44.3人目の標的
「つまりね……結局はぜんぶ『性欲』だったのよ」
色街にある高級娼館──『朱の鳥』にて。
紅玉妃であるシンラ・レンを攻略した経緯を聞いて、『夜啼鳥』の首領兼シュバルツの愛人であるクロハはそんなことを言った。
「私は義賊のボスとして大勢のクズを見てきたからわかるのよ。快楽殺人者というのは『殺人』と『性行為』を混同していることが多くて、人を殺すことによって性的な快楽を得ているケースがあるの。おそらくだけど……紅玉妃さんもそうだったんじゃないかしら?」
「性行為って……急にいかがわしい話になったな。いくら色街だからって、話を全部そっちに繋げなくてもいいんだぞ?」
シュバルツが酒の入った杯を片手に、呆れたように言う。
シュバルツの向かい、畳の上に座ったクロハはムッとした表情になり、心外だとばかりに大きな胸を前に突き出した。
「これは真面目な話よ! 紅玉妃さんが殺人衝動に目覚めたのは12歳。月の物が出始めて、ちょうど女の子の身体が大人になりはじめる年齢じゃない。初めての相手も大好きだったお兄さんだったんでしょう? 性の目覚め──兄という身近な異性への想いと、殺人衝動を混同させてしまった結果だったのではないかしら? 我慢していたらどんどん溜まっていってしまうところも、性欲とよく似ているわよね」
「…………」
理屈はわからなくもないが……その流れで言うと、シンラは大勢の人間や魔物を殺害してエッチな気分になっていた淫乱ということになってしまう。
真面目に悩んでいたシンラの心境を考えると、あまり受け入れたくない仮説である。
「それはいわゆる自慰行為というものだったのでしょうね。本来であれば『殺し合い』によって満たしたい性欲を、魔物や盗賊を殺すことで慰めていたのでしょう。でも……1人でするのが虚しいのは男も女も一緒よね。紅玉妃さんは剣を振るって自分を慰めながらも、満たされることのない性欲を持て余し続けていた。それが彼女の中に潜んでいる『修羅』の正体。溜まりに溜まった性欲の象徴だったわけね」
「俺との決闘から随分と大人しくなったようだが……それはどう説明するんだよ」
「殺そうとしても殺せない相手を前にして、初めて全ての性欲を出し尽くしたんじゃないかしら。東の国ではそれを『賢者の刻』などと言うそうよ?」
シュバルツと決闘してからというもの、シンラはそれまでの殺人衝動が嘘のように消えたと話していた。
もしも長年、シンラを苦しめ、家族との仲を引き裂いたモノの正体がそんなものだとしたら……とんでもなく浮かばれない話である。
「なまじ剣の才能があったから良くなかったのよ。12歳で8歳年上のお兄さんを殺せるほどの才能がなければ、ここまで事態が悪化することはなかったはずよ」
「……それに関しては全面的に同意だな。シンラの不幸は対等な剣才を持った人間が身近にいなかったこと。全力を受け止めてくれる相手がいなかったから、あそこまで歪んでしまうことになったんだろう」
「だったら……これからはもう安心だと思うわ。紅玉妃さんには貴方というベストパートナーができたんだから」
クロハがシュバルツの顔を覗き込み、揶揄うような笑みを浮かべる。
色魔であるクロハの笑顔はとんでもなく艶があって美しかったが……今は不思議と、背筋が寒くなるようだった。
「これからはセックスによって性欲を解消して、時々、剣の稽古にでも付き合ってあげれば完全に『修羅』とやらは消滅するでしょうね。紅玉妃さんはタダの女になってめでたし、めでたし。私達の野望はまた一歩前進というわけ」
「残す上級妃は半分か。正直、ここまで上手く事が運ぶとは思っていなかったな……」
シュバルツは深々と嘆息した。
ヴァイスと入れ替わって後宮に通うようになって数ヵ月が経過したが、着々と目標に向かって進んでいる。
問題はヴァイスが戻ってきた途端にこれまで積み重ねてきた全てが破綻するということだが……幸いなことに捜索部隊はいまだに何の成果を上げられていない。
ヴァイスが船を使って他国に渡ったことまでは掴んでいるのだが、そこで足取りを見失っていた。
まだ、しばらく時間がある。出来ることなら残りの2人の上級妃も攻略したいところである。
「残る上級妃は『琥珀妃』と『翡翠妃』か……まだ狙いやすいとしたら、翡翠妃のほうだな」
シュバルツは杯を傾けながら、難しい表情でつぶやいた。
ここ最近はシンラ・レンの攻略にかかりきりになっていたが、残る2人に対して全くアプローチをしていなかったわけではない。
あれから何度か茶会をする機会もあったし、贈り物などを送って機嫌をとったりもした。
だが……琥珀妃であるアンバー・イヴリーズとの関係に進展はない。
それどころか、先日、顔を合わせたアンバーはシュバルツに対して酷く冷淡な態度で接してきて、表情こそ笑顔だったが瞳は少しも笑っていなかった。
アンバーが不機嫌になっている理由に、シュバルツは心当たりがあった。
察するに、1度として『夜の渡り』がないことに不機嫌になっているのではないだろうか。
シュバルツは双子の弟の代理として後宮に通っているものの、そこにいる妃と夜を明かす許可までは得ていない。
後宮に入っている間はユリウスと女官長が片時も離れずくっついており、日が暮れる前に外に追い出されていた。
実際には警備の兵士に『夜啼鳥』の仲間を潜り込ませており、夜間にも侵入することができるのだが。
「彼女にはどうにも敵意を持たれているらしく、あまり話もできていないが……結婚したばかりの夫がいつまで経っても抱いてくれないとならば、女として屈辱的なんじゃないか?」
「その可能性はあるわねえ……どうするの? いっそのこと、夜這いでもかけちゃう?」
「それで済むのならそうしたいのだが……そう簡単にはいかないだろうな」
アンバーが暮らしている琥珀宮にも働いている女官がいる。彼女らの目をかいくぐって寝所まで忍び込むのは、なかなかに面倒だ。
かつて、『水晶妃』であるクレスタ・ローゼンハイドの寝室に入ることができたのは、彼女がシュバルツに商談を持ち込むために招き入れてくれたから。あんな幸運が何度も起きることはないだろう。
「となると……やはり『翡翠妃』であるヤシュ・ドラグーンを攻略するのが先だ。好感度がマイナスよりはプラマイゼロのほうがいいだろう」
シュバルツは溜息混じりにつぶやいて、明日以降の方針を決定した。
次なる標的は翡翠妃ヤシュ・ドラグーン。
西方にある亜人連合国から嫁いできた半人半獣の少女である。




