第2話
ダンジョンから帰還した私達はギルド本部に足を運んだ。倒したモンスターから採集したアイテムを現金に交換するためだ。
一日中ダンジョンを歩き回ったけれど、あまり多い金額が手に入ったわけではない。そこからさらに五人で分け合うので、最終的に私が手に入れたお金は微々たるものしか残っていない。
それぞれのお金を握りしめてパーティメンバーは帰路に着く。
私とマーガレットちゃんはギルドの受付嬢に呼ばれて応接室に案内された。
「えー、シオンちゃんまたゴブリンに殺されかけたのー」
「うう……」
「しかも一日に二回もゴブリンに負けたのー」
「うう……」
今、目の前にいるのは私達を呼び止めたギルド受付嬢のアンズさん。テーブルを挟んだ体勢で椅子に座り、顔を向き合わせて今日のダンジョン探索について報告中。私の隣には、白髪のパーティメンバー、マーガレットちゃんが座っている。
アンズさんは、私達より年上のお姉さん。肩の長さに切り揃えられたセミロングの髪は優しいオレンジ。ギルドの制服である白色のシャツと黒色のズボンをしっかりと着こなし、親しみやすい笑顔はギルドの職員や冒険家の間でも人気らしい。
アンズさんには初めてギルドを訪れた時からお世話になっている。武器や装備を買うときはアンズさんにお金を貸してもらったし、現在住んでいる宿やパーティメンバーもアンズさんに紹介してもらった。本当に何から何まで親切にしてもらっている人なのだ。ちなみに借金はまだ残っている。
だからこんな風に私をからかっているのもアンズさんなりの優しさなのだろう。
「私だって、ゴブリンくらい倒したことあるもん……」
小さな声で呟いた私の言葉をアンズさんの耳は聞き逃さなかった。
「私もギルドで何年か働いているけど、ゴブリンに一日で二度負けたなんて聞いたことないなあ」
「うう……」
「それにマーガレットちゃんに迷惑をかけているんじゃないの?」
「うう、うう……」
隣に座っている少女もうんうんと首を縦に振っている。
モンスターに殴られた時よりも、今のが一番堪えたかもしれない。
アンズさんは私が冒険家になった真の目的——ダンジョンで運命の出会いをすること——に気付いている節がある。マーガレットちゃんにはバラされたくないだろ? という態度で私をからかってくるのだ。
アンズさんが口にしたギルドというのは、地理的にも経済的にもダンジョンを中心に繁栄しているこの街を管理している組織の名称だ。
新人冒険家の教育や冒険家に依頼を渡す役割を担っている。銀行みたいにお金を預けたり、ダンジョンで採集したアイテムを換金することだってできてしまう。
冒険家が集めたアイテムを製品に加工して販売する、というのが簡単なギルドの仕組み。
ダンジョンの出入り口にもギルドの支部があるけれど、アンズさんがいるギルド本部を私達は利用することが多い。
「私はシオンちゃんのことを抜きにしても次の階層を目指すのはまだ早いと思うけどね」
アンズさんにはダンジョン探索についての相談も受けてもらっている。
5階層までと6階層以降とでは採れるアイテムの質が異なる。ギルドでの換金額が多くなるのだ。冒険家として生活できるようになるには6階層を安定して探索できるようになる必要がある。
勿論、下の階層に行けば行くほど、出現するモンスターは強力に、ダンジョンの構造は複雑になっていく。
要するに、新人ばかりの私たちのパーティに6階層はまだ早いということ。
安全第一が口癖のアンズさんは良い顔をしてくれない。私もマーガレットちゃんも同じ考え。
他のパーティメンバーにも相談したけれど、結局多数決で6階層の探索に決まってしまった。
みんなも節約生活に苦心しているらしい。私もアンズさんに借りているお金を早く返したいという思いはある。
「取り敢えず、シオンちゃんは【ステイタス】の更新をしようね」
「今日はちょっとお金が……」
「ゼラニウム様を呼んでくる」
金銭を理由に断ろうとする私を無視して、アンズさんは応接室から出て行ってしまった。
私とマーガレットちゃんは顔を見合わせて苦笑いをする。
しばらくすると応接室のドアが開けられた。
「待たせてすまない」
アンズさんが開いたドアから入ってきたのは、背の高い筋骨隆々の老人だった。アンズさんと同じスーツ姿であることが彼がギルドの職員であることを示している。
幹のように太くて逞しい体の上には、名工によって造形されたような彫りの深い顔が乗っている。青玉の瞳と純銀の髪で装飾された顔は何度見ても目を奪われてしまう。
アンズさんと一緒に部屋に入ってくる男性に、私とマーガレットちゃんは立ち上がって挨拶をした。
この人がゼラニウム様。現在のギルドの長で、事実上この街を取りまとめているめちゃくちゃ偉いお方。
「今日はシオンの【ステイタス】の更新でいいか?」
「は、はい。お願いします」
名前を呼ばれた私は畏まった返事をしてしまう。
経験値と呼ばれるものがある。名前の通り、その人が経験した事象の数値だ。当然見ることも触れることもできない。
但し、ゼラニウム様のような一部の人間——王子様と呼ばれる人達——は経験値を使って自分と契約をした人を強化することができる。
強化された内容は【ステイタス】という形で背中に書き記される。
その効果は絶大で、どんな人間もゴブリンのような低級のモンスターなら倒せるようになってしまう。【ステイタス】をその身に刻むことで冒険家はモンスターと戦うことができるようになる、というわけ。
現在、私はゼラニウム様と契約している。マーガレットちゃんも同様。ギルドに所属している冒険家は全員、ゼラニウム様と契約を結んでいる。
じゃあゼラニウム様たち王子様はどうなのか、というと生まれた時から背中に【ステイタス】が発現しているらしい。自分の身を守るために幼い頃から鍛錬をする人もいると聞く。きっと私よりも背も年齢も小さくて、私よりもずっと強い王子様もいるのだろう。
「準備を始める、少し待っていてくれ」
「分かりました」
威厳のあるゼラニウム様の声に従い、応接室に設置されている大きな鏡の前に移動する。背中が見えるように、上着を胸が見えるギリギリの位置までめくり上げる。
鏡の中にこちらを覗き込もうとしているアンズさんとマーガレットちゃんを見つけた。
(やっぱり、地味な顔だなぁ)
鏡に映る自分の顔はいつも泣きそうな顔をしている。紫色の髪に黒色の瞳。マーガレットちゃんと比べると対称的な程に自分の顔は華やかさがない。
なんてことを考えていると、ガチャ、と後ろから金属がぶつかる音が聞こえた。
ゼラニウム様が針を取り出したのだ。
首をひねるとゼラニウム様と目があった。
「少しくすぐったいぞ」
と言いながら、ゼラニウム様は自分の左手の人差し指に針を刺す。
【ステイタス】の編纂に使用されるのは王子様の血液。指先から溢れ出た血を、ゼラニウム様は私の背中に押し付けた。
自分の背中に波紋が一滴広がる感覚。次の瞬間、背中に赤色の紋様が浮かび上がる。
ゼラニウム様が背中に触れると紋様は形を変える。この紋様に見えるのは特殊な文字らしい。私は読むことはできないけど。
線を一度ゆっくりとなぞる。するとすぐにゼラニウム様の指は背中から離れた。
「終了した」
「ありがとうございます」
指についている血を拭き取ったゼラニウム様は針をペンに持ち替え、新しくなった【ステイタス】を紙に書き写していく。
その間に私は服装を整える。ゼラニウム様の手の動きが止まると、私でも読める文字で書かれた紙を渡された。
シオン・サンドリオン
種族:ヒューマン
所属:ゼラニウム・レガリア
Lv.1
力:i57→i62 耐久:i13→i25 器用:i73→i78 敏捷:i98→H112 魔力:i0
≪魔法≫
【】
≪スキル≫
【】
これが私の【ステイタス】。
一番上は名前と種族と所属。
ヒューマンというのは、エルフやドワーフなどではない、普通の人間のこと。
所属はどの王子様と契約しているのかを示している。ゼラニウム様の眷属だと【ゼラニウム・レガリア】という風に、名前の下にレガリアと付けて呼称される。
次はレベル。これが一番重要。ここの数値が一つ違うだけで強さは全然違う。だけど上のレベルにするためには相当な努力が必要。当然私はまだレベル1。これはマーガレットちゃんも一緒。
そして次は能力値。これも重要。モンスターと戦闘したりして得た経験値はここに反映される。私とマーガレットちゃんは同じレベル1だけど、強さが全然違うのはここの数値が違うから。
能力値を上げるためには、積極的にモンスターと戦わないといけない。耐久の能力値を伸ばすには、盾なり鎧なりで攻撃を受け止めて耐久の経験値を蓄積させる必要がある。力を強化したければ、自分から攻撃すればいい。
だけどやっぱりモンスターの攻撃は怖いから反射的に避けてしまうし、先手を取るのは難しい。
今日はゴブリンに殴られたり、追いかけ回されたりしたから耐久と敏捷の能力値が大きく上昇している。私は普段からモンスターから逃げ回っているから、とうとう敏捷の数値が百を超えてしまった。
魔法やスキルはまだ発現していない。
アンズさん曰く、冒険家になってまだ一ヶ月程度の【ステイタス】なのでまだまだ発展途上らしい。まあ、特筆することのない平凡な能力値だということ。
「ゼラニウム様―、こちらに来てくださーい」
「わかった。すぐに向かおう」
獣人のギルド嬢に呼ばれてゼラニウム様は部屋から出て行ってしまう。私は慌てて追いかけて、美しい銀髪の後ろ姿に感謝の言葉を送った。
ギルドに【ステイタス】を更新できるのはゼラニウム様しかいない。それにギルド長という立場上、休む間もないほど忙しいはずだ。
振り返ると、アンズさんとマーガレットちゃんは二人で話していたようだ。
「何を話していたんですかー?」
声をかけると二人は会話を止めてしまった。
マーガレットちゃんが少し顔を赤くしている。
二人はどんな会話をしていたんだろう、と考えているとアンズさんが私のそばに近づいてきた。目の前で止まり、耳元に顔を寄せる。
「シオンちゃんの運命の王子様も案外近くにいるかもね」
「?」
一歩後ろに下がるアンズさん。その顔には薄く笑みをたたえていた。
どういうことだろう? と首を傾ける。
私の知り合いに男性の王族なんてゼラニウム様くらいしかいない。いや、まさかゼラニウム様が私の王子様? まさか、まさかね……?
要領を得ない私を見て、アンズさんは呆れたように溜息をつく。
「誰かにお礼、言わなくちゃいけないんじゃないの?」
「マーガレットちゃん!」
純白の髪の少女に目配せをした。そう言えば、ゴブリンから助けてもらった時のお礼をまだ言えていないんだった。走り出す。
「マーガレットちゃーん、ありがとう! 大好きー!」
「シ、シ、シオン⁉︎」
抱きつく。胸に顔を埋めた。ダンジョンから帰ってきてまだ着替えていないから、鎧に頰を付けているだけだけど、ひんやりして気持ちいい。
マーガレットちゃんの顔が真っ赤に染まっていく。いつも格好いい彼女では見たことのない顔になってしまった。
「シオンの……、シオンのバカー‼︎」