『そして不沈の月に』 5/7
一時間半ほど電車を乗り継いだ後、あたし達は谷峨駅という開けた山間部の小さな駅で降りてタクシーに乗った。運転手に行き先を告げる際、アサカはあたしの方を気にしてから、ようやく諦めたように「……四保ダムの近くにある病院跡地へお願いします」と言った。
父親が誘拐されているという呼び出しの場所、その手前までならついて来ても良い、とアサカは了承してくれた。まぁ了承されなくてもあたしはついて行くつもりだったが。そして勿論だが、現地の手前でアサカと別れるのは、その直後即座に《ボティス王》と官舎ひづりに電話して《転移魔術》で現地まで来てもらってアサカがその元クラスメイトらと会う前に奴らをぼこぼこにしてもらうためである。私の《身体強化》を使って不意打ちが出来るなら普通の人間のガキ数人ぶちのめすくらい訳はないが、相手の数が分からずその上すでに人質をとられてる状況となるとさすがに話が変わって来る。こういう荒事はやはり常識外の存在──《ボティス王》に全部やってもらった方が確実だ。官舎ひづりとくっつけようとしているくらいだ、アサカのためと言えば彼女はすぐに来てくれるだろう。
とはいえ、こんな状況だとしても官舎ひづりに言われた『アサカには悪魔や魔術の事は話すな』の約束をやぶる訳にはいかないので、彼女の前で《ボティス王》たちへの電話は出来なかった。しかもあたしを巻き込むまいとタクシーに乗り込むまで頑なに行き先を教えてくれなかったアサカである、電話の内容を聞かれないよう距離をとれば彼女はまたその隙をついてあたしの前から姿を消そうとするかもしれなかったし、今し方ついに行き先こそ判明したが今度はタクシーの狭い後部座席にあたしと彼女はおとなしく隣に並んで座っているため電話はおろかメールなどしようものならすぐにバレてしまう、といった状況だった。《ボティス王》たちへの連絡は絶対に早ければ早い方が良いのだが、やはりアサカと別れた後のタイミングでないとそれは難しそうだった。
ちなみにもう一つ懸念として《ジュール》の事があったが、いくらあいつでも《ボティス王》が大事にしている官舎ひづりの恋人候補であるアサカの身に危機が迫っているこの状況でさすがに前みたいに騒いだりはしないだろう。…………いやどうだろう。あいつ性格悪いしな……。でもまぁどのみち確実にアサカと彼女の父親を助けるためには《ボティス王》に頼るしかないのだ。《ジュール》がわきまえて黙っていてくれるのを期待するしかない。
駅を出るとタクシーはすぐに山沿いの道路を走り始めた。太陽はまだ高いはずだったが一面の雨雲で空は暗く、電車を降りた時に小降りだった雨も幾らか視界を邪魔する程度には強まっていた。きっと車外はかなり寒いのだろうな、とあたしは覚悟した。
「…………」
道中の東海道線から見えた海も、御殿場線の車窓から見えた紅葉した山々も、こんな状況でなければきっと良い気分の旅だっただろう。二年前の昔話の後、アサカはほとんど喋らなくなって、代わりに落ち着かなさそうにきょろきょろ周りを見たり時計を確認してばかりいた。あたしもタクシーのミラーや窓の外に意識を向けたが、今は追ってきている誰か……アサカを監視しているような奴は居なさそうに思えた。谷峨駅で降りたのもあたしとアサカの二人きりだった。けれど目的地が近いならそろそろどこかから誘拐犯らに監視されてると思った方がいいだろう。あたし達は既に気が抜けない所まで来ているのだ。
「お二人もやっぱりアレですか? 若い子の間で流行ってるっていう、廃墟好きっていうやつですか?」
タクシーの女性運転手が興味深そうに訊ねてきた。恐らく五十代くらいなのだろうが、体の細さと明るい雰囲気からもっとずっと若く見える人だった。あたしとアサカの重苦しい空気をものともせずこうして乗車時から色々と話しかけて来ていた。仕事というより話すのが好きな性分なのだろう。
「ええまぁ、そんなところです。といってもあたしもこの子も廃墟巡りは初心者で、近いところから順番に回ってる感じなのですが。運転手さんはその廃病院、お詳しいんですか?」
四保ダムも例の廃病院とやらも全く知らない場所なので情報を聞き出す事にした。こういうのは現地の人間に訊くのが一番なのだ。
「そうですね、私は当時の人間じゃないんですけど、ここらの古い人らからはよく話を聞く場所ですね。あぁほらあそこに、雨で見えにくいかな、ダムがあるんですよ、見えます? 昔はあの向こうに結構大きな町が在ったんですが、あのダムを建てるって事で、潰しちゃったんですって。それで近くにあったその病院も閉鎖になって。おじいさんやおばあさんの話じゃ、辺りの皆あの病院のお世話になってたんですって。今この辺りに来るのはもうダムの作業員と廃病院に肝試しや観光に来るお客さん達みたいな若い人くらいになっちゃったんですけどね」
運転手が指差した先へアサカと一緒に視線を向けたが、残念ながら雨と霧でそのダムらしきものは見つけられなかった。
「でもお二人とも来るのが少し遅かったですねえ。雨も強まって来ましたし、今日はあまり長居しない方がいいですよ。もし廃虚を出る時間を決めてるなら、その時にまたタクシーで迎えに来られますけど、どうします?」
「いえ、必要になったらこちらから改めて電話させて頂きますので」
「そうですか、分かりました。あ、もう病院跡に着きますよ。この先です」
そう運転手が言った瞬間、隣のアサカの両肩に力が入ったのが見えた。いよいよだ。あたしもあたしでこの後アサカと別れたら大急ぎで行動を開始しなければならない。
やがて道の右手に舗装されていない砂利道が現れた。どうやらそこが病院跡への入り口らしい。タクシーはそこで停まった。
「お二人とも確か傘持ってなかったですよね? 前にお客さんが忘れていったのが丁度二つあるので、良かったら使って下さい」
「ありがとうございます。助かります」
傘を受け取り礼を言って車外に出た。思った通りなかなかの寒さで、あたしは体をこわばらせた。
乗車前よりずっと強くなった雨の匂いの中、アサカと一緒に砂利道の先を見上げた。立ち並ぶ雨に濡れた木々の中を緩やかな山肌に作られた登り難そうなS字の道が続いている。ほとんど獣道状態に見えたが、それでもタクシー運転手の言う様に物好きがたまに立ち入るのだろう、人の往来による痕跡があった。足元を注視すると、ここで方向転換をしたと思われるかなり新しい三種類のタイヤ痕と、十以上の異なる足跡が見つかった。中には場違いなローファーの物もある。あたしを撒くためにアサカが全く違う場所へ案内した可能性も考えていたが、どうやらこの先に例の高見沢とかいう元クラスメイトらが待ち構えているのは事実のようだった。
しかし予想はしていたがあまり良くない地形だった。砂利道を登り切った先には病院跡へ出る長いトンネルの入り口があるらしいのだが、生い茂った木々のせいかここからは確認出来ない。雨と霧もあるし、これではアサカに合図のため持たせた発煙筒も場所によっては視認するのが難しいかもしれない……。
「ラミラミさん、ここまでありがとうございました。行って来ます」
おじぎをするなりアサカは焦った様子で砂利道を歩き出した。
「気をつけて下さい。発煙筒を持ってること、忘れないで下さいね」
「はい。大丈夫です」
それきりアサカはあたしに背を向け、藪を掻き分けながらずんずん山の中へ入って行った。《ボティス王》への電話は念のためアサカから見えない場所に移動してからの方が良いだろうと思い、あたしも砂利道の入り口から少し離れた。
「あれ? お客さんは行かないんですか?」
するとそこへ丁度車の向きを変えて戻って来たタクシー運転手が車を停め、窓を開けて声を掛けて来た。
「あぁー……はい、あたしはここでちょっと用事がありまして……。……!?」
さっそく《ボティス王》に連絡を入れようとスマホを取り出したところであたしはぎょっと目を剥いた。
圏外の表示。電波が来ていない。これでは《ボティス王》にも官舎ひづりにも連絡が出来ない。
あたしは慌ててタクシーにしがみついた。
「ここ、電波来てないんですか!? どこまで戻ったら通話出来ますか!?」
タクシー運転手の女性も驚いた顔をしていたが、よくある事なのか、すらすらと答えた。
「ええ、ここらは特に悪くて……数キロ戻ったらたぶん繋がりますよ」
数キロ……! あたしはもうアサカの姿が見えなくなってしまった木々の中に視線を向けた。
「すみません乗ります!! 急いで戻って下さい!! 電波が届く所まで!!」
まずいまずいまずい……!! タクシー運転手の話ではトンネルから廃病院までは結構な距離があるらしいからアサカが元クラスメイトらと再会するまではそれなりに時間が掛かるはずだが、それでもこのタイムロスはまずい……! 電波が届くところまで行ってから電話して間に合うか!? 最悪、《ボティス王》に《認識阻害魔術》で体を隠してもらいながらアサカと元クラスメイトらの乱闘に参加する流れになるかもしれない。
早く早く早く……! 再び乗り込んだタクシーの車内であたしは一分一秒でも早く電波が立つよう祈りながらスマホの圏外アイコンを睨み続けた。




