41.シンラという女
紅玉妃──シンラ・レンの中に宿った修羅が目を覚ましたのは、彼女が12歳の時分であった。
東の大国である錬王朝は、大陸でも最大規模の軍事国家として知られている。
領土の広さや保有している兵数ならばウッドロウ王国が勝っているものの、実戦によって鍛えられた兵士はいずれも精鋭。強固な軍勢によって大陸東部にあった小国をいくつも飲み込んできた。
武を重んじている皇帝の一族は幼い頃から武術を修める義務を負っており、それは女性であったとしても例外ではない。
シンラ・レンも12歳になった祝いの日に刀剣を与えられて、武術を習うように父帝から命じられた。
『さあ、シンラ。今日から僕が君の師匠だ!』
シンラの剣の師として名乗りを上げたのは彼女の8歳年上の兄である。
長子として次期皇帝となることが決まっていた兄は、可愛い末の妹のために自ら剣を教えることを申し出た。
本来であれば、いずれ皇帝となる男がわざわざ末妹のために時間をとり、剣を教えるようなことはまずしない。シンラの兄がそれを願い出たのは、それだけ年の離れた妹が可愛かったからだろう。
シンラもまた大好きな兄が剣を教えてくれることを喜び、熱心に鍛練に取り組んだ。
剣術の型を覚え、基礎を叩き込まれ……そうしているうちに、シンラが思わぬ才能を秘めていることを兄も悟っていく。
『一を教えて十を知る』とはシンラのためにある言葉。類まれな才を持った妹は、兄が教えた以上のことを感覚で身に着けていったのである。
『これなら、すぐにだって実践訓練に入ってもよさそうだな! さあ、シンラ。全力で思いっきりかかっておいで!』
兄はシンラに木刀を持たせて、自ら実践訓練の相手になった。
2人が手にしているのは訓練用の木刀であって殺傷能力はほとんどない。なんてことはない、ごく普通の模擬戦になるはずだった。
だが……そんな模擬戦の最中に思わぬ悲劇が起こってしまう。
シンラが振るった木刀が兄の防御をかいくぐり、その首を貫いたのである。
タダの木刀とはいえ、人体における急所である喉を突かれたら絶命することもある。
もちろん、よほど上手く突かなければ一撃で命を奪うことは難しいが……シンラはあっさりとそれをやってのけた。
小さな少女の中に眠っていた『修羅』が目を覚ました瞬間である。
類まれな才能。常人を超越したセンスは8年の年の差をあっさりと覆し、油断していた兄の命をあっさりと刈り取ったのだ。
騒ぎを聞きつけた皇帝や兵士が駆けつけた時には、訓練場の真ん中に絶命した長兄が倒れており……シンラはその傍らで血塗れになって立っていた。
『アハハハハハハハハハハ……』
全身を返り血で真っ赤にさせて、シンラは笑っていた。
両目から涙を流しながら笑っている末娘の姿を見て、皇帝は心の底から恐怖したのである。
その後、シンラにどのような処分をくだすべきか皇帝と臣下が話し合うことになった。
訓練中に起こった事故とはいえ、次期皇帝となる男を殺害したのだ。死罪にするべきという意見が有力だった。
最終的に皇帝が下した処分は……軟禁した上で再教育を施すことである。
シンラを罪に問うためには、長兄が12歳の少女に斬殺されたことを発表しなくてはいけない。次期皇帝が末の妹に刺殺されたなどと言う話が広がれば、皇族が侮られることになりかねない。
長兄は表向きは病に倒れたことにして、シンラの罪は隠されたのである。
また、シンラの類まれな剣才が失われることを惜しんだということも理由としてあった。
シンラが成長すれば、確実に国で1番の剣士になることだろう。軍事国家である錬王朝にとって、その才能は捨てがたいものである。
皇帝は配下に命じて、軟禁したシンラに厳しい再教育を施した。
教育の内容は主に道徳教育である。剣が人を助けるためのものであること、己の才能を魔物や賊、国敵を倒すために使うべきであるとひたすらに教え込んだ。
シンラが馬車の中で語っていた『人助けのための剣』という価値観は、この時に培われたものである。
そうして、必要以上の倫理と道徳で縛った教育を受けながら……シンラ・レンは美しい女性に成長した。
優しく、正義感に溢れた美貌の姫は臣下からも慕われ、微笑み一つで多くの男性の心を虜にするようになっていった。
亡き皇妃に似た美姫に育ったシンラの姿に、一時は息子を殺した娘を憎んでいた皇帝の心も和らいでいく。
このままいけば、再びシンラは父親の信頼を取り戻して家族に戻ることができただろう。長兄の死を乗り越えて、千切れた絆を結び直すことができただろう。
そう思われた矢先、再び事件が起こることになる。
錬王朝にクーデターを起こそうとした反逆者の一族が捕らわれ、宮廷の地下にある牢獄に運ばれてきたのだ。
牢に捕らわれ、いずれは見せしめのために公開処刑される予定だった罪人であったが……シンラが牢に忍び込み、彼らを惨殺したのである。
『シンラよ、どうして勝手なことをしたのだ!?』
『彼らは悪人です。私は教えを破ってなどはおりません』
勝手な行動を問い詰める父親に、シンラは凄絶な笑みを浮かべてそう言った。
『私の中には怪物がいるのです。もっと斬れと、もっと殺せと囁いてくるのです。私はずっと我慢していましたが……どんどん声が大きくなってくる。剣は人助けのためにあるという教えを守って、ずっとずっと堪えてきた。だけど……これ以上は耐えられなかったのです。だから、殺しても誰も困らない人間を私の中にいる修羅に喰わせたのです』
『ッ……!』
シンラの言葉を聞いて、皇帝はもう目の前の女性が自分の娘であるとは思えなくなった。
この娘は人間の皮を被った魔性だ。人の血を求めてさまよう修羅に違いない。
そう考えた皇帝はとうとうシンラを手放すことを決めたが……そんな最中、隣国であるウッドロウ王国から妃を求める知らせが届けられた。
それは皇帝にとって福音とも呼べる、渡りに船な知らせであった。
ウッドロウ王国は錬王朝にとって友好国だったが、同時にもっとも強大な仮想敵国でもある。
将来的に脅威になるかもしれない隣国が、自国の爆弾を引き取ってくれるのだ。こんなに喜ばしいことはなかった。
シンラはきっと、また事件を起こすことだろう。
ウッドロウ王国が魔性の娘を処分してくれるのならば、それでもいい。
隣国に混乱をもたらして国力を削いでくれるのならば、なおもいい。
そんな考えから、皇帝はシンラ・レンという娘を王太子ヴァイス・ウッドロウの妃として送り込んだ。
皇帝の思惑はある意味では実を結ぶことになる。
シンラの中に宿っていた『修羅』はある男によって調伏されることになり、魔性の娘が処分されることになったのだから。
それが錬王朝にとって、あるいはウッドロウ王国にとって良いことだったのかどうか。
その結果が出るのは、まだ先の未来のことである。
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