第10話
厚い雲が夜空を覆い、雨粒が建物の屋根に当たり音を奏でる。
ダンジョンから帰還した冒険者達が酒場で騒ぎ始める頃——。
『迷宮都市』を管理する組織の中枢、ギルド本部は終業時間を過ぎてもなお魔石灯の明かりで照らされていた。
「アーンズ、仕事終わったー? 一緒に帰ろー」
ギルド本部の職員室。制服姿の職員が各々の仕事をしている部屋の中で、杏色の髪の受付嬢は仕事仲間から声をかけられた。
話しかけられた少女は手に持っていた書類を机に置いて首を捻る。椅子の後ろに立っていたのは、桃色の髪の受付嬢だった。
「私が一体誰を待っていたと思っているのかな」
「ま、待たせた……?」
笑みを引きつらせる桃髪の受付嬢に対して、同じ制服を着た杏色の髪の少女は小さく微笑んだ。
「ううん。私もやらないといけないことをしていただけだから。モモ、一緒に帰りましょう」
そう言って、机の下からカバンを取り出す。
机上の整理を始めるアンズをよそに、同僚は机の上の書類を一枚手に取って目を通した。
「これって、6階層に関する冒険者からの報告書……?」
上司から任された仕事を終えたアンズは、同僚が声をかけてくるまでの間、新人冒険者の担当官としての作業をしていた。
「そう言えば、今日はゴブリンちゃん達来なかったね」
モモは、アンズが指導している紫髪の新人冒険者の愛称を声に出す。
ゴブリンちゃんというのは、一日に二度最弱モンスターに負けたとある少女に付けられた渾名である。毎日ギルド本部にやってくる彼女の姿は、担当官以外の職員にも覚えられてしまった。
アンズは、モモが読んでいた紙を奪い返す。
「初めての階層に行ったばかりだから疲れているのよ、きっと」
自身が担当している新人冒険家を心配するアンズは、自分に言い聞かせるように考えを述べた。
整理した書類を鞄に入れる。作業の続きは宿舎に帰ってから行うつもりだ。
「白い髪の女の子は凄く強いんでしょ。だから大丈夫だよ。その娘は珍しいスキルとか発現したの?」
「……」
不名誉な愛称を付けられた荷物持ちの女の子がギルド職員の間で有名になったように、彼女といつも一緒に行動している剣士の少女も知れ渡っている。
荷物持ちの少女が生き残れているのは、パーティメンバーの女剣士の戦闘能力が優れているからだろう、というのがモモを含めたギルド職員達の考え。
椅子から立ち上がったアンズは、同僚からの質問に答えない。
厳粛なギルド職員であるアンズは、相手が同じ仕事場で働く友人であっても個人情報に関しては口を閉ざす。
ただし、心の中で彼女達の考えは誤りだと指摘した。
アンズが面倒を見ている二人の新人冒険家の【ステイタス】は、似たような速度で成長を続けている。身体能力に差異が無ければ、特殊能力にも目覚めていない。
職業の違いこそあれ、二人は同じような活躍ができるはずである。
そもそも【ステイタス】によって身体能力を強化された冒険者がゴブリンなんかに後れを取るはずがない。
それでも荷物持ちの少女が足を引っ張ってしまうのは精神的な原因があるのではないか、とアンズは考えている。
「お先に失礼します」
上司に帰宅の旨を伝えて、アンズとモモは廊下に出る。
二人が居なくなった部屋の中では、残された職員達が仕事を続けていた。彼等は二日後にギルド主催で行われる祭りの準備に追われているのだ。
祭りが終わるまでの期間、通常業務と並行して祭りの運営をしなければならない。職員達は激務となるだろう。アンズとモモにも少なくない作業が割り当てられている。
「暇ができたら、二人で屋台を見て回ろうよ」
とモモが言う。
隣を歩くアンズは、「仕事が終わったらね」と同僚の提案を快諾した。
「そう言えば、明日は紅蓮王子様がダンジョンから帰ってくるんだよね?」
モモは、『迷宮都市』でも屈指の実力を持つ冒険者の名を口にする。
地下深い階層の攻略を目指す冒険者は、数日間に渡ってダンジョンに潜り続けることがある。
明日は、【炎の国】の第一王子が、共に58階層へ赴いた部下を引き連れて地上へ帰還する予定の日だ。
恙なく地上へ戻ってこれれば、紅蓮王子も祭りを楽しむことができるだろう。
そこまで考えたアンズは、自身が指導している新人冒険家がダンジョンで紅蓮王子と遭遇する可能性に気が付いた。
戦闘能力もさることながら、【炎の国】の第一王子は飛び切りの美形だ。
王族との出会いに憧れている彼女にこのことを教えれば、大喜びでダンジョン内で出待ちをするだろうと笑みを溢す。
だから明日は朝早くに私の所に来い、とここにはいない教え子に思いを馳せた。
大広間を横断して玄関に辿り着いたアンズとモモは扉を開ける。
外から入ってくる冷たい空気が二人の肌を湿らせた。
雨が降っている。
今晩中には止むだろうが、決して弱くはない雨脚が二人の会話を掻き消そうとする。
「ごめん、アンズ。私、傘持ってくるの忘れちゃった」
「今日の天気予報は雨だったでしょ」
「どうせアンズと一緒に帰るから気にしなくていいかな~と」
学生時代から友人だったアンズとモモは、ギルドが管理する宿舎で相部屋をして暮らしている。モモが「一人で生活するのが不安だから」と頼み込んできたのが理由だった。
つくづく他人任せな同居人に溜息をつきながら、アンズは傘を開く。
「いいわよ。入りなさい」
「うん」
モモは制服を濡らさないように、傘の中で体を小さくする。
二人は肩を寄せ合って雨の中を歩き出した。




