『打開の一手』 3/5
「うそ……」
《ボティス王》と別れ、官舎ひづりと共に廃病院を出た、ほんの数十秒後の事だった。あたし達は言葉を失って立ち尽くしていた。
トンネルが。廃病院の敷地から道路に出るためのトンネルが、完全に崩落して通れなくなってしまっていた。廃病院からは生い茂った木々のせいで全くこの状況が見えなかった。
「病院で聞こえた爆発音みたいなの、これだったんだ……」
官舎ひづりも雨の中まだ微かに土煙を上げるトンネルの残骸を見上げ震えた声で呟いた。彼女も分かっているのだろう、これが一体どれほど絶望的な事態かを。
そうなのだ。今、あたし達の選択肢は強制的に一つに絞られてしまった。トンネルを諦めて山へ入る、という、たった一つの道に。
雨の降る中、秋とは言え枝葉の多く残るこの斜面の急な山の中を、ろくに登山準備もしてない身で地図も土地の知見も無く進むなんて、自殺行為に他ならない。道へ出られず遭難して無駄に時間を失う事になりかねないし、下手をすれば転倒して負傷し身動きが取れなくなってしまう恐れもある。そうでなくても《バルバトス王》が仕向けているらしい野生動物も迫っているのだ。雨音は接近する彼らの足音を隠してしまうだろう。
「……そりゃそうか……」
恐らく予定通りなのだ。《ボティス王》が《バルバトス王》を知っているように、きっと《バルバトス王》も《ボティス王》の事を熟知している。そしてこれまでの襲撃者同様彼も《アウナス一派》の刺客であるなら、間違いなく《アウナス一派》が持っているあたし達の情報も共有しているだろう。ならあたし達の打てる手など最初から全て把握されていて、そこから出せる行動も徹底的に対策されてしまっているはず。《ボティス王》があたし達と別行動をとる事も、トンネルを破壊すればあたし達がここで足止めを食らう事も、これから起こる事も、全て。
《狩人の悪魔》とはきっとそういう事なのだ。《バルバトス王》は恐らく想定し得るあらゆる事象に対応出来るよう準備を整えて、今日という日とこの場所を選んだのに違いない。あたし達にも、《ボティス王》にすら怪しまれないよう、あのアサカの元同級生達を陰から操って……。
……だったら、こっちも《奴らの知らない一手》を出すしかない。
振り返り、あたしは官舎ひづりと向き合った。
「ひづりさん。ちょっとの間、あたしのこと護ってください」
「ロミアさん……? 何する気なんですか? 何か良い手があるんですか……!?」
「一生する気はなかったんですけどね。死ぬよりは良いので……。じゃあ頼みますよ」
「は、はい!!」
官舎ひづりはあたしと密着するように体を屈め、展開している二枚の《防衛魔方陣術式》も死角を減らすようその位置を低くした。
あたしは雨でぬかるんだ地面に両膝をつき、胸に手を当て、目を閉じた。外の世界を意識の外に追いやり、自分の中の世界に深く集中する。
「……すぅ……ふぅ……」
《熱源感知》。《ボティス王》が持っている《蛇の悪魔》の権能。これは《ボティス国の悪魔》であれば《上級悪魔》も《下級悪魔》も関係なく使える固有の特徴である、とされている。
そしてあたしの血筋、《ボティス国の悪魔》を取り込み続けたラサルハグェの血族も、《魔女化秘術》を一定以上進行させればその身に同じ権能が発現した、という記録がある……らしい。
今のあたし達に必要な《一手》はそれだ。一分一秒でも早く《フラウロス王》へ連絡を取るため、接近する野生動物達の位置を離れた位置から把握し、最短で安全に道路へと出るルートをはじき出すための《一手》。
ただしリスクもある。本来、《魔女化秘術》は《召喚》した《悪魔》を体内に取り込む際にのみ行われ、その度合いも《召喚》した《悪魔》の《魔性》に対応した必要最低限しか行わない。いたずらに《魔女化》を進めれば体が《悪魔》に近づき、取り込んだ《悪魔》に逆に体を奪われてしまう、といった危険が増すからだ。しかも《魔女化》時肉体には骨肉の変換に伴う深い傷が生じる。あたしも《ジュール》を取り込む儀式の際はみっともなく悲鳴を上げてのたうち回った。正直あんなもの二度とやりたくない。
けれど。この状況を招いてしまった一人として、ラミラミとして、大人として、あたしには《フラウロス王》と連絡が取れる場所まで無事アサカと官舎ひづりを送り届ける義務がある。……例えそうでなくてもたぶん《バルバトス王》は使役している野生動物たちに『魔女は食い殺してもいいぞ』とか命令してるだろうし。
だから、やる。
「……ふぅー……」
焦りと恐怖から速まっている心臓の鼓動。そこに重なっている、もう一つの鼓動──《ジュール》の存在を、強く強く意識する。
ほんの少しだけだ。ほんの少しだけ《魔女化》を進める。《ジュール》の《魔性》に負けてしまわない程度に、少しだけ──。
「……ぐっ!?」
──ぼちゃっ! ばしゃしゃしゃっ!
「ロミアさん!? 血!! 血が!!」
官舎ひづりがほぼパニック状態の悲鳴を上げた。
「ぐ、く……」
焼け焦げる様な激痛が鼻の奥でドクンドクンと脈打っていた。涙の滲んだ瞼を開け、瞬きをする。両膝と足元の水たまりが、どうやら今し方あたしの鼻から流れ出たらしい大量の鼻血で真っ赤に染まっていた。
「いってぇクソ……マジ……くうう……!」
《熱源感知》は蛇のピット器官に相当する部位……人間で言う、鼻腔や歯の位置に発現する。だから肉体変換の傷も痛みも必然的にその周辺で発生する。まるで鼻先から熱した鉄の杭を打ち込まれたようだった。覚悟はしていたがあまりの痛みに涙が止まらず、握り締めた両手はぶるぶると震えっぱなしだった。
でも『やるべき事』は出来た。顔を上げ、絶壁の如く立ち塞がる雨の森を正面に捉えた。
「はぁー……はぁー……」
見える。視覚とは別の《全く新しい眼》が、意識の届く範囲全ての熱源を鋭く判別していた。冷える秋の雨を避けるべく動きを止めて静かに身を寄せ合う無数の小動物達の体温も、不自然にこちらへ近づいて来る十数頭からの四足動物たちの火照った体温も。あれが恐らく《バルバトス王》が使役しているという野生動物たちだろう。距離感がいまいち掴みづらいが、接触まで時間の余裕は無さそうだった。
痛みで緊張している体に活を入れ、ぐい、と手の甲で鼻を拭うと、血だけは既に止まっていた。
「ロミアさん何があったんですか? その血は……」
「大丈夫、大丈夫です……必要な払いだっただけです……」
官舎ひづりに手伝ってもらいながら立ち上がり、そして伝えた。
「道へ出るための対応策が今手に入りました。山へ入ります。急ぎましょう」




