二つの出会い
マクリルにとって、その日は突然やってきた。
実際には、すでにディルクとバルトルトの間では知られており、その準備は進められていたのだが。
この日、マクリルは相変わらずユーディンと、サティエ、ティティエの姉妹と乗馬訓練に勤しんでいた。
ディルク邸の広大な庭を、馬に乗って駆け回る姿を見て、
「随分と上達しているな。」
そうディルクが目を細めながら口にする。
「わずか七日ほどで、あれほどまでに上達するとは思いもしませんでした。」
バルトルトも心底、感心している。
「あの三人のおかげじゃな。」
「たしかに、その通りなのですが・・・」
バルトルトの歯切れが悪い。
「何か問題でもあるのかね?」
「いえ、マクリルの遊び相手として連れてきている者たちが、不平を漏らしておりましてな。」
アーベルの息子や、マクリルの乳母を務めているレナータの息子などが代表的な者たちだ。
「自分たちも、マクリルと一緒にいたいのに、それができないと。」
「なるほど。其方の方も、そういった不平が出ておるのか。」
「方も、と言われますと、そちらでも?」
「こちらでは、侍女たちからのものが多いようじゃな。
少し前までは、可愛らしい容姿から構いたがっていたようじゃが、あの三人を買い取った時の話が広まってからは、それだけではなくなったようじゃ。」
幼くして覇気と侠気に富んだ、将来性がある者となればかまいたくもなるのだろう。
「そして、それが陛下の御耳にも入ってしまわれたと。」
そして、マクリルに興味を抱いた皇帝ロタール三世が、ぜひ会ってみたいと言いだしてこの日、ディルク邸へと来訪することになったのだ。
実はマクリルの皇帝への御目通りは、ディルクにとって大きな目的の一つでもあった。
皇帝に直接御目通りをするというのは、途轍もなく大きなことであり、それがかなった者を無碍に扱うというのは、たとえそれが平民であったとしても憚られることなのだ。
公爵という皇帝に次ぐ権威を持つ大貴族であったとしても。
だから、マクリルが皇帝への御目通りがかなったならば、いかに父ルドルフが嫌ったとしても、皇帝への御目通りがかなったという権威が、ルドルフの悪意からマクリルを守る盾となり得る。
「本当は、姫君の遊び相手にでもと思っていたのだがな。」
ディルクの呟き。
「ですが、その姫君様もご一緒にお越しになられるのでしょう?」
「うむ。そのように聞いている。」
皇太子をはじめとする、三人の皇子は同行しないということであるが。
そこへ執事長アードリアンより報告がもたらされる。
「陛下が皇宮を出立されたとのことでございます。」
「わかった。では、マクリルを呼んで準備をさせてくれないか。」
「わかりました。」
アードリアンは一礼して退出する。
そして、
「我らも準備をせねばならないな。」
そうディルクが口にすると、
「そうですな。すぐに取り掛かるといたしましょう。」
バルトルトはそう応じたのだった。
☆ ☆ ☆
幼いマクリルも正装し、ディルクやバルトルトとともに皇帝ロタール三世を出迎える列に並ぶ。
マクリルの正装への着替えに関わった侍女たちは、同僚たちから羨望と嫉妬の眼差しを浴びるという、小さ過ぎる騒動があったりもする。
だがそれも、正装して表へ出てきたマクリルを見てあがる、若い侍女たちからの歓声で雲散霧消する程度のことだったが。
そして軽やかな馬蹄の音とともに現れる、軽装騎兵による護衛隊とそれに守られる、双頭の竜の紋章が染められた旗を掲げた、一際目立つ豪華な馬車。
「あれが、皇帝陛下のご座乗されている馬車。」
マクリルの呟きに、ディルクはその手を頭に乗せ、
「そうじゃ。言うまでもないことじゃが、失礼のないようにな。」
カケラも心配などしていないことを口にする。
「はい、ディルクお祖父様。」
そして、マクリルも律儀に返事をする。
その様子を微笑ましく見ているバルトルト。
そんな三人の目の前で馬車は止まり、中から現れたのは温和そうな細身の男性。
背は高くはないが、細身であるせいか実際よりも高く見える。
ただ、病弱であるという先見があるせいか、顔色はやや悪く見えてしまう。
「私的な訪問にも関わらず、出迎えに感謝する。」
皇帝ロタール三世の言葉。
その口調は穏やかで、とても親しみが持てるもの。
ただし、権力者に力強さを求める者たちには不評であるかもしれない。
ロタール三世はまずディルクに。
そしてバルトルトに言葉をかけた後に、マクリルへと視線を移す。
「君がマクリルだね?」
疑問符を付けてはいるが、あくまでも確認である。
「は、はい。マクリルと申します、陛下。」
返事をするマクリルを、穏やかな瞳で見ながら、
「なるほど。宮中でも噂になるのがよくわかる。
ここまでとは、ね。」
「本当ですわ、叔父上。噂以上。これだけの美形だと、嫉妬する気にもなりません。」
いつの間に馬車から降りて来ていたのか、少女から声がかけられる。
「これ、シグリダ。礼くらいは守りなさい。」
ロタール三世は姪を窘める。
「そうだよ、姉上。ワガママ言ってついて来たのに、そんな態度はダメだろう?」
姉の態度を批判しているわりには、随分と砕けた物言いをする少年。
「僕はギュンター。よろしく。」
ギュンターと名乗った少年は手を差し出し、マクリルもその手を握る。
「こちらこそ、よろしくお願いします、ギュンター様。」
「"様"なんていらないよ、私的な場ならね。」
これは、ギュンターは王族であるため公的な場では敬称を付けなければならない。
また、本来であれば私的な場でもそれは変わらない。
それなのに、私的な場では敬称はいらないというのは、"友人になろう"というギュンターのアプローチである。
「私も、シグリダでいいわ。だから、私も君のことをマクリルって呼ばせてもらうわ。」
シグリダと名乗る少女は、弟ギュンターに一瞥をくれながらマクリルに握手を求める。
「は、はい。ありがとうございます、シグリダ様。」
「シグリダ。」
"様"を付けるマクリルに、訂正を求める。
「ありがとう、シグリダ。」
「そう、それでいいわ。」
訂正したマクリルの言い方に満足すると、まだ馬車から降りて来ない人物に声をかける。
「早く降りていらっしゃい、ヒルダ。」
その声に、泣きそうな声が返ってくる。
「た、高くて、降りれないの。」
馬車から降りるためのステップも据えられているのだが、それでも降りることができないらしい少女ーというより幼女ーの声。
「仕方がないわね。」
シグリダは馬車へと戻ると、その少女の手を取ってゆっくりとやって来る。
マクリルより二つ歳下というが、その身長はそれよりも低く見える。
その少女は、泣きそうなのを堪えるように挨拶をする。
「ひ、ヒルデガルドと申します。で、出迎えに、感謝します。」
一生懸命に覚えた口上を、たどたどしいながらも述べる。
ディルク、バルトルトがその口上への感謝を述べ、マクリルもそれに倣う。
「あ、あなたが、マクリル?」
「はい、ヒルデガルド殿下。」
「・・・、ヒルダ。ヒルダって、呼んでください。」
その言葉に、マクリルやディルクたち以上に驚いたのは、父親であるロタール三世と従姉弟たち。
「驚いたな。人見知りの激しいヒルダが、自分からそんなことを言うなんて。」
ロタール三世の言葉に頷く、シグリドとギュンター。
「ありがとうございます、ヒルダさ・・・、ヒルダ。」
マクリルの言葉に、ヒルダは華開くような笑顔を見せる。
これが、後にマクリルを政治面で支えることになるシグリドとギュンターの姉弟と、マクリルの人生に巨大な影響を与えることになるヒルダの出会いだった。