50.余興 琥珀編
「あらあら、さすがは上級妃である皆さまですわ。見事な芸を次々と披露されて目がつぶれてしまいそうでございます」
「アンバー妃……?」
舞台を望むことができる宴席の上座。そこに座っていた女性が立ち上がった。
優雅な仕草でドレスの裾を払い、椅子から立ち上がったのは金髪の美貌の女性。後宮において琥珀妃の名を賜るアンバー・イヴリーズである。
「貴女の順番は最後のはずですが……どうされましたか?」
カツカツとヒールで地面を叩きながら舞台に向かおうとするアンバーに、シュバルツが控えめに声をかけた。
余興を披露する順番は事前に通達されており、彼女からも文句は上がっていないはず。どうして、今さらになって横入りするような真似をするのだろうか。
「申し訳ございません。やはり私が披露する未熟な芸では、盛大な祭典の最後を飾るには相応しくありませんわ。最後は翡翠妃様にお譲りいたします」
「なっ……急に勝手なことを言われると困ります! ヤシュ妃にも申し訳ないですし……」
「あらあら……意外ですこと。『勝手』などとい言葉を殿下はご存知なのですね? 後宮に入ってからの私どもの扱い……てっきり、そのような言葉は知らぬものかと思っておりました」
「…………!」
アンバーが落ち着いた口調で、さりげなく毒を吐きつける。
後宮に入った妃に対して1ヵ月も顔を合わせることなく放置して。
顔合わせをしてからも、上級妃らと表向き夜を共にすることなく、世継ぎを残すという最重要の仕事をしていない。
アンバーはそのことをあげつらい、そんなことを口にしているのだろう。
「それは……」
反論できない嫌味をぶつけられ、シュバルツが言葉を噛む。
厳密に言うのであれば、妃をずっと放置していたのはシュバルツではなく弟のヴァイス。上級妃らと褥を共にしていないのも、所詮は偽者であるシュバルツには許されていないことだからである。
責められるいわれはないが……もちろん、そんなことを口にできるわけがない。
困ったように順番を抜かされたヤシュ・ドラグーンに目を向けると、翡翠妃である彼女は驚いて蛇のような瞳を瞬かせながらもコクコクと頷いてくれた。
「ヤシュ様がおっしゃいます。『私は最後でも問題ありませんので、どうぞご自由にしてください。私のような未熟な娘に栄えある夏至祭のラストが相応しいとは思いませんが、精一杯に努めさせていただきます』と」
「……そうですか、ヤシュ嬢がそれでよろしいのであれば、僕が言うことは何もありません。次の余興は琥珀妃様にお任せいたします」
「決まりですわね。それでは失礼を」
アンバーはお高くとまった口調で言い残して、さっさと舞台に上がってしまう。
そんな会話を聞いていた周囲の妃や女官は剣呑な空気に気まずそうな顔になり、居心地悪そうに身じろぎをしている。
せっかくシンラが見事な剣舞を披露してくれたというのに、明らかに場の空気が悪くなってしまった。
(やはり油断ならない女だな……初対面のときといい、やることなすことが嫌味というか、こちらのやることを妨害してきやがる。何が目的なんだ……?)
舞台に上がっていくアンバーの背中を睨んで、シュバルツは周囲にばれないように小さく舌打ちをする。
アンバーの目的がわからなかった。
正妃の座を狙っているにしては、ことあるごとに『ヴァイス』につっかかってくる。夜に誘われたことなどもないため、寵愛を欲しているようには見えなかった。
ウッドロウ王国への輿入れに反対しており、わざと嫌われて国許に帰りたがっているのだとすれば……やっていることが中途半端だ。
(まったく目的が見えないな……まるで聞き分けのない子供が駄々をこねているような。あるいは、俺が困っているところを見て鬱憤を晴らしているような……?)
まさか一国の代表として嫁いできている姫が私情で動いているわけでもあるまいし、何かしら国の思惑があるのかもしれない。
アンバーの故郷である神聖イヴリーズ帝国は大陸でも最古の宗教国家。多くの戦乱や政乱を乗り越えてきた歴史ある国家の思惑は、今のシュバルツには見通せないものだった。
(今は、な……。いずれは腹の内を残らず引きずり出し、ベッドの上で嫌というほど泣かせてやる)
シュバルツは心に決めて、舞台上に立ったアンバーに鋭い視線を向ける。
「それでは……僭越ではございますが、私は神聖帝国に伝わる賛美歌を披露させていただきます」
舞台上に立ったアンバーはスカートの端を摘んで美しいカーテシーをして、たおやかな口調で宣言する。
賛美歌というのは神に捧げるための歌のこと。なるほど、宗教国家の出身者であるアンバーに相応しい出し物だろう。
(とはいえ……宗教的な式典であるわけでもない夏至祭の余興としては、適切とは思えないがな)
むしろ、あまり固苦しい出し物はかえって参加者を盛り下げてしまうだろう。
まさかそんなことにも思い至っていないのだろうか――シュバルツの怪訝は、すぐに覆されることになる。
『~~~~~~~~~~~』
アンバーが口紅を塗った唇を開く。
瞬間、この場にいる全員が時が止まったような錯覚を受けた。
紡がれた声は水が砂に染み入るように自然と耳に入ってくる。それでいて鼓膜に残り、まるで離れようとしない。
まるで空の彼方から降りてくる天使の美声。祝福と自愛が込められた天上の歌声である。
『大いなる光を讃えよ。神に創られし天使を讃えよ。天使に守られし世界を讃えよ。神の慈愛は天を舞う鳥が落とす白羽の如く。神の慈悲は水面に浮かんだ波紋の如く。神の慈恩は平原を吹き抜ける野分の如く。神の慈救は黒き雲が落とす雨粒の如く』
「これは……!」
気がつけばアンバーの歌声に聞き入っていたシュバルツであったが……ふと、彼女のドレスから蛍火のような淡い光が放たれていることに気がついた。
最初はドレスに付けられた細工が光を反射しているのかと思ったが、すぐに光がアンバー自身から放たれているとわかった。
『うつりゆく世に救いの御手を。聖典の光は罪をそそぎ、さしたる光は道を示さん。清く在れ。尊く在れ。優しく在れ。厳しく在れ。ただあるがままに在れ。それ即ち天使の御心なりて、一本角の白馬の如くただまっすぐ歩まん』
奇跡のような光景はさらに続いていく。
スポットライトに照らされたようにアンバーの周囲を取り巻く蛍火は光量を増していき、やがて天上から雪のように純白な羽が落ちてきた。
「聖なる奇跡…………神聖術か!」
アンバーがやっていることに気がつき、シュバルツは小さく唸る。
神聖術は魔法と似て非なる技術であり、神聖帝国の僧侶だけが独占している奇跡の御業である。
乾いた砂に水を湧かせたり、枯れた草花を甦らせたり、熱に焼かれることなく炎の中を突っ切ったり……その奇跡の如く力は神聖帝国が『天使に守られた国』として他国に一線を画する要因となっていた。
魔法が使えないシュバルツにしてみれば、そんなものは魔法で再現できることで神の奇跡と呼べるようなものではない気がするのだが……彼らの力を特別視して、崇め奉っている者は少なくはなかった。
(やってくれたな……完全に場の空気を持っていきやがった!)
この場にいる誰もがアンバーの歌声に聞き入り、目の前に体現された奇跡に溜息を吐いている。
この瞬間、アンバーは後宮内でもっとも特別な女性になっていた。シュバルツは例外として、アンバーが神の御使いか天使の化身ではないかと畏れる者は少なくあるまい。
夏至祭の余興を利用して、アンバーは見事に大勢の支持を得た。
今後、後宮内部においてアンバーの影響力が増すことに違いない。
(ひょっとしたら……コイツの目的は、俺とは違うやり方で後宮を征服することなのかもしれないな。信仰や奇跡を使って妃や女官の心を掌握して、ウッドロウ王国内における自分の立ち位置を強化することが目的なのかも)
そうだとすれば、本格的に侮れない相手である。
早急につぶすべき敵なのかもしれないが……同時に、シュバルツは彼女の行動に高揚感のようなものを覚えていた。
(面白いじゃないか……メインかデザートかは知らないが、極上の女には違いあるまい。絶対に俺の女にしてやるから覚悟していやがれ!)
一筋縄ではいかぬだろう極上の美女を前にして、シュバルツは内心で凶暴な笑みを浮かべたのである。




