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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐
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   『まだ生きている』




「ええ~? お姉ちゃん明日手術するのに、ひづりは病院に来てくれないの~?」

 入院二日目の火曜日、ひづりは《悪魔》二人と共にちよこが入院している病室へ訪ねていた。

「私が来て何になるの。っていうか、普通に姉さん平気でしょ。サトオさん居るんだし。我慢しなさいな」

 ひづりたちの訪問に気づくとサトオは傍らの椅子に掛けていた腰を上げ、妻の体を起こしてあげていた。何から何まで世話して貰っているらしいとひづりは見て少し微笑ましく、また現実的な夫婦生活の一端を垣間見た。

 ただやはり天井花イナリが《白蛇の神》となった際に掛けた強力な《治癒魔術》と、そして直後に救急車で岩国の病院へ運ばれ輸血を受けられた事でちよこの顔色はもうすっかりよくなっているようだった。

 歳が若ければ若いほど人間の骨というのは損壊時修復への反応が速く、特に粉砕骨折など酷い後遺症が出る危険のある場合は可能な限りその手術は早い方が良いとのことらしく、また傷自体も塞がって輸血済みのちよこならさほど危険も無いだろう、という話だった。ただその怠惰な生活によって落ちている素の体力の方はどうにもならないが。

「ひづりが居てくれたらもっと大丈夫な気がするのー!」

「それだけ元気に駄々こねられるなら安心だね。気力有り余ってるなら、明日の手術の前に一旦お店に戻って掃除でもしていく?」

「うっわ。やだやだやだぁ~! 分かったよぉ、もぅ~……」

 姉妹の会話に、傍らのサトオがくすくすと笑っていた。ちよこの負傷から三日。ばたばたと慌しかったためだろう、どちらかというとサトオの方がやつれている様にひづりには見えた。ちよこにつきっきりで、よく眠れていないのだろう。眼の下にくまがうっすらと窺える。

 ただ、入院に際しては個室を借りていた。少しお高かったらしいが、部屋には病人用のベッドの他に、人が一人寝られるくらいのソファもあり、昨晩そこでサトオは眠ったらしい。

 夫婦二人きりで居られる方がやはり手術を受けるちよこも、そしてをそれを見守るサトオにも良いと考えたのだろう。ありがたいことにサトオの両親も入院費等を折半して出してくれたらしい。

 今日、どうにか元気そうな二人の顔を見られたひづりは、ひとまず手術に関して心配は要らなさそうだなと判断した。

 なので本題に入った。

「……姉さん。《レメゲトン》、持ってるんでしょう」

 笑うサトオに拗ねた顔を向けていたちよこはピタリと体の動きを止め、それからゆっくりとひづりを振り返った。

「……イナリちゃんから、聞いたんだね?」

 ひづりは隣の天井花イナリをちらと見て、それから再び姉に視線を戻して頷いて見せた。

 これは一昨日の時点で、《ベリアル》を天井花イナリが殺した時点で、何よりその《契約印》が姉から自分へと移った時点で、ひづりは考え始めていたことだった。そして昨日、その事をひづりは天井花イナリに相談し、改めて決意していたのだ。

 官舎ひづりは《召喚魔術》を学ぶことに決めた。岩国神社でのような事はそう滅多にあることではないだろう、が、それでも天井花イナリと和鼓たぬこの《契約者》はもう自分なのだ。これから何があってもその責任を持てるように、姉と同じく、そして母と同じく、知り、そして守る事が出来なくてはならない、とひづりは思ったのだ。

 《レメゲトン》。ひづりは昨日、《ソロモン王》や《召喚魔術》に関する五冊の魔術の書であるその存在を天井花イナリから聞いた。そしてまた、母から譲り受けたというその複写本をちよこが隠し持っているということも。

「天井花さんと和鼓さんの《契約印》は私に移った。だから、その責任を持ちたい。……姉さんがあの時みんなを守ってくれたみたいに、私もあんな風になりたい。私は、これからも天井花さん達と一緒に働いていきたい。……譲ってくれるよね、姉さん」

 ひづりは胸の内の本音を真っ直ぐに姉の眼を見て伝えた。

「いいよ。二階のベッドの下にあるから勝手に持って行っちゃって」

 しかし、意を決して真摯に言葉を選んだひづりに、対してちよこはそんな軽い調子で返した。返しやがった。

 そのせいで虚を衝かれた想いで逆にひづりの方が気後れしてしまった。

「か……軽いな!? 今まで散々、天井花さんの本当の名前も、魔術の本の場所も黙ってたクセに……!?」

 ひづりが少々うろたえつつ言うと、ちよこは夫の手を握ったまま妹の目を見て答えた。

「だって、決めたんでしょ? ひづりが決めたこと、お姉ちゃんが否定したこと、今まで一度だってあった?」

「あったでしょ」

「あったか」

「あるわ。何を『かっこよくて物分りの良い姉』みたいな顔してんだ。ふざけろ」

 どれだけ言っても天井花さんたちに休日も給料も出さず、毎日奴隷のように働かせていたくせに、一体どの口が言うんだ、と、ひづりは容赦なくその点に関しては真剣に責めた。

「あれは~……だってぇ~。《契約印》、お姉ちゃんのものだったんだも~ん……。イナリちゃんもたぬこちゃんも私のだったも~ん……よよよ……ひづりがお姉ちゃんからイナリちゃんたちを奪ったよぅ。サトオくん、ひづりがいじめるよぅ……」

 ちよこはこれまたわざとらしく拗ね、泣いたふりをしつつサトオに甘ったれた。ひづりは呆れて視線を雑に空に投げた。

 しかし実際悔しいのは本音だろう、ともひづりは思った。ひづりが店に来るまで、姉はこの二人の《悪魔》を自由に、それこそ好き勝手に扱って来た。それを全部、全権利、まるごとごっそり妹に取られてしまったのだ。彼女は元の、和菓子屋を経営する一介の夫婦の片割れに戻ったのだ。もう従業員である天井花イナリと和鼓たぬこに対して、わずかの不正も働くことは出来ない。妹がそれを許さない。

 けれど。

 ひづりはため息を大きめに吐くとベッドに近寄ってそのまま姉の隣に腰を下ろした。

「そうだね。ちょっと冷たく言い過ぎたね。これから手術、大変なのは姉さんだもんね。姉さんは境内で皆を守ってくれたもんね。立派だった。姉さんが頑張ってたのちゃんと見てたから。あれ、かっこよかったよ。偉い偉い」

 そう言ってひづりは姉の頭を撫でてあげた。

 なるべく早く言おうと思っていた。けれどこの三日、あまりに慌しかった上、それに面と向かって言うのは少々気恥ずかしかった。しかしかといって先延ばしにしたくはなかった。もう《後悔》はうんざりだから。

 だから、ちゃんと褒めてあげよう、とひづりは思っていたのだ。あの時、《防衛魔方陣術式》で守ってくれた姉の事を。天井花さんを呼び出すことに成功するまでの時間稼ぎをしっかりと果たしてくれた姉を。

 予想外だったのだろう。あまりに急な事にちよこは、きょとん、としていたが、すぐさま顔色を明るくすると言った。

「えへへへへへぇ~。ひづり大好き~! おっぱい触って良い?」

「天井花さん。姉さん、左肩も粉砕骨折したいらしいです」

「む。そうか」

 ひづりの発言から流れるような仕草で天井花イナリは剣を取り出してベッドに一歩踏み出した。

「だああ嘘!? 嘘です冗談ですぅー! やだもう、怖いよ!? お姉ちゃん、ひづりにイナリちゃん任せて良いかちょっと不安になって来たよ!?」

「姉さんが悪行を働かない限り何も問題ないよ。それより姉さんは明日の手術と、今後左肩の骨の心配だけしてなさいな」

「……サトオくん、ひづりが怖いんだけども」

「ははは。こりゃ、もう悪いことは出来ないなぁ」

 サトオは困ったように、しかし多少元気が出てきた様子で笑って見せた。

「……じゃあ、ひづりちゃん、ちょっとお願いをしてもいいかな」

 そこからにわかにサトオはひづりに向き直って、言った。

「お父さんからもう聞いてるかもしれないけど、ちよちゃん、大体一ヶ月くらいの入院になるらしいんだ。退院するまでは少なくともお店は閉めておかないといけないんだけど……その間、天井花さんと和鼓さんに店の留守番を頼んで貰ってもいいかな? あの店はあまり防犯に優れた作りをしてる訳じゃない。一月も全く誰も居ないって状態は、さすがに不安だからさ」

「……何じゃ。おかしな事を言うな。サトオ」

 すると天井花イナリがにわかに口を挟んだ。部屋中の視線が彼女に向けられた。

 天井花イナリははっきりと宣言した。

「あの家屋の三階は元よりわしとたぬこの寝床じゃ。《契約印》がどうなろうと変わらん。それにこの《人間界》であらば、近くに居らんでも、わしはひづりの元へすぐに《転移魔術》で駆けつけられるしの。……何、暇つぶしに店内の掃除くらいはしておいてやるわ」

 彼女のその意外な優しい声明にサトオは面食らった様子だった。しかしそこへすかさず天井花イナリは補足を入れた。

「そして言うておくが、お主ら、決して思い違いをするでないぞ。これはお主らのためでは断じて無い。ひづりの願いじゃ。ひづりは《和菓子屋たぬきつね》を気に入っておる。あそこで働く事を好いておる。全てはそのために他ならぬ。それを努々忘れるでない。……ちよこ。お主はさっさと怪我を治して復帰せよ。一月もあればひづりも《召喚魔術》の知識程度ならおおよそは頭に入れられようしの。あまり暇を作らせるな。せいぜい治療に専念しておけ。それとサトオ、お主も気を張りすぎるな。休めるときには休め。お主とちよこの二人が居らねば、あの店はまだ万全を以って機能をせぬ。故にお主らはこれよりの一月を、ひたすらに来月の開店へ向けた回復と健康に努めるのじゃ。……良いな?」

 有無を言わせぬ尊大な物言いで天井花イナリは二人にそう言い渡した。低く綺麗な彼女の声が病室に響いて消えた。

「……ということらしいので、店の方は大丈夫ですよ。サトオさん、姉さん」

 少々呆気に取られていた二人に、ひづりは安心させるよう言葉を添えた。

 それからひづりはもう一つ、今日この病室で行おうと思っていた事を頭に浮かべ、そして心を決めると、おもむろにサトオを見上げた。

「あと、すみませんが、ちょっとだけ席を外して貰っていいですか」

 急に真剣な声音と表情で言ったひづりにサトオはまた面食らったようだったが、一度ちよこと顔を合わせると、再びひづりを見て頷いた。

「それと天井花さん達も……すみません」

「む。何じゃ、わしらもか? ……まぁ別に構わぬが。行くぞたぬこ」

「う、うん」

 ひづりとしてはありがたいことに三人とも特に何の詮索もせず踵を返して扉の方へと歩き出してくれた。

「…………」

 病室に二人だけが残され、戸の閉まった微かな残響も消えると、そこにはただ無言がしばらく漂った。

「…………生きてるよ」

 ひづりはベッドに腰掛けたまま、やがて視線を上げると姉の眼を見て言った。

 見返すちよこの顔に表情は無かった。喜ぶでも泣くでもない、それは吉備ちよこが人前ではまず見せることのない顔だった。

 ひづりはそっと手を伸ばして姉の体を抱き寄せた。頬に軽くキスをして、それから抱きしめて、また頭を優しく撫でた。さっきより丁寧に、ずっと優しく。

「私はまだ生きてる。姉さんも、私も、まだ」

 おもむろにちよこの左腕がひづりの背中へ回され、そして弱々しく抱きしめ返して来た。

「うん……生きてる……」

 抑揚の無い声で姉は呟いた。抱きしめるひづりの腕の力がまた少しだけ強くなった。

 互いの体温を伝え確かめ合うように、二人はそれからしばらくそのままでいた。








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