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90.困惑の朝

「う……ここは、いったい……?」


 シュバルツが重い瞼をこじ開けると、目の前には見知らぬ天井があった。

 窓から差し込んでくる柔らかな光に照らされて、部屋の内部が明らかになる。そこは十畳ほどある部屋の一室だった。

 部屋の中央にはベッドが設置されてあり、その傍らには丸いテーブル。テーブルの上には透明なガラス製の水差しがコップとセットになって置かれている。

 クローゼットなどの家具も置かれており、この部屋だけで一人の人間の生活が成り立ちそうだ。

 家具はいずれも高級品ばかりであり、この部屋の主の経済力の豊かさが推し量ることができた。


「俺は確か、ユリウスに刺されて……それで意識を失って……?」


 シュバルツはおぼろげな意識の中で自分の記憶を掘り起こす。

 刺されたのは腹部。辛うじて急所は外れていたために即死には至らなかったが、すぐに苦痛に襲われて意識を失ってしまった。

 あの時のユリウスは明らかにおかしかった。何者かに操られていたような印象がある。


「あら……目を覚ましたのですね」


「…………!」


 ガチャリと扉が開き、一人の女性が入ってきた。

 慌てて起き上がろうとするシュバルツであったが、腹部からの痛みで思うように身体が動かなかった。


「動かない方が良いですよ。刃には毒が塗られていました。毒の処置はすでにしていますが……無視をしていい怪我ではありませんわ」


「……どうして、お前がここにいる? アンバー・イヴリーズ」


 部屋に入ってきたのは薄手のガウンを身に着けた金髪の女性。琥珀妃を賜っている上級妃――アンバー・イヴリーズであった。

 アンバーは両手に木桶を抱えており、桶には白い布が浸かっている。


「汗をかいているでしょう。身体を拭いて差し上げますわ」


「有り難い申し出だが、そんなことよりも説明を……」


「はい、それでは身体を起こしましょうか。上着を脱がせますよ」


「お、おい!」


 アンバーはテーブルに木桶を置いて、シュバルツの背中に手を添えた。

 有無を言わさずベッドから身体を起こすように要求され、上着を脱がされる。

 アンバーが布を水で濡らして、シュバルツの背中を拭いていく。背中を冷たい水の感触が撫でていき、それは脇腹を通って身体の前方まで続いていく。

 シュバルツの胸を、腹部を、アンバーの細腕が通り過ぎていった。


(……何だ、この状況は?)


 シュバルツは子供のようにされるがままになりながら、訳のわからない状況に困惑する。


(どうして、刺されたはずの俺がアンバーと一緒にいる? どうして、俺のことを嫌っていたはずのこの女が、こんなに甲斐甲斐しく世話を焼いてくる?)


「んっ……やはり殿方の身体は大きいのですね。身体を拭いてあげるのも一苦労ですわ」


 アンバーは背中から抱き着くようにして、シュバルツの胸部をぬぐってきた。

 薄手のガウンに包まれた豊かな胸部が背中に押しつけられ、柔らかな感触を伝えてくる。

 こんな状況、腹部の怪我がなければ押し倒してやるところだが……さすがのシュバルツも今が盛っている場合でないことはわかった。


「はい、これで良いですね。綺麗になりましたわ」


「……アンバー、妃。いい加減に状況を説明していただけませんか?」


 シュバルツは今さらのようにヴァイスの仮面を被って、口調を取り繕う。

 だが、布を木桶に戻しているアンバーは「フフッ」と皮肉そうな笑みを浮かべた。


「敬語は結構ですわ。私はすでに貴方の正体に気がついていますから……シュバルツ殿下」


「…………!」


「大変だったようですわねえ。刺客にお腹を刺されてしまうだなんて。私の部下が助けなければ、あのまま命を落としていましたわ?」


「……どういう意味だ。説明してもらおうか」


 シュバルツはヴァイスの仮面を取り去り、木桶を片付けているアンバーを睨みつけた。

 言葉を信じるのであれば、アンバーが自分を助けてくれたことになるのだが……それを鵜吞みにできる状況ではない。


「言っておきますが……貴方を刺した刺客と私は無関係ですわ」


「……お前は何を知っている? どうして、俺がヴァイスではなくシュバルツであることを知っているんだ? それに……俺を襲った刺客についても何か知っているな?」


「女性に矢継ぎ早に訊ねるものではありませんわ。焦らずとも、キチンと説明いたしますから」


 アンバーはゆったりとした仕草で椅子に座り、口を開く。


「まず、私がどうしてシュバルツ殿下の正体を知っていたかと言いますと……初めから気がついておりました。貴方がヴァイス殿下ではないことを」


「最初から……最初からというと、それは……」


「文字通りに初対面から。庭園で開かれた顔合わせのお茶会からですわ」


「…………!」


 まさか……あの時から、自分がヴァイスの偽物であることに気がついていたというのか。

 それならば、どうして指摘しなかったのだろうか。


「さて……今の時点で、それを説明するつもりはありませんわ」


「おい……」


「祖国……神聖イヴリーズ帝国の思惑は関係ない。私の個人的な判断とだけ伝えておきますわ。そこから先は黙秘いたします」


 アンバーがプイッと顔を背けた。大人びた美貌の持ち主であるアンバーにしては、子供っぽい仕草である。

 ともあれ……この件について、それ以上の追及は意味がなさそうである。

 どうやって正体を見破ったのかも気になるのだが……シュバルツは質問の内容を変えることにした。


「わかった……だったら、それでいい。俺を襲った刺客について、それとユリウスがどうなったのかを教えてくれ」


「ええ、まずは騎士団長の御令嬢……ユリウスさんについてですが、彼女も別室で保護していますわ」


「アイツもここにいるのか……」


「ええ、タチの悪い魔法によって催眠をかけられていたようですが、それも除去しておきました。精神に負担のかかる魔法の後遺症により、今は寝込んでいますわ」


「催眠だと……!」


 シュバルツはギリッと奥歯を噛みしめた。

 ユリウスがシュバルツを刺したのはそういう事情があったのか。明らかに様子がおかしかったが……催眠をかけられていたのであれば納得がいく。

 他者を操ったり、洗脳したりする魔法は存在する。

『夜啼鳥』にも薬物を使って同じようなことができる人間がいるが……どうやら、シュバルツの命を狙う刺客がユリウスを操り人形にしたらしい。


「強力な魔法使いを二人も放っておいて、さらに護衛の騎士に催眠をかけて命を狙う……相当に用心深い相手の仕業だな」


「加えて、狙撃手が殿下の眉間を狙っていたようですわ。そちらも私の手勢で排除しておきましたけど」


「…………!」


 何気なく放たれた言葉にシュバルツは戦慄する。

 刺客として襲ってきた魔法使い二人はいずれも凄腕。いくつもの修羅場をくぐってきたシュバルツでさえ持て余すような強さだった。


(あれほどの手練れを刺客として放っておいて、それだけでは満足できずにユリウスに催眠をかけて毒のナイフで襲わせた。これだけでも十分すぎるほど命に届く刃だというのに、さらに狙撃手まで用意していただと? どれだけ俺のことを殺したいんだよ……!)


 刺客を放ったのはとんでもなく用心深く、執拗なまでの執念深さを有した人間ということになる。


「誰だ……俺を狙ってきたのは。誰が俺を殺そうとしている?」


「…………」


 シュバルツの問いに、アンバーはすうっと目を細めた。

 たっぷりと間をおいてから桜色の唇を開き、その名前を告げる。


「……ヴァイオレット・ウッドロウ。この国の王妃様です」


「…………!」


「シュバルツ殿下の御命を狙っているのは、殿下の母君です」


 突きつけられた事実にシュバルツは顔を歪め、大きく目を見開いたのであった。


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マンガBANGでコミカライズ連載中
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