準備
キタイ族が拠点を置くハラホリン。
広大な平原の中の小高い丘を中心にして、部族はゲルと呼ばれる天幕を張り、生活している。
マクリルが王となってからは、丘に木造とはいえしっかりとした王宮が建てられ、そこを中心にして発展を始めている。
そのマクリルの執務の様子を、ギュンターは見物している。
「相変わらず、書類仕事は手早いな。」
かつてマクリルがナザール帝国の行政官だった時、ギュンターはその仕事ぶりを見物している。
「そりゃ、宰相のプロディルもいるし、一緒にこの地に来たものたちもいる。
彼らがしっかりと仕事をしてくれているから、私のところに来るのは余程の案件だけなのさ。」
任せるべきところは任せ、責任を持たせることで効率化を図っているのだ。
マクリルはこともなげに言うが、それができる者はあまりいないのが現実だ。
「私は、自分の部下たちの能力を信じているからね。」
「そういうことを、さらりと言えるのがお前の強みなんだろうな。」
ギュンターの素直な称賛。
そこへ、
「マクリル陛下。
語学勉強の時間です。」
そう言って執務室に入って来たのは、乳母レナータの息子クルト。
「マクリル、語学勉強ってどこの国の言葉を学ぶんだ?」
驚くギュンターに、
「今日は東方の大国シアの言語だ。
他にも南方のファルスやシンドゥス、クメールの言葉も学んでいる。」
あっさりと答える。
「おい、ナザールにいたとき、すでにロマリアやグリーシアの言葉も学んでいたよな?」
「それは、外交家の家に養子に入ったのだから、当然だろう。」
「そうじゃなくてだな、大陸七帝国の言葉を全て習得するつもりなのかと、そう聞きたかったんだよ。」
「そのつもりだ。その必要性もあるからね。
交易をするにせよ、戦うにせよ言葉は重要だ。」
はっきりと言うマクリルに呆れながら、
「戦うにせよ、か。
お前は大陸全てを飲み込むほど、気概があるようだな。」
冗談めかして笑う。
この時のギュンターに、それが冗談でなく現実になるとは予想もつかない。
ましてや、自分がその一翼を担うことになるなどとは微塵も思ってなどいなかった。
☆ ☆ ☆
シアの言葉を学んだ後、マクリルは王妃ユリドと宰相プロディルを交えて協議を行う。
協議の内容は、マクリルとヒルデガルド皇女の婚姻の同行者の選定である。
「本来なら、私も行くべきなのだろうがな。」
とはユリドの言葉。
本来なら参加すべきなのだが、キタイ族には大きな懸念材料がある。
いや、大きな火種とでも云うべきか。
ヴァルザル平原の戦いにおいて、戦いに勝ちながらさほどの戦果をあげることのできなかった、アブーチという存在が。
求心力を大きく失ったとはいえ、まだまだ影響力はある。
そして、野心も。
「このまま楽隠居していただけると、有り難いのだがそうはいかないだろうな。」
マクリルがそう口にする。
「はい。
アブーチ殿は、"足るを知る“お方ではありません。
警戒するに越したことはないかと。」
側近として仕えていただけに、プロディルの言葉は真実味を帯びる。
そうなると、アブーチを抑えられるのはユリドしかいない。
「武力としての抑えには、ユーディンを貸してもらいたい。」
ユリドは自分が有能であることを知っている。
だが、だからといって過信はしていない。
政略や謀略ならともかく、いざという時に必要な武力という点で、父に及ばないことを理解している。
「ユーディンを置いて行くとなると、サティエも置いておかないといけないだろうな。
すると、随員としてはティティエか。」
ユーディンという名馬が暴走しないためには、サティエという名騎手が必要になる。
「うむ。ティティエならば十分にその役をこなせよう。」
ティティエの役目は、マクリルの妻ユリドの代役である。
「ティティエ殿は、ナザールに長く居られましたからな。
あちらの作法にも通じておりましょう。」
プロディルも同意する。
「ゴバツには、国境を警戒してもらう。
一撃して追い払えばそれでよいから、十分にやれるだろう。」
マクリルの言葉に、
「それならば、大々的に公表してやればいい。
それだけで、国境を厄そうなどという不届きものはいなくなる。」
ゴバツの用兵は剛性そのもので、その初撃は凄まじい。
その反面として、粘りに欠ける。
だから、その初撃を堪えることができれば、ゴバツを撃ち破ることができるだろう。
あくまでも、初撃を持ち堪えることができればの話であるが。
「中央はユリドを中心に固め、国境はゴバツを配する。
それが、現状で考えられる最善手か。」
マクリルの言葉に、二人が頷く。
そしてマクリルの随員の選定。
ティティエを中心として、
「女官をまとめるためにレナータは必要だな。」
マクリルの言葉。
「それは私も考えていた。
ナザール帝国の儀礼にも、それなりに通じているだろうからな。」
ユリドが賛意を示し、プロディルも同意する。
人選は進み、
「あとは進物をどうするか、だな。」
ユリドが呟く。
こういう時は特産品を贈るべきなのだろうが、平原の民の特産となると羊毛くらいしかない。
「それでしたら、私にお任せください。
シアより上質の絹、シンディスより象牙、ファルスより上質な真珠を取り寄せておりますゆえ。」
プロディルがニヤリと笑う。
「この地は、大陸のほぼ中央にありますからな。」
「わかった。そこはかつて隊商を率いていたプロディルに任せよう。」
商人であった頃の繋がりを、最大限に活用してもらう。
「それにしても、国と国になると婚姻も色々と手間がかかるものなのだな。」
ユリドがマクリルを見ながら口にする。
「それはそうだ。国になるということは、色々な規制や規定を作ることに他ならないんだから。」
「平原の民には無縁のものだったな。
だが、一定以上の大きさ、発展をしようとするには必要なのだろう。」
ユリドはそう言って、この新興国の未来を思う。
もっともこの時点では、彼女にも波乱に満ちた未来が待っているとは思わなかった。




