『その心に気づけば』 4/4
まぁ嘘である。昼の経過報告なんてものは職員室にちょっと顔を出して「順調ですよ~」の一言で済むし、更にそこに「この後アサカさん達と午後の打ち合わせがあるので~」とでも言えば足止めも食らわず立ち去れる。
じゃあ何故早めに昼食を切り上げたのかと言えば、そんなのは決まっている。一日中ずっと《ボティス王》と一緒では息が詰まるからだ。
午後の撮影再開までの十五分でいい。メルと二人で、どこか温かい日向に腰を下ろして、ゆっくり心を休めたかった。
『おい豚油。何をぷらぷら行楽気分で歩いているのだ。職員室の用事が済んだならさっさと《我らの王》のもとへ戻れ』
……本当に、こいつさえ居なければよ。
「気を遣ってるのよ。《ボティス王》だって、あたしみたいな《魔女》とずっと一緒じゃイライラしっぱなしで楽しくないでしょう? お昼の後くらい、《契約者》たちと気兼ねなく雑談でもしてて貰いたいじゃない」
『……それもそうか。小さな頭でよく考えたじゃないか』
ちょろい。このクソバカ暴言悪魔の扱い方、ちょっと分かって来たかもしれない。
「あ、ラミラミさん!」
今の時間だと体育館裏が日当たり良いかなぁ、と思いながらとりあえず一階へと降りたところ、玄関の方から駆けて来た演劇部一年生の男女二人組とばったり鉢合わせた。
「こんにちは。買い出しに行かれていたんですか?」
「そうなんです! うちメイド喫茶なんですけど、お好み焼きがやけに売れちゃって! 粉とかソースの買い出しに行って来たんです!」
二人は、にっ、と笑って、得意げに両手の買い物袋を掲げて見せた。メイド喫茶で、お好み焼き……? まぁついこの間までメイド喫茶になってた和菓子屋もあるくらいだしな。
「ラミラミさんはもうお昼食べられたんですか? うちで食べて行きませんか?」
「ごめんなさい、もうアサカさん達と頂いた後なんです」
「あぁ、そうなんですか……残念です」
「ラミラミさん、確かこの後って占いコーナーされるんですよね? 良かったらその後にでも寄って下さい。美味しいですから!」
「ふふ、分かりました。ではまた後で。頑張ってくださいね」
「はいまた!」
「失礼します!」
二人は元気いっぱいに挨拶をするとまた慌ただしく一年生の教室の方へと駆けて行った。その背中を見送り、あたしも玄関へと向かった。
玄関には生徒らの知り合いなのだろうかなりの来校者が詰め掛けていた。ガラス扉の向こうに見えた中庭の出店なども昼過ぎとあって盛況な様子だった。
見上げると玄関吹き抜けの二階部分に飾られたバルーンアートがふわんふわんと揺れていた。あれらも生徒による作品なのだろう。
準備の間も感じていたが、やはり日本の文化祭は素敵だ。高校に行かず十六で旅に出た身だから自分には特別眩しく見える、という部分もあるのだろうが、しかしきっとそれらを抜きにしても、こうした学生達による地域を交えた校内の催し物というのは参加した全ての人にとって良い思い出になるはずだ。最初は命懸けの状態で拒否権も無く参加させられたものだったし、まだまだ油断も出来ないが、そんな自分でもこうして少し浮ついた気持ちになれるのだから、間違いない。
特別教室棟の廊下を抜け、そのまま体育館の裏手を覗いた。生徒が何人か居たが、ゆっくりする分には問題は無いだろう。
だがそこでふと気づいた。
「あ」
そうだった。体育館裏の犬走りへ行くには外用の靴が居る。職員室へ行って来ます、という体で出て来てしまったので、外履きは手元に無かった。
いやしかし日向ぼっこを諦めるにはまだ早い。確か体育館の二階には大きな窓がはめ込まれた日当たりの良い場所があったはず。あそこなら内履きでも問題無いし、たぶん今は人も居ないんじゃないだろうか。
体育館のエントランスを覗くと一階のアリーナではこの後行われる生徒と来校者らのカラオケコンテストの準備が進められていた。見つかって手伝う流れになっては面倒なのでこっそり素早く足音を潜めながらエントランスの階段を上った。
思った通り二階部分には人の気配が無く、一階アリーナの喧騒が天井を跳ねて響いて来るだけだった。
ようやく休める。深呼吸しながら両腕を伸ばし、目当ての日向の窓辺へと向かった。
──と、その時だった。
ぴたりと足を止め、息を殺す。緩みかけた体が急速に強張っていく。
先客が居たのだ。それも、かなり意外な人物だった。
「…………」
明那須桜生徒会長。体育館の厚いカーテンの隙間から射し込む陽光の中、彼女は一人じっと中庭の方を見つめていた。
文化祭一日目は三年生も各々のクラスで何かしら出し物があるはず。昼休みの時間とは言え生徒会長が一人で、こんなところで、一体何をしているのだろう。駅前でもそうだったが予想だにしない場所で彼女とは会う気がする。
仕方ない、気づかれる前に場所を変えるか、と踵を返そうと思ったが、けれど彼女の横顔を見た瞬間、あたしの体はその場から動かなくなった。
初めて見る表情だった。音も動きも無くて、今にも倒れてしまいそうな、そんな繊細さがあった。眼差しは明確に何かを見ているという風ではなく、どこか不安げで、また無意識だろうか、両手は白くなるくらいぎゅっと鉄製の手すりを強く握りしめていた。
普段の凛とした生徒会長としての姿や華々しい舞台上の役者としての姿とはまるで異なるその儚げな姿に、ひょっとしてこれが彼女の本来の姿なのだろうか、とそんな風にさえ感じた。
「……ん?」
彼女がこちらに気づき、眼が合った。彼女はぱちりとまばたきをして、すぐいつもの明那須桜の表情になった。
「あぁ、ラミラミさん。どうなさったんですか、こんな所で」
「や、いえ、ちょっと静かなところで日向ぼっこでもしようかと……。部長さんこそどうされたんですか。考え事ですか?」
「ええまぁ、そんなところですね。良ければどうぞ。私はもう戻りますので」
日向の場所を譲るように離れながら彼女はそう言った。
「あ、あの、良ければ少し、お話しませんか」
脇を抜けて階段へ向かおうとした彼女にあたしはそう声を掛けていた。気持ちが張り詰めるという意味では《ボティス王》と同じくらい苦手な人だったが、しかし同じ舞台に立つ役者仲間としての意識が芽生えたからか、そうしないといけない気がした。
彼女は少し目を丸くして、けれど何を言うでもなく静かにあたしの隣に戻って来てくれた。
「…………」
「…………」
とはいえ何を話したものか何も考えておらず、しばらく無言で二人中庭を眺める事になった。
「ラミラミさん、もう先生達から聞きましたか? 《ラミラミフォーチュン》の日本のリスナーの方で本日来校されている方はとても多いみたいですが、トラブルなどは今のところ何も起きていないそうです。それどころか迷子の案内をしてくださった方も居たとか。さすがはラミラミさんのリスナーさん達ですね」
結局気を遣わせてしまい、桜からそんな風に話を振ってもらってしまった。
「いえ、日本の方は皆さん親切ですし、あたしのリスナーだからって訳ではないと思いますが……でも、そうですね、嬉しい事には変わりはないです」
《ラミラミフォーチュン》のリスナーはあたしが「タイアップ先の企業さんに問い合わせとかしないでくださいね」と言えばいつも大体言う通りにしてくれる行儀の良い人ばかりだったが、それも国によっては幾らか毛色が変わるだろうし、実際訪れてみなければ分からないもの。今回日本のリスナーも良い人ばかりだと分かったのは、やはり安堵と喜びがあった。
「……部長さん、何か、悩んでらっしゃる事があるんですか? すみません、さっき深刻そうな顔をされていたのを見てしまったので……」
気持ちもだいぶまとまったので、訊きたかった事を訊いた。
桜は一瞬緊張した表情を見せた後、目を伏せ、先ほどの一人で窓の外を見ていた時の様な弱々しい仕草で口を開いた。
「……そうですね。そんなところです」
「話しづらい事ですか?」
「いえ、そういうのでは……たぶん無いと思うんですが。……実は──」
桜は、今回演じる自身の《ロミオ》に納得がいっていないこと、部員達や知人の役者に相談してみてもなかなか腑に落ちるアドバイスがもらえなかったこと、などを、あたしに打ち明けてくれた。
「なるほど……」
確かに、あたしも桜の《ロミオ》には《ロミオ》らしさがわずかに足りていない気がしていた。まだどこか、心から役に入りきれていないと言うか、桜ならまだやれる余白がありそうな気がすると言うか……。
だが、正直学生の舞台であれば気にするレベルではないと思う。今でも出来としては十分なものだ。気にする程ではない。
……のだが。
「思い当たることがある、って顔ですね」
桜は鋭い視線をあたしに向けた。そう。彼女にとっては「それでは駄目」なのだ。彼女は演劇に重きを置く綾里高校の演劇部部長で、今回の舞台の主演で、今年が最後の文化祭なのだ。明日彼女が立つのは、いい加減な出来で終わらせたくない、部員達と共に創り上げる大事な最後の舞台なのだ。
「教えて下さい。私の《ロミオ》には何が足りていないんでしょうか。ラミラミさんの言葉が欲しいんです」
真っ直ぐに向けられた彼女のその眼差しは思わず圧倒されるくらい鬼気迫るものだった。
「…………」
アドバイスはしてあげたい。が、あたしの立場上、彼女に対し歯に衣着せぬ物言いはすべきではない。下手をすれば、今からだって《ラミラミフォーチュン》と綾里高校とのタイアップが白紙になる可能性はゼロではないのだから。
しかし、これは桜とあたし、立場を抜きに、ただ同じ舞台に立つ役者仲間として話すべき事だと思った。
「……『バカ具合』、だと思うんです」
「バカ具合……?」
あたしの言葉に桜は首を傾げた。
「はい。《ロミオとジュリエット》というあの物語が始まる前の《ロミオ》がどういう男なのかは想像で補うしかありませんが、少なくとも《ジュリエット》に出会ってからの彼は完全にバカです。そこにクズを付けてもいいでしょう。最初は《ロザライン》、《ロザライン》と言っていたくせに、《ジュリエット》に一目惚れした途端、《ロザライン》なんてもう記憶にも無い、みたいな感じで、そのうえその禁じられた恋にうつつを抜かした結果親友の《マキューシオ》を死なせるし、最後は家族や立場をほっぽって《ジュリエット》と駆け落ちまでしようとします。無理でしょう、駆け落ちしたって、あんな恋愛で脳みそ溶けたバカ男と世間知らずのバカ女二人で、あの時代の見知らぬ土地で生きていくなんて。どう考えたってすぐ上手くいかないと気づいて別れるか、そうじゃなくても半年も経たずくたばるでしょう。でも、桜さんの演じる《ロミオ》が語る愛には、どうにも説得力が出てしまってるんです。きっとこの《ロミオ》は《ジュリエット》を幸せにするんだろうな、って、観る側にそんな風に思わせる人格者になってしまっているように思います。桜さんの演じる《ロミオ》は、素敵な男性、って印象が前に出過ぎていて、そうした《ロミオ》のバカさ加減が足りてないんだと思います。それが、桜さんの引っかかってる部分なんじゃないでしょうか」
桜はじっとあたしの話を聴いていた。
やがて話が終わると彼女は瞼を下ろし、長く弱々しい溜息を吐いた。
「……確かに、確かにそうです。映画や舞台で観る《ロミオ》は、どれもそうしたバカさ加減を持っていました。それが違和感の正体だったのですね……。でも、正直、それが分かってもどうすればいいのか……。演技は想像で補うものだと分かってはいるのですが、私には、《ロミオ》のような恋に盲目になって家族さえ捨てられるような……そんな人物に心からなり切れる自信がありません。……恋が、分からないんです」
いきなり頭を金槌で殴られたようだった。今の桜の顔は、えげつない権力を持った生徒会長のものでもなければ、一流の役者のものでもない、ただの初心な十八歳の少女のものだった。
「桜さんは、好きな人、いないんですか? 同級生とかじゃなくても、アイドルとか、その人の事を考えながら演じてみるっていうのはどうでしょうか」
「好きな人……」
桜は定まらない目で虚空を見つめた後、徐にあたしを見た。
それから急にその瞳にぱっと幾つもの光が差し、表情にも普段の、いやそれ以上の輝きが現れた。
「そうっ、そうなんですね! 私、分かったかもしれません!!」
彼女は顔を赤くしながら高揚した様子で小さくぴょんぴょんと体を跳ねさせた。
「すみません、私、お先に失礼します!! アドバイス有り難う御座いました、ラミラミさん!!」
舞台をより良いものに出来るかもしれないと自信がついたからか彼女は深くお辞儀をするとまるで踊るような軽やかな足取りで一気に階段を駆け下りて行ってしまった。
よく分からないが彼女の中で何か思い当たるものが浮かんだのだろう。解決して何よりだった。
改めて日向ぼっこをすべくメルを取り出して頭の上に乗せた。《ジュール》が『……貴様、そのうち背中から刺されるぞ』とまた何か変な事を言い出したが、もう面倒くさかったので無視した。
小さく通知音が鳴り、タブレットを開くと、どうやら午後の配信の待機画面に高額の寄付付きコメントがあったようだった。《とまとまこ》という、普段からよく寄付コメントをくれる日本のリスナーからだった。
「午後からの配信も楽しみにしています! byとまとまこ」
タブレットを閉じ、長い深呼吸をする。アサカが官舎ひづりを心配する様に、桜が部員達と創る大舞台を想う様に、あたしにもこんな風にいつも応援してくれる必ず報いなくてはいけない大事なファン達が大勢居る。
「午後も頑張るかぁ……よし!」
窓ガラス越しの陽光の中、メルを頭に乗せたまま両腕をぐぐっと天に伸ばし、気合を入れ直した。
しかし、何か一つ忘れているような気がする。何だっただろうか?
でもまぁいいだろう。思い出せないって事はそれほど大したことじゃないはずだ。
さ、アサカ達と合流して、午後からの《ラミラミフォーチュン》の占いコーナーも張り切っていくぞ!




