43.堕ちた紅玉
「うっ……?」
シュバルツがゆっくりと瞼を開くと、目の前には満天の星空が広がっていた。
いつの間に眠ったのだろうと記憶を掘り起こし……自分が決闘によって魔力欠乏症を起こして気絶したことを思い出す。
「そうだ……俺は……!」
「目を覚ましたようだな。シュバルツ殿」
「ッ……!?」
星空をバックにして、美しく整った女性の顔が覗き込んでくる。
それがシンラ・レンの顔であると気がつくと同時に、シュバルツは自分が置かれた状況を理解した。
「ひ、膝枕だと……!?」
シュバルツはシンラの太ももの上に頭を乗せており、いわゆる『膝枕』をされた状態だったのだ。
頭の後ろにある柔らかな物体。もっと筋肉がついているものかと思いきや、シンラの太もも予想外に心地の良い感触である。
空を見上げた視界の中には形の良い双丘と、覗き込んでくるシンラの顔があった。赤い瞳の奥にシュバルツの顔が映し出されている。
「…………」
さりげなく周囲に意識を向けると、場所は先ほどの平原である。
どれくらい時間が経ったのか夜になっており、すぐ傍で焚き火がパチパチと音を鳴らしながらオレンジ色の光を放っていた。
「……非常に愉快で心地の良い状況だが、決闘は俺の敗北ということか?」
シュバルツが気を失っている間、シンラはいくらでも命を奪う機会があった。
これで自分の勝ちだと胸を張れるほどシュバルツは厚顔無恥ではない。
「いや、貴殿の勝利だよ。シュバルツ殿」
シンラが首を振って、清々しい表情で応える。
その顔には戦闘中の狂気の色はなく、まるで憑き物が落ちたようである。
「貴殿はしっかりと私の中にいた修羅を断ち切った。おかげで、10年以上も私を追い詰めていた殺意から解き放たれた。本当に感謝している」
「……よくわからないが、満足しているようなら何よりだ」
シュバルツは眼前にあるシンラの顔をまじまじと観察するが……やはり、雰囲気がまるで違っている。刺々しい装甲が剥がれたというか……陰が消えているのだ。
顔の造形が変わったわけでもないのに、身体を纏っている空気はまるで別人である。
「シュバルツ殿。いや……ここはあえて『旦那様』、いや『若殿』とでも呼ぶとしようか」
「は……?」
「どうやら、私は若殿に惚れてしまったようなのだ。これからどうすればいいだろうか?」
「ブッ!」
何気なく放たれた言葉に思わず吹き出した。
これが色街にいる娼婦の口から放たれたのであれば、驚くことはなかった。
だが……そのセリフを口にしたのはシンラ・レン。先ほどまで殺し合いをしていた相手なのだ。
ありえない人物の口から出てきたありえない発言に、シュバルツは混乱して声を上げる。
「おまっ……突然、何を言ってやがる!? どっかの石で頭でもぶつけたか!?」
「ふむ……心外な反応だな。女の一世一代の愛の告白に対して、もっと色気がある返しはできないのかな?」
「お前が色気を語るな! ちゃんとシチュエーションさえ整えてくれれば、耳にこびりついて一生忘れないようなロマンチックなセリフを吐いてるわ!」
怒鳴りながら、シュバルツは脳をフル稼働させて状況を整理する。
自分はシンラ・レンと決闘をして、引き分けに近い形で勝利した。何時間か気絶して起きたら、何故かシンラに膝枕をされていた。
おまけに、シンラが自分のことを惚れていると言っている。
それらの状況が意味することは……
(わかるわけねえだろ!? 俺が寝ている間に何があったんだよ!)
シンラが妙にスッキリした顔をしているのも気になるところである。
身体の中の邪気を残らず除去したような顔をして、本当に何があったというのだろう。
(ひょっとして……俺が寝ている間に自分を慰めていたのか? 膝枕をして、俺の顔を見ながら?)
もしもそうだとしたら、とんだ変態である。
これまでのシンラ・レンという人間のイメージが残らずぶっ飛んでしまうほどだ。
しかし、シュバルツの想像は意外と的外れでもない。
眠っている間にキスをされたり、頭を撫でられたり、身体をまさぐられていたりしているのだが……シュバルツが自力でそれに気がつくことは不可能だろう。
「そんなことよりも……若殿、告白の返事を聞かせてもらいたい」
シンラがやや緊張した声音で囁いてきた。
「女に恥をかかせないでくれ。私だって殿方にこんな事を言うのは初めてなんだ。少しくらい、照れているのだぞ?」
「…………そうかよ」
シュバルツは大きく溜息を吐いた。
決闘から今に至るまでのシンラの心境の変化は気になるところだが、状況は決して悪くはない。
むしろ、最高と言ってもいいだろう。シンラを口説いて自分の味方につけ、籠絡する手間が省けたのだから。
「…………」
手を持ち上げて顔の前まで持ってくるが……身体に倦怠感はない。それどころか、まるで薬で体調を整えたように調子が良い。
多少の運動ならば、問題なくできるだろう。
「こうなったらヤケだ。責任をもって、お前のことを愛してやるから覚悟しやがれ!」
「あっ……」
シュバルツはシンラの太ももに頭を乗せたまま手を伸ばし、目の前で揺れる双丘を握りしめた。シンラの口から小さな喘ぎが漏れてくる。
その晩、街道近くの平原に獣の鳴き声のようなものが鳴り響いた。
その声はまるで2匹の魔獣が喰らい合っているようであり、一晩中やむことはなかったのである。
紅玉妃シンラ・レンが陥落。残る上級妃は2人。
シュバルツはまた一歩、玉座へと近づいたのであった。




