ギュッシングにて。
準備を整えたマクリル達がハラホリンを出発したのは、婚姻の日取りより二月前のことだった。
典礼に参加するのはそのうち五百人ほど。
残る千五百人は護衛と警備任務を負う。
指揮官にはユリドの側近ギョウク。
ギョウクはヴァルザル平原の戦いにおいて、ユーディンを相手に戦い、マクリル隊本隊から切り離すことに成功している。
もっとも、戦闘そのものは惨敗だったが。
「ユーディンが相手だったのが、ギョウクの不幸だった。
ユーディン以外なら善戦しただろうし、言われた役割は確実にこなせる男だ。」
とは、護衛隊隊長に推薦したユリドの言葉だ。
一定水準以上の能力は持っているというのがユリドの評価であり、またマクリルもそれを確認するという目的がある。
「なにか、変な気分だな。」
とは、マクリルに同行しているギュンターの言葉だ。
「ヴァルザル平原の戦いでは、戦った相手だってのに一緒に行動しているのだからな。」
「昨日の敵は今日の友、東方にはそんな言葉があるそうだよ。」
「そんなに簡単に割り切れないな、俺は。」
たしかにそうだろう、人情としては。
だが為政者としては、そこは飲み込めなければならない。
特にマクリルのような立場なら。
「陛下!
そろそろギュッシングに到達します!」
ギョウクの報告。
「先触れを出し、相手の指示に従え。」
「はっ!了解いたしました!」
ギョウクはそう一礼すると、自身の職務を全うするべく戻っていく。
それを見送るマクリルに、
「相手の指示に従えとは、あまりに謙り過ぎではありませんか?」
クルトはそう口にする。
ナザール人としては属国に近いギュッシング相手に、そこまでする必要を感じないのだ。
「ギュッシングは数年前、キタイ族の攻撃を受けて被害を受けたからな。」
そこでクルトはハッとする。
このギュッシングには、その時の被害者はもちろん遺族だっている。
当然ながら、憎悪や怒りをいまだ持ち続けているものだって数多くいるに違いないのだ。
いくら今ではマクリルの元、かつてのキタイ族ではないと言っても信用などされない。
「失念しておりました。」
クルトは素直に頭を下げる。
「気を抜くなよ。守将もそれなりに配慮をしてくれてはいるだろうが、民衆がどういう行動をとるかはわからないのだから。」
「はい!」
クルトはそう返事をする。
だが、マクリルの懸念はこの後すぐに起きる。
武器を持った市民の一人が、キタイ族の軍列に斬り込もうとしたのが発見されたのだ。
すぐにギュッシングの兵士によって取り押さえられたため、未遂に終わってはいる。
だが、その犯人を見て兵士たちは困惑していた。
それは、その襲撃犯がまだ子供だったためである。
その子供は身の丈に合わぬ剣を引きずって、
「父さんを返せ!!」
と、そう叫びながら斬り込もうとしたのだ。
他国とはいえ、王の軍列に斬り込もうとしたのだから、死罪は免れない。
だが犯人はまだ子供。
兵士たちはその子供への同情心から、なんとか極刑だけは避けてほしいと思ってはいる。
だが、起こした事が事であるだけに、直接的な言葉は出せない。
ギュッシング兵にしても、複雑な感情を抱いているのだ。
先の戦いで仲間を殺したのはアブーチに率いられたキタイ族軍だが、ギュッシングをキタイ族の手から守ったのは現在のキタイ族の王マクリルなのだ。
感情的に捉えれば、兵士たちはこの小さな襲撃犯には同情する。
だが、それを表に出してしまうと、ギュッシングをキタイ族の手から守ってくれたマクリルへの忘恩となってしまう。
一方で、マクリルとしても悩ましい問題ではある。
マクリルとしても、いくら襲撃犯でも子供を極刑にはしたくはない。
だが、このギュッシングにおける司法権をマクリルは有していないため、許すとも言えないのだ。
マクリルは、その子供を見てあることに気づく。
そしてその子供の前まで乗馬の脚を進めると、
「君の名はなんという?」
そう問いかける。
「ア、アルノ。」
アルノという名の子供は、不意に現れたマクリルに答える。
そして、馬上のマクリルを見て息を呑んだ。
ーーー
後年、この時のことを尋ねられてアルノはこう回想している。
「あんなに綺麗な人は、マクリル様だけだったよ。
その御姿は、まるで話に聞く天使のようだったからね。
そしてその声の美しいこと。
それまで、たしかにキタイ族への憎しみに駆られていたのに、あの御姿と声を聞いて吹き飛んでしまったよ。」
と。
ーーー
「その剣はどうしたんだい?」
“えっ”という表情になるアルノ。
武器を持って王の軍列に入ろうとしたことを、周囲の者たちは見ている。
ギュッシングの市民たちがハラハラとした様子で見ている中、マクリルは穏やかに話しかける。
「え、いや、これは・・・」
「もしかして、私への贈り物かな?」
「そ、それは・・・」
どうしたらよいのかわからず、アルノは混乱する。
「マクリル陛下、この者はこの剣を持って軍列に斬りかかろうとしたのですぞ。」
案内役のギュッシング兵の隊長が、小声でマクリルに告げる。
「貴殿の見解は間違っていよう。
鞘から抜かず、どうやって斬りかかろうというのだ?」
マクリルの穏やかな切り返しに、隊長ははっとした表情になる。
「そうでございました。
小官は陛下を迎えるという大役に、些か神経質になり過ぎていたようでございます。」
隊長もマクリルの意図に気づき、その意に沿うよう返答する。
あまりに強引なやり方だが、このアルノという子供を死なせたくないという一点において、マクリルとギュッシングの兵士たち、またその市民の想いは一致している。
「クルト。」
名を呼ばれたクルトは一礼すると、馬を降りてアルノの元に行き、その手に持っている剣を受け取る。
マクリルはクルトから受け取ると、鞘から抜いて剣を見る。
どこにでもある、ありふれた剣だ。
「この剣は、君のお父上の?」
その言葉に、アルノは頷く。
「そうか。そのような大切な物を受け取ったからには、何か返さねばならぬな。」
マクリルは数瞬の思案の後、懐から短剣を取り出すとクルトに手渡す。
クルトは受け取った短剣を見て、マクリルを見上げる。
それに対し、マクリルは穏やかに頷く。
クルトがその短剣を渡すのを確認して、
「アルノ。もし何かあったなら、その短剣を持って私のところに来るといい。
その時、必ずや其方の力になろう。」
そう言い残すと、マクリルは軍列を進行させるのだった。




