『舞台役者達』 5/6
『さっさと立て!! 泣くな!! あんなネズミ一匹居なくなったくらいで何だと言うのだ!!』
「うるさいうるさいうるさいうるさい!! あんたに何が分かるんだ!! あたしとメルの何が、あんたなんかに!! あんただって《ボティス王》が居なくなったら生きていけないくせに!!」
あたしは十六歳で運よく配信者として成功した。行った事の無い国でも、初めての文化でも、あたしの声は、顔は、演技は、占いは通用した。沢山お金が貰えた。十分に旅をしながら生活していけるだけの収入があった。
でも独りだった。《魔女》だから一人で旅をして世界を渡るのは当たり前だ。それでも、あたしには旅は心細いものだった。
そんな中、《アウナス一派》に捕まって、使い捨ての密偵として《和菓子屋たぬきつね》に送り込まれて、《ジュール》の罵声に耐えながら《ボティス王》にいつ殺されるか分からない生活を強いられて、今は子供の色恋のために命懸けで役者をやって……。
全部、全部、全部、耐えられなかった。独りぼっちのあたしに耐えられる恐怖じゃなかった。もっと前に破綻して正気を失ってたっておかしくなかった。
メルが支えてくれていたんだ。いつも駄目になりそうになるあたしを、メルのふわふわの毛が、彼女の確かな体温が、毎日毎日癒してくれていた。決して孤独じゃない、と思わせてくれた。
そのメルが、あたしの手の中に居ない。
出口の見えない真っ暗な洞窟の中で唯一の灯りが消えてしまった。立てない。歩けない。あたしにはもう進むことも逃げることも出来ない。
殺してほしい。メルが死んでしまったのなら、もうあたしに生きていける場所なんて無い。
この世から消して欲しい。誰か、誰でもいいから……。
『────ロミア!! メルは無事じゃ!!』
その時、《ジュール》の罵声を押しのけるような《ボティス王》の凛とした叫び声が頭の中で響いた。
涙でぐにゃぐにゃだった目を瞬かせ、あたしはバッと顔を上げた。そして周囲を見渡した。
特別教室棟の裏手。その犬走をこちらへ向かって走る一団が見えた。アサカ達だった。
アサカと官舎ひづりは屋上のあたしに気づいていない様子だったが、《ボティス王》だけはあたしの事をじっと見ていた。噂の体温を感知出来るとかいう器官によるものだろうか。
いや、今はそんな事はどうでもいい。
「……メ」
先頭を走るアサカの、その手のひらに。
「メル……!!」
メルが居た。生きている。生きている。生きていてくれた……!!
その瞬間、あたしの中でめちゃくちゃに乱れていた色んなものが、一気に、元の綺麗な真っ直ぐな流れになった。
あたしは再び全身に《身体強化》と涙でぼろぼろになった顔に《認識阻害》を掛けてからアサカ達には見えない方角から屋根を飛び降り、体育館の通用口へと駆け込んだ。今すぐ彼女たちの元へ駆け寄ってメルを抱き上げたかったが、それは違う。アサカ達は宣言通りメルを見つけて来てくれた。なら、今のあたしがすべきことは泣いて喜ぶ事じゃない。
今のあたしは《パリス》なのだから。
「ラミラミさん!? 一体どこに行って──」
「ごめんなさい、リカバリーします」
何も言わず出て行ってまた戻って来たあたしに部員達はそれぞれ言いたい事がありそうだったが、あたしは短くそう返し、舞台袖へと駆け上がった。
あたしには、桜に対し、漠然とした期待があった。彼女であれば、あたしが抜けたこの数分間をアドリブで繋いでいてくれるかもしれない、という、そんな期待だ。
勿論もう何もかも台無しになっている可能性も十分にあった。何せ肝心の《パリス》が居ないのだ。大詰めの決闘の場面で相手が居ない中、一人の役者に一体何が出来るだろう。
だが。
「ああ、君のため、君のためなら、僕は何だって出来るんだ……!!」
舞台には桜の声がまだ響いていた。
モノローグ……をやっているのだろうか。確かにあたしも、舞台上で不測の事態が起きた際には即席の対処としてそれを選択肢の一つにする。
でも、モノローグだけでここまでの時間を繋げるだろうか。
……いや。違う。
《ジュリエット》が起きている。棺の中に居るはずの彼女が起きて、《ロミオ》と語らっている。
しかし『今このタイミングで《ジュリエット》が生き返った』という体で進めている訳ではないらしい。舞台を照らすスポットライトは《ロミオ》を──桜だけを照らしている。《ジュリエット》は──原口は暗闇の中から、だらん、と手だけを伸ばし、《ロミオ》はその彼女の白い手を握って喋っている。舞台上にはこのタイミングでは予定に無かったドライアイスの煙が濃く漂い、非現実的な雰囲気が醸し出されていた。
やはりそうだ。これはただのモノローグじゃない。これは《ロミオ》の幻覚なのだ。実力者である《パリス》との命懸けの決闘の最中、突然相手を見失い取り残された彼は、行き場の無い昂った気持ちを持て余し、墓所の薄い空気で正常な思考力を奪われ……そうして彼は棺の中の物言わぬ《ジュリエット》が生き返って自分に語り掛けてくれる都合の良い幻覚を見た──そういうアドリブをしているのだ。
桜と原口は、それをして待っていてくれた。
あたしが戻って来ると信じて。
「……!」
原口があたしに気づいた。それからすぐに彼女は暗闇に潜んだまま桜に背後から耳打ちして彼女にもあたしの復帰を気づかせ、そして叫んだ。
「さぁ《ロミオ》! あたしたちの恋の邪魔をした《パリス》が隠れているのはあの柱の陰よ!! あなたの勇気であの男を斬って!!」
《ロミオ》は《ジュリエット》の力無い手をそっと床に下ろし、立ち上がる。
「もちろんだ、愛しい君よ。僕たちの旅立ちを祝福するこの最後の試練、必ずや勝利してみせよう」
《ロミオ》が──桜が、舞台袖のあたしをじっと睨む。
……彼女は失望しているだろうか。勝手にいきなり逃げ出したあたしを。
でも、あたしも彼女も役者だから。きっと舞台が続いている間は、今だけは──。
「ラミラミさん」
背後から袴田の声が聞こえた。振り返ると、彼は《パリス》の剣を手にあたしのそばに立っていた。
「ありがとうございます」
剣を受け取って彼に礼を言い、あたしは舞台袖から声を張った。
「……《ロミオ》、貴様、先ほどから一体誰と話しているつもりなんだ……」
剣を手にあたしは舞台上へと戻った。観客席から俄かに声が上がった。
「彼女ならお前にそう言ってくれると……まだお前はそんな都合のいい夢を見ているのか。彼女を死に追いやったお前が……!!」
あたしの台詞のさなか、暗闇の中、原口が入れ替わるように舞台上から去っていく。やはり思った通り彼女は《ロミオ》の幻覚としてそこに居たらしい。舞台袖へはけた彼女は振り返って両手をぎゅっと握り、二人ともがんばって、とそんな顔をしてくれた。
「《パリス》。俺の心に迷いは無い。決着をつけよう」
部員の誰かが起動させたのだろう、備品のサーキュレーターが強烈な風を舞台上に走らせ、漂っていたドライアイスの煙を吹き飛ばして行った。それが丁度、《ロミオ》と《パリス》、二人の最後の剣劇を観客に予感させる良い演出となって盛り上がりの起爆剤となった。
……《ロミオ》と《パリス》、二人の剣の切っ先が触れ合った。




