ヴォロネジの戦い
ヴォロネジまで指呼の距離まで近づいた、諸王国軍。
ツィラル・イラーク将軍を中心に、軍議が開かれる。
はっきりとしているのは、夜が明けると同時にキタイ族軍に攻勢をかけること。
そのための陣立てをとうするのか?
いわば、誰が先陣を切るのか?
それが第一の議題となる。
実績からすれば、ナムソス王国のニルス・アーベル将軍が第一候補となる。
だが、そのニルス・アーベルは先鋒となることを謝絶している。
「勇猛をもってなるアーベル将軍が、まさか先鋒を辞退なさるとは。」
とは、総指揮を執るイラーク将軍の言葉だが、この場にいる全ての者が、同様の感想を抱いている。
「なに、私がいつも先陣を切っていては、他国の方々が軍功を立てられませんからな。」
そう言って豪快に笑うが、実のところ、これは誤魔化しのためであり、なぜ自分が先鋒を辞退したのか、うまく説明ができなかったためである。
それは武人としての嗅覚、本能とでもいうべきものなのか。
結果として、それがニルス・アーベルを助けることになり、また今回の戦いの結末を左右することになる。
先鋒として配置されたのは、モギュリフ王国のアンドレイ・ゲルシューニ将軍。
ニルス・アーベルと比肩されるほどの勇猛さ、いや勇猛さだけならばそれ以上ともされる猛将。
ニルス・アーベルは、右翼に配置されることになった。
☆ ☆ ☆
夜更け。
アブーチは、篝火に浮かぶ諸王国軍の陣容を見ている。
「あの篝火の数。
どうやら、夜明けとともに攻勢に出るつもりだったようだな。」
傍に控えているユリドを振り返り、口にする。
そして、視線を敵陣へと戻す。
「さあ、行くぞ!
者共、続け!!」
アブーチの号令一下、キタイ族軍は諸王国左翼へと襲いかかる。
こうして、ヴァルザル平原の戦いの前哨戦とされる、「ヴォロネジの戦い」もしくは「ヴォロネジの夜戦」と呼ばれる戦いは始まる。
☆ ☆ ☆
諸王国軍左翼に配置されていたのは、スモレスク王国の軍三千。
指揮するのは、イツハク・サーノフ将軍。
「馬鹿な!敵はヴォロネジを包囲しているのでは無かったのか!」
決して無能ではないサーノフ将軍だったが、完全に決まった奇襲に抗する術は無い。
すぐに援軍を要請する伝令を発するが、瞬く間に戦線は崩壊し、スモレスク王国軍は次々に討ち果たされていく。
サーノフ将軍は懸命に部下を叱咤して、援軍の到着まで時間を稼ごうとするのだが、配下の兵は次々に倒されて、今では百騎に満たない。
「あんたが、この軍の指揮官かい?」
サーノフ将軍の前に現れたのは、革鎧を着けた一人の騎兵。
その姿は他の騎兵より小柄に見える。
「あんたの首をもらって、手柄にさせてもらうよ。」
そしてその声。
「女、か?
この首、簡単に奪えると思うな!」
サーノフは、槍を振るって迎え撃つ。
「女だと思って、甘く見ないことだね!」
その女、ユリドもまた槍を振るい、襲いかかる。
数合の撃ち合い。
それはユリドにとっては儀礼的なものに過ぎない。
そして、サーノフにとっては、予想以上の強敵と認識した撃ち合い。
「くっ!!」
さらに数合の撃ち合いの後、ユリドの槍先はサーノフ将軍の左肩を貫く。
「ぐ、ふっ!」
貫かれた激痛に持っていた槍を落とし、そして体勢を崩して馬から落ちる。
ユリドはサーノフ将軍が落馬した際に抜けた、血に濡れた槍を構え直すと、そのままサーノフ将軍に突き立てる。
「この部隊の指揮官は、このユリドが討ち取った!」
ユリドの宣言に意気あがるキタイ族軍。
キタイ族軍は、より攻勢を強めていく。
☆ ☆ ☆
総指揮を執るツィラル・イラーク将軍は、左翼が攻勢をうけたことを知ると、すぐに陣を再編する。
自身の指揮する本隊を持って敵の攻勢を受け止め、先鋒に配置していたモギュリフ王国のアンドレイ・ゲルシューニ将軍をそのまま右翼とし、後方に配置していた、カルーガ王国、トゥーラ王国の二カ国の軍を左翼として、態勢を整える。
本隊の七千の兵で敵の一撃を食い止め、左右の軍が敵を包み込む。
「スモレスク王国軍が敗れたといえど、まだ我が軍は一万七千。
互角に渡り合える!」
状況判断は間違ってはいない。
それに、ここで時間を稼ぐことができれば、ヴォロネジに籠っている友軍が撃って出ることも期待できる。
また、援軍であるナザール帝国軍が急行して来ることもあり得るだろう。
そうなれば、圧倒的多数の軍でキタイ族を包囲・殲滅することも可能なはず。
そして、目の前にはスモレスク王国軍を蹴散らした、キタイ族軍が迫って来ていた。
☆ ☆ ☆
結果的に後方に陣取ることになってしまったニルス・アーベルは、即座にナザール帝国軍へ報告のための伝令を出している。
「マクリル卿の言葉を失念していたな。」
その呟きに、
「ええ、完全に忘れておりました。」
副官ヘンリク・イェルツェンも応じる。
目の前では、キタイ族と友軍の戦いが繰り広げられている。
その形勢は、控えめに言っても押されている。
完全に後手に回っており、挽回するのは難しいと思われる。
それは、手元にある三五〇〇の兵を率いて参戦したとしても、難しいだろう。
いや、下手に参戦しようとしても、混戦となっている現状では余計な混乱を招きかねない。
「手をこまねいているしかない、か・・・。」
とはいえ、このままでは敗走に巻き込まれて、本当に何もできなくなってしまう。
「右翼にいたはずが、まさか最後尾になってしまうとは、思いもよりませんでした。」
激変した状況を憂うヘンリク・イェルツェンの言葉に、アーベルも同意する。
「騎兵、遊牧民の操る騎兵の機動力を甘く見ていたな。」
そう口にするが、現在、自分がうてる策は何か考える。
夜も少しずつ白み始め、戦いの形勢が理解できるほどに見通しが悪くなってくる。
戦況は悪化しており、良くなるようには思えない。
どうすればいいのか?
「これより我が隊は、ヴォロネジへと急進する!!」
アーベルはそう宣言する。
「なっ!?それはいったい?」
突然の宣言にイェルツェンは驚く。
「今は説明している暇はない!急げ!!」
自ら先頭に立ち、ヴォロネジへ向けて急進させて行く。
その姿を発見したのは、キタイ族軍の方が早かった。
その報告を受けたアブーチは、
「面白いことを考えたな。」
そう呟く。
そう、アブーチはアーベルの目論見に気づいたのだ。
ヴォロネジに立て籠もる兵力は、少なくとも五千。
そこにあの軍が加われば一万近い兵力となる。
軍学の基本として、攻める側は防御側の三倍の兵力を必要すると云われる。
それを考慮するならば、入城を許せば攻城戦は極めて不利になる。
「ゴバツに、あの部隊を攻撃するよう伝えよ!」
そして、自分がそう命じることも、あの部隊の将軍の策であることも理解している。
理解しているが、そう動かざるを得ないのも、また事実なのだ。
伝令を通じて父アブーチの命令を受け取ったゴバツは、考え込んでしまう。
ここで自分の麾下の兵力五千を振り向ければ、この諸王国軍への圧力が減殺されてしまう。
その結果、目の前の敵を生かしてしまうのではないか?
このゴバツの逡巡こそが、アーベルを生かすことになり、その動きの鈍さを見た父アブーチを激怒させることになる。
「なぜ、さっさと動かん!
目先のことしか見えん愚か者が!!」
アブーチの激怒する様子に、側近の者たちは首を竦める。
「彼奴めは、猟犬にはなれても猟師にはなれぬ男だ。」
大きく一息つくと、
「もう一度、伝令を送れ!
動かぬならば、この俺がゴバツめの首を討ち取り、その余勢を持ってあの部隊に攻勢をかける、そう伝えよ!!」
苛烈な命令。
他の者であれば単なる脅しと取ったかもしれない。
だが、アブーチの場合は脅しではない。
本当にやりかねない。
それを知っている側近たちは、すぐに伝令を発した。
伝令から父の言葉を知ったゴバツは、文字通り顔を真っ青にして追撃を開始する。
「やっと動きおったか。」
アブーチはそう口にすると、自身の直率する本隊を率いて、諸王国軍に突撃を敢行する。
ここに、ヴォロネジの戦いの形勢は完全に決した。




