39.修羅と夜叉(上)
シュバルツらは監禁されていた女性を連れて坑道から脱出した。
女性達は性的な乱暴を受けた様子で衰弱していたものの、目に見えた怪我はしていない。
盗賊のアジトにあった毛布を身体にかけて、温めたスープを与えてやると、失っていた感情が戻ってきたのかポロポロと涙を流していた。
昇格試験を受けた5人の中で怪我をしたのはザップだけ。イーギンから治癒魔法を受けたことで、すでに意識を取り戻している。
坑道の外に出た一行を見回して……試験官であるバードンが口を開く。
「予想外のアクシデントはあったが……これで昇格試験は終了だ。結果は1週間後にギルドで告げるからそのつもりでいてくれ」
「クソッ……!」
ザップが表情を歪めて拳を握りしめている。
盗賊にやられて戦闘不能に陥ってしまった双剣使いの剣士は、自分が不合格であることを予想しているのだろう。
誰よりも昇格にこだわっていた男は悔しそうに奥歯を噛みしめた。
「…………」
一方で、何故かシンラも落ち込んだ様子になっている。
表情を暗くさせたシンラは顔をうつむけて黙り込んでおり、同性のアリッサが心配そうにその顔をチラチラと窺っていた。
「俺達はこれから町に戻るわけだが……どうしたものかな。これだけ人数がいると馬車に入り切らないな」
シュバルツらは小型の馬車を借りて、ここまでやってきた。
盗賊から助け出した女性5人が加わったことで、馬車に乗り切らない人数になっている。
加えて、盗賊が貯め込んでいた収穫物もあった。盗賊や山賊を倒した場合、彼らが持っている宝や武器は討伐した人間のものになるのが決まりである。せっかくの収入を置いて行くのももったいないことだ。
「……私が残ろう。そちらの女性達を優先的に帰してやってくれ」
どこか消沈した表情のまま、シンラがそう言って挙手をする。
「私はどこも怪我をしていないし、体力もまだ残っている。万が一にも盗賊の残党がいたとしても問題はない。それに……」
シンラが言葉を切って、チラリとアリッサの方を向く。
「暴走した償いをさせて欲しい。皆に迷惑をかけてこの程度で足りるとは思えないが……どうか殿を任せてくれ」
「そういうことならば、私もご一緒しましょう」
シュバルツも遅れて、馬車に乗らずに残ることを名乗り出た。
「バードンさんはギルドに試験結果を報告しなくてはいけませんし、捕らえられていた女性のケアに同性のメリッサさんと神官のイーギンさんが必要でしょう。ザップさんは怪我が治ったばかりですし……私が残るのが適切かと」
馬車に全員は乗り切れない。加えて、戦闘能力のない女性を森や街道に置いて行くわけにもいかなかった。
腕っぷしに自信があって無傷な2人が残るのは自然な判断である。2人の提案にバードンも頷いた。
「わかった。明後日……いや、何とか明日中には迎えを寄こそう。夜営の道具を置いていく。お前らなら大丈夫だとは思うが……魔物や盗賊の残党がいるかもしれないから十分に気をつけろよ」
「ああ、そっちも気をつけて」
シュバルツとシンラを除いた面々を乗せて、馬車が街道を進んで去っていく。
「明日まで留守番ですね。シーラさん」
「ああ……」
シュバルツが声をかけると、シンラがぼんやりと気のない表情で応えた。
(上手い具合に自然な流れで2人きりになれたが……どうしたものか。さすがに無理やり襲うってわけにもいかないよな)
かつて水晶妃であるクレスタを手籠めにしたときとは状況が違う。
シンラは武術の達人であり、襲いかかっても返り討ちに遭う可能性がある。今日は『夜啼鳥』の援護もないため勝算は高くはない。
それに……シュバルツは意気消沈したシンラの様子が気になっていた。シンラの内心についてもう少し探りを入れておきたいところである。
「バルト殿……礼を言う。先ほど、私を止めてくれてありがとう」
「ん……?」
シュバルツがどう話を切り出そうかと考えていると、シンラの方から口を開いた。
「貴殿が止めてくれなかったら、私はアリッサ殿のことを斬り捨てていただろう。本当に助かった。心から感謝する」
「……仕方がありませんよ。周囲に敵を囲まれた状況で背後から声をかけられたら、思わず武器を向けてしまうのは仕方がないことです。アリッサさんも気にしていなかったようですし、気にされることはありません」
「……違う。違うのだ。私は剣を振るった相手が味方であることを知っていた。知っていながらにして、自分を抑えることができなかったのだ」
「はあ……?」
シュバルツは眉をひそめた。
味方と知っていて斬ろうとしたとは、どういう意味だろうか?
「こんなことを話したら頭がおかしいと思われるかもしれないが……私の中には『修羅』がいる。血を好み、戦いを求める怪物が潜んでいるのだ」
「怪物、ですか?」
「ああ……行きの馬車の中で貴殿は聞いたな、『どうして冒険者になったのか』と。あの時は人助けが目的だと答えたが本当は違う。私は戦いたかっただけなのだ。私の中に宿った修羅を鎮めるために、殺戮求めて冒険者になったのだ」
「…………」
シュバルツは数時間前、盗賊と戦っていたシンラの姿を思い出す。
あの時……シンラは笑っていた。敵を斬り、血を浴びながら声を出して笑っていたのだ。
戦闘中のシンラの姿はまさに修羅。人外の魔性であるがごとく美しくも凄惨な笑顔を浮かべていた。
「……幼い頃からそうだったのだ。初めて剣に触れた時から、戦うことを我慢できない。敵を斬ることを我慢できない。だから、父も母も兄弟もみんな私を恐れていた……当然だろう。実の家族ですら笑顔で斬り殺せる女を家族として愛せるものか」
「…………」
「だから、追放されるようにこの国へと送り込まれた。いらない娘を他国が引き取ってくれるというのだから渡りに船だったのだろうな」
シンラは自分が錬王朝の王女であることをぼかしながら、自分の身の上話をポツポツと語った。
顔を伏せ、深紅の髪を垂らしたシンラは迷子になった子供のように頼りない表情をしている。途方に暮れたような顔からは血を浴びながら笑っていた魔性は毛ほども感じられない。
「私は抜き身の剣。持ち手すらもない鞘無き刃。こんな私に女としての幸福などは望めまい。『修羅』が求めるままに死ぬまで戦い、いずれは血の海に沈んで朽ち果てる身なのだ」
「……辛くはないのですか、そんな生き方は」
「辛いとも。悲しいとも。苦しいに決まっている……。だが、どれほど望んだとしても生まれ持った性は捨てられない。私には自分の中にいる『修羅』を止められない」
シンラは力なく微笑んだ。
その顔はまるで処刑台の階段を昇っていく大罪人。全てに諦めきったような悲しい表情だった。
「私は変われない。自分の意思で己の中の怪物を抑えられない。だから……死ぬまで戦うのだ。独りきりで。何者にも添い遂げることなく」
「…………」
「本当に貴殿には感謝している。バルト殿が止めてくれなかったら、私はメリッサを殺していただろう。それどころか、ザップ殿やイーギン殿、捕らわれていた女性達まで手にかけていたかもしれない。試験に参加したのは魔物や盗賊を殺して『修羅』の腹を満たしてやろうと思ってのことだが……かえって、奴を刺激してしまっただけのようだ。やはり私は1人でいるべき。家族や友人、味方を殺さぬように1人で生きるべきなのだとわかったよ」
シンラは服の裾を翻して、シュバルツに背中を向ける。
最後に見たシンラの顔。美しく輝くルビーの瞳に涙が浮かんでいが……それはシュバルツの見間違いではないだろう。
(……泣くなよ、俺の前で)
肩を小刻みに揺らしているシンラの背中に、シュバルツは強く唇を噛みしめた。
昔からそうだ。
そんなふうに希望も何もないとばかりに泣いている女を見ると、無理やりにでも『救い』というものを押しつけたくなってしまう。
この世に不幸になるために生まれてきた女などいないのだ――それを身体の芯まで叩き込んでやりたくなる。
(女の涙に勝てる男なんていない。泣いている女の横顔に何も感じなくなったら、それはもう男では呼べない……!)
だから、シュバルツは自分の顔を覆っている兜に手をかけた。
金属製の兜を投げ捨てて、おまけに認識疎外の効力があるネックレスも剥ぎ取って地面に投げ捨てる。
「……決闘だ。俺と戦えよ、シンラ・レン!」
「貴殿は……!?」
突然、隠していたはずの本名を呼ばれて、シンラは赤い瞳を大きく見開いて振り返った。
「まさか……ヴァイス・ウッドロウ! 私が後宮を抜け出していたことを知って、追いかけてきたのか……!?」
「いや、俺はヴァイスじゃない。シュバルツ・ウッドロウ……ヴァイスの双子の兄だ」
「む……? ヴァイス殿下には行方不明になっている兄がいると聞いていたが、貴殿がそのシュバルツ・ウッドロウなのか? つまり、私と後宮で会ったヴァイス殿下とは別人ということか?」
「いや、そっちも俺だ。お前はヴァイスとは会ったことはないはず」
「は……?」
シンラが頭上に疑問符を浮かべて、赤い瞳をパチクリとさせる。
わけもわからず困惑した様子のシンラには、とても察することはできないだろう。
王太子であるヴァイスが行方不明になっており、行方不明だったシュバルツがヴァイスになりすましていたことなど。
おまけに『バルト』という偽名を使い、冒険者として自分に接触してくるなどという複雑怪奇な経緯をどうやって推察しろというのだろう。
「まあ……そのあたりの事情は改めて説明しよう。それよりも、俺の誘いを受けてくれるのかよ?」
「……決闘、と言っていたな? 本気なのだろうか、貴殿は『魔力無し』だと聞いているが?」
どうやら、シュバルツの無能者ぶりは隣国まで届いているようだ。
シュバルツはクツクツと喉を鳴らして苦笑した。
「本気だ。冗談でこんなナンパをするものかよ」
「……手加減はできないぞ。先ほども話したように、私の中には自分では抑えられない魔物がいる」
「ハッ! くだらないな!」
案ずるようなシンラの言葉をシュバルツは鼻で笑い飛ばす。
「女が肚の中で怪物を飼っているなんて当たり前のことじゃねえか! いい女を口説くのはいつだって命がけだ。魔物に食われるくらいの覚悟がなくてどうするよ!」
「…………」
「お前の中にいる『修羅』とやらは俺が喰い殺してやる。そっちが『修羅』なら、俺は闇夜に潜んで人を斬殺する『夜叉』だ! 魔物と魔物。怪物と怪物の共食いを始めようじゃねえか! だから……シンラ・レン、お前はもう二度と泣かなくていい」
「フッ……」
シンラは吹き出すように笑い……そして、紅色の唇を三日月形につり上げた。
再び、彼女の中に宿っている『修羅』が顔を覗かせる。
「とてもいい。最高の気分だ。抱きついて接吻してやりたい気分だ」
「やってもいいぜ? 舌でからめとってやるからよ」
「私に勝つことができたのならば、喜んで。『魔力無し』で知られる貴殿がどうやって私を喰らうつもりなのか楽しみだよ!」
シンラが腰の刀を抜き、シュバルツへと切っ先を向けてくる。
かくして、シュバルツとシンラの決闘が決まった。
男と女。
剣士と剣士。
『夜叉』と『修羅』――2匹の魔物が喰らい合うような闘争が、まさに始まろうとしていたのであった。
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