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A4

日本一まで、あと6285話

   一


 俺は心理学は相対的なものと考えているので、精神医学というものも、ほとんど相対的で基準を変えれば全く違ってくると思っている。

 E先生もその認識があって、『治療するには、患者自身の観点から障害を取り除かなければならない』というようなことを言っておられた。「多くの患者について、治療と言う考え方は不適切」とも言い、治療や矯正ではなく、共に特殊化された道を歩むことを基本とするE先生の考え方では『普遍的な道から外れている』という考えを一切放擲している。

 だから、俺はE先生に対しては親愛感を覚えた。会話が苦痛にならなかったのだが、会った当初は俺も緊張しており、早く終わらせたいと思っていた。

 会った瞬間のことだが、まず、親が頭を下げて、E先生も頭を下げて、自己紹介した。それから、俺のことをよく知っていたためか、E先生は、相手を見下すような質問、たとえ、見下さなくても、いかにもおかしい人間を扱うような傲岸さは一切なく、「現在、このような治療法があるのだが、これについてはどう思うか?」という話を持ち出してくれた。だいたい、患者というのは、相手が見下していないと思っても、わずかな態度で見下しているかいなかを悟ってしまう。多くの精神病をわずらっているものは悟りを開いているような感がある。『普遍から脱落した者を矯正する』とかかっては、重度の患者には効果がまるでない。重度の患者は思考力が極めて高くなっているケースがあるから、小手先の技術ではまず操作出来ない。

 E先生の場合、そのようなことがなかった。打ち解けやすかったので、会話が続いた。一時間もすると、「英語がダメだった。もう少し英語が出来ていたら国立の医学部を受けていたかもしれない」などと他愛もない話をするようになっていたのだが、「僕は文系科目の一切を勉強したくない」などと、俺も返すようになっていた。

 自分の場合、人の前では『僕』と自分を称する。最も和平的な呼び方だと思うからだ。ちなみに治療と言っても、「その能力をぜひほしいと思っている」ということから始まった。

「やってみたいとは思うが、人前に出られるか分からないし、マニュアルには従いたくない。自分が間違っていると思うことにわざわざ従いたくない」と俺は言った。

「アドバイザーから始めるのはどうか?」「どのような仕事なのか?」「事務のようなものだ」とE先生は言う。だが、俺にとって、外に出ること自体が難しく、「なかなか決心がつけられない」「それほど慌てる必要はない」ということで、治療が終わったのだけれども、俺はほとんど腹を立てることもなく、魅力的な治療法だと思った。以前、ネットで言っていた患者の記録では『見下されている感じで激しい怒りを覚えた』とかそういうものがあったが、E先生の場合、そういうものとは違っていた。

 それから、定期的に治療を受けたのだが、行うことは会話そのものである。「今、教室で不安な子がいる。小学四年生の女の子だけれども、自殺未遂を何度も繰り返していた」とE先生が言ったとき、俺はその子のことが詳しく知りたくなった。小学生時代に自殺を実行しようとすること自体、異常だが、教室には来ているという点が非常に複雑な事情を表現している。

「どんな感じなのか?」と訊くと、「家庭はごく普通だが、教室では一人でいることが多い。自分が担当ではないので、詳しいことはよく分からない」「ぜひ、お目にかかってみたい」「一度見に来てほしい」という話になった。

 結局、それからしばらくは行くことがなかったのだが、年が変わった頃に、その場所を訪れることになった。

E先生が送ってくれることになったのだが、「車や乗り物が苦手だ」と俺は言った。

「電車はどうだろう」「あまり気は進まない」「歩いていくには遠いね。自転車でも半日仕事だよ」「日がかかっても、自らの運転で行きたい」と俺は自転車を持ち出した。A市まで自転車で行こうと思えば、約五十キロの道のりを進まなければならない。それでも、俺は自転車でそこを訪れることにした。

 E先生も自転車を積んでやってきたので、俺はわずかに苦笑した。「これでも、若い頃は陸上部で10000メートル走をやっていた」と言っていた。

 田舎から一転して、都会に変わるまで、自転車をこいだ。ところで、そこですれ違った人はやはり俺に恐怖を与えた。ただすれ違うだけで恐怖を与えられる。俺の立場に立ったとき、ほぼすべての人間が『人間を苦しめている』ことになる。人間の罪は絶対的ではなく相対的だと思う。ある罪がある人を不幸にしても、ある人にとっては幸福かもしれない。すべての行動は『罪のレベルで対等』だと思う。素晴らしいと称される行為も犯罪も『等価で、人間の価値を決定するレベルの話ではない』ということになる。とはいえ、『人間の配下』では法律が絶対的定義なので、それに従う必要がある。おれ自身、『ほとんどの法律には納得できる』ただし、納得できない法律がわずかながら存在する。俺が最も好むのは『和平』であり、俺の辞書的意味は『すべての人間が生きるうえで、チャンスが失われない』ことだ。つまり、人を傷つけたりする行為は明らかにチャンスを失わせる行為なので、和平に反する。逆に、自ら選んだ道で怪我をしても、チャンスを損なったのではない。だから、自ら「この会社の入社を志願する」と言っておいて、後になって、残業手当を出す出さないなどで、裁判を起こすのは馬鹿げている。残業には手当てを出さなければならないという法律は馬鹿げている。なぜなら、これは自らが志願して入った会社だから、与えるエサやノルマはすべて会社側が決めてもいいはずだ。つまり、十六時間勤務などを会社が決めてもいいわけだ。ただし、そういうことをすると、会社に入る人が少なくなるから、会社側もある程度は考えなければならない。要するに、会社の仕組みは創立者が好きに決めればいい。そこに志願者はその仕組みを見て、入るか否かを決めればいい。

 それを、残業手当は出さなければならない。労働は八時間までなどと、勝手なことを法律で決めなくてもいいわけだ。とはいえ、社会の安定化の観点からすれば、それもやむを得ないとは思うが。労働を義務付ける点もおかしい。労働をしなければお金が入らない。そのあたり前の論理で問題ないわけだ。

 例の教室があるのはかなり高地で、そこは農家がたくさん広がっていた。俺はどんなところかと思ったが、旧型の幼稚園のような場所だった。グラウンドもあるが、かなり小さい。

 E先生は「話を通すので、来てほしい」と言い、そこに勤めている人たちに紹介された。七人ほどいたので、俺はかなり緊張してしまい、「見学をさせていただきたい」と答えるだけに留まった。だが、そこにいたM先生も非常にいい人だった。五十四になるという。M先生は女性で、不登校の子供、引きこもりの息子を抱えているという。俺の見学の付き人になってくださった。

「不登校などは意図的に立ち直らせることは不可能」とM先生は言っておられた。「僕もそう思います」「どれだけ深く観察しても、子供のことは分からない」と弱音を吐いておられたが、それが現実だということなのだろう。

 こういう場に出された子供はだいたい自我を封印させようとする。そして、大人の観点から見れば、よくなってきたように見える。だが、実際、心の中ではとても大きな憎悪や怒りを溜め込んでいるかもしれない。

 そういうことが怖いとM先生は言っていた。「こういう場では外面と内面は全然違ってくる」「生徒はどんな感じですか?」と訊くと、「最初だから」と言って、ニワトリ小屋に連れていってもらった。三人の子供がニワトリを世話していた。

『社会の色々なものと関わっていく』ことを主眼にしているらしい。ニワトリの飼育はその一貫らしい。このニワトリは家畜業者から授かったもので、実際、その家畜業者に言って、アドバイスを受けてくるらしい。それが社会とのコミュニケーションになるのだろう。それが社会見学の一貫らしい。

肝心な子供たちだが、俺はかなり会いづらかった。

「何となく帰りたい気持ちになってきました」と言うと、「見るだけでも」と言われ、ついていくことにした。

 俺としては顔は合わせたくなかった。一昔前は『エイリアン』とも言われた顔だ。この時点では強力な特効薬を手に入れていたので、にきびはかなり癒えていたが、数年に渡って、世界でもトップクラスのにきびを患っていたので、痕はまず消えない。いたいけな子供が見たら逃げ出すかもしれない。

 そういう心配も一瞬にして消えた。というのは、三人の子供のうち二人は女の子で、頬から鼻の下にかけて、火傷が闡明な少女、目に消えることのないアザを作っていた少女だったからだ。後で、M先生に聞いた話では「火鉢で火傷を負った。アザは犬の引掻き傷だ」という。引掻き傷は大きく化膿して、命に関わったほどだという。

 そのような少女が二人もいたので、俺は驚きのほうが強くなった。少年もいた。その少年はとても痩せていた。「顎が動かしにくい障害があって、食べ物もほとんど食べられない」とM先生は後で教えてくれた。

 この三人は違う学校の生徒で、『不登校生徒を持つ親の集い』を経由して、ここに入ったらしい。恐らく、傷や障害のコンプレックスからの不登校だろうと推察した。

 俺自身、経験があるので、こういう場合の苦痛はよくわかる。こういう者たちを相手にするには、例えば顔に傷がある者に対しては、『まるで傷がないかのように接する』ことが最も重要だが、俺の経験上、それを認識しているものは『全体の約二割しかいない』。当然なことだが、傷は『傷そのものがダメージなのではなく、傷を見る側、すなわち、外部からの評価が苦痛なのである』だいたい、どれだけ辛いかは本人が一番よく知っている。触れてほしくない点だ。それをわざわざ、指摘する者は馬鹿だ。頭がおかしいとしかいいようがない。本人は最大限の治療をしているつもりだし、少なくとも、馬鹿な奴らより、問題に関する知識もあって、実践もしている。それをわざわざ指摘するのは『他人を傷つける』ことに同じで、立派な『傷害の罪』だ。だが、目に見えるダメージは障害になても、精神的ダメージは無視される。だから、『精神的ダメージは恐ろしい』のだ。

 数々の傷害を受け続け、それでも耐えなければならないのだ。それだけで立派な『チャンスの妨害』になる。

 このようなことで、恐らくは学校はもちろん人間社会自体を敬遠するようになり、かなり厭世的になるのは自然なことだ。

 俺はニワトリ小屋の前で彼らと出会ったので、かなり意表をつかれた。何とか出来る論理は持っているつもりだったが、実践と机上では全く異なることを思い知らされた。実際に人を相手にして、俺はかける言葉を失っていた。M先生は簡単に話しかけている。

 少女たちに悲壮感とかは全くなく普通にしていた。俺はようやく言葉を考えて、

「ニワトリの飼育方法を知りたくて来たんだ。一通り教えてくれないか」と言った。少女たちは突然の訪問者に驚く風もなく、エサを与えるところを実践してくれた。

「ほうきで掃除をするんだよ」と言って、ほうきを持ってきて、俺にも渡してくれた。

「勝手に入っては鶏が怒らないか」と言うと、「さっちゃんは優しいから大丈夫」だと言う。何となく冗談で言ったのだが、少女は十分についてきたので、俺は感心していた。さっちゃんというのはニワトリの名前らしい。とさかがどこか変わったニワトリだった。

「おじさんはだあれ?」と訊いて来るので、「見習いに来たんだ」と答えた。しかし、俺はまだ二十代前半だ。おじさんということは、俺はかなり老けているのかもしれない。だが、俺をごく平凡に扱っている。俺からすれば「俺が高校生だった頃の他の連中よりしっかりしている」ように思えた。社会的な能力では俺より十分程度が高いだろう。

 俺も負けじと、ユニークな言葉を考えたのだけれども、それを少しも言うことが出来ず、ほとんどM先生に任せていた。

 俺にとって、人と接することはたとえ、子供であっても、とてつもない難問題だった。俺は結局何も言わなかった。少女などは実によく働き、実によく発言している。すごいと思ったが、このような子が不登校になる日本がとてつもなく恐ろしいところに見えた。戦争はないが、全体を総合して、和平のレベルを考えると、どの国にも勝るとも劣らないほど平和ではない。人間とはそういうものなのだろうか。そう思うと、悲しくなって、社会に絶望してしまった。

 ニワトリ小屋の掃除が終わったら、俺はM先生と職員の部屋に戻ったのだが、用事に出ていて、二人しかいなかった。俺は話をすることになったのだが、

「色々な話を聞きたい」と言われて、俺は何を話せばいいのかわからなくなった。メールで文字を打つのなら、かなり話が出来るが、人前では言葉がうまく紡げない。抽象的な言葉でしか話せなかった。『子供は外面と内面で異なる』ことなどを言ったが、要領を得ることが出来なかった。正直帰りたかった。

 例の四年生の生徒に会いたかったが、俺は逃げ出すように帰ってしまった。道が分からないので、校門のところで、E先生を待っていた。

 人を前にすると、自分は何も出来なかった。特に子供より、しっかり出来ていないことがよく分かって、俺はショックを受けていた。実践では机上の論理は一切通用せず、場の空気を考慮しながら、子供と会話をするにはかなりの技術が必要だと思った。

 俺には到底出来ず、E先生に「この仕事は自分には向いていない」と言った。PCの前でしか、冷静になれないのだから仕方がない。

「最初は誰もそんなもの」だとE先生は言っていたが、子供と向き合う場でそのようなことは許されないと思う。


 それからの俺は家に篭っていたのだが、また来てほしいという依頼をメールで受けた。「とても無理だ」と言うと、「算数の授業をやってみないか」と言われた。多くの教師より教える技術はあるつもりだったから、興味はあったが、「教員の免許がない」「教員としてではないので大丈夫」と言われた。だが、論理を重視する俺の教え方が子供にも対応出来るかどうかは不明だ。それ以前に、外に出ることがかなり難しくなっていた。

「授業中は必要なこと以外は話さなくてもいい」ということなので、俺は「考えておく」と言った。

 十九日の算数で、『四年生に分数を教えてほしい。特に通分して計算する方法が苦手な者が多い』と言われた。通分の論理はしっかり確立していたので、ぜひやってみたかったが、

『唐突で返事に時間がほしい』と言った。

 俺は結局その話に乗ることにした。また自転車をこぐことになった。

「お手伝いとして生徒には伝えてある」ということだった。俺は通分や分数の分野を完璧にノートにまとめていたのだが、はたして、それを教室で披露出来るかは疑問だった。高校数学を教えるのであれば、俺の右に出るものは予備校の講師ぐらいしかいないだろうというぐらいの自信はあるが、算数はどうだろうか。それ以前に教室に向かうことがかなり厳しかった。

教室に着くと、担当の先生が「お願いします」と頭を下げてきた。俺も頭を下げて、「予習をしてきました。おかしなところや計算ミスはありませんか」とあらかじめ、授業で使うプリントを渡した。俺が小学生の頃は『通分とは分母を揃えて計算すること』とだけ習った。論理を重視する俺は「どうして、分母が一緒でないと足せないのか」と疑問に思っていた。理屈がないと納得できない人だった。そこを突っ込んでいる俺のノートはその先生には「丁寧ですね」と映ったようだった。

授業の打ち合わせをしたのだけれど、生徒名簿をまず見せられた。全部で八人もいるのだが、そのうち五人が女の子というクラスだった。

「麻衣子ちゃんは数学が得意で、美咲ちゃんは苦手だ」ということを聞いて、『佐伯美咲』という子が、例の自殺未遂を繰り返していた四年生ということが分かった。

 先生の理想では「特別授業だから笑えるようにしたい」ということだった。「自信はないですが頑張ってみます」と答えた。笑いなどは全く自信がなかった。


 教室に向かったのだが、入るなり、かなり教室が広く見えた。人数が八人だと、二人ずつ四列で済むわけで、後ろのほうが広い。しかし、子供の目は嫌でも俺に向くわけで、俺は子供の顔はほとんど見なかった。ほとんど何を言ったのか今では、もうわからなくなっているが、

「名乗るほどでもない旅人」と答えたのを覚えている。元気な少年――小山康平という名前だと後で知るのだが、その少年が「ドラゴンクエスト」だと言っていたのを覚えている。それでけっこう笑っていたのだが、俺は緊張していたので、それを言うのが限度だった。

 担当の先生がプリントを渡すのだが、俺はノートを凝視して、『分数をアメで教えるんだ』と心で繰り返していた。というのは、俺は飴玉を黒板に書いて、1/2=2/4=3/6などの論理を教えようと思ったわけだ。

 俺は下手糞な絵でアメを十二個書いたのだが、それだけで、けっこう笑っていた。

「十二個は一ダースというんだ」と言うと、「知っている」などと返ってきた。

 俺は子供に難しくならない言葉を考えたが、難しいことに気付く。分数は個数など分数表示できないものを扱うときは分母と総数に倍数的な規則がないといけないのだ。だから例えば十二個を五等分は出来ない。つまり、個数は整数でなければならないことをまず、生徒に示そうとしたのだが、生徒に分かるだろうか。アメの後にニンジンを例に出そうと考えていたが、ニンジンを先に出したほうが言いと考えて、

「アメは賞味期限が切れていた。ごめん」と言って消した。生徒は何となく笑っていた。ニンジンを書くと、また下手で、「先生、それ、大根」と言ってきた。俺は咄嗟に、

「僕は先生ではなく旅人」と答えて、「これはニンジン。今日の夕飯なんだ」と馬鹿げていると思いながら答えたのだが、意外と熱心に聞いてくれて、笑っていたので、俺は少し感動した。掲示板などでこんなことを書くと、呆れられるところだ。

 にんじんを書いたのだが、少し小さかったので、書き直した。

「あっ、大きくなった」と例の康平君が言って、また笑うことになった。

「これは明日用の高級品なんだ」と言うと、また笑いが起こった。それで、まず1/2の意味を示した。分母が1を何分割したものかを示すために、熱心に説明をしたのだが、康平君などはすぐに分かったのだが、他の者は何か難しい顔をしていた。1/3や1/4も示して、分母が分割して出来たニンジンの個数を言うことを力説した。

「だから、1/2=2/4なんだ」と、分割したニンジンが確かに同じ長さになっていることを力説した。どうしても分からない人がいた。恐らく、1/2と1/4の大きさをうまく理解していないのだろう。だから、1/4は1/2のちょうど半分だということを繰り返し教えた。

 ちなみにこれだけで二十七分ほどが経過してしまった。だが、どれだけ時間がかかっても、算数を感覚ではなく論理として捉えてほしかった。算数や数学を暗記にしたくなかった。大学受験ですら、標準程度と呼ばれる典型問題をマスターするだけで、私大ならどのレベルでも楽に合格点が取れるようになっているけれど、俺はそれが大嫌いだった。

 それで、ようやく論理的に5/7とか9/13の長さを捉えることが出来るようになった。もちろん、まだ納得のいかないものもいたのだが……。ところで、例の美咲ちゃんは一番前の二列目にいたのだけれど、あまりよく分かっていない様子だった。見た目は普通の可愛い子で自殺とは程遠いように見えた。たぶん、これ以上にないぐらい丁寧に教えたつもりで、これで無理なら世界最大の教える天才でも無理だと思った。

 算数の授業が終わって、「いつもより面白くてよく分かった」と意外と好評だった。その後、先生と話をしたのだけれど、「数学は得意だったのか?」と訊かれて、「得意ではないが、好きだった。問題を解くのは苦手だけれど、問題を作るのは好き」と答えた。俺は問題をてきぱきと解くのは苦手で、一問を長く考える。二時間ぐらい一問にかける。だから、簡易的なパズルのような問題を考えるのは苦手だった。

 それで、「定期的に算数を教えてくれないか」と言われたので、「構わない」と答えた。その後、子供たちを社会復帰させたいので、協力してほしいと言われたが、俺は人前に出るのはかなり厳しいので、「それは躊躇ってしまう」と答えた。

 たいしたことはしていないが、日当をいただいた。


 定期的に算数を教えると言っても、週に四時間もあって、全時間に出向くのは無理なので、二週に一度と言うことになった。

 俺は仕事をしたことになったのだが、そういう実感がなかった。仕事というのはつまらないものだと思っていたからだ。

 だが、俺は四年生の算数の教科書を取り出してきて、ノートにまとめ始めた。新課程になっているらしく、E先生に新課程の教科書を授かった。教科書はあまりに分かりづらい。これでは生まれつき頭のいいもの以外は、論理的に本質を生徒に教えられないと思った。別に社会で特に必要になる能力ではないのだが、せめて、感覚以上の理解を得て、少しぐらいは数学の深さを教えたいと思った。読み書き計算以外はまず使わない。分数なども社会ではまず使わない。面積などもまず使わないだろう。だから、意味がないのなら面白いほうがマシだ。

 今思えば、学問の大半は一部の者を除いて、あまり必要ではない気がする。必要だと言う者の論理を前に見たことがあるが、疑わしいものだった。

 そういうわけで、俺は『整数分野を教えたい』と思ったので、ガウスやフェルマーやオイラーの本を取り出してきて、それを算数に結び付けようと思った。ブルーバックスから出ている本を使って、うまく噛み砕くと、分数より簡単になったので、それをノートにまとめた。

 E先生とのメールも続いていた。「本格的にやりたい」というようなことを言うと、履歴書などを提出しなければならず、そうなった場合、県の者が俺に面接と筆記試験を課してくるらしい。また普通自動車免許が必要で、俺はあきらめていたのだが、E先生の計らいで、県のほうで、面接と筆記試験をして、その場で判定するという流れになった。

「教室は教育機関に属していないから、正式な免許は必要ない」らしい。そこで、俺は公民館で、面接と筆記試験をしたのだが、筆記試験は常識的な問題だった。

問 夏の平均気温が40℃になると、どのような問題が起こると考えられるか、ひとつの問題を挙げて、4行程度で対策等を答えなさい

問 死刑制度について、あなたの考えを4行程度で答えなさい。

 などで、他に三つぐらいあった。後三つは教育倫理に関することだった。

選択問題では数学を選択したけれど、易しめの問題だった。

問 三角形ABCがあり、AB=BCである。ABとBCをそれぞれ二等分する点をs(1)、t(1)とする。s(1)、t(1)を結び、s(1)とt(1)からそれぞれACに向かって垂線を下ろす。その点をx(1)、x(2)とする。すると、頂点を含めて、辺が交わっている点は7つになる。As(1)とs(1)Cの中点をそれぞれ、s(2)、s(3)とし、Bt(1)、Bt(2)の中点をt(2)、t(3)とする。s(2)とt(2)、s(3)、t(3)を結び、またそれらの点からACに垂線を下ろす。それらの点をx(3)、x(4)、x(5)、x(6)とする。これらを操作といい、一回目の操作では、辺の交わる点は7個、二回目の操作では辺の交わる点は22個となる。操作をn回繰り返したとき、以下の問に答えよ。(n=1、2、3・・・)

(1)xの個数を求めよ。

(2)辺の交わる点の個数を求めよ。

問 √(k^{2}+k)/10000が自然数となる偶数kを考えてみよう。

(1)kが16を因数に持つことを示しなさい。

(2)そのようなkのうち、最も小さい数を求めなさい。


と言った感じで、他にも二つあった。

 面接は、面接官が三人もいて、いきなり「公務員の面接試験がある日で、午後からも続きがある」と言ってきた。俺の面接はついでだった。ついでだから、精神鑑定のような質問ばかりだった。

「学校の目的」とか「いじめをどう思うか」とかそんな感じの質問だった。

 その場で採点されたのだが、筆記面接共に問題がないと判断されたらしい。それで、就職が決まったのだが、それでも、俺は実感がわかなかった。


 さて、就職が決まったといっても、最初は算数を教えることと、四年生の担当の先生の手伝いをすることだった。家にいることが出来ないので、E先生とA市の不動産をいくつも回り始めた。お金がないので、手頃なところが一日では決まらず、次の日にも及んだ。

「自動車の免許を取らなくても大丈夫なのか?」と訊くと、E先生は「資格や経験は不問だから」と答えた。それで、俺は結局取らなかった。

 ようやく物件が決まったのだけれど、とても面倒な契約書を書かされてうんざりした。家賃が18800円で、手持ちの物件では一番安いということだった。

 引越しをすることになったが、親は何も言わなかった。アパートから三十分も歩けば、つくので、けっこう理想的とは言えた。電車が走ると、揺れるそうだが、そんなに気にならなかった。

 電気屋が来て、インターネットを繋いでもらった。メールアドレスを変更したことをE先生に伝えてから、俺は算数の予習を始めていた。すべての生徒に論理的に理解してもらえて、興味をひきつける算数を確立しようと、教科書以外に、有名著者の参考書やブルーバックスの本をたくさん集めた。分かりやすいと銘打っている参考書は教科書と大差がなかった。「これでは分からないだろうな」と思いながら、ユニークな絵が良かったので、それは参考にした。ブルーバックスの本は面白いものがたくさんあった。自然科学に応用される数学は興味をひくので、それらをノートにまとめた。

 少し後に、「カリキュラムに空き時間が週に一コマ出来たので、何か授業を取り入れたい」という話が出た。普通の学校とこの教室の違いは生活のしやすさにあると思う。この教室ではテストはないし、クラスが少人数だ。それに、厳密なスケジュールで動いていない。普通の小学校では45分授業がここでは40分だし、科目の勉強も少ない。給食もない。とはいえ、小学校に復帰するための場所なのだから、当初は「勉強は必要ない」という見方が強かったらしい。それが、不登校の生徒でも初等教育を受けられるようにという見方に変わり、ほとんど学校と変わらなくなったと見える。普通の小学校より少人数なだけましかもしれない。集められている人材も、知識、経験が豊富な人なので、普通の学校に行けなくなった人も、行きやすい環境になっている。

 俺も考え始めたが、次の日、健康診断書を提出しなければならなかったので、E先生に連れられて、国立病院に向かった。軽く驚くほど広い病院だった。

 視力が悪かったので、眼科でメガネを作ってもらったが、ほとんどかける機会がなかった。

 四年生クラスを担当する先生から名簿を借りて、各人の特徴を掴んでおきたいと思い、特徴を聞いたのだが、八人は、

足立将太 N小学校

井上美恵 S小学校

小山康平 O小学校

佐伯美咲 A小学校

鈴木みそら M小学校

津瀬大地 O小学校

西崎洋子 Y小学校

古田千代 H小学校

で、小学校はすべて異なる。(O小学校は二種類ある)その特徴もはっきりしている。全員が不登校で、例の美咲ちゃんは一年生のときに四回登校しただけで、不登校になって、三年生のときに一回、四年生に一回登校しているだけだという。

 元気の良かった康平君も三年生は一度も学校に行っていないということだった。洋子ちゃんは三年生までは普通に通っていて、欠席も一度しかなかったという。四年生から学校に行かなくなったらしい。

 不登校の直接の原因は分からないらしいが、それは当たり前だ。人間の感情を理解するのは不可能に近い。

 そこで、俺はまず、俺が来たことで、彼らがここに来づらくなるということを避けるために、丁寧に発言の練習を重ねた。

 まず、〜を持ってきなさいとは言わないことにしようと決めた。「コンパスを持ってきなさい」と言って、忘れたら、かなりの苦痛になるから、俺は自分で八個コンパスを購入しに行った。他にも気をつけないといけないことはたくさんある。ほんの些細な言動ひとつで致命傷を負わせることになる。まず一方的な物言いはすべて封印した。授業は興味深い内容を扱うが、最も簡単な内容にするべく、初等教育の範囲をすべて網羅して、それをまとめあげた。

 E先生の知り合いの先生から、「転びやすいのが立体の体積と比」ということを知った。しかし教室のカリキュラムに立体の体積はない。立体の面積までだった。だから比(2;3とかそういうところ)を徹底的に分かりやすく纏め上げた。

 参考書には、1を1;2に分けるとは、1+2を分母とし、1/3と2/3に分けることで、それらを足すと、もとの1になる。と書かれていた。しかし、これでは、どうして分母が1+2になるのか分からない。そういうところを分かりやすくした。けっこう時間がかかってしまった。

 算数以外は、担当の先生の手伝いをすることで、色々と経験の中で吸収して下さいということだった。

 俺は二学期から入るのだが、それまでに何度も教室に行って、図工で使う粘土をそろえたり、話し合いをした。ここの先生たちは非常に生徒を観察しているから、かなり深いところまで議論が進んだ。

 四年生を担当しているK先生は男の教師で、自身小学校高学年、中学時代に不登校だったと言っておられた。今では信じられないほど、しっかりしておられる。

 M先生からは印刷機の使い方を教えてもらった。

「かなりたくさんプリントを作らないといけなくなりそうです」と言うと、再生紙を山ほど持ってきてくれた。

 最初、俺の作ったプリントを見て、先生たちは関心しておられた。問題点もかなり指摘されて、「子供には難しいのではないか」と言う意見もあったけれど、「難しい計算のほうが難しいし、実用性に乏しい」と主張した。

 100マス計算のプリントがたくさん用意してあったけれど、「集中力をつけるためなら、僕は思考力を要する問題に向かうことのほうが重要」と主張して、二つを組み合わせることになった。俺はそのために、算数パズルの問題集を買ってきて、アレンジを加えて、たくさん用意した。

 夏の間に用意しなければならないことがたくさんあって、かなり疲れた。けれど、問題はこれが実践で受け入れられるかが問題であった。

 俺は八人の親と夏休みの間に話をしたと言っても、担当の先生の隣で話を聞いているに過ぎなかった。観察していると、美咲ちゃんの親は思った以上に、子供には無関心だ。全く関心がないわけではないが、雰囲気的なものにそういう無関心なものがにじみ出ていた。親にも特徴があって、共通点はやはりかなり心配しているというところだった。普通から逸脱している子供への不安というものだ。洋子ちゃんのお母さんが「うちの子は劣っていて」と言っていたので、俺は「劣っているわけではない」ということを黙って聞いていられなくなって言った。基準を極端に固定すれば、優劣はつくが、不登校になることが、人間として劣っているとは言えない。

 俺はもともとこういうことに『矯正』という言葉を使いたくない。いじめなどが原因だった場合、悪いのは周囲のほうだ。どうして、矯正しなければならないのか。矯正するのはいじめているほうだ。

 そのことを主張して、「不登校などは生活環境を基準にして成り立っている。現に環境を変えれば、八人の生徒はここに通っている」とも言った。後で分かったことだが、彼らの小学校には他にも不登校の生徒がいるらしい。ここに来ている八人は一部でしかないらしい。「環境によって左右されるなら、あえて、悪い環境に戻さなくてもいい」という方針が認められた。そのときに、魚は陸では生きられないという極端な例も出した。要するに、環境には人によって、得意不得意がある。陸ではホオジロザメも子犬にも敵わない。(勝てる場合もあるが)海ではライオンはくらげにも敵わない。(勝てる場合もあるが)

 論理的に言うと、自らの得意な地形で、力を磨けばいいわけだ。社会にも得意不得意の環境があるから、得意な環境を選択出来る力が必要だとして、その力を伸ばす方針で二学期の空き時間の使い道は決まった。


 二学期が始まっても、八人は一向に学校には復帰しなかった。復帰する必要はないと俺は思っている。学校は『決して平等ではない。むしろ、不平等が最も著しい場所』だ。だから『学校の環境に馴染めるものだけが学校で生きていける』ということになる。不得意なものは熾烈な我慢が課せられる。教師はそんなことも知らず、『全員を平等に扱ったつもりになる』相対的に力が60のものにも20のものにも30を与える。「能力に見合った教育なんて全く実現されていない」というのが現状だ。

 俺は早朝から学校に来ていて、「体育館で始業式があるので、挨拶をお願いします」と言われていた。ここでも始業式はするらしいのだ。挨拶の文を考えながら、やはり、八人の生徒とどう向き合うかが問題になっていたので、そのことも考えていた。

 算数のことも考えないといけないから、かなり大変だった。

 始業式が始まったのだけれど、六年生は極端に少なかった。教室に来ている中にも来なくなる生徒はかなり多いらしい。ただ単に「両方で環境に馴染めなかっただけだ。現にそういう人は家では生活をしているわけだ」本当にすべての環境で馴染めなかったら、死を選ぶ。家で馴染めている以上、まだその生徒は大丈夫だ。不登校になると、親はかなり狼狽するけれど、環境に馴染めるのが現時点で、家しかないと考えればいいのだ。家以外に馴染める場所を見つければいい。要は、将来『文化的に生きていいければいい』のだ。たかだか小学校で馴染めなかったからと言って、幸せになれないとかそういうのはない。

 よく馴染める環境で誰にも気遣いをせずに生きていけたら、さほどお金がなくても、人は幸せになれると思う。そういう意味で、不登校の生徒は思いつめてはいけない。特に親が落ち着いていないといけない。

 俺がステージ(と言っても、体育館は小さい)に上がったら、「ドラゴンクエストの人だ」と康平君などが声をあげていた。それから、俺は一部でドラゴンクエストの人という愛称で定着するようになる。

「自分は旅人で行く当てはない」などと答えていた。けっこう多数の生徒が笑っていた。後のことであるが、六年生に人生哲学を延々と話したりもした。

 挨拶が終わって、四年生の教室に向かった。K先生が俺を紹介して、「どこに旅したいですか?」と康平君が訊いてきたので、「心の中」と言った。

 さて、始業式があって、教室を掃除することになるのだが、俺は雑巾を取りにいかされたり、バケツの水を汲みに行かされるなど、K先生にこき使われた。

 康平君と将太君とは馴染めたのだが、それ以外の子とは馴染めなかった。だが、安易に接近するつもりもなかった。何度も言うが、こういうところで、馴染んでいないものを無理に輪に入れてもダメだ。苦痛になることのほうが多い。だが、完全に孤立して、時間の経過をただ待っている、いること自体が苦痛になっているような場合は、義務的で、非常に達成しやすい用事を与えたほうがいい場合もある。そのあたりの見極めは出来るつもりだったが、俺も緊張が解けなかったし、康平君がバケツに足を引っ掛けて、何度も水を汲みに行かなければならなかったので、八人を観察することが出来なかった。

 大地君、美咲ちゃん、それから、みそらちゃんが馴染めない様子だった。だが、三人を一度に相手にするのは難しいし、間接的にしないと、いかにも孤立しているから、何とかしようとしたという下心を読み取られる。

 だから、俺はまず一人に的を絞ることにした。それをK先生に報告して、美咲ちゃんに的を絞ることにした。

 だが、接近の方法を考えるのにはかなり苦労した。子供と言っても、異性を相手にするわけで、恐らくガードは硬いだろうし、一方的に接触するのは俺自身、気がひけた。別にロリコンというわけではない。四年生の少女を相手にするのは、誰もが、神経を遣うはずだ。俺は色々と考えて、

「黒板消しを手伝ってもらってもいいか」と声をかけた。無言で、美咲ちゃんは手伝ってくれたが、意識すると、ぎこちなかったかもしれないと思った。

 掃除が終わると、K先生が俺に何か話をしてくれと言ってきた。何を話せばいいのか分からない。趣味は広範で、話のネタはあるが、宇宙論の話をしても分からないだろうし、意外と難しいことに気付いた。俺は適当に考えて、自分の体験などを話した。意外と笑いが取れたが、どうも女子には不評で、特に美咲ちゃんは全く笑わない。

 現時点では、笑わせるのは無理だとは思うが、出来るだけ早く何とかしなければならないと思って、カブト虫を採りに行って、遭難したことなどを話した。カブト虫の卵を育てないかなどと言ってみた。康平君が賛成したので、後々、卵を買うことになった。美咲ちゃんは笑わないので、美咲ちゃんに接近することは出来なかった。

 八人がいる学校で初日から、しかも女子に接近するのはかなり難しかった。とはいえ、俺が全否定されたわけではなかったらしく、その女子の親から聞いた限りでは、比較的高評価を得ていたらしい。

 その日、生徒の帰宅を見守るために、俺は外へ出たのだが、みな、帰る方向がさまざまだ。徒歩一時間の六年生もいた。俺はその子を連れて帰った。

 その後も仕事は続く。俺に日誌が与えられていて、それを書かなければならなかった。とは言え、どのレベルで書き込めばいいのか分からなかった。

「生徒一人一人の一日を詳しく書けばいいのでしょうか?」と聞くと、「そんなに詳しく書く必要はない」ということだった。

 俺は比較的詳しく書いた。授業は明々後日からなので、家に帰ってからしばらくは美咲ちゃんを何とかする方針で、考えをまとめた。

 歳の差が12もあるとしても、相手にするのは異性だから、小手先の方法では全く意味をなさない。本人が一人でも納得しているのならそれで構わないのだが、自殺未遂が三回もあると聞いている以上、放ってはおけない。

 俺は自炊の生活だが、主食を海外のMRPにしていたので、水に混ぜて飲むだけで夕食は完了する。栄養素は炭水化物以外はほぼ完全に揃うので、後は、生野菜をかじって食べ、安くで売っているパンをかじって食べる。

 そのため、食事にかかる時間は支度も合わせて、二十分程度。後はほとんど色々なことを考えるために費やされた。

 俺は美咲ちゃんに何とか接近しなければならないと思い、K先生に「明日、粘土を使おう」と言った。

 早朝、粘土を用意したのだけれど、ただ、粘土で遊ぶだけだ。そのために一時間を使わせてもらった。どうせ、始業式から三日は暇を潰す時間になっている。ほとんど問題にならなかった。紙粘土を用意してきて、粘土遊びが始まった。創造的な遊びの一貫として、取り入れられたものだ。しかし、粘土は優れているとは言い難い。絵画より馴染みがないし、小説や漫画より規模が小さい。とは言え、せっかく用意したものだ。粘土を一時間使って遊んでもらった。

 康平君などは色々なものを創っては見せびらかせていた。美咲ちゃんはただ丸めて、団子のようなものを並べるだけで、特に楽しそうにはしていない。俺もさりげなく始めたのだが、想定していたことと違ったのは、みんな机に向かって集中しているところだった。

 もう少し騒がしくなるものと思っていた。K先生は粘土が上手で、プラモデルの電車のようなものを創っていた。

 騒がしくなっている最中に美咲ちゃんに接近するつもりだったのだ。しかし、康平君以外はほとんど喋らないから、粘土遊びは失敗に終わった。

 三時間目のときに、班を決めることになった。この班は二人ずつ、四班で、掃除の時や授業でグループを結成するときに利用されるものだ。

 K先生が「何か調べ物をさせて、そこで何とか出来ませんか」と言うので、「それはすごくいいです」と答えた。

 だが、班を結成するときに、女子や男子が一人にならないように、二人、三人、三人に分ける。

 美咲ちゃんと洋子ちゃんが班になった。洋子ちゃんは美咲ちゃんとは仲があまりよくない。だから、俺が間を受け持とうと思った。三人グループは康平君と将太君が分かれて、引っ張ってくれるだろうから、K先生に担ってもらった。康平君はクラスの全員に話しかけることが出来るし、将太君も、それなりに打ち解けることが出来ている。

 それで、K先生が環境についての発表会を開くことを告げて、三時間目の残りの時間で調べることになった。

 図書室と言っても、規模は小さいが、俺は二人を連れて行った。なかなか会話が進まないので、

「宇宙人の環境破壊について調べよう」と言った。洋子ちゃんは何となくといった感じに笑ってくれたが、美咲ちゃんは笑わない。椅子に座ってからも、指先をずっと見つめたままで、洋子ちゃんもきまづそうにしている。

 こういう雰囲気を破壊することが俺の役割だ。それなりの論理を用意していたつもりだったが、全く通用する気がしなかった。何とでも出来ると思っていたが、現実は厳しく、かなり苦戦を強いられていた。

 俺は宇宙の図鑑を持ってきて、興味深い話をした。火星に川が流れていた。宇宙人がいるかもしれないぞとけっこう盛り上がるように話したのだけれど、美咲ちゃんは退屈そうにしたままで、洋子ちゃんだけが耳を傾けてくれている状況だった。

 やはり、1対1で対応しないといけないのかもしれない。美咲ちゃんは他人との関わりを完全に拒絶している感じだった。

 俺自身も詰めが甘すぎたと反省した。ごくごく当たり前のことすら忘れていた。入って間もない緊張が致命的なミスを生んでしまった。

 それから、木製の話をして、木星人の想像図を紙に書いたりしたが、洋子ちゃんばかりが笑って、美咲ちゃんはぼんやり見つめているだけだった。

 これをきっかけに洋子ちゃんとは仲良くなれたが、肝心の美咲ちゃんには効果がいまひとつだった。

 二人きりになるきっかけを作るにはやはり、もっと踏み込んだ方法を取り入れなければならない。

 この頃、俺はドラゴンクエストの人として、放課後になると、五年生のサッカーに混ざることになった。俺は一切手加減をしなかった。

 50メートル走が、6,78秒は小学生が相手だと、かなり速い数値だったので、一旦、中央より奥にボールが落ちると、後は一人で独走して、ゴールを決めていた。

 俺は運動生理学にはある程度精通していたので、

「修行をすれば、僕なんて、楽に超えられるよ」と言った。そのため、夜遅くまで、特訓が行われた。

「修行にはオーバーワークというものがあるんだ」と色々説明して、何とか下校時間は守ってもらった。これが有名になって、六年生や幸平君、三年生なども集まってきて、

「どうやったら足が速くなるの?」

 としきりに訊かれるようになった。対象がまだ子供だったので、たいしたアドバイスは出来なかったが、「たくさん練習しすぎると、中間の筋肉が遅い筋肉になるんだ」と言って、あまり無理をさせないようにして、下校時間は守ってもらった。


 美咲ちゃんの件は全く解決していなかった。とは言え、あれ以来、洋子ちゃんは自分から話しかけてくれるようになった。

「怒らないし、優しい」から俺はいいらしい。後で、「学校の先生は頭を叩いたり、怒ったりする」と言っていた。俺は怒鳴り声を上げたりはしないつもりだ。そういうものは論理がなくて、権力に頼らざるを得ないものだけがすることだと思っている。しつけに恐怖は必要ない。納得させることだ。

 そういうわけで、俺は全く怒らなかったのだが、これはあらかじめ決まっていることだった。厳しい言葉をかけたりすることはこの教室では禁止されていることだった。


 授業が始まって、ようやく俺は手伝いから、メインの算数を教える人となった。俺の授業はかなり好評で、「算数なのに面白い」と言っていたと生徒の親からも言われた。

 授業では、最も根源にあるものだけを教えた。後は興味をひく内容だけをプリントにまとめた。

「1+2+3+4+5……+99+100を十秒で答えてみよう」と言うと、康平君などは興味を持って、「できっこないと言っていた」

「絶対無理」と将太君なども言っていた。それらを工夫して計算することはみんなあまり馴染みがなかったらしく、からくりを教えると、さらに興味を持ってくれた。

 とは言え、美咲ちゃんはそもそも計算の順序を変えること自体が不思議なことのように見ていた。1+2=2+1という交換法則をまだ理解出来ていない状態で、でも、俺自身、交換法則の代数的証明はよく知らない。

 具体例をたくさん挙げて、美咲ちゃんは頷いていたけれど、不安だ。

 授業が終わって、総合学習の時間に、美咲ちゃんと洋子ちゃんを連れて、図書室に来たんだけれど、本当に宇宙人の環境破壊について調べることになった。それで、宇宙人とかUFOの本がいくつかあったからそれを引っ張り出してきて、読み始めた。

 美咲ちゃんは退屈そうにするばかりで、あまり話に興味を持ってくれない。確かに、UFOが出てきても、いきなり興味を持てるとは思えない。なかなか美咲ちゃんと1対1になれないので、何とか洋子ちゃんと仲良くなってほしいと思った。無理にではなく、最も自然な形で、そうしたかったので、まずは何とか美咲ちゃんを話に乗せないといけない。しかし、美咲ちゃんの心理が読めない。不適切な発言だけはしないように心がけて、最も答えやすいと思った質問をさりげなく飛ばしてみる。

「美咲ちゃんちの近くに広いところとかある?」と。なくても、ないで終わるし、あれば地名が返ってくる。美咲ちゃんは「うーん……」と考えていたから、意外と乗っていたかもしれない。「近くに川がある」と美咲ちゃんの声は甲高くてよく響く。

「UFOの着陸地点かもしれない。今度調べてみよう」

 と言うと、洋子ちゃんは笑ってくれて、美咲ちゃんは「タニシが転がっているだけ」と返してくれた。ようやく少しだけ会話が成立したので、俺は実に嬉しかった。

 それから、しばらくしてのことなのだが。サッカーはプレイヤーがかなり増えただけでなく、観戦者もだいぶ増えてきた。女子が大きな木の下あたりから、見るようになってきた。かなり全校規模になったのだが、美咲ちゃんも見に来ていた。それが一番大きいことだった。

 ただ、サッカーのプレイヤーが増えると、かなり喧嘩が多くなった。特に下級生が六年生の足を踏みつけて、六年生が叩くという喧嘩と言っても、六年生が一方的なのだが、それを止めるのが難しかった。下級生が泣いてしまって、どちらが悪いと決められなくなってしまうからだ。

 そこで、俺はルールブックを作って、踏んでしまったら、イエローカード。踏んだ相手を叩いてはいけない。などと決めた。

「プロの試合だと、人を叩いたら、退場だよ」と言って、言い聞かせたのだが、それでも、ひどいクロスプレーがあると、すごい喧嘩になってしまった。カッとなると、ルールも破ってしまう。そればっかりは止めることが出来なかった。幸い、大きな怪我はなかったけれど、お腹を蹴り飛ばしたり、とても恐ろしいことをするので、

「ガンジーという偉い人がいて……」などと懸命に説得した。効果のあるものとないものに真っ二つだった。効果がないものは、「ハンドだ」「違う」でもめて、殴り合いになってしまった。このような生徒を権力を行使せず止めることの出来る人こそ、天才なのだ。俺には無理だった。


 美咲ちゃんがサッカーを見に来てくれた日あたりから、何となく美咲ちゃんと会話をするようになって、体育の時間に、「すりむいた」と怪我をした際に俺のところにやってきてくれた。それから、保健室というには適切でない場所に連れていって、保険の先生に怪我の手当てをしてもらった。

「痛い?」「ヒリヒリする」と言った会話もするようになっていた。

 運動会というものが十月四日にある。これは初の試みで、そのために時期が遅れたと、M先生は言っておられた。「運動会は個人競技はなしにしましょう」と俺は言った。明確に個人の順位が出るので、運動が苦手なものは辛い思いをすることになるからだ。運動は無数にあるものさしのひとつでしかないし、重要性は他分野より乏しい。それに明確な順位を示すことは不利益のほうが多いと考えていた。そこで、綱引きとかが採用された。けれど、一番大変だったのは、来賓の方々に電話を掛け捲ることだった。

 別に重要ではない気もするが、俺はK先生が電話をしている傍ら、市の偉い方々の名簿にマルバツをつけていった。

 二週間前に練習が始まった。リレーも足が速い人だけを選ぶのではなく、スポーツテストの記録で近いものを同じ順番にした。全校で四十七名の生徒しかいないから、同学年で割り振るのは難しかった。最近の子供は足が速いことに気付く。五、六年生などは7,2秒とか7,4秒で走っている。女子でも速いものは8,0秒で走っている。俺などは、六年生の頃は8,7秒ぐらいだったから、近代の子供は運動能力が落ちてきていると言っても、十分に速いではないか。

 棒引きの案が出ていたが、危険だから廃止になった。玉入れと応援合戦が取り入れられて、ムカデ競走は危険だから廃止になった。

 練習が始まった頃、俺は色々なところに顔を出す機会を得ていた。E先生とは働き出してからはメールだけのやり取りになっていた。『集いに出てこないか』と言われたので、出ることにした。不登校の親が集まる会で、色々な人の話を聞くものだった。

「十五分間だけど、講演してほしい」と言われた。「僕に務まりますかね?」「まず大丈夫」

 しかし、俺はかなり躊躇った。俺の持論を公に持ち出すなんてことは考えたこともなかった。そもそも正しいかどうかも分からない。

「みんな、勝手なことを言ってるよ、ここでは」

 とE先生は言った。確かに出版されている本を見ると、当てはまらないものもたくさんある。絶対的に考えることが出来ない問題だ。

「自分の経験だけ話します」と答えた。事実を話すだけに留めれば、少なくとも、自分の立場においては成り立つ。それなら、当たり障りがない。


アニメでも見て、リラックスしよう……。

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