第5話
ショートパンツから伸びる太腿に朝の涼しい風が当たる。
背中には身の丈に合わない大きさのバックパック。傍目から見れば、こんもりと膨らんだ背荷物に押し潰されそうに見えているだろうが、【ステイタス】によって強化されている私の体は極めて軽快に動く。
頭には、とある王子様から頂いた一輪の花を挿して、上機嫌。
私の隣には、腰に片手剣を携行した女の子が一人。彼女の白髪と身に纏う銀の鎧が朝日を反射して眩しい。
「マーガレットちゃん、今日はどうしていつもより早く宿を出たの?」
私と彼女が生活しているのは同じ宿の同じ部屋。風呂場がない安宿で、店主の人に無理を言って一人用の部屋に二人で住ませてもらっている。寝る時は一つのベッドで抱きしめ合いながら。
これは生活費を減らすための工夫。ひいてはダンジョン探索に必要な道具を買うためのための節約。
安全な探索を行うには日々の出費を削らないといけないのが私達の状況。
これからそのダンジョン探索に出発する。
私達が立っているのはダンジョンの入り口が近くにある迷宮広場。『迷宮都市』の中心地で、パーティメンバーとの待ち合わせ場所。
広場には私達と同じようにダンジョンに挑もうとしている冒険者一団の姿が見えた。
仲間が集まるまでこの場所で待たないといけない。
普段ならもっと遅い時間にこの場所にくるのだが、今日は親友に連れ出されて集合時間より前に到着している。
「マーガレットちゃん、これから何をするの?」
という私の質問に隣にいる剣士の少女は答えてくれない。
マーガレットちゃんは昨日から機嫌が悪い。一人で夕食を食べ始めたし、寝ている時に抱き付いてこなかったし。
親友の様子が明らかにおかしい。
「私、何か悪いことした?」
「……シオンが昨日話していた男の子は一体誰なの」
白髪の剣士は私の顔を睨みながら言う。
昨日話していた男の子……デルフィニウム王子様のことかな。財布泥棒との逃走劇はちょっとした騒ぎになっていたから、マーガレットちゃんにも見られていたかもしれない。
秘密にしていたわけじゃないけど、きちんと話していなかったから怒ってしまったのだろう。
「私を助けてくれた王子様。今度お礼をすることになったんだ」
「シオンの恋人じゃないの?」
目の前の友人は頓珍漢なことを言う。まあ遠目から見ていただろうから、王子様を小人族と勘違いしたのかもしれない。
「だって王子様は五歳だよ」
いくら運命の出会いに憧れている私だって幼児に恋心を抱いたりはしない。そもそも会ったばかりだからそこまで仲良くなっていない。
「シオンはショタコンじゃなかったの?」
親友の発言に思わず噴き出してしまいそうになった。
私、友人にそんな風に思われていたのか。確かに小さい子は好きだけど。
マーガレットちゃんの勘違いを全力で否定する。身振り手振りで昨日の出来事を説明すると納得したようだ。
「これは王子様に貰ったお花。これを持っていたらまたいつか会えるんだって」
ロマンチストな男の子だね、と私は言う。
親友の誤解は解けたけれど、まだ私の疑問に答えてもらっていない。
「それでどうして今日は早起きしたの?」
もう何度目かの同じ質問を口に出す。
私をここに連れてきた本人は、私の体を見下ろした。
「シオンは王子様に会うんでしょ。その格好でお礼を言うつもりなの?」
はっ、と視線を下に動かして自分が着ている服を見る。
ボロボロのシャツ、端が破れたズボン、汚れたスニーカー。日々のダンジョン探索で傷付いた衣類がそこにあった。
「どうしよう私、これ以外の服を持っていないよ」
予備の服が一組あるけれど、それも同じく冒険家用の衣装。
「持っていないなら、買うしかない、ここならきっと良い服屋もある」
そう言って彼女は顔を左右に振る。。私も一緒に迷宮広場の外周に建ち並ぶ商店を見回した。
冒険家の通行量が多いこの場所には、様々な種類の商店が軒を連ねている。マーガレットちゃんが言う通り、ここになら服屋もあるだろう。
しかし問題はもう一つある。
「だけど私、かわいい服を買えるようなお金なんてないよ」
「足りない分は私が貸してあげるから、綺麗なお洋服で王子様に会おう」
私が問題を口に出すとすぐに彼女は答えを返した。きっと始めからそうするつもりだったのだろう。
目の前も少女は始めから、私の為を思って行動してくれていたのだ。
胸の奥から感激の気持ちが溢れ出してくる。恩返しをしたい。だけどお金がないから友達に何も返してあげることができない。
「もしも王子様と仲良くなれたら、マーガレットちゃんも【レガリア】に入れてもらおうよ」
迷宮都市に暮らしているということは、王子様もきっとどこかの組織に身を置いているのだろう。王子様に紹介してもらえれば、【レガリア】探しの問題は解決する。
「……私は、別にいい」
マーガレットちゃんには視線をずらして断られてしまった。
だけど何度でも私は誘うつもり。近くにいた方が恩返しがしやすいし、二人で一緒の方が楽しいに決まっているもん。
「うん? マーガレットちゃん、顔赤いよ」
「そんなことないもん!」
そっぽを向いて顔を隠すマーガレットちゃん。
立ち話も早々に、洋服を売っているお店を探そうと広場の外周を見回した時、「きゃあ!」と背後で可愛らしい悲鳴が響いた。
親友と揃って悲鳴の聞こえてきた方に振り返る。
すると広場の石の地面に倒れ伏した黄色の髪の女の子と周りを転がる大量の果物が目に映った。
「大丈夫ですか!」
声を掛けながら黄髪の女の子に駆け寄る。近付くと女の子の口から「うう……」と小さな声が聞こえた。
女の子の上半身を抱えて起こす。うつ伏せになっていた体は私と同じくらいの体格だったけれど、難なく地面から引き剥がすことができた。
「ありがとうございます」
顔から地面にぶつかって相当痛かったのだろう。女の子は涙を何とか堪えながら感謝の言葉を声に出す。
女の子の服装はどこかのお店の制服の上にエプロン姿。飲食店の店員だろうか。周りに散らばっている果物もやはりこの娘のものだろう。
「気にしないでください。そうだ、これを……」
私は自分が背負っているバックパックから回復薬を取り出して、女の子の手に握らせる。
「これは冒険者さんの商売道具なんじゃ」
「いいんです。飲むと痛みが消えますよ」
ハーブ様じゃないけれど、困っている人には親切にしたい。
蓋を外して手を離すと、少しの逡巡の後、女の子は緑色の液体が入った試験管に口を付けた。
今にも泣き出しそうだった顔に笑顔が戻り始める。
「オンシジュームと言います。近くのカフェでウエイトレスをしています」
周囲に転がる果物をマーガレットちゃんも一緒に三人で拾い集めた後、店員さんは自己紹介をしてくれた。中身が入りきっていない紙袋を両手で抱える姿は、あどけなさを感じてしまう。
「果物を運ぶの手伝いましょうか?」
とマーガレットちゃんが尋ねると、
「いえ。本当にすぐ近くですので」
店員さんは働いているであろうお店がある方向に顔を向けた。その視線の先にあるのは、やはり飲食店のようだ。
「あの、今夜お店に来てくれませんか。お礼をさせてください」
私達の方に向き直った店員さんはお礼がしたいと言ってくる。
お店で食事かー。冒険家になってからお金が全然無くて、外食から脚は遠のいてしまっている。今日だってお金がたくさん手に入るとは限らない。
「私に力になれることはないでしょうか?」
私達の事情を察したらしい店員さんは提案を変えてくれた。善い人だなと、思ってしまう。
そうだ。
「可愛いお洋服が売っているお店、ですか。それでしたらあちらのお店がオススメですよ」
迷宮広場で働いている店員さんなら、この場所について詳しいんじゃないかとかんがえたけれど、その通りだった。
私の隣に立っているマーガレットちゃんの手を掴む。
「⁉︎」
「マーガレットちゃん、お店を教えてもらったんだから急いで行くよ!」
驚いている彼女の手を引いてその場から駆けだす。
「店員さん、ありがとうございます。お店にも絶対行きますから!」
果物が詰め込まれた紙袋を抱える黄髪の店員さんは微笑んで見送ってくれる。
小さな花のような笑顔が朝日に照らされて輝いて見えた。