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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐
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   『水掛け祭』




「ふはははははは!!」

 お寿司屋までの道中、今日の昼前に学校で起こったとある事件について語ったところ、天井花イナリはにわかに高らかな、そしてやけに愉快そうな笑い声を上げた。

「いやいや、笑い話じゃなかったんですよ……」

 周囲の視線を少々気にしながらひづりが返すと、天井花イナリは「ああ、すまぬすまぬ」と答えつつもまだ、ふふ、ふふふ、と笑っており、どうもツボに入ってしまっているようだった。

 その見飽きる事のない品のある振る舞いに、淡々としつつも尊大な物言いが印象的な彼女をして、街中で出し抜けにこのような笑い声を上げさせた理由……。ひづりが今しがた語ったとある出来事というのは実に以下の通りだった。

 これから終業式が始まる、という休憩時間にそれは起こった。

 盛大な女子の悲鳴とざわつく声。それは二年生の教室が並ぶ階のトイレの方から聞こえて来た。

 丁度その時ラウラは「お手洗いに行ってきまーす」と行ってひづりから離れていた。故に、教室でその悲鳴を聞いて他の生徒らと共に廊下に顔を出したひづりは、廊下突き当りにあるトイレの方で同級生達が人垣に成り始めているのを見て「よもや」と思い、駆け出した。

 同級生らを押しのけて女子トイレの前まで行くと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。

 バシャリバシャリと絶えず水が溢れ、散り、そこら中を水浸しにしながら尚も蛇口はその奔流を続け、そしてそんな中で高らかに笑っていた女子生徒が居た。

 そこで生じているらしい何らかの問題の中心人物でなければ良いのだが、と思いながらここまで駆けつけたひづりの期待も虚しく、それは見事、ラウラ・グラーシャだった。

 彼女はひづりに気づくと不意に無邪気な笑顔になって言った。

『ひづり! 日本にも《ソンクラーン》あるのですね! 彼女たちが誘ってくれましたから、お付き合いしてました! ひづりもやりますか? うぅん、でもやめておいた方がいいですね。彼女達はセンスが悪いです。お手洗いの水でやるとは、珍しい感性ですね? 飲み水も便器の水なのですか? ねぇ、あなた、どうなのです? 教えてくださいよ? ねぇ?』

 そう言いながら彼女はまたその視線を手洗い台に置いた水が満ち続けるポリバケツに頭を突っ込まれ暴れている女子生徒に向け、訊ねた。

 女子トイレにはラウラ以外に三人の女子生徒が居た。一人はその右足をラウラの右足に綺麗に絡め取られ関節技をキメられてその水浸しの便所の床に顔面を押し付けられていた。もう一人は、ラウラの左腕によって同じく今にも折れてしまいそうなほどその右腕を背中側に捻り上げられて痛々しい悲鳴を上げ続けていた。そして最後の一人は前途の通り、ラウラの右腕によってその髪の毛を掴まれ、蛇口から流れ出続けている水道水で溢れる手洗い台のポリバケツの水面にその顔面を突っ込まれたり引き上げられたりして、ほぼ拷問と呼べる扱いを受けていた。

 四人ともびしょ濡れだった。ひづりに気づくなりラウラはバケツに頭を突っ込ませていた女子生徒の髪を引っ張って持ち上げると、放り投げるようにして水浸しの床に転がした。次に左手で捻りあげていた子も同じくまた床に叩き付けると、三人が川の字に並んだそこへ、トドメを刺すようにポリバケツたっぷりの水をぶちまけて、やり遂げた、という顔をした。そこでようやく担任の須賀野が駆けつけた。

 事情を聞くと、どうやらトイレの個室にラウラが入ったところ、上からバケツ一杯ほどの水が降り注ぎ、直後に「調子乗ってんじゃねーよ」という罵声と笑い声が掛けられたという。

 そこでラウラは即座にトイレの扉を蹴り飛ばした。その証言通り、哀れにも彼女が入っていたという個室の扉は蝶番と鍵が完全に壊れ、トイレの奥の壁で静かに傾いていた。

 彼女に水を掛けた女子生徒三人は、ラウラがそれほどの対応を即座にすると思っていなかったらしい。蝶番と鍵が破壊され飛んできた扉によって一人がそのまま押し倒された。呆気に取られたのも束の間、後の二人はラウラに関節をキメられ拘束されると、……あとはご覧の通りだった。

 ひづりが駆けつけた時、彼女は笑っていた。それからひづりに気づくなり「《ソンクラーン》ですよ」とはしゃいで見せたが、それが純粋に祭の《ソンクラーン》として楽しんでないのは一目で分かった。彼女が上げていた笑い声の、何と攻撃的だったことか。ひづりは背筋が凍るかと思ったほどだった。

 便所の床に転がって揃いも揃って泣き喚く三人からようやく須賀野が話を聞くと、どうも才色兼備なラウラに嫉妬した彼女らは、終業式の直前に彼女を水浸しにしてやろう、と画策したという。実際それは成功したが、自身らはそれ以上の手痛い眼に遭った、そういうことのようだった。

 ラウラは「彼女たちが《ソンクラーン》に誘って来たのでお応えしただけです」という主張を変えなかった。現在は水かけ祭りと呼ばれているタイの《ソンクラーン》だが、もちろんトイレで、こんな過激に行うものではない。もちろん違う。だがラウラは自身に非は無く、また彼女達も悪くない、という旨を、背筋を伸ばして真っ直ぐに須賀野の眼を見つめて意見し続けた。

 結局、『女子生徒らから水を掛けられたことで、日本では《ソンクラーン》をトイレでやるものだと思い込んだオーストラリア人のラウラが、それに同じ行動で以って返した』という形で一旦治める運びとなり、結局四人とも半乾きの髪と、着替えた体操服で終業式に出ることとなった。ラウラに水を掛けた三人は終始ずっとうつむいて泣いていたが、一方のラウラは逆に上機嫌な様子でその色素の薄い綺麗なブロンドをタオルで揉むように乾かし続けていた。

 ラウラを妬んでいた女子生徒はやはり多いのだろう。しかし今後、夏休みが明けても、同じようなことをする者が出ないであろうことは、彼女のその余裕たっぷりの仕草から明白であった。ラウラ・グラーシャに嫌がらせとして水を掛けた三人は、逆に水浸しの便所の床に転がされる結末を迎えた。この事実である噂が消えない限りは、少なくともこの綾里高校でラウラに対して同じようなことは二度と起こらないだろう。

「しかしなるほど。それでお主は今日店に来るなり、あのような疲れた顔をしておったのか。ほうほう。思いの外、そやつは気が短かったと。ふはは。まぁそんなものよ。良い顔だけではやってゆけぬからな、《天使》も人も《悪魔》も。それに……くくっ、そのラウラという娘も、気が合う以上、やはりどこか似ておるようじゃのぅ? 童にしては《誰か》と同じく、ずいぶんと強かなことではないか。ふふふ。面白い。ああ、実に面白い。久々に大笑いしてしもうた。ふふ、ふふふはは……」

 天井花イナリは歩きながらまだずっとニヤニヤと笑っていた。

 《童にしては強かで気性が荒いその誰かさん》にあまりにも心当たりがあるため、ひづりは羞恥心に少々顔を熱くし、何とも言えない気持ちになった。

 しかし彼女のやけに愉快そうに笑うその様子にひづりは微かな違和感を覚えていた。

 先週の木曜日。最初にラウラと会った日の放課後、店に寄って彼女のことを天井花イナリに話した時だ。

『それは……また難儀な奴が来たものじゃな……』

 と、彼女の反応はどうもやけに暗い……いや、むしろ警戒心の様なものが含まれているようにすらひづりには見えていたのだ。

 それをひづりは憶えていたから、今の彼女の心の底から愉しげな高笑いに少し驚いたのだった。

 気のせいだったのだろうか? 気にすることでもないのだろうか。そうこう考えているうち、いつものお寿司屋さんに到着した。







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