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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第1期》 ‐餡の香りと夏の暮れ、彼岸に咲いた約束の花。‐
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   『すべて元通りに』




「……縮んだ…………」

 救急車のサイレンが聞こえて来た所で天井花イナリは「少々時間を使いすぎたか」と零しつつ千登勢に《ヒガンバナ》を《魔方陣》の内側へ格納するよう命じるとその大きな腕に二人を抱え、《転移魔術》を用いて宿泊先の女部屋へと帰って来た。

 そしてそれはほぼ同時だった。部屋のベッドに、ぼすん、と千登勢と共に落とされたひづりは、その二つのベッドの間に立つ天井花イナリを見つめ呆然として、そのままの感想をぽつりと漏らしてしまった。

 そう、縮んでいたのだ。境内からの《転移魔術》を終えて宿の部屋に戻った瞬間、天井花イナリは元の《ウカノミタマの使い》の姿に戻っており、その身長も普段の百四十センチほどの背丈に縮んでしまっていた。しかし驚いて見つめるひづりと千登勢の視線もよそに天井花イナリはだけた着物と帯を手際良く付け直し始めていた。

「……? なんじゃ、何か気になるか?」

 ひづりと千登勢があまりにじっと見つめるものだから天井花イナリはようやく首を傾げた。

「えっ、えっと……だって、天井花さんさっきまで……あの……身長が……」

 歯切れ悪くも訊ね始めたひづりに、千登勢も隣のベッドで、うんうん、と頷いた。

 すると「……あぁそのことか」と天井花イナリは面倒くさそうな顔をした。

「ああ。縮んだのぅ。残念ながら、いつもの天井花イナリに逆戻り、という訳じゃ」

 と言いながらもしかし彼女の顔にはさほど残念がっている様子は見受けられず、そのままじきに着付けも終え、最後に髪を結び始めた。

 非現実的なほどに長く自在に動く純白の頭髪。二メートルを超える長身。雪のように白い肌と巨大な《角》。そこに唯一色彩を落とした二つの赤い瞳。かっこよかった。綺麗だった。今後彼女はずっとあのままなのだと思い込んでいたひづりとしては少々……いや結構…………かなり、残念だった。

 しかし戻って来てくれたのだ。天井花さんは。それがやはり嬉しくてひづりはベッドの上をもそもそと動いて近づいて正座をすると、胸の内にあるその暖かいままの気持ちを真っ直ぐ彼女に伝えた。

「……確かにちょっと残念ですけども、でも、本来の天井花さん……《ボティス王》の姿も見られて、私は嬉しかったですよ」

 すると天井花イナリは振り返って小首を傾げ、かすかに片眉を上げた。

「何を言うておる? あれは《ボティス》の姿ではないぞ」

「…………へ?」

 あれ? 違うの? ひづりは呆然とした。

「で、でも身長が二メートル近くあって……強くて……頭のてっぺんの《角》も……」

 ひづりがしどろもどろ訊ねると、彼女はまた「ああ……」と納得した様子で、やはりまた少々めんどくさそうな顔をした。

「先ほどのあの姿はの、限定的な《神性》による強化の状態にあった故のものじゃ」

「……限定的な《神性》、ですか?」

「午前に城で話したじゃろう? 《神性》を持つ生物というのは、それを信奉する人間が近くに居ったり、建物が近くに在るとその《実力》が強化される、と。憶えておろう?」

「あ」

 そういえば、確かにそんな話を。

 それから天井花イナリは向かい合うように千登勢の隣に腰を下ろすと、なるべくひづりたちにも伝わりやすい言葉を選んで説明してくれた。




 あの時、ひづりの《契約印》を元にして再召喚された際、天井花イナリはやはりあの神社に祀られている《白蛇の神》の姿になっていた。それは事実らしい。

 だが、再召喚されたほんの一瞬だけ、確かに彼女は《ウカノミタマの使い》だったという。しかしそれは当然だった。最初に召喚した万里子の『白狐の姿になって』という《契約》がそのままひづりに譲渡されただけなのだから、再召喚された天井花イナリもやはり《ウカノミタマの使い》の姿で顕現する。

 しかし今回は例外的で、まさしくその《神性》と《場所》が問題となったのだ。

「聞いておった通りじゃ。わしは、《ボティス》は、《蛇の悪魔》なのじゃ」

 蛇。進化の過程で四肢が退化した爬虫類で、脊椎動物としては珍しい種類の肉食動物。種類によっては強力な毒をその牙に持ち、大きいものはそのほとんど筋肉で出来た強靭な体を巻きつけて人間ですら絞め殺すと言う。……《ベリアル》にやったように。

 しかし一方で蛇は古くから各地で《死と再生》の象徴として《人間界》では信奉されて来た。特に今日出向いていた白蛇神社は、その蛇そのものを神様として崇めている《建物》だった。

 つまり《蛇》のための《神聖な建物》だったのだ。

 同じ日本という国の独特な《神性》を持つ《ウカノミタマの使い》となっていた《元・蛇の悪魔》である天井花イナリは、その《神聖な蛇の建物》という《場所》で再召喚された故に、その体が作り直された際、偶然にもその恩恵を全身に受けたのだという。

 それこそが、あの瞳以外真っ白な《白蛇の神》の姿だったのだという。

「腐っても《悪魔》の王……《堕天使》とは言え、《ベリアル》の中にある《神性》と《魔性》はそれなりの《実力》を伴っておる。じゃから《ボティス》では……《ウカノミタマの使い》のわしでは、あそこまで一方的に拘束するのは多少骨が折れたじゃろう。しかし……」

 日本のほぼ全国に根付いている稲荷神社の《神性》を元に変質し《ウカノミタマの使い》となっていた天井花イナリは、そこへ蛇を神様として祀る、自身と非常に相性の良い《神性》を、まさにその境内の中心で得てしまった。そのために、先ほども彼女が言ったようにその体内の《神性》が限定的に跳ね上がったというのだ。

 つまり《ウカノミタマの使い》としての《神性》に、そこへ運よく《白蛇の神》の《神性》がプラスされた、ということらしかった。二種類の《神性》を得た故の、あの姿と力だったのだと言う。

「今までこの身が《神性》に変化したことを忌まわしく思っておったが、今日、不意打ちで襲って来おった《ベリアル》より受けたお主らの傷をほぼ完治させられたのはその《蛇の神性》の権能あってのことじゃった。ふふ。こういうのをまさに《棚から牡丹餅》と言うのであろうな」

 天井花イナリは得意げにフフフと笑って見せた。

 まさに偶然の連続だった。千登勢が知人から貰った岩国への旅行券。それをどこからか聞きつけ知ったあの緑の上着の中年女……たしか藤山とか言ったか、彼女はひづりたち一行を《ベリアル》と共にこの岩国までつけ回し、そして日本人なら観光地の神社には必ず寄るだろうと踏んで、あの白蛇神社に罠を張った。そうして《ベリアル》の奇襲は成功したが、しかし撃ち抜いた《契約印》がひづりに移る事を《ベリアル》は知らず、そして天井花イナリの再召喚が果たされ、しかも神社に祀られていた《蛇》の特性が天井花イナリにとってプラスに働き、《ベリアル》は敗北した。

「多少、《ベリアル》が正気であれば、あのようにわしが《白蛇の神》として再召喚される可能性も考えつき、別の場所に罠を張ったことであろう。それこそあの岩国城などでな。……しかし言うたように、あやつは壊れておった。脳がもう駄目になっておるのじゃ。偶然ではあるが、これは必然でもある」

 少しばかり憂いのある眼差しだったが、それでも天井花イナリはそうきっぱりと締めくくった。

「じゃあ、つまりあれは《白蛇の神》として強化された天井花さんの姿だったんですね。……《ボティス》としての天井花さんだと思っていたから、ちょっぴり残念です」

 ひづりが私情を吐露すると、天井花イナリは仄かに優しい眼差しになって答えた。

「いや、確かにあれは《日本の白蛇の神》の姿であった。それは事実じゃ。かといって、そこまで本来のわしとの外見上の差があった訳ではないのじゃぞ?」

「え、あれ? そうなんですか?」

「ああ。生憎あの場に姿見が無かったゆえ正確には分からぬが……おそらく色が違った、くらいの差ではないかの」

「……色ですか?」

「然り。わしは――《ボティス》は純然たる《悪魔》じゃぞ。肌があんなにも真っ白であるものか。どちらかと言うと……ああ、ほれ、《フラウ》の右半身、《火庫》の左半身のような肌の色が、元に近いかのぅ」

 ひづりは先に《転移魔術》によって男部屋の方へと運ばれ、おそらくは今頃もう凍原坂によってベッドに横たえられゆっくりと休んでいるであろう《フラウ》と《火庫》の体を思い出した。濃い紫色の、けれど強い生命力を感じる不思議な肌の色……。

「お主が先ほど言うたように、《ウカノミタマの使い》の姿では《狐の耳》に置換されておった頭頂部の《角》も、あの時はたしかに本来の《ボティス》の《角》の形を取り戻しておったし、何より身長がしっかりと戻っておった。じゃから、シルエットはほぼ本来のわしの、《ボティス》の姿であった。ただやはり色だけが異なっておった。……あぁ、いや、あと《神性》が膨大な量になっておったために、その《実力》が増しておったが故に、髪が、《ボティス》の頃の二倍ほどには伸びておったじゃろうか。うむ。そうさな。それくらいの差であるか。じゃからほぼ《ボティス》であったぞ。うむ。色以外はな。……ちなみに元のわしの髪はブロンドじゃぞ。今の白も嫌いではないがの」

 自身の白髪に触れながら言った天井花イナリに、ひづりはもう一度境内での彼女の姿をよく思い返し、想像した。

 二メートルを超えるあの美しい体は全身紫色で、おそらく白目も《フラウ》のように黒く、瞳は……何色だろう。髪と同じ金だろうか、青だろうか。

 いつか自分はそれを見られるだろうか。……ただ出来れば今日みたいな危険ではない状況だと嬉しい。

「……今日の背の高いお姿、とても素敵でした。いつか元の、《ボティス》としての天井花さんも、私は見てみたいです」

 ひづりがそのいずれ来て欲しい未来を夢見てぽつりと零すと、天井花イナリはにわかに眉根を寄せて着物の袖を組んだ。

「なんじゃひづり。やけに元のわしの姿にこだわるのう? いや、悪い気はせぬが。……しかし、ふむ、お主は見上げる方が好みであったか? であれば惜しい事をしたな。あの地、あの境内に住み着くならば、あのままお主の好みじゃという《ボティス》とほぼ近い姿で――《白蛇の神》の姿のままで、共に一生暮らすことも出来たのじゃが」

 そんな冗談……なのか本気なのか分からないプロポーズをさらっとしながら彼女はひづりを見つめてほんのりと妖艶な笑みを浮かべた。

 そういうつもりで言ったのではなかったが、かといってひづりは否定も出来ず、慌てた。

「あ、あぁ、いえ、大きい天井花さんも素敵でしたけど、今までの……今の天井花さんも私は好きですよ!」

 …………好きって言っちゃったよ!! さらっと口から本音が出てしまったひづりに、天井花イナリはまた機嫌が良さそうに眼を細めて口の端を上げた。

「ふふ。やはりお主は我が《契約者》に相応しい。実に退屈させぬ。これからも共に居ってくれ。……ああ、そうじゃ。それと言えば忘れておったわ。ひづり、お主、少々覚悟せよ。礼を言わねば気が済まぬであろうからの、《あれ》は」

 悪戯っぽくにんまりと浮かべたその笑みと視線を、彼女はおもむろにひづりの背後へと向けた。

 ……《あれ》とは? と思ったところで、にわかにひづりの体に衝撃が走った。どふん、という具合に、背後から柔らかくて大きくてふわふわした何かが覆い被さって来た。

「ひづりさん、ひづりさん、ひづりさん……!」

 そして《彼女》はひづりのすぐ耳元でその名前を何度も何度も涙声で呼んだ。

 ひづりはまたにわかに胸の内が暖かくなり、その眼にはじわりと涙が滲んだ。

「和鼓さん……!」

 天井花イナリが境内に再召喚された時、和鼓たぬこの姿はどこにもなかった。どこにも見当たらなかった。彼女がどうなったのか、ひづりはずっと不安だったのだ。

「――先ほども言うたように、あの境内に再召喚されたわしは《ウカノミタマの使いの天井花イナリ》ではなかった。《ウカノミタマの使いの天井花イナリ》を《依り代》としてその肉体を得た別の存在、《白蛇の神》であったからのぅ」

 天井花イナリは立ち上がってかたわらのソファに改めて腰を据え直すと足を組み頬杖をついておもむろに語り始めた。

「わしは此度、お主の願いによって万里子より引き継がれたその《契約印》を元に再召喚されたわけじゃが……。……『和鼓たぬこは天井花イナリに連れられて《人間界》へと召喚された』、それが二年前の事実であり、世界に記録された《現象》である。先ほどは《天井花イナリ》ではなく《白蛇の神》の姿であったが故にその《現象》は発生せず停止しておったが、今はあの境内を離れ、わしは元の《ウカノミタマの使いの天井花イナリ》へと戻った。であるが故に、再び《現象》は世界によって《再現》された。つまり、ここへ戻ってわしが《ウカノミタマの使いの天井花イナリ》となったことで……ふふ、お主のことが大好きなそのたぬこも帰還出来た、ということじゃ」

 語られたその理論は少々難しくてちゃんと理解出来たかといえば怪しかったが、それでもとにかく和鼓たぬこがこうして元通り、天井花イナリと共に帰って来てくれたことがひづりには何より嬉しかった。この二人の事が、ひづりは本当に大好きだから。

 背後から回されたその手を優しく握りしめ、ひづりは肩に乗せられた彼女の頬に自身の頬をすり寄せて応えた。

「はい……はい、ひづりです、ひづりですよ。――おかえりなさい、和鼓さん」

 べそべそと泣きながらぎゅうと抱きしめて来て何度も「ありがとうございます、ありがとうございます……」と繰り返す彼女の頭をひづりは泣き止むまで撫でてあげた。








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