7話 『薄氷の舞台』 1/6
7話 『薄氷の舞台』
「…………ふぅー」
《神父》と《ジュリエット》──笹田と原口に背を向け、かつかつと靴を鳴らしながら舞台袖へ隠れたところで、《パリス》は──あたしは、深く深く静かに息を吐いた。
舞台は現在第四幕の冒頭で、大体開幕から一時間の所だった。しかし棚から取ったペットボトルの水を飲むついでにちらりとスマートフォンを確認してもまだアサカたちからの連絡は来ていなかった。
……約一時間前。アサカ達に体育館へ戻るよう促された時にはあたしももう自分の顔が涙で酷いことになっていると自覚出来る程度には思考力を取り戻していた。搬入口に顔を出す直前、普段から《角》や尖った耳を隠すのに使っている《認識阻害》でどうにか誤魔化してから控室へ入り、それから皆が冒頭の大乱闘のシーンに入ったタイミングで急いで化粧直しをした。渡り廊下周辺に落としてしまっていた袴田の下げ袋も奈三野ハナがあたしの物だろうと判断して拾ってくれていたので、開幕ぎりぎりではあったが無事袴田に渡す事が出来た。別れる際に伝え損ねてしまったあの危うい雰囲気の女子生徒の件もその後すぐアサカに電話で伝えられた。
今、あたしの心は落ち着いている。これでも十九年生きてる《魔女》だ。冷静になれば、あたしが悩んでもどうにもならない事を一旦完全に忘れて目の前の舞台に集中する程度の心のコントロールは出来る。役者を本職にしている母に似たのだろう、カメラの前に立てばあたしはいつだってその時一番見せたい《ラミラミ》になれた。だから今回も必ず舞台を完璧な形で終わらせられる。あたしなら不可能じゃない。
────でも。
分かっている。今のこれは平常心の前借りに過ぎない。あたしが物怖じせずこれまで人前でラミラミでいられたのはいつだってメルが傍に居てくれたからだ。メルが今どこでどうしているのか。無事なのか。それとも……。それが分からない今、いつか必ずこの強がりにも限界は来る。役を演じるどころか、自分の足で立つ事すら出来なくなって、また無様にパニックを起こして泣き崩れてしまうだろう。他でもない自分だから、悔しいが、それが分かってしまう。
「アサカ、ひづりさん、お願い……!」
目を伏せ、精神統一するようにもう一度深呼吸をする。
メルが無事でありますように。これ以上何も悪い事が起きませんように。
そして残り約三十分、この舞台が終わるまで、どうかあたしの心がもちますように……。




