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Ria-Huxaru  作者: 熾 あはの
5/13

不幸という名の少女Ⅱ

あかい目の子は悪魔の子


目の合う者に不幸を振り撒き


名前を呼んで死へ誘う


そいつの名前を呼ぶと、そいつは魔物に喰われて殺された。

そいつ等と目が合うと、そいつ等は転がるようにあたしから逃げていった。

その癖そいつ等はあたしの事を指差して、"ウィングリュック"と囁くのだ。

あたしの名前がウィングリュックになったのは、いつからだろう。


そんな中、あいつだけが。

その痩せた、大きくて温かい手で

あたしに、触れた。

触れて、笑い掛けた。



「うわあ……」

アリエッタは部屋の窓を開けて、感嘆の声を漏らした。視界に広がるのは、一面に輝く星の夜空。アリエッタとアクアは夕食を簡単に済ませると、宿屋の一室に腰を落ち着かせた。家具らしい家具はベッドが二つという簡素な部屋だが、居心地は良い。

「その空が、貴方に見せたかった景色よ」

そのベッドのひとつに座っていたアクアは、仄かに嬉しそうに言った。その視線は、何処までも柔らかで優し気だ。

「喜んでくれた、かしら」

「───うん、凄い」

アリエッタは空の景色に魅いられたまま呟いた。

星空は、綺麗だ。

何処までも澄んでいて清々しく、暗い筈なのに、明るい。

アリエッタは暫くその星空を眺めていたが、ふいに物思いに更けるように、窓の縁に寄り掛かった。

「……ウィングリュックは、名前を取り戻せるかな」

ぽつりと呟いた言葉に、アクアは応えた。

「あの子は自分の事をウィングリュックだと思ってる。それが問題だわ」

ウィングリュックで良いと思っている。本当の名前を思い出したいという意志がなければ、それは難しくなる。

「…じゃあ、思い出したいって思わせるようにすれば良いんだね」

「協力的ね。頼もしいわ」

「……だって、さ。可哀想じゃないか」

彼女がウィングリュックのままならば、これからもずっと、街の人に迫害され続ける事になる。それはとても、哀れだ。

「それか、だれかあの子の本当の名前を知ってる人がいれば良いんだけど…」

思い思いに呟いたアリエッタの声は、途中で打ち消される事となる。


「助けてっ!」

という、少女の叫び声が聞こえたからだった。



星空は、綺麗だ。

少女は宿屋の外に立っていた。首の後ろに結んだツインテールの金髪に、悪魔の子の象徴といわれる朱い瞳。少女は違和感を抱き、辺りを見回す。

子供の笑い声が鳴る。

少女の前には、ひとりの女の子が立っていた。少女よりも年下に見える、軽くウェーブの掛かった藍色の髪を肩に垂らし、モノトーンな服装を身に付けた女の子だった。女の子は、手を振っていた時と同じように、楽しそうに笑っている。ただその目は無感動で、何処までも人形じみていた。

「……あんた、誰?」

そんな笑い声に重なって、少女は言う。こんな子供は街には居なかった。少女は身体を強張らせて、再度口を開く。

「あんた、何であたしの───」

くすくすと笑っていた声が、止んだ。

「可哀想な”アストロ”……」

可愛らしい女の子の声が鳴ると同時に、辺りの空気がざわつき、女の子の周りから複数の気配が現れる。暗闇で姿形は判らないが、唸り声や息遣いで獣か何かだと判った。

女の子の声は止まない。

「皆に嫌われた、ひとりぼっちで、可哀想なアストロ」

囁くような声で、まるで少女を悼むような声で。

「そんなあなたをわたしは、探していたの」

女の子は再び口元で笑うと、訳の判らない恐怖で硬直した少女に手を差し伸べた。その左手の中指には、銀の指輪が光っている。

「──あなたを、殺す為に」

「は────?」

その科白を聞いて、少女は思わず声を漏らした。

しかしそれも束の間。暗闇の中、女の子の傍にいたと思われる獣が、少女に襲いかかってきたからだ。

「きゃっ!?」

寸前の所で身体を捻ってかわすが、バランスを崩して地面に転がる少女。それでも獣の動きは止まず、更に追い討ちをかけようと、ずらりと並んだ牙を光らせた。

「た────助けてっ!」

咄嗟に叫んだ声は恐怖に震えていて。


その時。

へたり込んだ彼女の腕を。

温かい手が、掴んだ。



アリエッタが慌てて外に飛び出すと、其処には複数の黒い獣と、藍色の髪の女の子がいた。女の子はその無感動な水色の瞳で、じっと何処か一点を見つめている。

「貴女は……!」

アリエッタの後ろから続いたアクアが女の子を見て呟くと、女の子が此方に顔を向けた。

「……アストロは、向こうへ行ったよ」

お兄さんと一緒にね。

女の子は可愛らしいが抑揚のない声でそう言うと、さっきまで見つめていた方向を指差した。

「アストロ──?」

馴染みのない単語にアリエッタは眉を寄せるが、アクアは何かを察したらしい。

「あの子とラントさんが危ない……!」

「え──」

「名前を思い出したんだわ。だから命を狙われている……!」

焦った様子のアクアは泡の粒子で銀槍を出現させると、獣に囲まれている女の子に向かって口を開く。

「通してくれないわよね」

「うん」

女の子は律儀に頷くと、銀の指輪を嵌めた左手を挙げた。すると獣の群れがアリエッタとアクアの前に立ち塞がる。アリエッタも応戦しようと身構え……、

「そういえば"力"が使えないんだった……!」

「私が片付けるわ。アリエッタは隙が出来たらあの女の子を追って!」

アクアは動じず、飛び掛かって来る獣達を凪ぎ払う。アリエッタも獣の攻撃を避けながら、何処かへ駆けて行く女の子を目で追う。


──嫌な予感がする。


頭の奥で警鐘を鳴らしながら。



何処まで続くのだろう。

そう錯覚させるような広い平野に、怒声が響く。

「放してっ!放してよ!」

「馬鹿かあんた、死にてえのか!?」

アストロは走りながら、掴まれた手を振りほどこうと身を捩る。それでもその手を放さない茶髪の青年、ラントは怒りを露に叫んだ。

怒声は止まない。

「それはこっちの科白よ!普通あんな化け物蹴り飛ばしてまで、あたしの所に来る奴、いる!?」

「助けてってあんたが言ったんだろうが!」

「ッ──、だからって律儀に助けるの!? あたしを、不幸を呼ぶ悪魔を!」

「あんたは悪魔じゃない!」

「悪魔よ!呪い殺すわよ、あんたの父親みたいに!──そうよ、殺されれば良いのよ……あたしなんて!」

そう叫んだアストロの腕を、ぐんっ、とラントは思い切り引っ張った。

「きゃっ!」

バランスを崩しかけるアストロの肩を痛い程掴んで、ラントは彼女を睨み付ける。その表情は、怒りに染まっていた。

「───そんな事、二度と言うな」

地を這うような低い声に、アストロはびくりと肩を震わせる。

「殺されれば良い?笑わせるな。そんな事絶対にやらせやしねえ」

幸せになって欲しいと思ったから。

だから。

「俺がウィンを守る」

そう言って、ラントは表情を崩し、仄かに笑いかけた。

悪魔の子に。

アストロは朱い目を暫し見開いていたが、直ぐに表情を崩し、泣きそうともとれる顔でラントを見つめた。

「……あ、たし……あたしは───」

けれど、彼女の言葉は最後まで続かなかった。アストロが突然、地面にくずおれたからだ。

「ウィン!?」

「痛……っ」

アストロが押さえている足には、黒い針のようなものが突き刺さっている。れは釘のようだ。

「……無駄だよ?」

可愛らしい声が響いて、ラントははっと正面に振り返った。其処には先程の、藍色の髪の女の子が立っている。

「もう追い付いて来やがったのか……!?」

それにしては立ち位置がおかしい。

まるで回り道をしてきたかのように、女の子はラントとアストロの前に立っている。けれど此処は平野だ、回り道が出来る場所などない。

「やらせないとか、守るとか、言っても無駄だよ? ねえ、」

"桃色の瞳"を光らせて女の子が呟く中、ラントは無視して負傷したアストロを抱き上げる。女の子の反対方向に逃げようとした、が。

「ねえ──フルミネ」

其処にも藍色の髪の女の子が、いた。

「そうだね、ドナー」

「な─────!?」

同じ声。容姿も、着ている服も同じ。しかし、瞳の色が異なる女の子二人が、行く手を塞いでいた。水色の瞳の女の子の方には黒い獣が一体寄り添っており、時折唸り声をあげている。

「双子………!?」

それでもラントは逃げようと方向転換するが、それよりも早く、黒い釘がアストロを抱えている腕に突き刺さった。その腕から、アストロが滑り落ちる。

「ウィン!」

「う………」

アストロは起き上がろうとするが、上手くいかない。そんな彼女の上に黒い獣が飛び掛かる。鋭い牙が不気味に輝いた。駄目だと、アストロは目をぎゅっと閉じた。


────痛みはしなかった。

ただ、鈍い音だけが、聞こえた。


温かい体温を感じて、アストロはそっと目を開いた。

「あ…んた……」

目の前には、ラントがいる。ラントはアストロを、抱き締めていた。その彼の右肩に、獣の牙が食い込んでいる。獣が首を振ると、肩の肉はいとも簡単に千切れた。ぱたぱたと肉片と血が宙に舞い、ラントは呻きながら、ずるずると崩れた。

「あんた………?」

アストロは目を見開いて、力をなくしたラントを凝視した。肩の出血が酷いのは、一目見て判った。ラントは痛みに顔をしかめていたが、彼女を見ると仄かに笑い掛けた。

「……守るって、言った、もんなあ………」

そしてその、痩せた大きな手で、彼女の頬に触れた。その手が冷えていて、アストロは更に目を見開いた。身体が無意味に震える。


不幸を呼ぶ子だから。

自分なんかといたから、彼はこんな目にあったのだ。

自分が、彼の前から消えていれば。

生まれてこなければ。


「………嬉しかった」

突然、ラントは呟いた。痛みに声を震わせて、けれど必死に笑い掛けて。

「ウィンが、俺の所に来てくれて……嬉しかった」

アストロははっとして、ラントの傷口を見た。

「あんた、喋らないで!血が、血が止まらないっ」

両手で押さえれば、直ぐに手は赤く染まった。ぼたぼたと、血は止まる気配を見せない。

「ウィン、俺は、あんたが………」

ラントの声が小さくなる。頬に触れていた手が、力を無くしてことりと落ちる。

綺麗な夜空の瞳が、閉じる。

「……嘘、嘘よ……」

アストロは否定するように、首を横に振った。拍子にぽたぽたと、目から自然と涙が零れる。

どうして、自分は生きているのだろう。知らない街でウィングリュックと嫌われ、罵られてきたというのに。それでもここで生きていたのは、ラントがいたからだ。ラントが自分を匿い、世話をしてくれたからだ。

そして、今も、こうして。

「ねえ……目を開けてよ、ねえ…」

あの痩せた、大きな、温かい手で自分に触れたから。

笑い掛けてくれたから。

唯一、自分を受け入れてくれたから。

「あたしを……あたしをひとりにしないでっ!!」


瞬間、


胸に衝撃がきた。


アストロが我に返り、自らの胸を見ると、左胸に黒い釘が刺さっていた。目の前に藍色の髪の女の子が、手を翳している。その手から、小さな青い雷がパチパチと瞬く。

アストロは涙を流したまま呆然として、そして、ゆっくりと倒れた。

「─────ト」

ラントに抱き着くように崩れた彼女の身体を、双子はくすくすと笑いながら見つめていた。

「…余計な人まで死んじゃったね、ドナー」

「そうだねフルミネ。この子の餌にでもすれば良いんじゃないかなあ」

ぐるぐると唸る獣を撫でながら、双子はとてとてと彼等に近づいて行く。

「さあ、指輪をもらおう」

「これで認めてもらえるね」

そう言い合い、アストロの左手を引っ張り出した時、不自然な風が、双子の頬を叩いた。双子がはっとして立ち上がるのと、双子の背後から人影が飛び出して来たのは同時だった。双子が手を挙げると、獣は人影に突っ込んでいった。強烈な風が、その獣を切り裂いていくのが判る。

その風を操っている少年は、若草色の髪をはためかかせ、怒りで燃える瞳で叫んだ。


「赦さないぞ、お前等!!」



"イメージするの"

馬車に乗っていた時言っていた、アクアの言葉を思い出す。その手に見えない風を掴んでいるのを。風が形になり、相手を切り裂くのを。

アリエッタは目の前で立ち尽くしている双子の女の子に、両手を突き出した。しかし双子の前に、黒い獣が割り込む。その獣に、アリエッタの力である風がぶつかった。

大きな咆哮がつんざいた。獣の身体が切り裂かれていく。血の代わりに銀色の粒子が飛び散り、その姿は段々と崩れていく。

アリエッタは頭が冴えていくのを感じた。

辺りの風が、両手に集まっていくのが判る。

風が、形になっていくのが判る。

アリエッタは腕を大きく振り上げ、勢い良く降ろした。


「”疾碧”っっ!!」


すると獣が、音も無く真っ二つに裂けた。裂けた身体は"B"の形のチャームに変わり、アリエッタの足元に転がった。

アリエッタは目を見開いて、己の両手を持ち上げた。その手には、二本の短剣が握られている。アクアの銀槍の様に、力で出来た武器だ。

「これが………力」

呆然と呟くと、パチパチと拍手が聞こえてきた。身構えると、双子が無感動な表情のまま、手を鳴らしていた。まるで操り人形のように、かくり、と首を傾げ、口を開いた。

「いなくなっちゃったね、ドナー」

「そうだねフルミネ。でも此処には、アストロの指輪がある」

そう言って、双子の片方がアストロに手を伸ばす。何が起こるか判らないが、アリエッタは咄嗟に叫びかける。

「──!やめ」

「止めなさい!フルミネ、ドナー!」

しかしその声に、凛とした声が重なる。

アクアがアリエッタの後ろから、息を切らして此方に向かっていた。隙の出来た双子にアリエッタが武器を振りかざすが、同じ動作で飛び退き、双子はお互いの顔を見合せて、つまらなそうに呟いた。

「「じゃあ、あなたも来たみたいだし、帰ろっか」」

くるりと後ろへあっさりと振り返る双子を追いかけようとすると、アクアの鋭い声が飛んでくる。

「駄目よ、アリエッタ。今は構ってはいけない!」

ぐっと堪えると、くすくす笑い声が鳴る。

「「また来るね、アストロ、アリエッタ」」

やがて、双子の足音も、笑い声も、気配も消えていった。

ふっと肩の力が降りると、短剣は見えない風と同化して消えてしまった。

「あの子達は、一体何なの?」

アリエッタが訊ねれば、アクアは真剣な声で応えた。

「あの子達は、私達と同じ。でも、違う」

「アクアは知り合い?」

「ちょっとね。でもその話は、後」

緊迫した声に、アリエッタははっとした。慌てて彼女の元へ駆け寄る。アクアは既に、ラントの肩に手を翳していた。手元が淡く光り、傷を癒していく。

「ウィングリュックとラントさんは!?」

「ラントさんは、大丈夫。血も止まったし、筋も繋がったわ」

そう言われたラントは、既に意識を取り戻し、起き上がっていた。彼は肩を庇いながら、アクアとアリエッタを、若干の恐怖の滲んだ目で睨み付けている。

「───あんた等、異端者だったのかよ」

「あ────」

「そうよ」

ペイグンは見付かり次第、処刑されるもの。

焦るアリエッタに対して、アクアは強い視線でラントを見つめ、あっさりと認めた。

「でも私達は、殺される訳にはいけないの。見逃して」

懇願するアクアに、ラントは妙にさばさばした様子で答えた。

「別にどうでも良いわ。嬢さんと少年がペイグンだろうと、命を救われたのは事実だしな」

髪を掻き上げ、それより、とラントは言った。

「ウィンは、無事なのか」

ラントは厳しい表情で、倒れたまま動かない少女を見つめた。

「この子は…釘が完全に心臓に刺さっていたわ」

「そんな、じゃあ…」

アクアの悲し気な声に、アリエッタは胸が潰される思いになった。


嘘だ。

そう思いたかった。

しかし、動かない少女がその結果をはっきりと物語っていた。


「───ウィン」

ラントは呆然と、呟いた。呟きながら動かない少女を抱き上げる。

「ウィンは、こんな所で死んで良い奴じゃない」

震える声で、小さな声で。

「あんたは幸せになんなきゃならねえのにっ!」

その時、少女の身体が、小さく痙攣した。

「!!」

「痛い…よ……」

驚く三人に囲まれて、少女は、アストロはぼそりと呟いた。ひっく、としゃくりを上げる度、身体がびくりと小さく跳ねる。

アストロは、泣きながらラントの腕に触れた。

「痛い、けど…あたしは生きてる」

「ウィン……!?」

見れば、アストロの左手の中指に嵌まった指輪が、輝いていた。夜空に光る、ひとつの星のように。

アストロはぼろぼろと涙を溢しながら、下手な笑顔を作った。

「あたしは…アストロだよ、ラント。アストロなの……!」

そして彼女はラントに思い切り抱き着くと、叫ぶように大声で、泣き始めた。

「リア・ファルの力だわ……。覚醒、していたのね」

驚いたように、アクアは呟く。そして泣きじゃくるアストロと、彼女の頭を笑いながら撫でるラントを見て、微笑んだ。

優しく、柔らかく。

アリエッタは、空を仰いだ。

星空は綺麗だ。

どこまでも、どこまでも。



悪魔の子供は、異端になった。


「アストロ、忘れ物は?」

「ないって」

「本当に、昨日の傷は平気なのか? 何処か痛い所は、しい所は?」

「ラント、煩い!あたしは大丈夫って言ってるでしょ!」

「──でぇっ!? おいこら、肩を叩くんじゃねえ!まだ治ってねえんだから!」

「なら大人しく寝てれば良いでしょ?」

「こんな時に寝てられるか────!」

街外れの宿屋から、どたばたどたばたと騒ぐ音が鳴っている。馬車を置いた場所で可笑しそうに笑い合いながら、アリエッタとアクアは旅の準備に取り掛かっていた。

今日でこの街とはお別れだ。探し物は見付かり、人は助かった。昨夜の騒ぎは街中に伝わっておらず、大きな問題にはならなそうだった。

しかし、長居も禁物だ。

日の高く昇った昼間、宿屋からは相変わらず少女と青年の言い合いが続いている。その宿屋を見つめていたアクアは、何かを懐かしむように瑠璃色の目を細めた。

「────想い人がいるという事は、良い事だわ」

ぽつりと聞こえた声に、アリエッタは準備をしていた手を止め、彼女を見た。

「想い人がいれば、人は強くなれる。心も、力も」

「……アクアにも、いるの?」

アリエッタが訊ねれば、アクアはとても嬉しそうに、淋しそうに、笑った。

「────ええ、いたわ」

"いた"という過去形の言葉に首を傾げるアリエッタを、アクアは見つめた。あの表情は失せ、いつもの優しげな美貌に戻っている。

「アリエッタには?想い人はいないの?」

アリエッタは暫く考え、やがて思い付いたように、笑って答えた。

「アクア、かな」

「え───?」

「なんて、ね」

アリエッタは悪戯っぽく笑うと、さくさくと作業に戻ってしまった。

訳が判らず呆けているアクアに、

「アストロ──ッ」

「だーかーら、大丈夫って言ってんでしょ、この過保護!」

そう言い合いながら、宿屋から二人の人影が出て来るのが見えた。ぱっとアリエッタが作業を止めて、二人に駆け寄る。

「ラントさん!アストロ─────あ」

言い止まる彼の後ろから、アクアも顔を覗かせる。其処には、今も小突き合いを続ける青年と少女がいた。

ばさばさな茶髪に、三白眼の夜色の瞳の青年。その隣にいる金髪の少女は、変わっていた。

雰囲気だけではない。首の辺りでツインテールにしていた髪は、頭の高い所で二つに結われ、長かった前髪が、短くなっていた。常に長い前髪から覗いていた朱い瞳は、外にさらけ出され、勝ち気に輝いている。

「アストロ………」

アクアが優しく囁けば、アストロは照れ臭そうに笑った。

「………うん」

ぽんと、ラントがアストロの肩をそっと叩いた。アストロはつられて前に出て、アリエッタとアクアの顔を交互に見つめた。そして片腕を上げ、やけに明るい声で言った

「よーし、行くわよ!」

「おー!」

アリエッタも元気良く腕を掲げる。そんな二人が微笑ましくて、アクアはくすりと笑う。そして、ラントの方へ振り返った。

「貴方は、これで良かったの?」

「良いんだよ」

ラントは怪我の治らない腕を三角巾で吊りながら、からりと笑った。それは淋しそうでもあり、晴れ晴れともしていた。

「不幸の子を手放せて、満足?」

「んな訳あるか」

アクアの挑発にも彼はまるで動じず、けらけらと笑う。

「俺はただ、嬉しいんだよ。あいつがあんな明るくなってくれて。それもこれも、記憶を取り戻したお陰、かもな」

その記憶を、名前を思い出させたのは、あの双子の女の子なのだろうか。

「貴方は、関わらない方が良いわ」

訊ねれば、アクアは厳しげにそう言った。もう首を突っ込むなと。ラントはそれを察して、大人しく頷いた。

「アクアー!」

「もう準備出来たわよー!」

二人の少年少女が既に馬車に乗り、手を振っている。アクアは馬車へと駆けて行く。ラントはその光景を、ただ静かに見送った。

そして。

「───アストロ!」

アストロがその声に振り向くと、手の中に何かが、落ちてきた。それはアンティーク調の、小さな鍵だった。ラントがいつも、首に掛けていた物だ。

アストロが顔を上げると、ラントは大きく手を振っていた。

「お守りだ!」

馬車が動き出す。アストロは身を乗り出し、彼を見つめる。

「ラント……?」

「落ち込んだらそれでも見て、俺でも思い出して元気出せ!」

「ばっ、落ち込んだりしないっての!」

けらけらと笑うラントに対し、アストロは目頭が熱くなるのを感じた。

二人の距離が遠くなる。

「帰ってこいよ!帰ってきたら、一緒に柱時計を開けようぜ!」

何処までも清々しく、ラントは笑った。思わず、アストロの目から涙が零れた。鍵のネックレスを首に掛けて、身を更に乗り出す。

「───約束よ!絶対、絶対だからね……!」

今、猛烈に、あの手で撫でてもらいたくなった。

あの痩せた、温かく大きな手で。

まるで家族のように、友達のように、恋人のように。

目の前の風景がぼやける程、アストロは泣いた。


「────好き」


今更、気が付いた。でももう遅い。馬車は彼から、もうかなり遠ざかっている。

それでも良い。

帰ってきたら、伝えれば良い。

「───引き返そうかしら?」

アクアの問いに、アストロは泣きじゃくって暫く答えられずにいた。けれど涙が止まると、顔を上げて、にっこりと笑った。

「ううん、いい」

からからかぽかぽと馬車が鳴る。アストロはそんな中、努めて明るく言った。

「─────行こうっ!」



あたしは悪魔から異端になった。

だから、どうしたというのだろう?

あたしが悪魔だろうと、異端者だろうと、もうどうでも良い。

あたしには、仲間がいる。

受け入れてくれる人がいる。

帰ってくる場所がある。

だからもう、閉じ篭らない、逃げない、諦めない。

あたしは、自分の人生を自分で進んでいく。


そして、帰ってくるよ。

愛しい、あんたの元に。



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