敵影
ヴァルタリア城塞から出たマクリルは、アーダルベルト皇子の方針に最も忠実であり、それを具現化していたともいえる。
なにせ、自隊の近くにいる部隊の指揮官に働きかけ、守勢になった時という限定つきながらも、その指揮権を委譲させることに成功していたのだ。
その結果、自隊を含む八つの部隊二〇〇〇名を、守勢限定とはいえ指揮することになった。
この時、他の指揮官を口説き落とすのに使ったのは三つ。
実父ルドルフの武名と、皇帝の娘であるヒルデガルドの婚約者であるという権威。そして、配下に遊牧民であるユーディンらを従えているという事実。
その三つを持って説得し、限定的な指揮権を委譲させたのだ。
"その時になれば中心となれるだけの能力を持った者が、頭角を表す。"
このアーダルベルトの言葉を、まさにマクリルは実践したと言えよう。
また、守勢限定としたのも、彼らが説得に応じた理由かもしれない。
だが、そのマクリル自身も大きな不安を抱えている。
ひとつは敵の指揮官。
伝令からもたらされた報告から類推するに、夜襲の手際は見事としか言いようがない。
末端にいるマクリルな届いた情報でさえ、そう思わせる見事さ。
併走するユーディン、サティエ、ティティエに視線を向けると、三人ともにそれぞれの表情で頷いている。
三人は間違いなく、アブーチが出てきていると判断しているということだ。
そしてもうひとつ。
いざ守勢に回った時、本当に指揮権を委譲する者がどれだけいるか。
そしてなにより、自分の経験の無さ。
行政官として、小規模は演習の経験はあっても、実戦経験はない。
ふと視線を感じて横を見ると、ユーディンがニヤリと笑ってみせている。
任せておけ、そう言っているようだ。
反対側では、サティエが大丈夫と微笑みかけてくる。
サティエのやや後方にいるティティエも、大丈夫だと言わんばかりに、軽く弓の弦を鳴らす。
そこで改めて、頼もしい仲間が周りにいてくれていることに気づく。
そして、軽く頭を振り前を向き、馬を走らせていく。
☆ ☆ ☆
半刻(約一時間)ほど進んだ頃、マクリルのいる最後尾に騎兵が単騎、駆け込んでくる。
「伝令!ナムソス王国、ニルス・アーベル将軍より遣わされた!
アーダルベルト皇子に取り次がれたし!!」
その名乗りを受け、マクリルはフリートヘルムを付けて、本隊へと送り出す。
だが、ここで違和感を覚えて考え込む。
その様子を見て、併走するティティエが話しかける。
「どうしたの?なにかあった?」
「いや、今頃になって伝令が来たけれど、よく無事だったな、と。
そう思ったらなにか違和感を感じて・・・」
そこまで口にして、違和感の正体に気づく。
「無事だったんじゃない!無事でいさせたんだ!!」
伝令の後を追えば、こちらの居場所がわかるのだから。
マクリルは背中に冷たいものを感じながら振り返る。
視線の先には、今はまだ小さな砂埃が舞う。
だが、確実にこちらを追ってきている。
「敵襲!!右後背から敵襲!!」
マクリルはそう叫ぶと、指揮権を委譲する約束を交わした隊長に、履行を求める使者を送り、そして本隊に伝令を送る。
「右後背より敵影あり。
ただし、これは陽動と思われる。
油断無きよう求む。」
と。
こうして、ヴァルザル平原の戦いは幕を開ける。




