突起のようなものが飛び出ている。突起は頭の左右から生えており、光沢のある真珠のような色をしていた。
(これは……角か? ヤシュの頭にこんな物があったか?)
ヤシュは亜人。角が生えていてもおかしくはない。
だが……これまで何度もヤシュと顔を合わせたものの、そんなものが生えていることに気がつかなかった。
(最近になって生えてきた? どうして?)
触ってもいいのだろうか……いや、勝手に触るのはヤバいか。
(亜人や獣人の中には、尻尾や獣耳を触ることを性的な行為と考える者もいるそうだからな……ここは気にしないでおこう)
シュバルツはそう考えて、ヤシュの頭部から生えた角から視線を逸らした。
〇 〇 〇
「それじゃあ……今日は失礼しますね」
「…………ん」
時間がやって来たので、シュバルツは頭を下げてヤシュに別れを告げた。ヤシュは残念そうにしながらもシュバルツの膝から降りる。
柔らかな臀部が離れていく。シュバルツはホッと胸を撫で下ろしながらも、頭の片隅で一抹の残念さを感じていた。
「それでは……また明日……」
シュバルツはやや消沈しながらその場を去り、翡翠宮から出て行こうとするが……山羊角の女官に呼び止められる。
「お待ちください、ヴァイス殿下」
「ッ……な、何でしょうか!?」
内心の欲望を見抜かれたのかと思い、シュバルツはギクリと肩を跳ねさせた。
しかし、ヤシュが故郷から連れてきた山羊頭の獣人女性は左右を見て他に誰もいないのを確認して、シュバルツに何かを握らせてきた。
「…………?」
手渡された物を見ると、それは小さく折りたたまれた紙だった。
シュバルツが他の女官に見られないようにそっと紙を開くと、そこには次のように書かれている。
『今晩、子の刻。翡翠宮の中庭にあるライラックの木の下でお待ちしております。 ヤシュ・ドラグーン』
それはまさかの……夜の呼び出しの手紙だった。




