亀裂
ナザール帝国軍三万は、その東北に位置する諸王国へと出陣する。
マクリルはその最後尾に配置されている。
わずか一五〇騎の騎兵どどうこうできるとは思わないが、それでも最後尾に配置というのは残念に思ってしまう。
最後尾に配したのは、四兄ツェーザルの配慮でもあるのだが。
それは、最後尾であれば許嫁であるヒルデガルドが最後まで見送れるということ。
事実、ヒルデガルドはマクリルの姿が見えなくなるまで、ずっと見送り続けている。
帝都から出てしばらくすると、マクリルは先日の軍議を思い出す。
ツェーザルが語った言葉である、千を超える兵を直接指揮するのは、総指揮官であるアーダルベルト皇子を除けば、ツェーザルとブルノ男爵コンラートのふたりのみ。
では、それ以外の部隊はどうするのか?
通常であるならば、部隊長の中から優秀なものを選抜して、権限を与えて指揮を執らせるものと考えるだろう。
マクリルの次兄たるエルンストも、アーダルベルト皇子にそう進言したのだが、受け入れられなかった。
攻勢に出ていられれば良いが、一度守勢に回ることになれば、一気に崩壊しかねない。
その懸念を抱いているのは、マクリルが知る範囲ではツェーザル、ブルノ男爵コンラート、そしてエルンスト。
他にも居るかもしれないが、誰も表には出していない。
「マクリル。不安か?」
馬を並べるユーディンが話しかける。
「不安なのは確かだ。
どうもアーダルベルト殿下は、敵を過小評価しているように見受けられるからな。」
不安要素はそれだけではない。
養父リューネブルク伯オットーからの、非公式な情報だが、諸王国側では総指揮官がアーダルベルト皇子であることに不満を漏らしているのだという。
諸王国としては、獅子公ルドルフ、もしくはそのルドルフと並び称されるブラウンシュヴァイク公クリストハルトの派遣を求めていたのだから。
諸王国が懸念しているのは、アーダルベルト皇子の経験の無さ。
自身で大軍を率いて戦った経験が、ほとんどないのだ。
アーダルベルトを補弼するエルンストは、何度も万を超える兵を率いて戦った経験はあるが、他者を補弼して戦う経験はない。
「何事も無ければ良いのだが・・・」
そう呟くマクリルの懸念は、諸王国軍との軍議で表面化してしまうことになる。
☆ ☆ ☆
諸王国軍を指揮するのは、諸王国の中でも最大の国力を持つオストラーバ王国の将軍ツィラル・イラーク。
熟練の老将として知られ、また諸王国連合軍の指揮を執ったことも、今までに何度もある。
そのイラーク将軍をもってしても、諸王国軍の不満は治らない。
むしろ、アーダルベルト皇子が到着したことによって先鋭化している。
「経験もろくに無い皇子サマが、援軍の総大将だとさ。
ナザール帝国も、俺たちのことをさぞや低く見てくれていることだ。」
彼らの言葉は、総じてこのようなものになる。
そして、援軍の陣容を見てその思いを強くする。
千以上の兵を指揮する上級指揮官が、わずかふたりしかおらず、あとはせいぜい数百を指揮する中級指揮官しかいない。
それでも、それなりに集団として編成しているなら良いのだが、それぞれが一部隊として独立している。
こんなことでは、効率的な運用など望むべくもなく、アーダルベルト皇子がいかに兵学に無知であるか、そして補弼するエルンストがいかに力不足であるかを露呈してしまっている。
そのため、軍議は荒れに荒れた。
諸王国軍からは、
「用兵もろくに知らぬような者を送ってくるとは、我等もずいぶんと軽んじられたものですな。」
「ナザール帝国は、同盟の重みを忘れ去ったらしい。」
等々、怒りと侮蔑の混じった嘲笑を浴びせかけられる。
それらの言葉に、アーダルベルトは激怒するが、隣に控えているエルンストが宥めて落ち着かせる。
「我がナザール帝国は、諸王国を軽んじてなどはおりません。
軽んじてなどいないからこそ、第二皇子を指揮官として選任し、この地へと派遣されたのです。」
エルンストはそう弁明する。
たしかに、指揮官の「格」としては皇子を送り込んだのはそう捉えることもできる。
だが、率いている軍の編成はどうか?
どう見ても、それを統率する上級指揮官の数が少な過ぎる。
そう指摘されると、エルンストとしては言葉もない。
「その程度のこと、この私が指揮を執るのだ。
大した問題ではない。」
そう豪語するアーダルベルトに、頭を抱えたくなってしまう。
そして、実りなき軍議は日没まで続いた。
☆ ☆ ☆
日没から、諸王国軍の動きは慌ただしくなる。
その様子を、マクリルは同行してきた騎士フリートヘルムと並んで城壁の上から眺めている。
「マクリル卿。」
不意に声をかけてきた者がいる。
「ニルス・アーベル将軍。」
振り返った先にいたのは、鎧の上からでもわかるほど筋骨隆々とした長身の、いかにも武人といった容貌の男だった。
「ナザールの帝都で会って以来だな。」
「はい。アーベル将軍も壮健そうでなによりです。」
ふたりがかつて顔を合わせたのは、外交交渉の場でのこと。
養父リューネブルク伯オットーに、書記官として付き従った時だった。
「卿は、てっきり文官だと思っていたのだが、いつから武官になったのだ?」
「いえ、私は今でも身分上は文官です。
行政官として赴任していた折に、参陣を命ぜられました。」
「なるほどな。やはり、噂は本当であったか。」
「噂、でございますか?」
「ナザール帝国は、本気で戦う意志はない、そんな噂が流れておる。」
騎士エルマーが、そんなことはない、そう発言しようとした時、マクリルが先んじる。
「私のような子供が参陣したのですから、そう思われるのも仕方なきことです。」
微笑を浮かべながら、マクリルはそう言う。
ニルス・アーベルは目を細めながら、マクリルの表情を窺う。
「本気で戦う意志はある、そういうことか。」
ただし、能力は別ということか。
アーベル将軍はそう判断する。
「諸王国軍の動きが活発になっておりますが、明日にでも出陣されるのでしょうか?」
マクリルの問いかけ。
「軍議が決裂してな。
我等、諸王国軍はこのヴァルタリア城塞を出撃し、キタイ族の攻勢を受けている都市ヴォロネジの救援に向かう。」
ニルス・アーベルは、あっさりとそう告げる。
「ヴォロネジまでの地形はどうなっているのでしょうか?」
「もう少し東にあるハリコフ河を超えると、ヴァルザル平原という見晴らしの良い平原だ。」
「平原、ですか・・・」
「なにか、気にかかることでもあるのか?」
「はい。敵は遊牧民族、騎馬の集団と聞いております。
平原となれば、彼らは地の利を活かして襲撃してくるのではないか、と。」
「なるほど、な。
その懸念は十分にあり得ることだ。
忠告に感謝する。」
「いえ、こちらこそ子供の戯言に耳を貸していただき、感謝いたします。」
マクリルはそう頭を下げると、この場を辞したのだった。
その後ろ姿を見て、ニルス・アーベルの側に控えていた副官ヘンリク・イェルツェンが、
「将軍は、あの少年を評価しておられるようですね。」
そう話しかける。
「ああ、評価しているぞ。文官としてはな。」
「武官としては?」
「評価できる材料が無い。
まだ十四歳で、今回が初陣だ。
評価する方が間違っている。」
「たしかにその通りですね。」
そう言って自分の不明を詫びる。
そして、
「それにしても、彼が噂のマクリル卿ですか。
噂以上の美少年ですね。
街にでたら、女たちが大騒ぎすることでしょう。」
副官の言葉に、ニルス・アーベルは苦笑しながら首肯する。
「そんなことよりも、急がないと明日の出陣に遅れるぞ。」
「はっ!早急に作業を進めるよう、叱咤してまいります!」
イェルツェンは一礼すると、足早に去っていった。
翌早朝、諸王国軍はヴォロネジに向けて出発したのだった。




