42.消えた修羅
「う……私は気を失っていたのか……」
平原での決闘。
両者ともに地面に倒れて昏倒して引き分けに近い結果となったが……先に目を覚ましたのは、シンラ・レンのほうである。
虚ろな眼差しで身体を起こしたシンラはすぐに自分が置かれている状況に気がついた。
「そうだ、私は決闘で斬られたのだ。シュバルツ殿の雷の剣に……」
シュバルツ・ウッドロウは『魔力無しの失格王子』である。
ウッドロウ王国に嫁いでくる以前、簡単な妃教育が行われた際にそんな情報を聞かされていた。
戦いの中でも魔法を使ってくる様子はなかったので、完全にそれが真実であると思い込まされていたが……どうやら、すっかり騙されてしまったようである。
「……魔力が少ないだけで、魔法が使えないわけではなかったのだな。まんまと術中に陥ってしまった」
シンラはわずかな悔しさを滲ませてつぶやきながら、ゆっくりと立ち上がる。
雷の剣で斬られたシンラであったが、ダメージはほとんどない。頭上を見上げると太陽の位置もさほど動いてはおらず、気を失っていた時間は1時間ほどだろう。
「直撃したのに生きているということは……手加減をされた? いや、十分なダメージを与えるだけの魔力がなかったのか?」
シンラの予想はどちらも正解である。
シュバルツの目的はシンラを籠絡して味方につけること。殺すわけにはいかない。
不十分な魔力で生み出された雷の剣も相手を一時的に無力化する程度の威力しかなく、致命傷には及ばなかった。
「負けた……この私が、生まれて初めて……」
7歳の時に実の兄を斬って以来、シンラは剣を手に取って敗北したことはない。
魔法の打ち合いであればまだしも……魔力量の差という圧倒的なアドバンデージがあったにもかかわらず、敗北した。
「…………」
それなのに……シンラの胸中にあるのは悔しさよりも、清々しさが勝っている。
それ以上に驚かされたのは、兄を斬った頃からずっと胸の奥で鳴り響いていた『修羅』の声が聞こえなくなっていた。
斬れ、殺せ、潰せ、引き裂け……絶え間なくシンラを苛み、戦闘と殺戮に走らせていた衝動が跡形もなく消え失せている。
代わりにシンラの心を支配しているのは清々しいまでの爽快感。人生で最大級の満たされた清々しい感覚だった。
「そうだ…………シュバルツ殿は!?」
しばし陶酔したように心地良さに身を預けていたシンラであったが、慌てて左右を見回して決闘の対戦相手を探す。
その姿はすぐに見つかった。少し離れた草むらの中に倒れている。
「シュバルツ殿!」
「…………」
慌てて駆け寄ってシュバルツの身体を抱き起こすが、うめき声すらも上げない。
顔色が真っ青になって血の気が失せている。呼吸や心拍も弱っていた。
「貧血……いや、魔力の欠乏か!? 早く薬を飲ませなくては!」
シンラは慌てて自分の荷物をあさり、有事の際のために買っていた回復薬を取り出した。
ポーションは傷を治すための薬であり、魔力を回復させる目的で使用することはまずない。しかし、錬金術という特殊な技術で生み出されたその薬品には微量の魔力が含まれており、魔力欠乏症を緩和する効力があった。
「飲んでくれ、早く……!」
「…………」
シンラがシュバルツの口にビンをあてがうが……シュバルツは薬を飲もうとはしない。意識もなく、自力で嚥下する力もないのだろう。
口に入ることなく地面にこぼれていくポーションに、シンラが激しく動揺する。
「どうすればいい!? このままではシュバルツ殿が死んでしまう……!」
シンラの声は錯乱しきったものである。こんなに混乱したのは生まれて初めてかもしれない。
どうして自分がこんなにも焦っているのか……シンラは自分でもわかっていなかった。
理由はわからないが……このままシュバルツを死なせてはいけない、そんな思いだけで必死に救い出す方法を考える。
「そうだ……この方法ならば……!」
何を思ったか、シンラはポーションを自分の口に流し込む。そして……シュバルツの顔に自分の顔を近づけた。
「…………!」
「…………」
眼前にある男の顔に怯んだのは一瞬。
すぐに気を取り直して……シンラはシュバルツの唇に自分の唇を重ねた。
「んっ……!」
シンラは舌を使ってシュバルツの口をこじ開けて、口内にポーションを流し込む。
コクンと小さくシュバルツの喉が鳴り、身体の中にポーションが入っていく。
「よかった、これなら助けられる……!」
シンラは何度も何度も、口移しでシュバルツにポーションを飲ませた。
繰り返すうちに蒼白だったシュバルツの肌に赤みが戻ってきて、呼吸や脈拍も安定してくる。
「スウ……スウ……」
やがて、シュバルツの口から寝息まで聞こえるようになる。
ここまでくれば安心である。シンラは安堵から大きく肩を落とした。
「シュバルツ……シュバルツ・ウッドロウか……」
男の寝顔を見つめながら、シンラはその名前を反復させる。
眠っているシュバルツの肌に触れ、髪を撫でて、意味もなく匂いを嗅いでみたりもした。そんなことをしていると自然と胸が高鳴ってきて、高揚感のようなものが胸の奥から生じてくる。
戦闘や殺戮の興奮とは違う。どこか温かみのある懐かしい感情だった。
その感情の正体を思い出そうとして……幼い頃、父や兄に抱かれた時のことを思い出す。
長兄を斬って以来、家族がシンラに触れることはなくなった。その時に失われたはずの感情が戻ってくる。
「……愛おしい、というのだろうな。きっと。たぶん」
シンラは笑った。戦闘中に浮かべていた凄惨な殺戮者の笑みではない。
この世の幸せを独占したような心からの笑顔を浮かべて、頬を薔薇色に染めたのであった。
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