『いつもより熱い手を繋いで』
「そっか、甘夏さんがくれたんだ? 紅葉さんも相変わらずだなぁって思ってたけど、甘夏さんも変わらないんだね」
まだ陽は落ちきっていないが、それでもこれから大体一時間後に開始される打ち上げ花火に向けて空は少しずつながら確実に暗がり始めており、山頂までの道中に配置された外灯もまたそれに合わせて灯を入れていっていた。
照明に晒されたひづりの髪飾りの金の部分がキラキラと光っているのをアサカが「綺麗だね」と褒めてくれた。
「うん。こうしたプレゼントもとても嬉しいけどね。……ただ、たまに父さんと一緒になって、一度に三人で抱きついて来たりするから、困る。さすがに季節を考えて欲しいよ」
話題は自然とお盆休みでの出来事へと移行していった。と言っても大体ひづりが話すばかりで、アサカはずっと「ひぃちゃんに会えなくて寂しかった」と言うし、そもそもハナは自身のお盆期間の事を話す気がない様子だった。家絡みの事だと大体こんな具合になるので、いつもの事だった。
「へぇー。ひづりん、お父さんの姉妹からも愛されまくってるんだ? さすがだな女たらし。甘夏さんってどんな人なん? 紅葉さんに似てる?」
ハナが、しれっ、と言いがかりをつけながら問うて来た。
「ハナ、この機に改めて言わせて貰うが、私はこの十七年の人生ですけこました記憶なんぞ一度もないからな。甘夏さんは……昔からめちゃくちゃ頭が良くて……すごい稼いでて……運動も出来て……未婚で……。父さんと私をすごい好き好きって言って来る、なんか……すごい人」
言いがかりにはしっかりと言葉を返せたが、しかしあの官舎甘夏という人物の凄まじさを表現する言葉が咄嗟に思いつかずにわかに語彙力貧乏になってしまってひづりは口惜しく肩を竦めた。……いや、だってそうそう居ないでしょ、あんな人。
「あ、あと紅葉さんと仲悪い。紅葉さん、見てたら何となく分かると思うけど、若い頃不良だったとかで、十歳違いの甘夏さんに口でも喧嘩でも勝てなくて未だに仲悪い。そんで紅葉さんも甘夏さんも、私の父さんの事が大好きで……お盆とかで会うとよく姉妹喧嘩に巻き込まれる……」
ひづりは少し声を潜め、何杯目かなどもう本人も忘れているであろうその一杯を片手に上機嫌な様子で『地元民のあたしが案内したげるよぉ~! あたしもここのお祭には何度も来てるんだから~』と言って以来ずっと前方の坂道をふらふらと登っていく紅葉との関係性も語った。
「ひづりんの父方の叔母の紅葉さんはひづりんとひづりんのお父さんの事が大好きで、ひづりんの父方の伯母の甘夏さんて人もひづりんとひづりんのお父さんの事が大好き……。そんで紅葉さんと甘夏さんは仲悪い……。……ひづりんの父方、海外のコメディホームドラマみてぇだな?」
「割と的確な表現やめろ」
姉妹喧嘩にしょっちゅう巻き込まれている当の被害者の前で上手いことを言うんじゃないよ。
ひづりはふとまた背後をちらりと振り返って、ちゃんと百合川たちがついて来ているか確認した。
ラウラは依然として百合川を捕まえたまま、こうした日本の山が珍しいらしく、先ほどと変わらずキョロキョロと辺りを見回していた。華やかな屋台を離れ、ラウラの挙動が大人しくなったからだろう、百合川の顔には多少回復の色が見られた。
しかしこうして見慣れて来るとやはり二人はお似合いであるようにひづりには感じられた。百合川はラウラの暴れん坊具合に振り回されて困った顔こそしているが、肌の接触を嫌がっている風でもない。そしてラウラはずっと彼にくっついて楽しげにしている。またラウラのポテンシャルが高すぎるため霞みがちだが、百合川も一般的な日本人男子高校生としてはなかなか見られる顔をしているし、またいつも身綺麗にしていて、人当たりも良い。
その様相は誰もが認めるであろうお似合いの男女カップルのそれだった。今のところ二人とも明言していないが、傍目にはどこからどう見てもそうであった。
二人にとってもこれから向かう山頂での花火大会が良い思い出になれば良い。ひづりはまた少し暗くなって星が微かに見え始めた夜空を見上げてそう思った。
公園グラウンドとは言っても、それでも山の頂であろう、と捉えていたため、ひづりはその現地へ到着するなり思わず言葉を失って眼を丸くした。
「広ッ!?」
隣のハナがひづりの意思を代弁してくれた。
「おほ。びっくりしてるな? びっくりしてるな~? へへ~すっごいでしょ~!」
紅葉は到着したひづりたちの周囲をせわしなく動き回りながらはしゃいで見せた。
ひづりは周囲を一通り見渡して、それから隣で同じく気後れした様子で居るアサカと眼が合って、どうやら同じ感想を抱いたらしい事を確認すると「ははは」と互いに笑い声を漏らした。
いわく、公園グラウンドはその端をほぼ屋台が埋め尽くしているという。実際人垣の中で左右に見える広場の末端らしき場所には噂どおり屋台やテントがずらりと並んでいるのが窺えた。その背後を覆う木々はいずれも揃って背の高いものばかりではあったが、逆にそれがひづり達の居る場所からそのまま野球場二つ分くらいはありそうな彼方まで続いているのを見ればさすがに驚きを隠すことは出来なかった。要するに、まだ体感での判断ではあるが、この入り口から最低でもその遠く彼方で小さく見える木々の足元まで、この永山公園グラウンドの敷地はあるということだった。そして木々の背がいずれも高いとは言ったが、けれどこれだけ土地が広ければ話は別で、見渡せる夜空はあまりにも広く、花火大会のためのものとしてこれ以上のものは無いだろうと思わせるほどの絶景だった。今日は花火大会が目的で来こそしたが、もし何の祭も無い夜中にこの広大な広場の中心に寝転がって空を見上げられたら一体どれだけ心地が良いだろう、とひづりはそんな事を思わずにいられなかった。
花火の時間が迫っているため集った来場者の数ももうかなり多いようだが、公園グラウンドの規模が規模だけにそれでも充分ひづりたち一行が纏まって歩ける程度には余裕があるようだった。
これは父も紅葉さんもお勧めしてくる訳だ、とひづりは納得した。
「よぉし、じゃあみんな時間まで解散解散~♪ ビールビール~♪」
おい、もうちょっと雰囲気を大事にしろ。一通りはしゃぎ終えて満足したらしい紅葉は、近くにあったビールサーバーが置いてある出店の方に走って行ってしまった。
「保護者とは……」
背後の百合川が呆れを大いに含めた声を零した。すまない。あんな叔母ですまない。
「まぁ、でも紅葉さんがアレで大丈夫なら、あたしらも結構自由に歩き回って良さそうだね。あぁ、でもあたしはちょっと紅葉さん心配だから、一緒について回るとするよ」
ハナはその様に少し早口に捲くし立てると走り去った紅葉の方を指差した。
「いや、さすがにハナにうちの酔っ払いの相手をさせる訳には」
「良いって良いって。それよりひづりん達も、そ、れ、ぞ、れ、仲良く出店を回って来たら?」
ニヤリと眼を細めるとハナはそのまま踵を返し、返事も聞かず紅葉の方へ歩いて行ってしまった。
それぞれ、とは? とひづりが思ったところで、その場に残された四人の視線が、はた、と合った。
……ああ、そういうことか。ひづりは納得してアサカの手を握った。
「ひ、ひぃちゃん? な、なぁに?」
「アサカ、私達も二人で回ろうか。そういうわけだから百合川、ラウラは任せたよ」
そう言ってひづりは、特に目当ての屋台などなかったが、紅葉たちとは別の方角へアサカを連れてそそくさと歩き出した。
「えっ、あ、おい官舎!? うそだろ!?」
背後で百合川の責めるような声が響いたが、ひづりは少し足早にその場を離れつつ振り返ると、先ほどのハナと同じ類の笑みをその顔に浮かべつつ声を張った。
「上手くやりなよ、色男!!」
適当に歩いて広場の端まで来てしまったところ、そこはどうもお祭の準備会のテントが並ぶ区画で、別に面白いものは無かった。ただそのまま端沿いに歩いた先からやはり屋台の区画に繋がっているようだったので、ひづりはアサカとそこを目指すことにした。
「しかしハナは本当に気が利くね。すぐにああいう行動が取れるのは、ある種、かっこいいとすら思うよ」
『せっかくの花火大会、百合川とラウラを二人っきりにしてやろう』という気遣いをあのようにさりげなくそして手早く押し切ってしまえるのは、やはりハナらしい部分だと感じる。
ただ、紅葉さんの世話焼きを任せてしまった件に関してはどうにもやはり申し訳ない気持ちになった。紅葉はすぐ酔うが反面ザルでもあるので呑みすぎて倒れることはないだろうが、その相手をする身を自ら買って出ようという気には、ひづりにはとてもなれなかった。たぶん帰り際に合流する頃にはかなり疲れた顔になっているであろうハナを想い、ひづりは何らかの労いを用意しておいてあげなくてはと思案した。
「……アサカ? どうした?」
しばらく歩いたところで隣のアサカがうつむいて黙り込んでいる事に気づき、ひづりは立ち止まって訊ねた。
「あ、ごめん。足痛い? ちょっと早く歩き過ぎた――」
足元をちらと確認してから彼女の顔を覗き込んだところで、ひづりはそれに気づいて言葉が止まった。
「えっ、や!? いや、大丈夫! 大丈夫だよ! うん!! 全然大丈夫だよ!」
アサカはひづりと視線が合うなりハッとした表情で顔を上げ、片手をぶんぶんと振って見せた。
「本当? 何か顔赤いよ? もしかして風邪引いてた?」
「引いてない引いてない! 健康そのもの! そのものです! そ、それより行こう行こう! あ、えーと花火打ち上げまであと四十分くらいだっけ? い、急いで出店で何か買って、見晴らし良さそうなとこ、ところ、探そう!! ね!!」
そう行ってアサカは今度は逆にひづりの手を引いて歩き出した。ひづりは少し駆け足になって彼女の隣に追いつき、「本当に平気? 無理しちゃだめだよ?」と釘を刺したが、彼女は正面を見据えたままその赤らんだ顔で「大丈夫です!!」と答えるだけだった。
アサカ、どうしたんだろう……、と不思議に思っていたが、やがて久しぶりに彼女と二人きりで手を繋いで歩いている、という現状を受け止めたところでひづりもにわかに顔が熱くなり始めてしまった。
結局、互いに無言のまま歩く時間がしばらく続くこととなった。




