姉弟との会話と決断と
マクリルはシグリダとギュンターを、自分の私室へと案内する。
そして、私室へは誰も入れないようにティティエに命じる。
そして、三人はの会話はギュンターの問いから始まる。
「キタイ族から使者が来ることを、いつから予測していたんだ?」
「アーダルベルト皇子が虜囚となっている、そう伝えて来たときからだよ。」
「なるほどね。殿下の身柄を抑えているなら、必ずなんらかの接触があると考えていたのね。」
人質としていつまでも手元に置いておくよりも、さっさと取引材料として使ってしまったほうがいい。
いつまでも手元に置いておくと、取り返すための復讐戦を挑まれることにもなりかねない。
軍事的には対抗できるかもしれない、ナザール帝国単独ならば。
すでにキタイ族と戦い、そして敗北しているナザール帝国が単独で戦うとは考えにくい。
むしろキタイ族と対立している部族と連係してくる、そう考えるのが当然だろう。
ならばそれを防ぐ方法はなにか?
アーダルベルト皇子を返還し、それを取引材料として講話を結ぶ。
そこで不可侵条約の締結か、それに近いものを結ぶことができれば、彼らとしては後顧の憂いなく平原の覇者となるべく行動できるようになる。
その一方で、ナザール帝国としても強力な武力を持った盟友を持つことが出来るかもしれない。
いや、キタイ族は必ずそう思わせる交渉をしてくる。
「お前の説明はわかった。だが、そこでなぜ母上に相談なのだ?」
ギュンターの言葉に、シグリダもマクリルを見る。
「アーダルベルト皇子が帰国されたとして、私がこの国に留まっていられると思うかい?」
「!?」
姉弟はハッとして互いの顔を見合わせる。
アーダルベルト皇子の為人。
それを思い起こして二人は、暗澹たる思いになる。
一見すればアーダルベルト皇子は、それなりの美丈夫に見える。
そして開明的な考えを持ち、それを公明正大な人物であるように振舞っている。
そう、振舞っているだけで実際はそうではない。
公明正大に振舞っているのは、自分の派閥に属する者に対してだけであり、全ての者に対してのものではないのだ。
それどころか、自分の意に反する者に対しては冷酷であり、些細なことでも決して報復を忘れない。
極めて極端な二面性があるのだ。
「そのアーダルベルト皇子が、帰国の機会を私が主導して潰したと知ったらどういう行動をとるか、予想できるだろう?」
間違いなく報復しようとするだろう。
「だが、あれは至極真っ当な対応だとブラウンシュヴァイク公も報告されていただろう?」
国益を最大限に考えた最良の選択、それがブラウンシュヴァイク公クリストハルトの見解であり、その報告を受けた高官たちも賛同している。
「それで納得されるような御方かな?」
そう言われると何も言えない。
「そう、ね。」
シグリダは指を形のいい顎に当てて考え込む。
マクリルの言葉通り、この国に留まることは難しいだろう。
「マクリル、貴方はこの国を出るつもりね?」
シグリダの問いかけに、マクリルは言葉としては答えない。
ただ、その表情が全てを物語っていた。
「お前が出て行かなくてもいい方法はないのか?」
「ある。だけど、陛下にはそれはできない。」
「その方法は?」
「聞かない方がいい。」
「それはどういう・・・」
「そこまでにしなさい、ギュンター。」
シグリダが弟を止める。
シグリダは気づいたようだ。
「たしかに、陛下には無理ね。」
「だから、アッペルフェルド大公夫人にお願いしたんだ。
キタイ族の使者が来たら教えてほしい、その交渉の内容を少しでもいいから教えてほしいって。」
そう口にして、マクリルは沈黙する。
マクリルの沈黙に、重苦しい空気が流れる。
その重苦しい空気を振り払うように、
「今日はもういいかな?
やらなければならないことが出来たから。」
「ああ、わかった。」
「お暇させていただくわ。」
二人はそう言って、見送りに出ようとするマクリルを手で制しながら退室した。
☆ ☆ ☆
マクリルはただ、窓から二人が乗る馬車を見送っている。
隣にいるティティエに、
「ユーディンとサティエを呼んできてくれないか。」
そう言うと、
「わかりました。」
ティティエはそう返事をして退室する。
先のヴァルザル平原の戦い以降、ティティエはマクリルの副官的な立場になっている。
「なんか用事だって?」
遠慮のない物言いで入ってくるユーディンと、それに呆れた表情をしながら入ってくるサティエ。
「どうしたの?改まって。」
サティエの言葉に、
「単刀直入に言うよ。
近々、私はナザール帝国を出ることになる。
君たちは、一緒に来てくれるか?」
唐突な言葉だが、三人を代表してユーディンが答える。
「当然だろう?マクリル、お前以外に仕えるなんてのは、真っ平御免だぜ。」
「それが、行き先がキタイ族の元でもかい?」
流石に、その言葉に一瞬言葉が詰まる。
だが、
「思うところはあるけど、それも見方を変えると面白いかもね。」
「サティエの言う通りだ。かつて俺たちに勝った奴らを、顎に使えるというのは爽快な気分だろうぜ。」
「そうよ、マクリル。
私たちは、ダメだって言われてもついていくからね。」
三人の言葉にマクリルは、
「ありがとう。」
そう感謝の言葉を口にする。
こみ上げる感情を抑えながら。
☆ ☆ ☆
ギュンターは、マクリルの言う方法を教えてくれないシグリダに不満をぶつける。
「なんで教えてくれないんだよ。」
リューネブルク邸を出て、何度目の言葉だろうか。
そしてそれは、アッペルフェルド大公邸に着いてからも続いている。
うんざりした表情を見せるシグリダを見て、アッペルフェルド大公夫人リヒェンツァは、
「いったいどうしたのかしら?」
そう問いかける。
「酷いのですよ、姉上もマクリルも!
二人とも教えてくれないのです、わからないならそのままの方がいいと言って!」
怒り冷めやらぬギュンターの言葉。
興奮しているギュンターを宥めながら、シグリダに説明を求める。
その説明を聞き終え、
「シグリダとマクリルが正しいわね。」
「母上も!」
「気づかないなら気づかない方がいい。
そして、気づいたとしても、絶対に他言してはダメ。
あなた一人では済まないことになるから。」
真剣な表情で自分を見る母の姿に、なにか感じたのかもしれない。
「わ、わかりました。
納得はできませんが、理解はしました。」
「それで十分よ。
さあ、夕食の時間よ。着替えてらっしゃい。」
そう言って子供らに促す。
着替えのために部屋へと戻る二人の背を見ながら、
「たしかに、弟にはできないわね。
それが国として最善の選択であったとしても。」
そう呟く。
「マクリルも、本当に良く見てる。
自分自身の身を守るだけでなく、周りの人達を守るためには国を出るしかない・・・。
最初に相談を受けた時は"まさか"と思ったものだけど、本当にそうなってしまうなんて。」
大きく嘆息し、
「これだけ先を見通せる人材を、みすみす手放さければならないなんて。
ナザールに繋ぎ止めないといけないわね、なんとしても。」
マクリルがこの国を離れるとしても、関わりを絶たせてはいけない。
アッペルフェルド大公夫人リヒェンツァは考えを巡らしていく。
それが後に大きな悲劇を生むことになるとは、彼女には想像すらできないことだった。




