第12話
「王子様、このワンピース似合っていますか?」
ギルドのシャワー室を利用して体の汚れを洗い落とした私は、新しい服に身を包んだ。
装飾も刺繍もない白のワンピース。
今日の午前中、ダンジョン探索を始める前、迷宮広場にある服屋で友人と一緒に購入した服だ。
ダンジョンに足を踏み入れる前に、この服はギルドの受付嬢に預かってもらっていた。探索に不要な物だから、とバックパックに入れなかったことが図らずも良い結果になった。
王子様にワンピースの全身を見てもらうため、右脚を軸に一回転する。遠心力でスカートの端がふわりと浮き上がった。
「シオンちゃん、可愛いのです」
「お、王子様……」
新品の衣服を纏い、心を躍らせる私を見上げていた王子様は、私の顔を見つめて笑った。
予想していなかった返答に私は動揺してしまう。
王子様に満面の笑みで「可愛い」なんて言われると、勘違いしてしまいかねない。
顔を赤くする私に対して、王子様は小さな右手を差し出してきた。
「シオンちゃん、どこで晩御飯を食べるのです?」
王子様が言う通り、私達はこれから食事をとる。そのために体を綺麗にして新しい服に着替えた。
食事をする場所は決めてある。
差し出された掌を優しく握り返す。折れてしまいそうなほどに細い腕。この右手がダンジョンで数多のモンスターを屠ってきたと言われて納得できるだろうか。
ギルドの建物から外に出て、目的の店を目指す。ワンピースから伸びる四肢を、夜風が冷たく撫でた。
甘い花の香りが鼻孔をくすぐる。
隣を歩く王子様から視線を外し、上を向く。
無限の星が散りばむ空を、厚い曇天が支配している。もうすぐ雨が降り始めるだろう。傘は持っていない。手短に食事を終えて、濡れる前に王子様を帰してあげたい。
迷宮広場を横断して、一つのお店の前で足を止める。
店の外観は、レストランというより喫茶店に近い。
このお店は、今朝、迷宮広場で会った女の子が働いている店だ。
把手を掴み、扉を引くと、カランコロンと鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ~。あ、シオンさん、来てくれたんですね」
見覚えのあるエプロン姿の女の子が出迎えてくれる。
「オンシジュームちゃん、来ちゃいました」
今日の朝、迷宮広場の石畳に転がっていた黄色の髪の女の子。お店に行く、という約束を早速叶える形になってしまった。
こちらに駆け寄ってくるオンシジュームちゃんは、私の隣に立っている男の子に気が付いた。
「可愛い。王子様ですか?」
膝を折るオンシジュームちゃんに対し、王子様は右手の人差し指を頭上に掲げる。
「お母様は言っていた。僕の名前は、デルフィニウム・ステイメン。ブロッサム王国第一王子だ、と」
「か・わ・い・い」
王子様を抱き締めるオンシジュームちゃん。
周りの人達が二人の姿を見ている。
……私も王子様を抱き締めたい。
自己紹介を終えた王子様と私は、四人掛けのテーブルに案内された。私と王子様は向かい合った席に着く。
「オムライスが食べたいのです」
「私はミートソースパスタでお願いします」
「すぐに持ってきますね」
私達の注文を受けて、オンシジュームちゃんは店の奥へと走っていく。
エプロンを揺らす後ろ姿を目で追いかける私は、そのまま喫茶店の様子を見回した。
店内には冒険者の装備や鎧を身に着けた客が多い。迷宮広場に建っているだけあって、ダンジョン探索帰りの冒険者が空腹を満たしに来ているのだろう。
それから、食事を運んでいる店員も、テーブル席から見える厨房で調理をしている料理人もほとんどが女性だ。ひょっとすると従業員に男性はいないのではないだろうか。
店内は静かで落ち着いた雰囲気。椅子やテーブルは全て木製のものに統一されている。
このお店なら王子様と一緒に食事を楽しめそうだ。
「シオンちゃんとダンジョン探索をするの楽しかったのです」
私の名前を呼ぶ王子様の声に反応して視線を元に戻す。
予想外の言葉に驚く私には構わず、王子様は言葉を続けた。
「明日も一緒にいてほしいのです」
「……はい。わかりました、王子様」
正式な仲間になったではないけれど、目標である【レガリア】加入に大きく近づいた。
できればマーガレットちゃんも一緒に……。
ここにはいない友人のことを考える。可愛い王子様と仲良くなったよ、と言ったら驚くだろうか。
「私もお喋りに参加していいですか?」
私達が会話をしている最中に、オンシジュームちゃんがテーブルまで戻ってきた。注文した食べ物を卓に置いて、王子様が座る長椅子の隣に座る。
「お仕事はいいんですか?」
「はい。私以外にも働いている人はいますし、それに可愛らしい王子様に常連客になってもらいたいですから」
ちらりとオンシジュームちゃんが目配せをした方を見ると、他の席で食事をしている女性客が王子様を見ながら会話を弾ませていた。
そして卓上にある二枚の皿の横に飲み物が入った木製の容器が置かれる。
「それから、これは今朝助けていだたいたお礼です」
黄色の果実飲料。店の照明を反射して黄金に輝いている。
お礼を受け取るつもりなんてなかったけれど、王子様にも渡すなら受け取ろう。
王子様はオムライスをスプーンで掬って頬張る。よほどお腹が空いていたのだろう。口の周りにケチャップが付いてしまっている。
私はコップへ手を伸ばして、口元まで運んだ。
蜂蜜と林檎の甘い液体。後味の僅かな柑橘類の酸味で飲みやすくされている。
「王子様もダンジョンでモンスターと戦っているんですか?」
私達が食事を始めると早速、オンシジュームちゃんが王子様に尋ねた。
「僕は強くならないといけないのです」
少し前、ダンジョンの中で私が同じ質問をした時と同じ答えを王子様は返す。
「それはどうしてですか?」
そして、あの時とは異なり邪魔者がいない今回は、オンシジュームちゃんが質問を続けた。
「お母様は言っていたのです。僕は英雄になる存在だ、と。僕は英雄になってお母様を守らないといけないのです」
まるで御伽話の主人公のような台詞を王子様は発する。
ただその言葉が、英雄に憧れる男の子が言った夢物語、なんて可愛らしいものではないことを私は知っている。
本気なのだ。
目の前にいる小さくて幼い人物は、本気で英雄にならなければならないと思っている。
シャワー室で見た王子様の背中がその証拠だ。
「英雄さんですか……」
ダンジョンでの王子様の戦闘振りを知らないオンシジュームちゃんに、真意が伝わっているだろうか。
彼女は頬に手を当てて言葉を続けた。
「そういえば、明後日には『英雄祭』っていう祭りがあるんですよ」
まるで王子様の言葉を聞いて思い出したように、新しい話題について語り始める。
曰く、『英雄祭』とは、年に一度ギルドが主催となって行われるお祭りらしい。大通りには屋台が並び、都市の北西にある闘技場では冒険者による劇が行われるんだとか。
一年間で一番活躍した冒険者を『英雄』と称え表彰することが名前の由来。
冒険者が多い迷宮都市らしい催し事だと、話を聞きながら私は考えた。
つい一ヶ月前にこの街に来たばかりの私は、初めて知るお祭りに胸を躍らせてしまう。
王子様と、マーガレットちゃんと、三人で屋台を見て回りたい。
この場所にいない友人のことを考えて、少し寂しく感じた。
「今は、白い髪のお友達は一緒ではないんですね」
今日の朝、私と一緒に行動していた女の子を知っているオンシジュームちゃんは、当然の疑問を抱く。
「……ダンジョンの中で逸れてしまって。もう地上に帰っている筈ですけど」
今は宿舎で休んでいるだろう、というのが私の考え。
もし、部屋にいなかったら、一人でマーガレットちゃんを探さないといけない。
銀食器を手に取って、トマトソースと挽き肉を混ぜ合わせた麺料理を巻き取る。口元を汚さないように気を付けて、行儀よく食べる。
「美味しい!」
「えへへ、そうですか。店の料理は全部店長が作っているんですよ」
オンシジュームちゃんは嬉しそうに声を上げる。
彼女が見ている厨房の方を向くと、金髪の女性がフライパンを振るっていた。
あの人が店長だろうか。背が高くて、随分若いように見える。
「王子様、ジュースを飲んでください」
一心不乱にオムライスを頬張る王子様に、オンシジュームちゃんはコップを渡す。
その時、カランコロンと鐘を鳴らして店の出入り口の扉が開けられた。
店内へ入ってくるのは、武装を身に纏った複数の男性。冒険者だ。
扉の近くにいた店員が彼らに近づく。
「弱そうな冒険者がたくさんいるなあ!」
店の中を見回した男達の内の一人が、わざとらしい大声で侮蔑の言葉を放った。
男の言葉を聞いた食事中の客の雰囲気が、一斉に殺気立つ。
だが、自分達に向けられたあからさまな挑発に反応する者はいない。
男達と喧嘩をして無事で済まないと考えたのか。あるいは店の迷惑になることをするべきではないと自制しているのか。
私の場合は、自分が弱いことを自覚しているから腹を立てることがなかった。
席に着いた男達は注文を伝え、困り顔の店員が店の奥へ消える。
料理を待っている間も彼らは、店中に聞こえるような声量で下卑た笑い声を響かせる。
「冒険者の中にはああいう横暴な方も多いんですよ」
一連の出来事を横目で見ていたオンシジュームちゃんは、私が知らなかった冒険者の一面を教えてくれる。
気性が荒い人が多いことは知っていたけれど、初めて経験する威圧感に委縮してしまう。
一方、王子様は興味なさげに食事に没頭している。
王子様のように無視した方がいいと理解しつつも、私は男達の会話に聞き耳を立ててしまった。
「そうだザクロ、さっきの話をもう一度聞かせてくれよ」
「ああ、あの6階層で全滅した新人共のことか」
彼らの間で流れる不穏な単語に、私の意識は完全に引き寄せられる。
名前を呼ばれた男は、卓を囲む仲間達に彼がダンジョン内で見た出来事を語り始めた。
「6階層の移動中、怪物の行進で逃げ回っていた餓鬼共を見つけてな、どうなるかと見守っていたんだが」
6階層、怪物の行進、新人冒険者、全滅……。身に覚えのある言葉が一つの文章へと繋がっていく。まるで自分が騒動の渦中にいたかのように、明確な光景を想像しながら。
「お前は見ていただけかよ」
「助けるわけねーだろ。それでよ、パーティから遅れた女が仲間を見捨てて逃げ出したんだ」
客観的に見た女の行動を、男は批判的な言葉で表す。
そして、女が知らない出来事の結末が男の口から吐き出される。
「残された奴らは全員モンスターに食い殺されたんだぜ」
ドンッ、と木の板を叩く音が鳴った。
対面の席に座る王子様とオンシジュームちゃんが驚いた表情で、立ち上がった私を見上げている。
二人の視線から逃れるように私はテーブルから離れた。
「シオンさん⁉」
「シオンちゃん‼」
二つの声を背中で受け止める。
振り返ることはせず通路を一走り。嘲笑を我が身に浴びながら店の出入り口へ。
視線を床に縫い付けたまま、行く手を塞ぐ障害物を右手で押し開けようとする。
だが扉の開閉を知らせる鐘の音は、私以外の人物によって鳴らされた。
店に入ろうとする新しい客だ。
「おおっと⁉」
「デンドロビウム、危ない」
ぶつかりそうになった相手の顔を私は見ようとしない。
四本の脚が道を開けたことを確認して、私は店から飛び出す。
外は雨が降っていた。
濡れることも構わず、石畳の広場を駆ける。
「ぁああああああああああッ!」
激しい雨音が腹の底から湧き上がる叫び声を掻き消してくれた。
黒く燃える激情に突き動かされ目指すのは、ダンジョン。親友と最後に逸れた6階層へ。
自らの意志で、再び死地に身を投じた。




