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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第1期》 ‐餡の香りと夏の暮れ、彼岸に咲いた約束の花。‐
44/259

   『断罪』




「着いたー!」

 サトオの横で延々駄々をこねていたちよこだったが、鳥居の前まで来ると今までのつぶれた饅頭みたいだった挙動はなんだったのかという元気さをにわかに爆発させた。

 我先にと鳥居をくぐったちよこに続き、ひづりたちも境内に入る。連絡が入っていないので、おそらく凍原坂はまだ着いていないのだろう。ひづりはちらりと振り返ってみたが、彼ららしい人影はまだ道中に見受けられなかった。やはり先に入って待っておくべきか。

「金運上昇! 商売繁盛! ご利益いっぱい貰って帰ろう! そうすればイナリちゃんの幸運力と合わさってウチのお店はもっと繁盛――」

 そこまで言ったところでにわかに言葉が消えるようにちよこは黙った。

「…………姉さん?」

 ちよこはそのままおもむろに立ち止まり振り上げていた両手を下ろすと境内の奥を見つめて動かなくなった。

 急にどうしたのだろう? 後ろを歩いていたひづり達も彼女の隣に並ぶようにして足を止めた。天井花イナリと和鼓たぬこ、そして千登勢も異変に気づいたらしく、ちよこの横顔に視線を向けた。

 不意にちよこが口を開いた。何かを言おうとしたようだった。いつもほわんほわんとした、微笑むような顔をしている彼女の顔からそれらが完全に消え去るほど、それほどに重要な何かを彼女はひづり達に伝えようとして、しかし、それは果たされなかった。

 何かがひづりの顔のそばを一直線に通り抜けた。あまりに一瞬の事に眼で追えなかった。

 どん、という鈍い音だけがやけに響いた。

 ちよこの体が後方に吹き飛ばされ、無造作に錐揉みしてから乱暴に石畳に落ちて転がった。

「え…………」

 振り返ったひづり達と、数メートル後方に横たわったちよことの間には、ぶちまけた様な血しぶきが広がっていた。

 ひづりは頭の中が真っ白になった。

「ね、姉さん!?」

「ちよちゃん!?」

 突然の事に息が詰まったのも束の間、ひづりとサトオは慌ててちよこの元へと駆け寄った。「何、何……?」と立ち尽くす千登勢の口から困惑する声が零れ、《魔方陣》から現れた《ヒガンバナ》が彼女を守るように周囲に視線を巡らせた。

「あ、ああ……」

 義兄と共に姉のそばへ駆け寄ったひづりは、しかしそのあまりの凄惨な事態に動揺し声にならない声を漏らしながら激しくなるばかりで治まらない身の内の動悸に戸惑う事しか出来なかった。

 仰向けに倒れた姉の右腕は肩を軸に人間の関節の構造上あり得ない方角を向いていた。そしてその右肩を中心にして服も髪も頬も破裂するように撒き散らされた彼女の真っ赤な血液で汚されており、それでもまだ飽き足らないのか、右肩に開いたその大きな穴からは、どぷり、どぷり、と脈に合わせて鮮血が絶え間なく溢れ続けていた。

「ひづりちゃん、救急車だ!!」

 サトオの声にハッとなり、ひづりは携帯を取り出した。その間にサトオは持っていたハンカチと脱いだ自身のシャツをちよこの肩に当てて巻き付け、応急処置に努めていた。しかしシャツもハンカチも即座に鮮血で染まり、ちよこの顔色はどんどん青くなっていっていた。

 震える手でひづりは一一九を押したが、繋がらない。番号を間違えたのか!? と焦ってもう一度掛けるが、やはり繋がらない。まさかと思い見ると、いつの間にか電波の状態が完全に途切れた事を示す圏外の表示になっていた。

「嘘、なんで!? なんでこんな都市部で、圏外な訳……!! ……ち、千登勢さん! 携帯繋がりますか!?」

 びくり、としつつも冷静になったらしい千登勢は慌てて携帯電話を取り出したが、ひづりと同じく信じられない、という顔をした。

「で、電波が立ってませんわ! どうして……なんで……」

 そのままスマートフォンを右手に空に掲げるが、変化は無いようだった。

「僕のは!?」

 サトオは《魔方陣》から現れた《ヒガンバナ》より受け取った土産物のタオルをちよこの肩に巻きつけながら、その合間にポケットからスマートフォンを取り出してひづりへ投げた。しかしやはり画面に映された電波表示は切断状態となっていた。

「くそっ……つ、通じないならとにかく病院へ運ぼう! 人目は気にしてられない! 《ヒガンバナ》くん! ちよこを抱えてやってくれ!」

 応急処置を終えたサトオが《ヒガンバナ》に叫んだが、しかし空を見上げていた彼はおもむろにその視線を入り口の鳥居の方へ向けて首を横に振った。

「いえ……それは、おそらく不可能かと思われます……」

 千登勢を守る姿勢を崩さないまま、彼は石畳の外側に転がっていた石を一つ拾い上げるとにわかにそれを鳥居の方へ投げつけた。

 彼の剛腕によって放たれた直径十センチほどの石はしかし鳥居を抜けるかと思った瞬間ひどく甲高い音を立てて破裂し粉々に砕け散った。そしてその鳥居の外ににわかにだらりと葡萄色の膜のような物が現れ、向こう側が完全に見えなくなってしまった。

 苦虫を噛んだような声が、《ヒガンバナ》の面から零れた。

「……やはり《結界》が張られています。おそらく、この境内一帯に……そして……」

 千登勢と共にそばまで近づいてきた《ヒガンバナ》はひづりに対し苦しげに、そして沈痛な面持ちで続けた。

「天井花イナリ様と……和鼓たぬこ殿が……たった今……人間界から……《ご退去》されました…………」

「…………は?」

 何を言われているのかわからずひづりは数秒ほど《ヒガンバナ》のお面を見返したが、やがてその違和感に気づいて辺りを見渡し、自身の背中に嫌な汗が噴出すのを感じた。

 居ない。居ない。どこにも居なくなっていた。すぐそばを歩いていたはずの二人が、いつの間にかどこかへ――。

 ……いや、今、《ヒガンバナ》は《退去した》と言ったのか?

 《退去》。この、《人間界》から? 《退去》した。それって、つまり――。

 ひづりは再び《ヒガンバナ》の白狐の面を見つめると茫然自失とした声で弱々しく訊ねた。

「……《二人》が…………《魔界》に帰った……ってことですか……?」


『――そうだ。薄汚いドブネズミども』


 そのとき、見知らぬ声が天から降り注いだ。

 五人の足元に突然《魔方陣》が描かれ、視界が真っ白に塗り替えられた。

 閃光に視界を奪われたのも束の間、再びひづり達が眼を開けたそこはパンフレットの写真で見た白蛇神社の中心部分、境内の真ん中だった。

「今のは《転移魔術》……ということは、やはりこれは……」

 千登勢を抱き包むようにしていた《ヒガンバナ》がその様に零したのを聞きながらひづりは空を見上げて愕然とした。

 先ほどまで綺麗な青色だったそれが今、先ほど鳥居で見たようなひどく暗く濃い紫色に染まっていた。……いや、違う。よく見ればそれは空そのものではなく、この白蛇神社の境内一帯を包み込むようにして作られた小さなドームだった。

 異変はまだあった。観光地で、日曜のはずなのに、辺りに人の姿が無い。だがそこら中に血の跡らしきものが見える。

 次にひづりは《それ》を見つけてしまい、背筋が凍った。神社の縁の下。そこに無数の人間が、まるで邪魔なゴミを雑に片付けるかのように押し込められていた。そして彼らはまだ生きているのだろう、赤黒い血を流しながら蠢いていた。

「ひどい……何てこと……」

 千登勢が口を押さえてたたらを踏んだ。《ヒガンバナ》が案ずる声を彼女に掛ける。

 ひづりはふと、視界の上の方に《それ》を見つけて、そしてそのまま注視した。

「何ですか……あれ……」

 誰に問うたのか、ひづりは独り言を漏らした。

 紫色のドーム状の空に《何か》が浮いていた。地上から十メートルほどの位置に浮かぶそれは少しずつ降下して来ていた。

 やがて地上に、ずしり、と降り立った《それ》とひづりははっきりと眼が合った。

「無様。無能。愚か……。あの様なただの一撃にすら反応出来ぬとは、《契約者》としての覚悟も自覚も実力も足りぬ。取るに足らぬ弱者。相応しくない劣等種……」

 それは、白い炎で焼かれた黒い羽根のようにひづりには見えた。その無数の真っ黒な羽根は端についた白い炎に追いやられるように宙を泳ぎ、《それ》の周りをゆっくりと竜巻のように舞っていた。

「おい、《あいつ》の《契約者》……ああ、いや、もう《元・契約者》だな。《契約印》をブチ抜いてやったのだからな……」

 古代、トロイア戦争などで使われていた戦車が、確か丁度ああいう形状をしていたのではなかったか。そんな、教科書の挿絵に描かれていた事をひづりは思い出していた。

 《それ》はその戦車に乗っていた。銀色の甲冑をその身に纏った頑丈そうな大きくて黒い二頭の馬が、至るところから白い炎を延々と噴出すその古代の戦車を牽いて、蹄と車輪の音を鳴らしながら境内の石畳を砕きつつこちらに近づいて来る。

「吉備ちよこ、だな? 己は。何故倒れておる。誰がそんな許可を出した? ……立て」

 やがて三メートルほどの所で止まると、《それ》は戦車の上からちよこに一方的な言葉を投げつけた。

 先ほど《それ》が言った通り、肩に重症を負ったちよこはほとんど失神状態にあった。今すぐ救急の処置が必要な状態だった。立てる訳がない。

 だがそもそも。

 姉が肩に重症を負うその一瞬にひづりが微かにだが見た、黒い羽根のようなもの。姉の右肩を貫いたあれは。

 あれは、あんたのその羽根じゃないのか。

 《それ》の背にはカラスのような黒い翼が生えていた。真ん中で白と黒に別れた頭髪は白い炎と共に揺れ、座した戦車の上でその顔は憤怒の色を燃やしていた。

「返事すら拒むか。人間とは、時の流れでどれだけ腐ったのか」

 《それ》はおもむろに戦車の上で立ち上がるとひづりたちを見下して眉根を寄せたままその眼をギラリと輝かせた。

「その悪行を償うための死という機会をこの《ベリアル》が届けに来てやったのだ。跪き、疾くその首を出さぬか。不埒者どもが」







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