第4話
立て付けの悪い音がなる扉を開けると、目の前には多種族の人で溢れかえっている大通りがある。通りを行く大勢の人に向かって私は叫んだ。
「私の、財布を、返せー!」
私の声を聞いて振り返る人の群れ。
その中に一人、走り出した男性がいた。あの男だ。
私は数分前、通りの反対側の店で、商品に見とれている時にぶつかったヒューマンの顔を思い出す。あいつが財布を持っている。
大通りで突如始まった逃走劇。犯人は男性。追いかけるのは私。「何だ、何だ」と通行人は道を開ける。
「パーティの回復薬を買うお金なんです。返してくださーい!」
ダンジョンではゴブリンよりも弱い私だけど、この背中にはゼラニウム様から授かった恩恵が確かに刻まれている。【ステイタス】を持つ私の体は、一般人と比べて何倍も強靭で俊敏だ。
始めにあったお互いの距離がだんだんと近づいていく。
そして男の肩を捕まえようと右手を伸ばした時、手のひらに激痛が走った。
「うっ⁉︎」と声を漏らして、思わず足を止めてしまう。
手のひらに鋭い傷口。血が溢れて流れ出す。
前を走る男の方を見ると、男は右手に血の付いたナイフを持っていた。
一瞬、足を止めた間に引き離されてしまう。
私がもう一度走り始めると、男を挟んだ前方から小さな男の子が歩いてくる。小人族とも異なる幼い雰囲気。大きな花束を抱えていて顔は見えないが、背が低くて遠目からでも可愛らしいことが分かる幼子だ。
こちらの様子に気づいていないのだろうか。真っ直ぐにこちらに向かってくる。「危ないよ!」と声をかけるが男の子は止まろうとしない。
ナイフを振り回し叫ぶ男。男の子との距離は刃の届く距離まで近づく。
しかし凶刃は少年の目の前を通過して、何事もなく終わった。
交差する二人。ナイフを持った男は、そのまま男の子の横を通り過ぎていくと思われたが、しかし頭と足を空中で入れ替えるように一回転して盛大にずっこけた。
地面でジタバタする男。追いついた私は無防備になった後頭部に飛び蹴りをお見舞いする。
気絶した男の服をまさぐり盗まれたものを探していると、後方から可愛らしい声が飛んできた。
「もしかして、これはあなたの物なのです?」
上から落ちてくる一つの影。ストンと音を立てて、薄紫色の財布が私の目の前に現れた。
弾かれたように振り返る。男の子の姿が先程よりも遠くに行っていた。追いかける。
「大丈夫? 怪我してない?」
「あんな盆暗に僕が傷付けられるわけがないのです」
声をかけるが、気に留める様子もなく歩みを進める男の子。短い脚なのに歩くのが速い。
「待って!」
「急いでいるのです。この花束を楽しみにしている人がいるのです」
「お礼をさせて!」
「この程度のことでお礼なんていらないのです」
「君の名前を教えて!」
立ち止まる。私も男の子に倣ってその場に静止する。
男の子は背中に剣を携えている。冒険家の真似でもしているのだろうか。豪華な装飾の柄と鞘だけど、男の子の身長と合っていなくてチグハグだ。
小さな人差し指を上を、いや空を指し示す。その先にあるのは、赤く輝く太陽。
「お母様は言っていた」
反転。少年の隠されていた顔が露わになる。
空色の髪。白くきめ細やかや肌。頰は血のように赤い。
「青き空の下に咲く、太陽よりも誇り高い花」
女性ならば将来は絶世の美少女になることが約束されたような顔に嵌め込まれた瞳の色は、紺青色。
鋭い眼光が私の瞳を、心を射抜く。
「ブロッサム王国第一王子、デルフィニウム・ステイメン」
か……。
「それが僕の名前だと」
可愛すぎる……!
王子様はこちらに近づいてきた。本当に小さい。身長が私の半分、腰の辺りまでしかない。
「あなたの名前は何なのです?」
先程までの雰囲気と変え、笑みを溢れさせた表情を斜めに傾けて尋ねてくる。きっと自分は名乗ったのだからお前も自己紹介をするのが道理だ、ということなのだろう。
年相応というか見た目相応の花のような笑顔につられて私も笑顔になってしまいそうになる。
「シ、シオンと言います。王子様は本当に男の子ですか?」
「お母様は言っていた。僕は世界で一番可愛い男の子だと」
「王子様は何歳ですか?」
「五歳なのです。シオンちゃんは冒険家なのです?」
ダンジョン探索用の私の服装を見て、王子様が質問をしてくる。やっぱり冒険家に興味があるのだろうか。
「はい!」
「それじゃあ、このお花をプレゼントするのです」
持っていた花束の中から一輪、花を抜き取り渡してくれた。王子様の髪にも似た青い花。
膝を屈ませ、それを受け取る。その時に触れた王子様の小さな手はとても柔らかかった。
「お守りなのです。持っていればまた会えるのです」
目線を合わせたことで王子様の顔がよりはっきりと見える。本当に同じ人間なのかと疑ってしまうくらい、王子様は天使のように可愛らしい。小さな顔が微笑むと、目の前にいる天使は一層愛らしくなる。
思わず王子様の手を両手で掴んでしまった。
「王子様。お礼がしたいので一緒に食事をしてください!」
自分でも何を言っているのか訳が分からない言葉に、王子様の顔はきょとんとしてしまう。しかしすぐに戻った。
「お母様は言っていた。この世には絶対に守らないといけないものがある。それは女の子との約束だと」
「王子様……!」
一瞬、上に向けた人差し指をすぐに降ろす。
「だけど今日はこれから行かないといけない場所があるのです。次に会った時に食事をするのです」
「約束、ですか」
「なのです」
体の向きを変え、テクテクと歩き出した王子様。その小さな後ろ姿を私は見送る。
手の中には王子様から頂いた花が残されていた。花束を待っている人がいると言っていた。この花は私が貰っても良かった物なのだろうか、と花を見つめ思案する。
「ありがとうございます!」
小さくなっていく王子様を見送って、手の中にある花を握りしめた。
この花が私と王子様をもう一度引き合わせてくれる。なんとなくそんな気がした。