穏やかな日々
帝都に来てから八年。
マクリルの周囲は大きな変化を遂げている。
一番大きな出来事は、祖父ディルクの死だろう。
まるで、自分が学院を卒業するのを見届けたかのように、亡くなっている。
年齢も八十半ばになっており、大往生と言っても良いかもしれない。
リューネブルク伯家に養子となってからも、色々と手助けをしてくれていた。
そして、マクリル自身は一年間の宮中書記官としての勤務を終えた後に、帝室直轄地であるケプテン地方の、ベルン行政区に行政官として赴任していた。
ベルン行政区とは、言葉通りにベルンという街を中心に四つの村で構成された行政区である。
帝都からも、二日あれば余裕を持って到達できる程度の距離であり、若い官僚に行政官としての経験を積ませるための場所の一つとされている。
さらに、ベルン行政区の南部にあるバート村は、古来より温泉地としても有名であり、湯治に行く者も多い。
だからだろうか。
マクリルは自分が帝都に報告に戻る時の代行者として、三兄エルマーをその任につけている。
エルマーは病弱を理由として、父ルドルフからその母とともに追い出されており、祖父ディルクの援助によって生活してきた。
そして、ディルクが亡くなってからはマクリルが援助してきたのである。
そして、弟からの援助に心苦しくなり、援助を断ろうとした時に、代行者という仕事の依頼を受けたのである。
「私など、お前の足手まといにしかならないだろう?
それなのに、そのような任に当ててもよいのか?」
そうマクリルに問いかけたが、
「兄上であれば、十分にその任に当たれましょう。
それに、南部のバート村には温泉があるのだそうです。
湯治に良いと聞いております。
兄上と、母上が療養するには良き場所ではありませんか?」
そう返されたのである。
父ルドルフに追い出されて以来、エルマーの母もその心労からか、身体を壊すことが多くなっている。
そして、現実的なこととしても生活の糧を得なければならない。
「これからは私からの援助ではなく、国からの俸給をいただけるのです。
良いことではありませんか。」
マクリルの言葉に、エルマーは感謝しかない。
弟は、エルマーの心苦しさに気づいており、仕事を斡旋することで、その解消を狙っていたのである。
だから、
「ありがとう。謹んで受けさせていただくよ。」
そう答えるしかなかった。
このエルマーの手腕は、"独創的なものはないが、きめ細やかなもの"と評され、マクリルのベルン統治に無くてはならないものとなっていた。
そして、帝都からほど近い任地。
お転婆娘となったヒルデガルド皇女は、度々訪れることにもなったのである。
行政官官邸に、いつものように押しかけるとマクリルの姿を探す。
そしてその姿が見えないと、エルマーの所に向かう。
「エルマー義兄様、マクリルはどこに?」
いつものことながら、すでにマクリルの妻であるかのような発言に、エルマーは苦笑を禁じ得ない。
「マクリル行政官なら、テルツ村に視察に出かけていますよ。
軍馬の調教の状況の確認をするために。」
軍馬の調教と聞いて、ヒルデガルド皇女は嫌な顔を見せる。
それというのも、馬が絡むとなれば必ずサティエとティティエの姉妹が同行しているからだ。
一応、淑女ぶってはいるものの、やはり他の女性と一緒というのは癪に触るらしい。
「ティティエはともかく、サティエは大丈夫ですよ。
彼女はユーディンと結婚しましたから。」
「あ、あら、そう?
それは喜ばしいことですわね。」
傍から見ても、嬉しそうにしている。
「でも、いつの間に結婚を?」
「七日前です。」
すでに二人とも奴隷身分から解放されており、結婚することに支障はない。
もっとも、主人であるマクリルには反対する理由はなく、もっと早く結婚していてもよかったと思っていたのだが。
「それなら、私にも連絡が欲しかったですわ。
何か贈り物を用意いたしましたのに。」
「そこまで気を使ってほしくなかったのでしょう。」
「いえ!夫に仕える者に対して気を使うことは、妻として当然のことです!」
これにはエルマーだけでなく、ヒルデガルドの護衛としてついてきている騎士や、乳母も苦笑を隠しきれない。
「殿下、まだ御結婚なされておられないのですから、そこまで気を使われなくてもよいのですよ。」
助け舟を出したのはヒルデガルドの乳母。
「だけどアマーリア。私はマクリルの妻になるのですよ?」
「ですけれど、今はまだ許嫁の段階です。
あまり踏み込み過ぎると、嫌われてしまいますよ?」
乳母の言葉に、ヒルデガルドは口を尖らせる。
「マクリルは、私のこと嫌ったりしないもん。」
そう、拗ねたように小さい声で呟く。
年齢相応の反応を見せるヒルデガルドに、
「はい。間違いなく弟は殿下のことを嫌うことはないでしょう。」
エルマーの言葉に表情を緩めるヒルデガルドだが、
「だからといって、夫を踏み越えて前に出ることは、妻のすることではありませんよ。」
乳母の言葉にシュンと項垂れる。
ここで話題を変えたのは護衛の騎士リュディガー。
「それでエルマー殿。マクリル行政官はいつ戻られるのですかな?」
「遅くとも、夕刻前には戻りましょう。」
陽はすでに中天から西に傾いており、あと二〜三時間ほどで戻ってくるということのようだ。
「それでは殿下。このまま、こちらで待たせていただきましょう。」
乳母の言葉に従い、しばしの間、応接室でマクリルの帰りを待つことにしたのだった。
☆ ☆ ☆
マクリルが戻ってきたのは、約一時間後。
エルマーとリュディガー、アマーリアの世間話に退屈していたヒルデガルドは、応接室に現れたマクリルを見て、表情を綻ばせる。
「マクリル!」
立ち上がるとマクリルのところに駆け寄り、そのままの勢いで抱きつく。
「皆んなの見ている前ではしたないよ、ヒルダ。」
「でも、久しぶりに会えたのですよ?
これくらい良いではありませんか。」
マクリルの言葉に、抗議の声をあげる。
「そうだね。でも、まだ十日しか経っていないよ。」
「日数の問題ではありません!」
唇を尖らせ、拗ねた様子を見せるヒルデガルドに、
「ごめん、ヒルダ。」
素直に謝罪する。そして、
「両陛下からは許可をいただいているのかい?」
そう尋ねる。
「え、そ、それは・・・」
歯切れの悪くなるヒルデガルド。
「ダメだよ。心配をおかけするようなことをしては。」
優しく諭すように話しかける。
「わ、わかりました。」
項垂れるヒルデガルドの肩に優しく手を乗せると、
「夕食の支度ができるまで、私たちは別室で話をしよう。」
そう言って、応接室を後にする。
ただ、その際にエルマーに目配せして、後のことを委ねている。
いつもと変わらぬ様子だが、その様子を見て、
「年齢に比して、よく気配りのできる御仁ですな。」
とリュディガー。
「ええ、我が弟ながら、そのおかげで随分と助けられております。」
そう答えるエルマー。
「あのようなご気性の方が、ヒルデガルド殿下と結ばれるとなれば、帝室としても大変に喜ばしいことでしょう。」
乳母であるアマーリアがそう評する。
穏やかな日々。
そして、マクリルの平穏な日々は翌日、帝都からの使者が持ってきた命令書によって、終わりを告げることになる。
命令書、正確には応集指令書によって。




