第13話
岩壁に囲まれた迷宮に足音が反響する。
微光を反射するナイフを握り締めて、私は息を切らす。
一直線に伸びる通路の先に、緑色の背中が見えた。
6階層に生息する人型怪物、ホブ・ゴブリン。
進路上に立ち塞がる敵を見据えて、私は狙いを定める。
『……?』
背後から近付く私の気配に気付いた二足歩行の怪物。
その場で振り返ろうとする濃緑色の太い首を、ナイフで切り裂いた。
切り口から噴出する赤い液体。体勢を崩した上半身から噴き出た血液が、壁や床に撒き散らされる。
白い衣服が汚れることを気に留めず、私はモンスターの死体の横を駆け抜けていった。
王子様との食事中、レストランから飛び出した私は友人と離れ離れになったこの6階層で人探しを行っている。
「ああああああああぁ!」
通路に叫び声が響く。
この階層のどこかにいる白髪の友人を捜すように。あるいは周囲のモンスターに私の存在を知らしめるように。
分かれ道の先を覗き見るが、そこに人の姿はない。
涙で視界を歪める私は当てもなく走り続けた。
愚鈍、愚劣、愚弱、愚図、愚昧、愚挙、愚見、愚行、凡愚、庸愚、迂愚。
自分を罵る言葉を燃料に変え、薄暗い岩窟の中を駆け回る。
私のせいで、仲間達は不幸な目に遭った!
愚か者のせいで、マーガレットちゃんはモンスターに食い殺された‼
限界を超えて疾駆する体。しかし自らを責め立てる罪悪感が、走行を中断することを許しはしない。
朦朧とする意識で行う驀進の果て、やがて何もない行き止まりで足を止めた。
冷たい石の壁に手を当てて周囲を見回す。
無我夢中に走り続けて辿り着いた場所は、袋小路の小さな部屋。私が通ってきた通路以外の道が存在しない終着点だった。
走るのを止めた結果、僅かに冷静になった思考回路で自分の今の姿を見下ろす。
モンスターの返り血や土埃で買ったばかりのワンピースが無残な姿になっている。手あたり次第襲い掛かったモンスターから反撃を食らった私の体も、生傷が至る所にある。
回復薬を持ってきていない私は、痛みを我慢して体を反転させた。先程見つけた分かれ道から別の部屋へ進むため、一度通った通路を引き返す。
部屋の中ほどにまで歩いて移動した後、自分の体に縫い付けていた視界を前に向けた。
「……!」
マーガレットちゃんの顔を思い浮かべもう一度走り始めようとした私は、頭上から落ちてくる石の欠片に気が付いた。
顔を振り上げ、天井を見る。
地面に積みあがる石の欠片の直上、光を降り注ぐ石の天井に黒い亀裂を見つけた。
更に、一つ目の亀裂から少し離れた場所、私を前後で挟むようにもう一つの亀裂が石の破片を落とし始めた。
頭上を見上げ、様子を窺う。
やがて、少しずつ大きくなっていく二つの罅から、黒い影が吐き出された。
ドサリ、と音を立て地面に落下する。
生まれたてとは思えない確かな足取りで立ち上がったそれらは、影ではなく実体を持った生物。
『シャドーウォーリア』。
身長は、一四○C程と小さい。細く伸びた腕の先にあるのは、敵を屠るための鋭い爪。黒く塗り潰された全身が、薄暗い6階層の景色と同化して、保護色のように働く。
暗闇から奇襲し爪で突き刺す戦闘方法から、冒険者に付けられた異名は『迷宮の暗殺者』。
外敵を捉えた二体のシャドーウォーリアが音も無く駆け出す。
逃げ道を塞ぐように迫る相手に対し、私は前方のシャドーウォーリアと距離を詰めた。
二体の敵と同時に戦って私に勝機はない。
後方の一体から距離を取って、一体ずつ相手取る。
前方のシャドーウォーリアと接敵する。
「うっ……!」
私に向けて突き出される黒腕を、左手で捕まえた。細長い腕は見た目通り膂力は低い。
捕縛した怪物の胸に逆手に握ったナイフの刃を突き刺した。
黒い体表から血が溢れ出す。魔石は破壊していない。
ナイフを引き抜いて、もう一度突き刺す。
「あああああっ!」
体に走る激痛を叫び声で誤魔化しながら刺突を何度も繰り返していると、シャドーウォーリアの体から力が抜けた。黒い体躯が灰に変わり崩れ落ちる。
すぐさま後方へ振り返る。
もう一体のシャドーウォーリアが目の前まで迫る。最初の敵を倒すのに想定以上に時間がかかってしまった。
接近する相手に向けて、咄嗟に左腕を突き出す。
体を回転させる勢いをそのままに、真っ黒な怪物の顔面に拳が突き刺さる。
突き飛ばされた漆黒の細身。
背中から地面にぶつかり動かなくなったモンスターに、私はナイフを向ける。
線が見えた。
シャドーウォーリアの弱点とナイフの刃先を繋ぐ灰色の線がはっきりと見えた。
まだ生きている敵を殺すため、線の誘導に従い、私は大の字に寝転がるモンスターへ歩み寄る。
気を失い胸部を晒すモンスターに狂刃を突き立てた。
灰の山が崩れ落ちる。
モンスターの死亡を確認した私は、体の向きを通路へ向けてこの部屋から出ようとする。
その時、視界が地面に向かって激突した。
全身を石の床に打ち付けてしまう。立ち上がらせようと動かす体に力が入らない。
脇腹に左手を伸ばすと、ねっとりとした液体が掌を赤く染め上げた。
出血多量。
一体目のシャドーウォーリアに腹を抉られていたのか。
下がり始める体温。苦しい呼吸。
自分が死の淵に瀕していることを理解した私は、生きることを諦めた。
これでマーガレットちゃんの所に行ける。
私は目を閉じて、冷たい安息に身を委ねた。




