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異世界転生したらいろいろ疑問しかわかなかったので、 全てをゼロに返すことにした。(prototype)

作者: 枯野 常

「ねえ、ところでさ」

 ――――魔王城、玉座の間。その扉に手をかけた仲間の騎士である青年に、僕は待ったをかけた。

「どうなさいました?」

 僕の後ろに控えていた巫女の少女が首を傾げる。しゃらん、と彼女の法具である杖の先にある錫が鳴った。

「君たちの言う正義って――――結局、何?」


 ***


 うっかり電車のホームに滑り落ちて電車に轢かれてミンチになったと思ったら、辿り着いたのは剣と魔法の異世界だった。

 どうやら僕は、巷に溢れている異世界転生モノの世界に紛れ込んでしまったらしい。

 目覚めた僕を迎えたその国の王は、勇者として僕のことを召還した、と言った。こちらの許可も取らずに何てことしてくれてんだこん畜生、なんて思いもしたが、来てしまったものは仕方がない。僕は王が求めるまま、彼が旅の仲間として招聘した二人の人間と旅に出ることになった。

 一人目は、その国の第二王子。王位を継ぐ兄を支えるために騎士団に所属しており、また学問にも秀でているという。そう紹介されたときは正直、僕いらないんじゃね? と思った。そして二人目は、国教の唯一神である女神に使える巫女の少女。回復や防御などの法術に秀でており、またまだ若く経験も積ませたいからと教会から推薦されての参加だという。何度も言うが絶対僕必要ないだろ、と実は未だに思っている。だってこれまで武道の経験もなければ学力だっていいとこ上の中、魔法なんてもってのほか。ただ「うっかり」駅のホームから足を滑らせただけの17歳にいったい何ができるというのか。

 そう何度も言ったが、王は召還した勇者がこの旅の要なのだと言って引かなかった。

 ――――その旅の目的は、それこそ単純。どこにでもあるお伽噺やファンタジー、元の世界で何度も目にしたファンタジーの最終目標にしてエンディング。

 『世界の敵たる魔族の殲滅に先立ち、“正義の勇者”として彼らの王たる魔王を討伐せよ』というものだった。


 ***


「この一年、いろんなことがありましたね」

 ぱちぱちと薪の爆ぜる音。翡翠のような透き通る髪と瞳をした少女――――レティシアが、毛布に包まりながら僕にそう話しかけてくる。僕はそれに「そうだね」と頷いた。

 彼女とニール――――第二王子との旅は、一年という長いといえば長く、短いといえば短い時間続いた。一時だけをともにする仲間ができたり、大きな商会が各地で手助けをしてくれたりして、なんとかここまでやってこれた。

 レティシアは、何かを思い出したようにくすくす笑う。「懐かしいですね」と言いながら、彼女が僕の方を見た。

「最初に訪れた町で、ニール様にぼこぼこになるまで鍛えられたり、見かねた宿のおばさまからおいしいパンケーキを焼いていただいたり」

「うっわ、それはあんまり思い出したくないな、後半以外」

 僕が「何もできない」ことを何度も王に説いていたことを気にしてか、ニールの提案で最初の小さな町には少し長いこと滞在した。主に僕が避ける、雑魚ならなんとかやっつける、邪魔にならない立ち回りを覚える、といった基本的なことを覚えるためだった。毎日毎日行われる、騎士団でも精鋭である近衛騎士の称号を持った第二王子からのしごきは記憶に残したくないほどのスパルタで。最初の何日かは「あらあら、弱っちいねえこっちのぼっちゃんは」なんて呆れて見ていた女将さんも、あまりの様子にだんだん僕を甘やかすようになってくれた。懐かしいな、彼女は元気にしているだろうか。

「砂漠の街で、吟遊詩人のお姉さまと意気投合してしばらく一緒に旅をしたり」

「それ、ニールに言ったら絶対「俺は渋々だった」って言うと思うよ」

 砂漠の街は、日本生まれ日本育ち異世界なうの僕には完全に未知の空間だった。現役ジャパニーズコウコウセイ(故人)にとって砂漠いえば鳥取砂丘で、広がる広大な砂地とその中にあるオアシスを中心に形成された乾いた土地の異国情緒溢れる空間に圧倒された。

 ――――そこで、僕たちは二つの印象的な出会いをした。

 一つ目は、レティも口にしていた吟遊詩人の妖艶なお姉さま。一人旅をしているわりには世間知らずで、流れる雲のようなひとだった。僕とレティは比較的すぐに波長が合ったけれど、しっかり者のニールとしてはどうにも彼女のふわふわした行動が心配半分せっかち半分で気にかかってしまうようで。よくなんだかんだと文句を言いながら世話を焼いていた記憶がある。 ある事件を切っ掛けに出会った彼女とは、その後次の目的地にたどり着くまで一カ月弱ほど一緒に旅をした。

 その切っ掛けというのが、二つ目の出会いである。

 砂の街は、控えめに言っても富んだ場所とは言えなかった。交易の際、陸路の要となる場所であるため決して廃れることはなかったが、逆を言えばそれしか利点ない。昼間は照りつく太陽が地を焼き肌を焼き、乾いた風が砂塵となって街に何度も訪れるから殆どの植物も育たない。だというのに、天災や各国同士の争いによる収穫数や取引の数に街の盛り上がりは完全に左右されてしまう。しかしながら大事なオアシスを有しているために、戦の際には何度も奪い合いの対象となってきた。ニールの国の庇護下に特別自治区として置かれてからは多少平和になったようだけれど、見かけは活気のある街だったが半面重い闇を抱えていた。

 それが、ひどい貧困に陥ってしまった人々の暮らすスラムである。宿屋や商店が並ぶ大通りから何個か細い路地を行くと、かつての戦で家や仕事を失った人たちその日一日を生きていくために必死に足掻いていた。ニールの国でもなんとかしようと助成金を出しているものの、どうにも他国同士の戦争に魔族が絡んでいるようで激化の一途を辿っており、片方が塩の主要な産出国なこともあって街の財政はいっぱいいっぱいだという。

 そうして、貧しくなると結果として増えるものの一つが孤児だ。僕の生まれた日本だってその問題を抱えていた。コインロッカーに置き去られる子供、育てられないからと養子に出される子供、親が親とも思えないような支配者でしかない子供。日々凄惨な、大きなニュースにも取り上げられない悲しみと暴力は世界に満ち溢れていた。

 そして僕たちは、スラムからやってきた子供たちがパンを盗む現場に遭遇したのである。たった一個の、目立たない端っこにある丸いパンをこっそり掴んで走り出したそのちいさな存在を、日々目を光らせている店主は見逃さなかった。「そのガキども捕まえてくれ!」の声に反応したのはニールで、ひょいっと暴れる子供を抱え上げていたのをよく覚えている。

 ニールと、街のほかの人々に取り押さえられた子供たちを怒鳴りつける店主に「あの」と同時に二つの声がかかった。それが、レティと詩人の彼女だったのだ。二人の思惑は一緒だった。盗んだパンと、ほかの子供たちの分のパンと、ついでに出立日に日持ちするパンをたくさん注文するから今日はどうか見逃してやってくれないか、と。

 それに否定的だったのが店主とニールだ。それは今日を生き延びることにしかならないし、子供たちに哀れみで情を買うことを教えることになる、と。少しの期間しかこの場にいない僕らや彼女には慈善活動に思えるかもしれないが、この街で、スラムで生きていくのにそんなことをするのは持つものの傲慢だ、と厳しい言葉まで飛んだ。

 しかし神に仕え奇跡を祈る立場であるレティも聞かない。「今日のこの一つのパンで変わるなにかもあるかもしれないではありませんか」と。普段は身分の差によるものと控えめな性格もあってあまりニールに口出ししない彼女がそこまで言うのは珍しいことだった。あとから聞いたが、彼女も親と家を流行り病で亡くし、哀れみで放られた黴の生えたパンだけで食いつないでいたところを拾われて生き延びたのだという。

「お前はどう思う?」

 ニールは僕にそう聞いた。そうだなぁ、と少しだけ考えるふりをしたけれど、最初から僕の答えは決まっていた。

「もしその子たちが明日死ぬとしたら、思い出すのは焼き立てのパンの味がいいなって思うし、優しい手があったことを思い出してほしいなって思うよ」

 人間は死ぬ。僕がそのいい例だ。

 死のその瞬間を、ぼんやりとだけど一度僕は体験している。その時浮かんだものはいろいろあったけれど、やっぱり迸る走馬燈に柔らかなものは多いほうがいい。とりわけ、今日を生きるのが精いっぱいの子供たちには。

 その言葉を聞いて、ニールはそっと黙り込んで店主に諸々の代金を支払った。詩人の彼女の分まで出すものだから彼女はひどくおろおろしていたけれど、「傲慢だと詰った詫びだ」というぶっきらぼうな言葉に淡く微笑んで頷いていたのをよく覚えている。

 結局、その街で起きていた事件を何故かついてきた詩人の彼女と四人で解決していくうちに、助成金がスラムの復興まで回らないのは国から派遣された自治区長が着服していたからで、魔族のせいだなんていうのは嘘っぱちであったというのが判明した。もちろんそいつはクビになり国外追放されたという。だから今は、少しはスラムの状況も良くなっていっているんじゃないだろうか。すべてが終わったら、少しだけ仲良くなった子供たちにも会いに行けるだろうか。

「お姉さまも、息災でしょうか」

「うん、きっと今日もどこかで詠って、ぼんやり月でも見ながら晩酌でもしてるんじゃないかな」

 ああ、目に浮かぶようです――――。そう言って、微笑んだあと、レティは彼女から教わった詩を少しだけ口ずさみ、そっと俯いた。膝の上に置かれていた手が微かに震えている。

「……怖い?」

 ぱちん、と大きく薪が爆ぜた。火を絶やさないように新しいものをいくつか投げ込む。月明りと星の煌めき、森の静寂。時折聞こえる夜行性の猛禽の声。しばらくはそれだけがひっそりと支配する空間だった。

「……口にするのは、神への裏切りになるでしょうか」

 彼女はそういって、傍らに立てかけていた錫杖をぎゅう、と抱きしめた。

 教会からの推薦という形でこの旅に同行することになった彼女にとって、それはひどく苦しい重圧なのだろう。普段は朗らかに笑みを湛えて少しばかり上から目線になりがちなニールをフォローして、この世界に疎い僕にいろいろなことを教えてくれて。そんなレティの表情に、時折静かに不安の翳が差しているのには気付いていた。

 だからといって僕もほぼ強制で旅に出された立場だし、この世界の国教には詳しくない。下手に話を聞くよりは甘いものを一緒に食べようと誘うくらいしかできなかった。ニールはニールで使命感と正義感、そして王族であるという矜持を抱えて真っ直ぐ前を見つめる純粋な青年なので、あまりこの手の相談には向かないだろう。

「別に、怖くたって立ち向かえばそれは信仰心の証明なんじゃない? と思うけど」

「――――本当は最初から怖くて怖くて仕方なくって、ずっと逃げ出したいって考えていたとしてもですか?」

「でも逃げなかったじゃない」

 それは、そうですけど。そういいながら彼女は、ぽろぽろとこの一年弱煮詰めてきた不安を吐き出した。

「我が国の国境が信仰する神は、正義を司っているのです。だというのに、私の心はこんなにも臆病で道理から外れた行いを欲している」

「それを抑えられているのが信仰心なんじゃないの? ほら、船で一緒になった北西の国に帰るお坊さんも言ってたじゃない」

 吟遊詩人の彼女と別れて一月ほど旅をしたあと、僕たちは海路を進むことになった。最初の三か月がなければ陸路で進みそこで魔族の情報を集めながら進む予定だったらしいが、残念ながらその時間を僕の強化に使ってしまったので最短ルートで進むことになったのだ。

 そこでは、布教活動のために各国を回っているという僧侶のおじさまと出会った。まぁ便宜上布教活動と言っているだけで、単なる破戒僧の悠々自適な一人旅だったのだけれど。「僧衣を脱げば人は人だ」と言って豪快に酒を飲み肉を食らう愉快な人だった。

 しかし、幼いころから規律の厳しい教会付属の孤児院で育ったレティにとって、そうした人物――――しかも異教徒と接するのは初めてのことだったようで。戒律を破ることに対する抵抗も強かったため、ニールが速攻で彼と打ち解けて盃を酌み交わしていたのに対し(僕は日本の法律上未成年なので辞退した)、彼女はさりげなく彼と関わることを避けていた。

 まぁ大人のそこそこイケてるおじさまがそんなことに気付かないわけもなく。船に乗って数日でレティは彼に見事にとっつかまってお茶に「誘われて」いた。

 彼との邂逅は、レティシアという僕とそう年齢の変わらない少女にとって悪い経験にはならなかったらしい。人生の半分以上を自国の宗教に囲まれて育った彼女にとって、戒律は決して犯してはならない禁忌になっていたようだった。それまでの旅でも、僕とニールがすることをレティだけは黙って見ているということが多々あって。そこまで厳しくしなくてもいいんじゃないかな、とさりげなく僕とニールや訪れた街の子供たちが誘っても、ただ困ったような顔で首を振るだけだった。

「人は元来人でしかなく、人でないものの与えた法の全てを守ることはできないのだよ、お嬢さん」

「ですが私は、私の信ずる神に常に誠実でありたいのです」

 立ち合いたまえとほぼ強引に連れられた、潮風そよぐカフェテリアで僕はそんな二人の会話をぼんやりと聞いていた。彼女が俯きがちにそう答えたのを聞いて、お坊さんは少しばかりおちゃらけていた態度だったのを真剣なものに改める。つられて僕も背筋が伸びた。

「異なるものとはいえ神に仕える身だ、君に一つだけ忠告を」

 ――――神への忠義と盲目は全く別のものだ、お嬢さん。そう語る声音は、間違った道を歩むものを引き留めるもののそれだった。

「信ずる汝が創造主たるものが君に与えるのが呪縛だけでどうする」

「ですがそれ故に、私は法術を――――」

「法術は素養と鍛錬だ。君の努力の結果でしかない。私がどれだけ酒を浴びようが肉を食らおうが、私の力は変わらんぞ」

 試してみるか? と立ち上がり僧衣の袖を捲り始めた彼を、流石に僕は慌てて止めた。とりあえずお水飲んで、と彼にお冷を渡して、今度は僕が彼女のほうを向く。

「ねえレティ、今話聞いてて思ったんだけどさ」

「はい……」

 さらなる強い文句が飛んでくるのを予想してか、彼女の体がぎゅっと強張るのを感じる。僕はそれに慌てて手を振った。「大丈夫、僕無神論者だから厳しい話はしないよ」というと、彼女はほっと肩の力を抜いた。ちょっとだけ隣のおじさまの視線は鋭くなったけど。

「冷静に考えてみたんだけど、法術を与えるのが神様で、それが神に仕えて戒律を守ることで保障されるっていうんなら」

「はい……」

「二人は別の宗教なのに法術を使うし、使える中には同じ物もあるし、彼の言う通りなんじゃないかな」

 その瞬間、少女の受けた衝撃はすさまじかった。僕の中で懐かしいぽくぽくぽくぽくちーん、という木魚の音が流れる間を感じてから、ぽつりと「確かに」と呟いて虚無の表情を迎える。俗にいう「宇宙猫」ってやつだ。レティのなかではビックバンが起こり宇宙が誕生したらしい。そのまま「じゃああの頃シスターが言ってたことは一体……」という言葉に、僧侶は腹を抱えて笑い出した。

「お嬢、まさか幼いころに尼僧に言い聞かされたことをずっと守ってきたのか! あれはどこの国にも宗教にもよくある、子供が悪戯をした時の決まり文句だぞ」

「え」

 レティシアの中で、二度目の宇宙が誕生したようだった。

 要は、彼女は幼いころに命を救われた孤児院で言い聞かされてきた「決まりを守らないと神の加護を受けられなくなりますよ」「ゆくゆくは神官を目指すのであれば、日々戒律を守って過ごしなさい」という言葉を真剣に聞き、今日まで生きてきたというわけだ。そしてそれは周囲には勤勉で敬虔な信徒として移り、この旅に推薦されるほどの若手神官になるに至った、と。そして誰もが大人になるにつれ覚えていく「こっそり隠れて美味しいものを食べる」とか、「ちょっとだけサボる」なんていうことも知らず、ただただ真面目に日々の勤めに励んでいたという。なんだか少しだけ、じくりと心の奥に泥のような感情が湧いてしまった。

 その晩初めて、この世界では成人済みの彼女は一口だけ甘いお酒を舐めて、ふわふわと幸せそうに笑った。

 ニールもその話を聞いて酒の勢いもあってかけたけたと笑い、手紙を出してみろを彼女に進めた。それに従って恐る恐る彼女が故郷へ飛ばした手紙の返事には、「時には肩の力を抜くことも大切ですよ」という文言が綴られていて。魔王討伐のための旅に出ている信徒への返事に、あまり真っ正直なことは書けなかったのだろう。それからの彼女は、少しずつ「法衣を脱いだ」時間を過ごすようになった。

 あの破戒僧には感謝しかない。彼は今頃どこで何をしているのだろうか。元気だろうとは思うけど、そこそこ血の気が多いので破門だけはされないでいてほしいものだ。

 そんな忠告があったとしてなお、彼女は心の一番奥底に戦いへの恐怖、死ぬかもしれない不安をずっとずっと抱えていたのだろう。しかしそれこそ、彼女の根底に根差す信仰心とは相反するもので。直前になってようやく、それが形を表したようだった。

「確かに、あの方のおかげで心はずっと軽くなりました。ですが、この感情だけはどうしても神への背信だとそう感じてしまうのです……!」

「何言ってるんだ、お前は」

 ひょっこりとテントから姿を現したのはニールだった。月を見上げると、確かに不寝の番の交代の時間が近い。「仲間で筒抜けだったぞ」と少しばかり不機嫌そうに言う彼に、僕は「ごめんごめん」と手を合わせた。

「ほら、遠足前の子供って緊張して寝れなくなるじゃない? たぶんそんな感じで」

「エンソク?」

「あー、まあなんか、集団ピクニック的な」

 ふうん、とよくわかっていなそうな顔で、遠慮なくニールはレティの隣に座った。彼女が気を使って僕のほうに身を寄せてくるので、結局三人がぴったりとくっつく形になる。

「レティ、お前は祈るものだから、もしかしたらまた大きな勘違いをしているのかもしれない」

「え?」

 彼女が首を傾げる。ニールは水筒の水を一口飲んでから、膝に肘を付く形で頬杖をつき、彼女のほうを見る。完全にモブと化した僕は絵になるなぁとほけほけ考えながら干し肉を火で炙った。

「騎士や兵士、小さな村の自警団、そう言った者たちが皆、戦いや死を恐れていないと思うか?」

 レティはそれにぱちぱちと瞬きをする。「皆さまそれに打ち勝ち戦いを志願したのだと思っておりました」という言葉に、ニールの口角が皮肉げに吊り上がった。

「そんなわけないだろう。皆怖いし、戦わなくていいならそれでいいと思っている」

「ではなぜ皆さま、戦いに赴くのですか」

 ニールに対してレティが前のめりになる。彼女の錫杖がしゃらしゃら鳴るのと同時に、ご令嬢たちから注ぐものとは違う熱意の籠った視線を、ニールは真剣に受け止めた。

「表面的な理由な、皆違うが、根本的なところは同じだ。――――結局、失うことが何より怖いと思っているからだ」

「失う、こと……」

 ここまで出会ってきた人物にもいろんな人たちがいた。小さな村の宿屋のおばさんから始まって、詩人のお姉さんやスラムの子供たち、砂の街の活気ある人々、船に相乗りした客――――そのなかでも、件の破戒僧。彼がレティシアに与えた影響は確かに大きかったが、それは神に仕えるものとしての心構えとして。「戦うもの」としての彼女の葛藤を、今王国の近衛騎士たる青年が解そうとしているのだな、と感じた。

「国や家族を守るために日夜己を磨くものもあれば、失いたくない命のために技を磨き、高い報奨を得るために戦うものもいる。……稀に、気の狂った戦闘狂がいないでもないが、多くの者にとって戦いは手段であり目的ではない」

 俺たちだってそうだろう。そうニールが問いかけると、レティは静かに頷いた。

 僕たち三人の旅の目的は、「世界の敵たる魔族の殲滅に先駆け、魔王を討伐する」こと。それは世界を――――自分たちの生きる環境すべてを「守る」ことだ。

「ここまで来たならはっきり言おう。俺は初めての戦の際、怖くて移動の馬に乗りながらずっと震えていた。正直こっそり逃げ出したかったし、先遣隊がうっかり全部魔族を殲滅したからお役御免だ、なんて吉報が入ることをずっとずっと期待していた」

「ニール様が、ですか……!?」

 驚きでレティが仰け反る。衝撃で僕の肩にぶつかり、僕はまだ噛み途中だった炙り干し肉をうっかり飲み込んでしまった。慌てて苦笑したニールが水を差しだしてくれるのでそれを飲み込む。

「そうだな、今では与えられた近衛騎士の称号に恥じない振る舞いをと心がけてはいるが、正直明日の魔王戦だってほぼなんの情報もないし不安だ。魔術一発で三人全滅なんでこともあり得る。正直怖いかと聞かれたら是と答えるな」

「流石に頑張ってきたしそれはないんじゃないかなぁ、というかそんな脅すようなこと言わなくても」

 少しばかり意識がお空に飛んでしまったレティの肩を撫でて大丈夫大丈夫、と唱える。この一年間様々な出会いをして、いろんな考え方に触れて僕たちは成長してきたんだ。最初は剣の重さにぼろぼろだった僕だって今ではそこそこに戦える。何があっても大丈夫だよ、ともう一度彼女に告げると、レティは「そうですね」とぎこちなく微笑んだ。

「それでも、ニール様が戦うのは、我が国の王子殿下だから、でしょうか」

「いや違う、俺が第二王子として生きると決めて、父王や兄上、そしてこの国の民を守りたいと願ったからだ」

 別に嫌ならさっさとどこかの貴族に養子入りでも決めて好きなことをしている。そう不敵な顔で笑った彼は、さすがは文武両道いずれは大将軍か宰相か、と言われるまである。

「なんなら僕なんてほぼ強制だったし、嫌だ怖いちょっと勘弁してって言ってもニールに尻叩かれながらここまで来たしね」

「お前は仕方ないさ、召喚された勇者なんだから」

「いや今頃僕はミンチになって電車のダイヤを狂わせていただけなんだって……こう、もっと向上心のある人間を呼ぶべきだったと思うよ」

「往生際が悪いな、明日には魔王と戦うというのに」

 いいじゃないか、命が救われたんだろう? そう微笑む彼に僕はそうだね、と頷く。レティも「貴方に出会えてよかったと、心から思っています」と目を閉じて祈るように言ってくれた。

 ――――この世界では、召喚魔法はあってもそれを「還す」魔法はないらしい。だから僕は、二度とあの朝の人でごったがえした駅のホームには帰れない。

 この先をどうしようか、なんて。大きな戦いを前にそんなことを考えるべきではないのかもしれないけれど。

 それでもなお、最後に聞いた電車の警笛に対する郷愁が、心のどこかに残っていた。

「ほら、そろそろ二人とも眠れ。体力は可能な限り温存しておくに限る」

 穏やかな表情を取り戻したレティと僕を、寝ろ寝ろさっさと休めとニールが追い立てる。

 一年弱の密な時間を過ごした大事な仲間に最後になるかもしれない「おやすみなさい」を告げて、僕たちはそれぞれのテントへと入っていった。


 ***


 そうして訪れた魔王城には、呆気ないことに敵が一切いなかった。

 これまで訪れた町では、夜な夜な店を荒らして金目の物や食料を強奪するゴブリンだとか、血を主食にするヴァンパイアに家畜や人が襲われたりだとか、そういった事件と相対しながら過ごしてきたものだから、絶対に魔王城を攻めるとなれば魔に属する者たちは皆此処を守ると睨んでいたのだけれど。

 ――――いいや、違う。それを予想して策を練っていたのはニールのほうで、僕はどこかでこうなることを予想していた。

 奇襲を警戒しながらも、当然のように最上階についてしまい僕以外の二人はひどく困惑の表情を浮かべていた。

「体力も法術も消耗させずとも問題ない、ということでしょうか。やはり昨晩のニール様の予言通り……」

「いや、それはないだろう。それなら城の敷地に入ったところですぐにやられているはずだ」

 とにかく、中に入ろう。そう言って玉座の間に繋がる扉に手をかけた彼に、僕は待ったをかけた。

「ねえ、ところでさ」

 僕の後ろにいたレティが首を傾げる。彼女の動きに合わせて錫杖がしゃらんと鳴った。

「どうなさいました?」

 この世界にきて、ずっとずっと思っていたことがある。

 ただただ言い聞かされた「世界の敵」について。けれどそれに対し、どうにも拭えない違和感をずっとずっと抱いていた。

 彼らの国教は「正義」を司る神だという。そして、悪である魔族を滅ぼすことはまさに神の教えに従った正しい行いである、と。

「君たちの言う正義って――――、何?」

 首を傾げる僕に、二人は「何を言っているんだ?」という表情を浮かべた。方や「正義」の権化たる近衛騎士、方や「正義」の神に仕える巫女である。そりゃあそうだ、僕の疑問の意図は伝わらないだろう。

「砂の街で、二人が対立したことがあったじゃない。パンを盗んだ子供を庇うか、庇わないか――――ねえ教えて、あれはどっちが正義なのかな」

 その問いに、二人はすごく複雑そうな表情を浮かべて黙り込んだ。あの頃よりも互いのことを理解して、その信念を尊重しあっている。けれど、彼ら二人は自分の意思を変えられない。黙り込んでしまった二人に、僕はまぁいいや、と区切りをつけた。

「たぶん時間はたっぷりあるからさ、中で話そうよ」

「ちょっと待てお前そんな、無防備に……!」

 ニールの代わりに先頭に立ち、彼の役目だったはずの「扉を開ける」という動作を行う。重たそうに見えていた扉は、軽化の魔法をかけてくれていたのか案外簡単に開いた。

 その玉座に座っていた人物の姿を認めた瞬間、後ろの二人が息を飲むのを感じる。

 予想のついていた僕は、目前にある豪奢な玉座に腰かけた妖艶な女性に手を振った。

「久しぶり、吟遊詩人のお姉さん」

「うふふ、お久しぶりです、勇者くん。その後の冒険で答えはみつかりましたか?」

「残念ながら、わからないんだ。だから今日は、二人にもさっき聞いたし、お姉さんにももう一度聞くつもり」

 艶やかな黒髪と、黒の少しばかり露出の激しい大人っぽいドレス。それでどこか気怠げに話す彼女に僕が平然と答えていると、後ろでニールが頭を抱えながら「ちょっと待て」と間に入ってきた。

「どうして彼女が其処に座っているんだ」

「そりゃ、魔王だからでしょ」

「なんでお前はそんなに平然としているんだ」

「砂の街で知り合ったときから、なんとなく察してふたりでお喋りしたから?」

「なんで勇者と魔王が旅の前半から仲良く連れ合って旅なんてしてるんだ!」

 わーっ! と叫びそうな彼の様子は、完全に頭の中が一杯一杯で混乱していることを示している。更にその後ろのレティに至っては、情報の処理が追いついていないのか少しばかり魂を飛ばしていた。

「とりあえず、あの、椅子は用意しておいたの。良ければ座って?」

 完全に状況を無視した吟遊詩人の彼女――――もとい、魔王陛下はぱちんと指を鳴らした。すぐさま僕たちそれぞれの傍に座り心地の良さそうな椅子が現れる。どもども、なんて言いながら座ると、そのふかふか具合に感動した。「これ、高級ホテルとかのやつ……!」とぼくが叫ぶと、彼女は「気持ちいいのよね、私もお気に入りなの」とほほ笑む。

「……とりあえず、お前たち二人が互いに自分の身分を明かして関わっていたのは解った。だが正直理解が追い付かないから詳しく説明してくれ」

 ぽけっとしたアリシアを座らせてから自分も椅子に座ったニールが、蟀谷を揉みながらそう問いかけてくる。それに僕が頷くと、魔王陛下はにっこり笑って「ならば同じ目線で話すべきね」と笑って玉座を降り、新たに表れた新しい椅子に座った。




 僕と彼女が互いの正体に気付いたのは、知り合った当日のことであった。

 だって詩人の一人旅だというのに、物の買い方もわからなければうっかり銀貨と金貨を間違えたり、市井の様子をあまり知らないというのはおかしすぎる。ちょうどその街で「魔族の仕業で」復興支援金がスラムまで回らない、という話を聞いたばかりでもあったので、もしかしたら彼女はこの町の様子を確かめに来たのではないかと思ったのだ。流石に魔王陛下だとは思わなかったけれど、彼女がさらりと明かしてくれた。

「だって、私はあなたが勇者だと知ってしまったのにあなたが私の正体を知らないのは平等じゃないわ」

 というのが彼女の言だ。それでさらに僕は「世界の敵」に対して疑問を持つことになる。

 彼女が旅の仲間に加わっていたしばらくの間、二人きりになる時間があればあるだけ僕は彼女に質問を重ねた。「本当に魔族は世界の敵なのか?」と。

 彼女の返答は常に同じだった。「わからない」、ただそれだけ。

「吸血鬼に生まれたとして、血を吸うことは生命活動の一環だわ。でもそれを悪だというのなら、吸血族は血が流れる者たちすべての敵ね」

「うーん、じゃあ動物の肉を食べて栄養を補っている僕たちは、動物の敵だ」

「ゴブリンは知能が低いから、基本的には集落を作ってそこで教育を行っているの。でも、一度見世物小屋に誘拐されてしまった幼い子たちがいて……町を荒らしている子たちがいるとするなら、そこから繁殖したんじゃないかしら」

「それ、悪いの見世物小屋では?」

 などなど。魔族というものにカテゴライズされる彼らは、自分たちの命を守るために行動していたり、持てる知能の全てで出来ることをしていたり。要はゴキブリが生きるために人間の家屋に生息し、食品棚に隠れ住み、いろんなものを摘まんで生きているのと何ら変わらないじゃないか。

 でも、ゴキブリは世界の敵じゃない。強いて言うならキッチンの敵だ。あまりにも「A of B」の「B」が誇張され過ぎている。――――だって、彼らはただただ生命活動を行っているだけなのだから。そして害悪となるものは、彼らの王たるものが管理しているのだし。

 聞けば聞くほど、僕は「世界の敵」というのが解らなくなっていった。そして同時に、何度も繰り返し言い聞かされた「正義」「正義の勇者」というものに対しても疑問を抱くようになっていた。――――いや、「正義」への疑問は、ずっとずっと抱え込んできていたのだけれど。

 だからつい、僕は彼女に訪ねてしまったのだ。

「貴方にとっての正義とは、何?」と。

 魔王陛下の回答は辛辣だった。「それを聞いて、何になるというのかしら」だ。

「だってあなたはこれから数か月後に、「正義の勇者」として私を殺しに来るのに。私の正義と貴方の正義が合致してしまったら、貴方仲間を裏切ることになるのよ」

 軽率だった、と今は後悔している。けれどあの頃は、今よりずっと日本にいた頃の記憶が鮮明で。たぶん、僕も以前のレティのようにひっそりと心に溜まった澱に疲弊していたのだと思う。

 そんな様子を見て取ってか、彼女は僕の頭を撫でてからふわふわと笑って、励ますように詩を口ずさんでくれた。それは魔族の言語だったから意味は全くわからなかったけれど、優しくて、朧げで。ひどく安堵したことを覚えている。

「だから貴方の正義は、ここから先の冒険で貴方が見つけなさいな」

 そう彼女から課題が出されたのは、魔王陛下と旅路を違える前夜のことだった。




「それからね、ずっと考えてたんだ。正義ってなんだろうって。悪を滅ぼせば正義なのかな? でも、視点によって悪は変わるということを僕は知ってしまったし……それに、それにね」

 僕と魔王陛下の説明を静かに聞いていたニールとレティ(なんとか話の途中で我に返った)が、ぴくりと反応した。

 これは、僕が最初からずっとつき続けてきた嘘の話だ。いざ告白しようとなると、ひどく緊張した。どくどくと心臓が鳴り、汗が背中を流れていくのがわかる。

「……僕は、ずっと「うっかり」電車が入ってきた駅のホームに落ちたって話していたでしょう?」

「ああ、そうだな」

「それねぇ、嘘なんだ」

 ごめん、実はわざと。どこかお道化て続けた言葉に、仲間の二人だけではなく魔王陛下まで目を見開いた。

 ――――あの、曇天の空の下。タイミングなんていつだって良かったんだ。ただ、ふっと「そうだ、今日にしよう」と思っていた、だけで。

 決意してしまえば、体が動くのはすぐだった。光る電車のライト、警笛の音、飛び出した瞬間の浮遊感。

 走馬燈のように迸ったのは、口の中に詰められた雑巾の味と、何もかもがずぶ濡れの状態で交通機関も使えず歩いて帰った冬の晩に感じた寒さ。

 使うのならば電車だと決めていた。同じ時間に電車に乗るやつはごまんといる。飛び散る僕の肉片を、何人の傍観者が目にするだろうかと心躍った。この電車を使う無関係な人々すべてを巻き込んでも、電車のダイヤを乱して、トラウマを植え付けて、そうして華々しくミンチになって終わってやろうと思っていたのに。

 まるでそれを咎めるように、目覚めると僕は異世界に居たのだった。

「僕はね、教科書を窓の外に投げ捨てられている同級生を助けるのは当然のこと――――ここでなら正義って言い換えてもいいかな。そう思ってたんだ。でも、そうじゃなかったみたいで」

 気づけば僕は、学級という一つの「世界の敵」になり果てていた。そうしてすり減ってすり減って、ただ只管に悪徳に走った。

 だからこそ、この世界にきてずっとずっと疑問を抱いている。

「正義ってなんなのかな。だって、吸血鬼を退治するのは非吸血族には正しい行いかもしれないけど、彼らにとっては死活問題だよね。砂の街のパンと一緒だ」

 僕の話を聞いて、共感性の強いレティシアは泣いていた。泣かせたいわけじゃないのに、どうしたって復讐込みの自死を選んだ話をしたらこうなってしまうとわかっていただけに心苦しい。魔王陛下もニールも思った以上に重い過去だったのか、沈痛な表情を浮かべている。

 場の空気を入れ替えたくて、僕はぱちん、と手をたたいた。玉座の間にその高い音が反響する。全員の意識が僕に向いた瞬間だった。

「だからさ、一回何もかもゼロに戻そうよ。魔族だとか人間だとか、正義とか悪とか、宗派とか戒律とか全部全部なしにして」

 だって絶対、僕らが「魔族」と呼んでいた存在には誤解が多々あるのだ。それは魔王陛下の話の一端からですぐに感じる。

「“正義の勇者”とその仲間であるこの四人でさ、新しい正義について話をしよう」

 勝手に数に含まれていた魔王陛下がきょとん、と首を傾げる。「私もなの?」と彼女が自分を指さして問いかけてくるので、僕は「当たり前じゃん」と笑った。

「言ったじゃない、何もかもゼロにして、ここからはじめようって」


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