A1
日本一まで頑張ります。
一
俺はとあるテレビ番組を見ていた。ニートが年々増加して、社会問題になっているというのだ。それを見る俺も当然ニートだ。だが、ニートは34歳を越えると、ニートでなくなる。労働せず、親のすねをかじって、生活している連中の数はニートの数を越えるに違いない。金が有り余っているニートもいるだろう。俺は有り余っているほどでもないが、後5年ぐらいは、食っていけるだけのお金がある。
ニートが成り立つためには金がいる。金さえあればニートになれるのだ。金がないものはニートになれない。つまり、問題というのは、金のないものがニートになっているという点だろうと、俺は思った。
テレビ番組の主張は続く。俺は金のないものがニートになる点だけが問題だと思っていたが、テレビが言うには、労働力やらに影響が出て、結果的に社会に影響が及んでいるということだ。俺に経済を語られても、かじった程度なので、ほとんどわからないが、ニートは金欠病を抱えているので、税金の支払いは通常の社会人より少ないというのは常識として理解できる。
俺は社会がどうこうという意味で、ニートを肯定したり、否定したりはしたくない。人間ほど醜い生き物はいないと思っている。
人間はまさに地球のクズだ。今にしっぺ返しを食らうことになるだろうといつも不安そうに見ている。
俺はニートというものを、「人間を浄化させることの出来る唯一の集団」だと思っている。ニートのおかげで、この世は何とか安定化を図ることが出来ている。ニートの増加は汚れた世界を浄化する勢いを高めることに同じだ。
ニートとはそもそも何か? 99パーセントは金がほとんどない人間だと思う。金も能力もない、おちこぼれだろう。しかし、隠れた能力を持っているものはいるはずだ。それを開花させる前に閉ざしてしまったものも多いはずだ。
金がないものが、ろくに人間的な生活が送れるだろうか? 送れるはずがないと思うのだ。金がなくなれば、その時点でニートを終えるか、死ぬか。こういう人種がニートなのだ。ほとんどのものが、金を失ったときに、ニートを終えて、社会に出るのだろう。しかし何十年もニートをしていたものが社会に出ても、せいぜい、アルバイトがいいところで、頑張っても、一億以上の財産を手にすることは難しい。むろん、億万長者になる可能性もないわけではないが、かなり低いと見て間違いは無さそうだ。
生涯賃金という点では、ニートほど少ないものはいない。ニートは金をもらえない人種だから、ニートを永遠に続けた場合、生涯賃金は0だ。途中から復帰したものも、せいぜい5000万がいいところだ。
そんなニートになぜなったのか? 理由は多々ある。特に引きこもりは深い理由を背負っている場合が多い。俺はかれこれもう二年、外に出ていない。引きこもり歴二年というわけである。
ただ、俺から言わせて貰うと、今の自分は勝っていると思う。少なくとも、働きたくもないが働かざるを得ない人間よりは勝っていると思うのだ。したくないことをするというのは決して、いいことではない。
要するに、勝っているか否かは主観的な意見なので、客観視をすれば、勝ち負けを決めることは出来ない。これは、あくまで、俺の立場に立ったときに、勝っているというだけのことだ。なぜ勝っているのか、それは、俺は自分に忠実に生きているからだ。
そう言うのは、俺は巨額の富がほしいわけでも、地位や名誉がほしいわけでもないからだ。だからと言って、満たされているわけでもない。むしろ、精神的には激しく飢えている。けれど、それは金が欲しい、女が欲しいといった、そんなものとは一線を画す。ほしいものは他にある。
俺は議論をするつもりはないから、自分の意見をはっきり言うが、もし、ニートがクズだというニートでない人間がいれば、ニートはあなたをクズだと思っている。お互いが見下しあっている。しかし、ニートは本気になって、人を見下したりはしない。なぜなら、人間は自分も含めて、例外なく見下しているからだ。
俺の場合だけに限らせてもらうが、俺は普通の人間とはまるで違う人種だとはっきり自信を持って言える。いわば、変人だ。
だが、俺ほど優れた人間はこの世にほかにいないとも自信を持っていえる。理由は簡単だ。俺にしかないとてつもない心理とか性質があるからだ。
だが、自信過剰というわけではない。むしろ、俺は罪悪感と戦って、生命をギリギリ維持しているのだ。
二
俺は今日も午前10時過ぎに起床した。一日の睡眠時間は十時間に上る。寝すぎというのが、一般的な見解だろう。
俺はいつも脈絡のない夢を見る。ほとんど忘れてしまうが、稀に残っているものもある。もう何年も前に見た夢で、今でも残っている夢を紹介したい。俺はこれを神からの何かのメッセージだと今でも思っている。
夢自体はおかしなものではない。まず、人がいるのだ。男。たぶん、俺だろう。その俺がメガネをかけた子供、恐らく、コ●ンだと思う。大きな石版の前に立っているのだ。わずかに石版から目を切ると、森の風景が見えた。そして、よく分からない問答の後、俺はコナンによく似た少年と歩き出すのだが、ついた先がお墓なのだ。森の中に開けた低地があって、そこにお墓がある。
そして、ここで、石版に書かれていた真実がここにあると、コナンによく似た少年は言い出すのだが、何があったのかよく分からないまま、俺はひとり、もと来た道を戻っていく。すると、舞台は変わる。となりのト●ロで出てくるバス停に近いところに出る。もちろん、夜だ。俺はなぜか、そこで立ち尽くすのだ。何がやってくるかと思えば、汽車だ。F●6の魔●車、もうあれそのままだ。それが俺にぶつかる。いつの間にか中に入っているのだ。中は明るく、普通の電車のようなのだが、ずいぶん、高級そうな長いすが連ねてあったように思う。誰もいない。俺はどこかに坐った。
妙ななりの男がやってくるのだが、何かの問答の後、
「いいところに連れて行ってあげる」と低い声で言うのだ。あれは恐ろしい声だった。
そうだ、俺はどこかに行けるのだ。その後、何があったのかよくわからない。まったく脈絡の無い夢に移行した。その夢は思い出せない。
こんな夢があったのだが、起きてみれば、すごい恐怖が心に蓄積しているのだ。あれは夢だったのか。誰かが俺をどこかへ連れて行こうとしたのではないか。いつまでも頭にまとわり付いていてくる。
俺はもう一度あの夢に行けないだろうかと毎晩楽しみにするのだが、もうあの夢は見ることが出来ない。
俺はこの夢を客観的に見れば、別に取り立てるほどのことでもないように思う。しかし、これだけ心に残る夢がほかにあるだろうか。あるはずがない。俺は正直、起きてからしばらく凄まじい放心に身を委ねた。
この夢は俺の人生を変えてくれた。そのときから、俺はどこにつれて行ってもらえていたのだろうと考えるようになった。
この夢はニートになってから見たものだ。俺はそのとき、ニートになったことが正しい道だったと思うようになった。
俺が起きるころには、労働者はせっせと起きて、出社し、仕事をしているのだろう。それはそれでいいと思う。金のためだ。だが、俺はニートでもいいのではないかと思う。もちろんお金があればの話だが。ニートを馬鹿にするクズが世の中には多すぎる気がする。頭が悪いといえばいいのか、ニートに恨みがあるといえばいいのか、分からないが、ニートを馬鹿にするもののその理由に『働いていない』というものを挙げるのだ。
馬鹿だと思わないのだろうか? 働いていないからニートはクズ。論理的に見て、こんな意見が正しいと思えるだろうか。まあこれは、単純に感情的に言った発現だと思うが、障害を抱えて、働けないものもいるわけだ。もちろん、健康で働いていないニートが障害者より安く見られるのは仕方がないことだが、俺が思うに、労働をしているか否かは本来、人間の格付けに影響を与えるものではないと思う。
ニートはクズではないというのが、俺の意見だ。これは社会的な問題で言っているわけではない。社会学者なら、ニートはクズだというかもしれない。そもそも経済学をはじめとして、文型の学問はすべて、人間のエゴイズムが生んだものだ。そんなもので人の性質を審査しようなど、思い上がりも甚だしい。文型は人間の泥団子のようなものだ。汚いものだ。だからこそ、人気がある。けれど、神に対する冒涜だ。
そういうわけで、ニートは神の配下にある人間として、劣っているわけではない。しかし、人間の配下にある人間として、恐らく劣っていることになるのだと思う。
人間の配下にある人間として、俺は一番下でありたいと思う。なぜなら、それが神の配下となったとき、一番下は一番上になると思うからだ。
俺は人間には興味がない。だから、飢えているというのはあくまで、人間の配下にあるものではなく、神の配下にあるものだ。そして、それらは哲学的な要素を含んでいる。例えば、人はなぜ生きるのかとかそういう意味である。
つまり、俺はそういうものを知りたくて、それを知ることが出来ず、飢えているのだ。俺がニートになったのは、人間の配下にある人間になりたくなかったからだ。
三
俺は人間の配下になりたくない。それはつまり、犬のように人間に尻尾を振りたくないのだ。まず、就職活動は、それをするものは犬になる。犬小屋を探して歩き回るのだ。
「僕ちゃんを拾ってくだちゃい。給料くだちゃい。ご主人ちゃまのために何でもしちゃうよ。べろべろー」
と尻尾をピコピコと振る人間を俺は汚らわしいと思う。もちろん、生きていくためには犬のように鎖を繋いでもらうほかないのだ。そういうふうに人間は発展してきたからだ。だが、もし、鎖を引き離して、神秘の渦巻く世界に旅たつことが出来るのなら……。俺はたとえ、腹ぺこで目が回ってきたとしても、その世界を目指したい。
具体的に言うと、それは答えを見つけるか否かだと思う。もし、犬小屋にその人の答えがあるのなら、俺は犬でいいと思う。だが、俺の探す答えは犬小屋になかった。
ないのだから、他を探すほかない。人の中には答えを見つけることすらせず、
「まあ、とりあえず、みんなが生きているので生きるし、就職しているので就職するし、子供を産んでいるから産むし」
などというものもいるだろう。むしろ、一般人、つまり凡人というのはそういうものだ。人間の9割が凡人だ。凡人というのは悪いことではない。
凡人というのは最もいいものだと思う。波風立つことなく、平穏無事に生きて行けるのだ。しかもそれなりの年収と将来の伴侶を得ることが出来、マイホームを手に入れることも出来る。だが、俺はそういうものが解とは思えない。
解というものは本来、絶対的なものだ。x+1=0の解はただひとつに定まる。そう、つまり数学的なものになるはずなのだ。
俺は一時期数学にその解を求めたことがある。数学とはご存知の通り、フェルマー、ガウス、オイラーなどが解明を続けてきた学問だ。未解決問題が無数に散らばっている。
数学が神の残したメッセージまたは解を解読するために必要な媒体だとすれば……。そこに解を得るヒントがあるに違いない。
しかし、俺はそこに解がないことを証明することに成功した。そして、自然科学にもその解がないことを証明した。
宇宙にしろ、時間にしろ、これらはシステムに過ぎない。これらを解き明かしたところで、所詮システムだ。神のところに辿り着けはしない。少し、俺が定義する神を述べよう。神を数学的に考える。神をXとしよう。すると、俺はXを「Xを超える数は存在しない。またXはいかなる数よりも大きい」というものに定めた。
これを使えば、例えばXがあり、X+1があったとする。すると、Xはいかなる数よりも大きいのだから、X+1<Xとなり、矛盾する。よってX+1は存在せず、Xが最大の数ということになる。
こうして、神を最高峰と考えるのだ。具体的に言うと、神を越えるものがいたとして、その「もの」にも神が存在することになる。つまり、結局、神が最高峰という意味だ。
こうして、考えると、解を知っているとすれば、神だけだ。
俺がニートになったのは、その神から解を聞き出すためだ。そのためにはどうすればいいかを考え始めた。
まず、ひとついえることは、神は科学的なものに当てはまらない。なぜなら、科学とは先立つ具体例があり、それから成り立ったものだ。もし、水が10000度で沸騰していたら、今日の化学は成り立たない。恐らくだが、神に翻弄されて生じたものだと思う。もちろん、数学も同じくだ。
では科学でなければどこにある。宇宙を解き明かしても、神は見えない。恐らくだが、無限ループが生じる。解き明かしてもまた謎が出てくる。そういう無限回廊に神は人間を陥れるだけだ。絶対なる解はまずその無限回廊を抜けるところから始めなければならない。
ニートはそういう人種ではないか。人間の配下から神の配下に移動した人種。それは神への挑戦者、はたまた、神と対話をするもの。とてつもなく優れた人種だ。
だが、俺はニートになる前は人間の配下をずっと肯定していたのだ。何が言いたいかと言うと、俺はひとつ壁を越えたのだ。
99パーセントの人が人間の配下を抜けることが出来ない。例えば、勉強。受験にしろ、研究にしろ、すべて人間の配下にあるものだ。芸術も、スポーツもすべて同じだ。
俺も昔はスポーツで一番を目指していた。うまく結果が出せず、挫折した。しかし、そのおかげで、人間の配下から、足をひとつ出すことが出来た。受験で難関大学を目指したときもあった。うまく偏差値が伸びず、挫折した。おかげで、足を外に出すことが出来た。後は腕だけ。
さて、俺が言いたいのは、ごく普通の人というのは挫折を続けても、どこかに引っ掛かるということ。
弁護士を目指していたが、なれなかった。だから、サラリーマンになった。弁護士を目指していた人が挫折して、人間の配下から一歩外に出ても、サラリーマンという人間の配下に身を委ねるのだ。
だから、神の配下に行けるものというのは、人生の真の挫折者だけなのだ。そして、それがニートだ。もちろん、すべてのニートがそうとうわけではない。
ニートだけが、神の配下へ辿り着くことが出来る。俺には聞こえる。神の声が。
「よくぞ、ここまで辿り着いた」
神はそう言っている。ほとんどの人間、一億のうち、999万人が浸っている人間の配下から抜け出し、一握りの神に近づいた人間となれた。
俺は人生において、至福を得た。もちろん、まだ完全に神の配下に行けたわけではない。人間の配下にいるものたちに憧憬や羨望を向けてしまうこともある。
だが、俺は人間の配下だけには戻る気はしない。見えるからだ。ゾンビのように蠢く人間が人間の配下には見える。無限に続く低地をひたすら、歩いていく。みな、同じ顔をしている。醜く、汚らわしい顔をしているように見えた。
そして、神のいるであろう高地を俺は捉えた。そして見上げた空の神秘的な景色はもはや神の地として相応しいものだった。
ニートになって、ようやく神を捉えた。そして俺は歩みだしたのだ。
四
起きた俺は、まず水を飲みに行く。まだ人間の配下にいる俺はこの汚らわしい空間を越えられずにいる。神が遠い。手を伸ばしても届く気がしない。
そんな飢えと戦いながら、日々を送っていた。
どこに神がいるのだろう。数学にも自然科学にもいなかった。俺は数々の書物を読み漁った。
読んでも、感動はない。神を知った俺に、人間の配下の万物はもはや石や砂のようなものだ。それらに俺が見出すべき解はない。人生を言及した本を何冊も読んだ。魅力的だったものは皆無だった。なぜなら、すべては人間の配下にあるものだからだ。必然だとは思うが、聖書を読み漁り、神話を読み漁り、大量のオカルトを読み漁った。すべては人間の配下にあるものだった。
「神を掴むためにはさらなる飛躍が必要だ」
そう結論を出し、俺はひとつの可能性を見つけた。
漫画を読んでいるときだった。人間の配下にあるにも関わらず、何度も何度も、神秘的なものを感じるのだ。それは何だろう。俺はその漫画に正体があると思った。
「まるで、人間ではなく、神が書いたような作品だ」
そう思い、俺はその漫画のタイトルを見た。なるほどと思った。
これはあくまで俺の感じたことだから、この漫画のファンや作者、関係者に不快な気持ちを与えてしまったのなら、フィクションとして、流してもらいたい。
俺はまず、この作品と他の作品を比べることによって、その違いを分析してみた。すぐにわかった。
「これは神が人を操作して書いたものだ。そして、隠蔽されている」
何が隠蔽されているのか、簡単だ。神秘的なもの、すなわち神だ。神がいる。そう思って、俺は背筋に悪寒を感じた。
俺はそのとき、集中力を持ち直した。
「神が確かにいる。ここにいる」
そんなことをつぶやいて、俺はその漫画を読み出した。それは面白いのだが、面白いを通り越して、大きな神の姿を描いている。
「これだ」
と思った俺はすぐさま、目を閉じ、考え始めた。
だが、これに限ったことではない。俺は音楽を聞いているときにも、ゴッドボイスを聞いた。
「神がいる」
そう思った。そして、俺は神の居場所をついに捉えたのだ。俺だけが神を見つけ出したのだ。俺は世界いや、この世の神の次に偉くなったのだ。
「神の居場所は精神世界だったのか」
俺はその結論を得て、しばらく、放心した。なるほど、そこにあったのか。神は天才だ。まさか、そんなところに潜んでいるとは思わなかった。
「だとすれば、神は精神世界の奥底に潜んでいる」
そう結論を下した俺はまず精神世界からかけらを拾ってくる芸術というものに目をつけた。最初はまず、ここに神はないと思った。しかし、そこに神の一部があった。
それは、本体は芸術になくても、神を掴むうえで重要な性質を持っていることを意味している。
芸術と学問の大きな違いは、自由度の違いだ。当然だが、神が定めたシステムに従うのが現実世界だ。精神世界は従わない。
「精神世界は神のシステムには従わないから、神の手が届いていない世界なんだ。そして、そこから神は俺たちに宇宙ないし、世界を与えていたのか」
独り言をつぶやき、俺は冷蔵庫を開けた。何かを食べようと思ったのだが、あいにく何もない。
しかたなく、庭に出て、犬とじゃれあった。もう少しで神を掴める。そう思ったのだ。夢に出てきたいいところ。それは精神世界だったのだ。
「精神世界なら、考えたことがすべて叶う。肉体が体験できないまさに神秘の世界だ」
精神世界は早い話が妄想だ。つまり、空を飛ぶ自分を想像できるし、例えば、悪さをした自分のところに警察が来て、
「あなたは素晴らしい人だ」
といわせることも出来る。まるで、神のように人やものを動かせる。
「まてよ、だったら、人はすべて、神になれるし、例外なく神だ」
障害がない限り、人は想像が出来る。ならば、すべて神だ。
「そうか、それらをすべて掘り返して、その奥に神が潜んでいるんだな」
そういうことだ。つまり、精神世界の深層に神がいて、解があるのだ。
精神世界は広い。もしかすれば無限かもしれない。神に辿り着けないかもしれない。
「それはない」
力強く、俺はつぶやいた。
神が精神世界にいるとして、ではなぜ、俺たちに肉体を与えたのか。わざわざ……。
「神が呼んでいるんだ。精神世界を掘り返すためには情報がいる。その情報を得るためには経験が必要なんだ。ついに神を捉えた。見ていろ」
俺は心に深く刻んだ。俺の夢は神を誰よりも早く捉えて、解を聞き出す。そして、俺は神となる。俺の夢は神になること。
それは簡単なことではない。無限かも知れない精神世界を掘り、神を見つけ出さなければならない。どうすればいいのか。
まず、いえることは、もし、ニートにならなければ、決して、神を捉えることが出来なかった。そして、神になろうとか、そういう気も起こらなかった。俺は神になるために途方もない努力を始めた。偶然だろうか、必然だろうかは分からない。
「神になるためには精神世界を掘るほかない。どうやって掘れば効率がいいのだろう」
俺はその段階へと足を踏み入れた。神になるための努力。
五
俺は神を目指し始めた頃、親とよく喧嘩をした。
「いつになったら働くのか?」
そう聞かれて、
「夢がある。それを叶えさせてくれ」
と答えた。神になれるのは俺だけだ。俺が努力をするほかないのだ。しかし、人間の配下で生きている親はその理解をしてくれない。
「もう21歳、早く働かないとお嫁さんももらえないぞ」
みたいなことを俺に言ってきたが、俺は呆れた。神を捉えたものが今更醜い人間をもらうだと? 思い上がった人間だなどと思いながら、
「いらんそんなものは」
と答えた。性欲がなくなってくれば、女など必要にならないのだ。貰っている暇などない。神が遠ざかるばかりだ。
確かに、長いスパンで神を目指して行こうと思えば、子孫を残して、
「神を頼んだぞ」
と受け継いでいかなければならないのだが、神になるか否かは質の問題であって、量の問題ではないと思うのだ。
というのは、精神世界は無限に近い。だから、量を掘っても徒労に帰す可能性のほうが高いのだ。それに、俺は死んで終わりとは思っていない。死後にはまた新しい何かがあると思っている。死についての話はもう少し後だ。俺は今、神を目指すことに忙しかった。
「いらんて、そんなあんたね、簡単にいうけど」
みたいなことを親が言っていたが、
「俺の勝手だ」
ぴしゃりと言ってやった。
「いつまでも家に入れるわけではないぞ」
みたいなことを言っていたが、
「それが親の仕事だ」
みたいなことを返した。責任感の強い俺の親は何も言わなかった。うざい親だと、
「お前のことを思っていっているんだ」
みたいに、心配していることを装って、穀潰しを追い出そうとする。そもそも、人の幸せなんて人それぞれだ。それを勝手に親の価値観で決められては困る。俺は人並みに生活することに幸せを感じるような凡人ではない。神を目指す変人なのだ。人間なんかで終わっては溜まったものではない。猿と同列の人間と一緒にされては困る。こっちは神なのだ。
こうして、俺は今もニートだが、恥ずかしいことに、まだ神を掘り当てていない。
「神が遠い」
そう思って、飢えているのだ。いつになれば、神を掴めるのか。しかし、それで一生を終えてもいいとおもっている。人並みの生活で猿に甘んじるより、神を目指す猿で死にたい。神を目指した崇高なる人間として死にたいのだ。
俺はそういう人間だから友人がいない。しかし、それを誇りに思っている。
「俺に並べる人間はいない」
友人や恋人がいないことを、俺は誇っている。それが、俺のいる位置の高さを教えてくれている。神に近づいていることを教えてくれる。
「最大の心配事は神が遠ざかっている可能性だ」
だが、それは判断しようがない。
俺に言わせれば、友人など必要ない。人間の配下でブタのように醜くせめぎあう人間ほど醜いものはない。神は人間だけに唯一のチャンスを与えてくれている。
そのチャンスを掴んだのが俺なのだ。俺は神となりて、すべてを生み出すものとなる。それを醜い人間と付き合えというのか。
それから、親が俺に言ったことは、
「どうして、外に出ないのか」
これに対しては、
「出る必要がないからだ」
と答えた。しばらく言い合いが続くことになった。
六
俺がそう言うと同時に親は激怒したのを覚えている。
「あんた、一生そうして生きるつもりか?」
怒りを含んだ声で言った。
「可能なら」
と答えると、
「一生は無理だ」
みたいなことを150語ぐらいで言われた。確かに無理だろう。俺が一生生きられるだけの金があれば、もっと裕福な暮らしをしているわけだ。俺のところは三人兄妹だから、なおさら無理だった。
「なら可能なまで」
と答えると、
「その後はどうやって生きていくつもり?」
と聞き返す。そんなことを言われても分からない。腹が減って倒れるか、働くか、そのときの精神状態で決まるだろう。
「そのときになるまで分からない」
みたいなことを言うと、話し合いが終わった。どうせ、解はない。ならば、言い合っても無駄だ。
俺の親は、父親の場合、自分の価値観だけで決定してくるが、母親は幅広く対応してくれる。そのため、うまく折り合いがついて、ニートを続けることが出来ている。
俺は親を偉大だと思っている。ニートの親はしつけがダメだった悪い親とか、頭の悪いことを言うものもいるが、俺は神を捉えた人間だ。まさに、俺の親は神を産んだものとなるわけだから、まさに天才だ。それに、しつけとニートは関係ない。なぜなら、しつけ自体がエゴイズムの塊。それがエゴと気付いた頭のいい人間はそんなしつけに従わない。ニートになるか否かは親のしつけとはまったく別のところにある。それは後ほど。
さて、この点にしてもそうだが、ニートの最大の心配事は生活がいくつまで維持できるかという点だ。俺が少し費用を計算してみた。細かいところは省いた。
まず食費だが、ウエイトゲイナーを主体にいく。格安の外国ウエイトゲイナーを切り詰めて使えば、一月に3500円分ぐらい。それに3000円をプラスした食生活で、一月6500円あれば、健康は維持される。最近のゲイナーは凄まじい。かなりの栄養素が詰まって、4キロ5000円台を切るものもある。
格安の商品を厳選して、ゲイナーをまとめて買って、国際送料を減らせば、7000円は確実に切る。
これに格安アパートを借りて、15000円。12000円や10000円のところもあったような気がする。
ゲイナーは水に混ぜるだけだし、食材も生で食うから、光熱費はかなり少なくなる。電気やガスは不要なぐらいだ。水道だけあれば十分だ。
風呂は入らず、週二で銭湯にでも行けば、カビも生えない。洗濯は、「こちかめ」によれば、古来の洗濯石鹸は洗剤より強力で、シャツが百枚洗えるらしい。そしてズボンはほとんど洗う必要がないらしい。
最後に雑費だが、トイレットペーパーは公園のを使えばいいし、廃品回収で漫画などをただで手に入れて、古本屋で売ればいい。ガラクタをあさって、酒の空き瓶を拾ってくれば、コップになる。粗大ゴミに乾電池の山が出てくるが、まだ使えるものもある。全部貰っておこう。
最強の敵が保険料だ。まさにエゴイズムの塊というべき出費だ。約25000円。計50000円。年間で、600000万円。古本にはゲームの攻略本や学参などの高額品もあるし、バザーの売れ残りは十円で買える。売りなおせば、高額を稼げる。
すると、かなり貧乏にはなるが、少し贅沢をして、ネットとパソコンを用意しても、年間1000000もあれば楽に生活出来る。ただし、病気になれば自力で治す。病気にならないように、食事は一日二食かつ、800カロリー。食べ過ぎなければ、ガンにもならないし、風邪も引かない。引いても自力で治る。
というわけで、親から年間1000000円を支給してもらえれば、くっていける。一般サラリーマンの年収は500万円で手取りが300万だとして、1000000はかなり厳しいが、出せない金額ではない。そのあたりは、
「産んだ責任として、徴収させていただきます」
といえばいい。快適にニートで過ごすためには、だいたい、年間1000000いる。フリーターの生涯賃金が6000万だから、フリーターがギリギリ一生を生きるだけの金がかかる。
もちろん、65歳で年金がくるが、月80000だ。まさにギリギリの生活だ。深刻な病気にかかれば、そこで死。
要するに今の日本だと、フリーターで子供を養うつもりなら、死ぬほど切り詰めなければならない。贅沢禁止で、月5万を切る生活をしないといけない。
ニートだとさらに6000万がないのだから、もはやギリギリのギリギリの生活になる。50歳まで生きられれば奇跡だろう。つまり年金がもらえるほどまで生きられないのだから、国民年金をわざわざ払う必要もない。医療保険も必要ないだろう。どうせ、自力で治せない病気にかかれば、助からない。それはあきらめなければならない。
つまり、ニートとは病気になれない人種だ。病気にならないように全力で免疫力を高めておかなければならない。
冷暖房は当然禁止。活性酸素の増える運動は禁止。頭を使いすぎない。睡眠十二時間。ストレスをかけない。食べすぎ禁止、栄養不足に注意。こうして、何とか、ガンなどを食い止める。とにかく、ガンは生活習慣病だから、生活にさえ注意すれば問題ない。食べ過ぎなければ糖尿病もない。(遺伝子に恵まれていないと厄介)ガンは遺伝子要因を除けば、まずない。原因不明の病気になれば、もはやあきらめるしかない。
しかし、それらを乗り切れば、そこには神の領域が広がっている。サラリーマンの生涯賃金は3億近くになるらしい。
それだけのお金と引き換えにニートは永遠の自由と神への挑戦権を得ることが出来るのだ。そこには苦労が重なっていることだろう。しかし、その苦労の先に神がいると信じている。どう考えてもニートは魅力的だ。人間の配下にいる豚にはわからないだろうが。
七
俺はとりあえず、35歳まではニートが続けられそうだから、残り13年を全力で生きるつもりだ。死を宣告されているからこそ、毎日を有意義に過ごせる。
死が遠いということはのんべんだらりと生活してしまうだけだ。具体的に死を宣告されることはショックもあるが、そこに自分にしか出来ないことをやろうという活力が起きる。それこそが、神を掴む原動力になるのだ。
俺はまだ生活に余裕がある。ネットに接続して、掲示板に向かってみた。ここには頭の悪い人間が犇めいている。
「ここまで頭の悪い人間がいるとはおもわなかった」
などと、最初は引くほどだ。
慣れれば、
「ああ、こいつらもニートなんだな」
とおもいながら、好感が持てるようになる。
ニートはクズというものが多いし、人間の配下では正しいことなのだが、俺はそうは思わない人間の一人だ。
ニートになるには理由があるのだ。初めからニート志望というものはほとんどいない。生きているうちに仕方なくニートに行き着くのだ。まさに偶然のごとく、ニートになる。
掲示板にこんな書き込みがあった。
「人が怖くて外に出られない」
俺にはそいつの心情が見えるようだった。人が怖くなるのは罪悪感を抱えて生きているニートには必ず起こる事態だ。
まず、俺から言わせれば、今の社会で健全に生きるためには狡猾さなどが必要で、言い換えれば悪人でなければならない。
法律に反していなくても、悪い人間でなければ社会で生活は出来ない。言い換えれば、
『人間の配下の法律に反していなくて、神の配下の法律には反している人間が社会でうまく生きていける』だ。
逆に神の配下の法律を守っているものはニートになる。神に忠実だからこそ、ニートになる。ニートのほとんどが神の配下で忠実だ。
こういう点から言っても、善人が損するという標語は当たっている。しかも、善人は社会ではいらない人間となりつつある。
試してみよう。乞食が日本を巡る。5000万人の社会人とすれ違った。
「十円の寄付をお願いします」
と言って、回ったとする。
善人率が100パーセントなら、乞食が5億を得る。10パーセントでも5000万だ。1パーセントであっても500万円だ。10人に1人善人がいれば、一巡り、500万円だ。
しかし実際はせいぜい5000円だと思う。理由は簡単。
『汚れた社会』だからだ。
社会に悪人がほとんど占める中、乞食に金を与えるものなどほとんどいない。善人が1パーセントの社会というのはすごと思う。でも、実際はそれより、小数点が三つは左に移動する。
この悪人たちに対して、ニートや引きこもりは善人の場合が多い。俺は乞食には金を与えるが、神社に賽銭は入れない。理由は次の通り。
「俺はすでに幸せな奴には1円も与えない」
と考えているからだ。善人というのは幸せなものを懲らしめて、不幸なものを助けるものだ。
だから、ニートはネットの掲示板では成功者を全力で罵っている。すでに巨額の富を得た奴らを落とすためだ。もちろん、びくともしない。ただのあがきに過ぎない。しかし、罵るのに懸命な彼らを見ていると、俺は応援したくなる。彼らに幸せをと神に祈りたくなる。成功者を落とし、不幸に苦しむ者に光ありと。
俺の好きな漫画に『ヒ●ミ教』というものが出てくる。俺はそれを信仰したいのだ。
俺はどれほど努力を重ねて成功した人間であっても、幸せを感じているものを落としたいと思う。そして、どん底にいる人間たちに祝福を与えたいと思うのだ。
もちろん、ネットに向かって、恨みやつらみを吐いても、何も起きない。むしろ、変人扱いされるだけだ。それでもいいのだ。幸せな人間は不幸しかばら蒔くことができない。不幸な人間だけが他人に愛を与え、幸せをばら蒔くことが出来るのだ。
人が真に勇気付けられるのは何か? スポーツで成功したものの言葉か? 違う。そんなわけがない。そんなもので勇気をもらえるものは真に苦しんでいないだけだ。病気で苦しんでいるものたちの必死に生きようとする姿だ。テレビで成功者が何かを言って、国民に勇気を与えたなんて、馬鹿な奴らがほざくが、ふざけるな。お前らの撒き散らした不幸はどれだけ大きいか。それを理解して、発言しろと言いたい。成功者が、
「皆さんのおかげです」と言ったら、そいつは許せる。きちんと分かっている。多くの人間の不幸から、なりたっていることをよく知っている。
不幸のどん底を這って生きるものたちに目を向けてみろ。もう死にたいなんて思わなくなる。それは不幸だ。本人が幸せを主張しても、第三者からは不幸にしかうつらない。しかし、しかしだ! そいつらこそが苦しむものたちに力を与えるのだ。幸せを与えるのだ。この世に不幸な人間を作った神はきっとこう思ったに違いない。
「お前たちは幸せを与えてくれた」
不幸な人間がいる理由はそこにある。そう思うのだ。ニートの存在理由。それは永遠のテーマだが、そこにヒントが隠されているのだ。
世の中には難病に苦しむ人間がたくさんいる。苦しまない人間もいる。この違い。きっと死後の世界で、神が苦しんだ人間を助けてくれるはずだ。もし、助けぬなら、俺が神となって、与えてやる。そして、再び、生の世界に帰ってくる。幸せを与えるためだ。
こうして、ニートも必ず、転生してくる。それは複雑なシステムによって恐らくは代数的に定義されているはずだ。その神を目指すことがニートの仕事なのだ。
四
第一に神の遠さを感じたのはニートになって一年が過ぎた頃だ。ニートになって、一年もたつと、だいぶニートになれてくる。俺がニートなのは必然。その存在意義を俺は示すだけだ。役に立たない、早く死ねといわれてもいい。なぜなら、人間の配下でそう言われても、すでに、神の配下にいる俺には関係のないことだからだ。
俺は必要だ。生きる必要がある。神の配下で必要な人材だ。
「神は姿を現さない」
起きて、俺は外を見た。今日は曇っている。俺は曇りが好きだ。昼より夜が好きだ。暗いのが好きなわけではない。
夜のほうが、外を歩いていて、神に会える可能性が高いからだ。青空より暗い空や星空のほうが神秘的だからだ。
俺は星空が好きだ。三時間も見つめていたことがある。
地面を蹴って、あの星まで届けば、どんな感覚なのだろう。そんなことを考える。青空ではそんなことは思わない。
月を見るのが好きだ。突然、月が赤くなったり、何かが動いたりすることを期待しながら見る。
さらに夜に不思議な体験を二度したことがある。
まず一度目は火の鳥を見たというものだ。夜の十一時ごろだっただろうか。俺は暗くなった公園を歩いていた。そこに突如、何かが横切った。身体が輝く鳥が山のほうへ飛んでいく。やがて、見えなくなった。
それがなんだったのかはよく分からない。しかし、輝く鳥などは聞いたことがないので、不思議だった。
もうひとつは公園の堤防を越えると、川があるのだが、普段はないはずの緑色の光が水面に張り付いていたのだ。それがなんだったのかは分からない。しかし、次の日以降は存在しなくなっていた。
近くに電柱はないし、取り壊された跡も無い。
それから、ちょっとこれは横道にそれるが、幽霊は実在する。これは俺が保障する。この事実はあまり語りたくないのだが、二つ奇妙な話がある。ただ、先に言っておくが偶然だったというのが、一般的な見解だと思う。
まずひとつはお盆の日に、親の祖母の家に行った。かなり鄙びた場所で、すごく不思議な場所だ。どう不思議かと言うと、難しいのだが、寝室がいかにも奇妙なのだ。裏山の中に墓がある。墓参りから帰ってきたときのことだった。
俺はポ●モン(アドバンスの奴)を始めたのだが、サファリパークでカ●ロスを捕まえようと悪戦苦闘していた。なかなか捕まえられず、二時間が経過した。
「カ●ロスを捕まえさせてください」
とお願いしてから、電源のスイッチを入れた。一回目のエンカウントでカ●ロスが出て、一回で捕まえられた。俺は驚いた。偶然にしては出来すぎていると思わないか? これは本当のことだ。
もうひとつある。これはかなり前の話になるのだが、墓で写真を取った。すると、俺の頭に緑色の……比喩で言うなら、悪魔城ド●キュラの『ノ●男』みたいなものがへばりついていた。奇妙だと思った。それから、しばらくして、その写真からノ●男みたいな奴が消えてなくなった。しばらくして、写真がどっかにいった。
俺の見間違いだったとは思うが、それにしては鮮明に覚えている。それから、母が看護婦をしていたのだが、心霊現象によく経験していた。生々しい体験を色々と聞かせてくれた。本当だと訴え続けていたからたぶん本当だろう。
恐らくだが、幽霊は何らかの科学的根拠によって示すことが出来ると思う。実在する。そう思った。まだ奇妙なことはいくつかあるが、ここでは保育園時代の超が付くほど奇妙な経験だけを語っておく。
これは実話だ。そのままを話す。
俺が保育園のころはその体験のおかげでかなり闡明に覚えている。例えば、先生に押入れに入れられた経験などよく覚えている。
外に遊具があって、今も残っているかはわからないが、土山にドカンをとっこんだようなものがあった。山の近くにある保育園で、スコップなどの入れてある用具室の後ろに丸太が置いてあった。穴が開いているのだが、その奥に緑色の生物がいた。
当時は何かわからず、ずっと見ていただけだった。というのは大人しいほうだった俺はそれを人に尋ねるようなことをしなかったからだ。
自由時間にその緑色の生物を見に行ったのだが、ずっとそこにいるのだ。俺が丸太を揺らすとわずかに反応する。
いつかは忘れたが、ある日、丸太を揺らした、すると、緑色の生物が出てきた。宙にとび出してきた。よく見ると、蜘蛛のようで、足が器用に動いている。飛ぶ蜘蛛がいるとは思えない。緑色の生物はそのまま森の中に消えていった。それから、そんな生物は見なくなった。ちなみにそこはH県T市だ。暇があったら、探してみてくれ。
八
俺がニートになるまでは、思った以上にまともな奴だった。たぶん、そのまま進んでいれば、普通の凡人になっていたかもしれない。そうは問屋が卸さないのが現実だ。
俺は兵庫県丹波市に生まれた。生まれたときは丹波市という地名はなかった。丹波市になったのは高校になったときぐらいだったろうか。
俺は小学生の頃、今からは想像できないほど、まともだった。悪さをして怒られたことはあるが、すぐに反省していた。今思えば、その頃から、今の自分の面影があった。
俺は涙もろいから、少し怒られると泣いてしまった。そのたびに、憎悪とか怒りを覚えた。俺は感性が強かったのかもしれない。俺の場合、すごく長引く。憎悪がなかなか心から離れない。
だから、兄弟喧嘩をすると、もう数ヶ月は尾を引く。
そんな人間だから、憎悪や怒りの積もる速度が尋常ではなかった。内向的というわけではなかったが、そういう点に関しては内向的だったから、ストレスを発散することが出来なかった。
こうして積もった憎悪に拍車をかけたのは恐らく負けず嫌いな性格だ。俺は負けず嫌いで、兄にゲームで負けると癇癪を起こしていた。さらには、某有名アクションゲームで、死ぬたびに、腹の立つ効果音が流れてきて、腹が立って、投げつけてしまった。
ゲームの記録が消えて、腹の立つ効果音が聞こえてくると、一晩中泣くこともあった。ゲームをつけて、付かない。接続部に息を吹きかけて入れなおす。ついたと思えば、記録が消えていた。とても虚しいものだった。
こんな人間がまともに小学校を終えられたのはまさに奇跡だ。中二までは普通に生活を送ることが出来た。
中二こそがすべての始まりだった。この時期が俺を狂わせ始めた。まさに中二病だ。本当に恐ろしい病気だった。
中二で一番変わったことといえば、『にきび』が出来たことだ。たかがにきびだと思っていたら、こいつの恐ろしさはもはや核兵器級だった。
もし、この世の中に俺より『にきび』で苦しんだ人がいるとすれば、その人間は神話を気付くことが出来るというほどだ。
にきびというものの真の恐ろしさを公開したいと思う。もし、にきびという悪魔が体を洗脳し始めたら、至急対策を立てなさいといいたい。それから、周囲は馬鹿で知識がなさ過ぎて、ひどいことを平気で言いやがる。そういう奴は知識のない馬鹿だと思って、すえておきなさいといいたくなる。
まず、にきびというのはもはや悪魔だ。どういう悪魔かと言うと、人間の顔や胸や肩、または全身に寄生して、皮脂をエサに憎悪を心に流し込む高等悪魔だ。
しかも、かなりタフネスが高く、ほとんど攻撃が通用しない。いくら攻撃をしてもオドロのように分裂していく。しかも、成長が早く、一日で大型になる。顔中が晴れ上がる。リンパ球を攻撃してくる。周囲が馬鹿にする。もはや究極の寄生型悪魔にランクインさせてもいい。ちなみに結論から言うと、『プロアクティブ』という破壊力抜群の兵器を導入して、ようやく撃退に成功した。成功しても、用意が遅すぎたため、跡は消えない。
そのにきびというのはアクネ菌が原因なので、アクネ菌さえ、倒すことが出来れば、にきびは出来ない。しかし、アクネ菌は皮脂が大好物なので、即行で分裂を始める。しかもけっこう強い。皮脂の分泌はコントロールできないから、皮脂腺が発達した人はもはやにきびにとって最も住みやすい要塞となる。
周囲は馬鹿しかいなかったので、よくも調べないで、
「エイリアン」
みたいなことを連呼していた。腹が立つが、なぜか言い返せないのが、今の日本社会である。
にきびの奮闘記録だけを一気に書くとこうなる。
中二 にきびが出来る。
中二・五月 なぜか、10円玉級にでかくなったので皮膚科へ。
抗生物質を貰う。飲んで、ちょっと治る。これで安心だと思っていると、数日のうちに増殖。進化を重ねて、肥大化。
中二・X月 にきびが信じられないほどでかくなる。「お前それ、にきびじゃなくて、ガンだろ」と某生徒から言われる。大きな皮膚科へ行く。
中三 検査異常なし。極めて健康。にきび、悪化を続ける。切開や塗り薬による治療開始。効果はあるが、新しいところに卵を産み付けるかのように増殖。肥大が続く。
「お前、おたふくかよ」みたいなことを言われる。はだしのげんに出てくる原爆被害者の顔みたいだとか言われる。顔洗えとか言われる。
一応洗顔はしていた、皮膚科の先生に言われたとおりに洗う。効果なし。肥大が止まらず、500円玉クラスになる。肩にまで出来る。胸や背中にも例外なく出来る。
罵倒されるのが嫌になるが、学校は通う。根性を見せ続ける。
「人間じゃねえ」とか「やばいぞ、お前、死ぬぞ」とか言われる。言われて、さらに悪化する。教師が心配する。心配がうざくなる。
高一 底辺の進学校に入る。にきび治らない。教室で孤立する。何もしないと虚しいので、休み時間に教科書を見たふりとかする。がり勉に思われる。
孤立が続いて、辛いので、とことん勉強してやろうと思う。頭が悪いので、うまく理解できない。部活の先輩がうざい。部員が基本的にうざい。
高二 腰痛を機に部活をやめる。にきびまったく治らない。市販の薬を親が買ってくる。効果なし。むしろ、にきびの栄養になった。でかくなる。痛くて眠れない。硬いものをかむと鼻のにきびが破裂する。
なぜか、頭にもにきびができる。なぜか、頭ににきびができるとそこから毛が抜ける。周囲がおかしなものを見るように笑い始める。
毛が七割消えた。はげる。頭に出来るにきびも例外なく大きくなる。誰かが呪っているのではないかと心配した優しいクラスメートが「除霊してもらえ」とか言ってくれる。
「にきびなんて全然気にならないぞ。はげなんて問題なし」というクラスメートがいて励まされる。
いい加減、周囲がうざいので、T大学を目指す。英語の配点が120点もある。やめる。後期なら数学が400点だと思えば、センター足きりが450以上しかも英語が配点200を占める。やめる。
高三 どうでもよくなる。完全自殺マニュアルとか見る。けど、死なずに頑張る。足を怪我する。不幸が連鎖する。発狂しそうになって、夜中に公園を走り回る。
DQNの下級生が馬鹿にしてくる。いい加減うざいので、通学路を変える。永遠に独りになりたくなる。
にきびのことは言ってほしくないと思う。言わない人もいてくれたが、けっこう言ってくる奴が多い。無責任なことを言いまくる奴が多発。
「伝染病が移る」みたいなことを言う輩がいる。いい加減うざいので、無視する。アニメにはまる。家に帰って、ほぼずっと見る。
受験? どうでもよくなる。T大受ける気力もない。もはや精神を維持することで精一杯だった。誰にも相談せず、大学に行く。
大一 猫と恋人関係になる。一月で破局。(後に解説)発狂する。自殺するか、引きこもりになるかどちらかを選ばせてくれと親にメールを送る。引きこもりになれとメールが返ってくる。
無事戦場から帰還する。にきびは極限に達していた。極限のにきびはハンバーガーの大きさ。もはや誰も俺を止められない。
引きこもり時代 帰宅後、皮膚科にかよう。発狂した精神では外に出るのも厳しい。家に閉じこもる。このままでは俺の人生が崩壊するからと精神科へ行けと親が言う。外に出られず、あきらめる。
時間だけが経過する。父親が20歳までだと脅す。ああ、もう死のうと思う。心臓病と闘うドキュメントを見て、感動する。生きようと思った。生きているうちに罪悪感が募ってくる。にきび治らず、俺を殺そうとする。
強い。これほど強い生命体と闘ったことは今までにないと思う。この強さに100回泣かされる。折れなかった俺の気力に自分で感動する。
人知れず憎悪が爆発する。自殺未遂二回。悔しくて死に切れない。しかし、外に出ることは叶わず。俺のことも知らず、親は無責任なことを言う。仕事を考えろ。無理だからここにいると主張しても親は理解しようとしない。
ひきこもりから一年 親が酒を飲むと注意。俺に殴りかかってくる。恐怖が増すばかり。死のう。楽に死のうと思いながら、結局死にきれない。
躁鬱じゃないのか? と言われるが、精神科に行ける能力も損なわれる。家から一歩も出られなくなる。
アニメを見ると、自殺する気がわずかに緩和される。昼からインターネットをしていると、親が文句を言う。
自分の部屋に引きこもる。どうすることも出来ず、何かに手をつける。もう一回、T大学を目指そうと、参考書を引っ張ってくる。何もやる気が出ない。やっぱり死のうと思って、死ににいく。死に切れず、帰ってくる。
憎悪を何とかしないと本当に死んでしまうかもしれない。こうなれば、超有名になって死んでやるとか危ない方向に思考が進む。
結局、勇気や行動力が湧かず、消沈。二日に一度は死にたくなる。悔しくて死ねない。
引きこもり二年 ヤバイことに気付き始める。もう、どうでもよくなる。このときになって初めて、親がプロアクティブを手に入れてきた。
すごい効果で、500円玉にきびが消えていく。しかし、跡が残る。
「にきびが緩和しても、もはや手遅れだった」と言っても、後の祭りだ。
まだまだ日本一には遠いよ。




