帝都へ
「ディルクお祖父様、あんなに大きな石壁が!
あそこが、帝都なのですね!?」
マクリルは、馬車の窓から身を乗り出して前方に見える城壁を見て、はしゃいでいる。
「ああ、そうじゃ。あの石壁に囲まれているのが、帝都じゃよ。」
ディルクは孫のはしゃぎように目を細め、もうひとりの祖父バルトルトは、
「マクリル、あまりはしゃぐと落ちてしまうぞ。」
そう注意する。
ブルノ男爵領シュドルツェより五日、男爵領を出たことのない幼いマクリルには目に見える全てのものが新鮮であり、好奇心を呼び起こす代物だった。
その様子は年相応の子供のものであり、ディルクは初めて会った日の晩餐での驚きを、いまだに信じられずにいる。
あの日の晩餐で出された鹿肉。
その鹿を倒したのは、帝都の城壁を見てはしゃぐマクリルなのだと言う。
その鹿の頭部を見せられたが、子鹿のものではなく、明らかに大人の鹿のもの。
いや、より正確にいうならば、一流の猟師でも倒すのは難しいと思える巨大な鹿だった。
「勢子が良き働きをしてくれたからです。」
とマクリルは言うが、それだけで片付けられるものではない。
鹿の眉間に正確に射込まれた矢傷から見るに、マクリルの弓の技量は相当なものだ。
狩に従った者たちの話、そしてバルトルトから聞く話だけでなく、この旅程の中でもマクリルは度々その技量を披露している。
空を飛ぶ鳥を、正確に頭を射抜いて仕留めるなど、そう簡単にできるものではないが、マクリルはそれをやってのける。
旅の途中で射落とした鳥15羽のうち、頭部を射抜いていなかったのはわずかに二羽。
末恐ろしい技量である。
その技量は弓だけではない。
剣や槍でも、稽古とはいえ自分より年上の少年たちを物ともせず、稽古相手を務めるのはもっぱら大人たちだ。
その大人たちでさえ、油断すれば一本取られてしまう。
「武勇で鳴る、バルトルト殿の教育の賜物じゃな。」
ディルクはそう言うが、バルトルトの方はというと、
「あれは天性のものです。経験を積めば、それこそ歴史に名を残すような大将軍となりましょう。」
と口にする。
そのマクリルの才能に末恐ろしさを感じるディルクだが、孫の別の側面も発見している。
それは、マクリルの知的好奇心の豊富さだ。
マクリルはディルクに、どうやってサナキア公爵領を富み栄えさせたのか、そのことを質問責めにしている。
当初は、子供が好む話でもないだろうと適当にあしらっていたのだが、それで満足しないマクリルは、しつこく話をねだり続けて、ディルクを根負けさせたのだった。
根負けしたとはいえ、ディルクも満更ではなかった。
自分の息子たちはもちろん、このマクリル以外の孫たちは、統治ということには無関心だったため、寂しさを感じていたのだ。
だから、一度話し始めると、ディルク自身もなかなか止まらなかったりしたのだが。
はしゃぐマクリルを見ながらそんなことを考えていると、帝都正門に到達する。
この正門を通ることが許されているのは、帝国貴族、それも爵位を持つ家の者のみである。
それ以外では他国、特にこのナザール帝国と同格とみなされている、六つの国の使者のみ。
ゆえに、この正門は他の門に比べて壮麗かつ絢爛豪華な造りとなっている。
それは、幼いマクリルにも相当な感銘を与えたようであり、言葉もなくその門を見上げていた。
☆ ☆ ☆
門をくぐると、その先にて衛兵による確認と、紋章官による確認。
そして帝都への入城手続きが行われる。
手続きが終わり、馬車は歩を進める。
そこから先の光景に、マクリルは圧倒される。
門から見える、皇宮の建物までの距離。
そこに至るまでの街並み。
そして帝都にいる人々の数。
「ディルクお祖父様。
この帝都にはどれだけの人が住んでいるのですか?」
「そうじゃな。聞いた話じゃと、50万人はいるとのことじゃ。」
「50万人!?」
驚き過ぎて、マクリルは言葉にならない。
だが、マクリルはすぐにある疑問を口にする。
「50万人もの人の食料、どうしてるんだろう?」
その幼い子供らしからぬ疑問に、ディルクとバルトルトは軽い驚きを覚える。
この子を子供だと思って接していると、とんでもないことになりそうだと。
「それを知りたかったら、通りの両側をよく見ることだ。
そこに、大きなヒントがある。」
だから、バルトルトはマクリルが気づくかどうかを確かめ、それに応じて対処することにする。
そんなこととはつゆ知らず、マクリルは通りの両側をじっと見ている。
「何か気づいたかな?」
ディルクの言葉に、
「なにかを売り買いしていることはわかります。」
そう口にした後、
「食べ物だ!」
そう大きな声を上げる。
「そうか!他のところで仕入れて、帝都で売ってるんだ。」
「ほう?商売のことがわかるのか?」
「はい。シュドルツェにも商人はやってきますから。
その商人から色々と教えてもらいました。」
「そうか。」
そう言いながら、ディルクはその商人に同情する。
相当しつこく聞かれたであろうことは、間違いないだろうから。
だが、その好奇心を潰さないように育ててきた、バルトルトの苦労も相当なものだったに違いない。
それが、この利発すぎる子供を形作っていった。
そのマクリルはというと、
「他のところから持ってきて売る・・・。
そのお金で別のものを買って、別のところで売ると・・・」
ブツブツとそう言っている。
「どうやら、この子は商売でも始めるつもりのようだな。」
そう言ってバルトルトは笑う。
「マクリル、そろそろ皇宮の門をくぐるぞ。」
ディルクがそう声をかけると、マクリルは慌てて居住まいを正す。
さすがのマクリルも、初めての皇宮に緊張を隠せない様子だった。
そして、この帝都でマクリルにとって三つの大きな出会いがあるとは、この場にいる全ての者にとって思いもよらぬことであった。