『猫と花壇と猫の写真』 2/4
昼休み。手早く昼食を済ませたアサカは写真部から又借りした形になったでかいカメラとでかい機材バッグを装備した格好で一人校内を歩き回っていた。
「うーん……」
液晶画面の写真データ一覧を睨みながら。
今日はラミラミが所用で学校に来ないとの事だったので、生徒会長に任されたもう一つの仕事、『文化祭のホームページやパンフレットに載せる用の写真の撮影』を、こうして休み時間や放課後を使い進めようと考えていたのだ。
先週ラミラミに校内の案内をした際などに大体の施設や部活動の写真は撮り終えていたので、後は堅苦しくない、所謂エモい感じの写真の収集だけだったのだが……。
「どこに居るんだろう……」
テト。綾里高校の看板猫とでも言うべき彼女の写真が、実はまだ一枚も撮れていなかった。
彼女は避妊済みの雌猫で、十年ほど前に教頭先生が知人から貰って来たのを教員皆で世話をし始めた結果、現在のような学校の飼い猫という形になったのだという。アレルギーの生徒に配慮して校舎の中には入って来ないよう躾けてあったが、それでも人懐っこいテトの人気は高く、休み時間などにはよく教員や生徒らに日向の犬走りなどで可愛がられてる姿を見ることが出来た。
なので綾里高の文化祭パンフレットを作るならテトを写した一枚は絶対に必須だろうとアサカは考えていた。それにテトを撮影したものがパンフレットになれば大の猫好きである幼馴染はきっと喜んでくれるはずだ、という打算もあった。
しかし。アサカは今まで一度もテトに「撫で」を許して貰えた事がなかった。アサカの体から大型犬アインの匂いがするからなのか、はたまたアサカ自身が少しばかり猫を苦手に思っているからなのか、理由は定かではないが、とにかくテトはアサカが近づこうとするといつも逃げてしまうのだった。
テトはひづりによく懐いているので、いっそもうひづりにお願いすれば、とも思ったりするが、けれど彼女は彼女で現在休み時間などはクラスの出し物の準備で忙しく、放課後には《和菓子屋たぬきつね》のアルバイトもあるため、ちょっと声を掛けづらかった。
そういう訳で、アサカは「他にひぃちゃんと同じくらいテトに好かれてる人がテトを捕まえててくれないかなぁ。それで運よくこっちに気づかれる前に撮影出来たら……」などと考えながら、先週ひづりに教えてもらったテトがよくひなたぼっこしているというスポット数か所をこうして巡るなどしていたのだった。
「……あっ」
その時だった。職員室前の廊下から外を眺めていたアサカは、特別教室棟と体育館を繋ぐ渡り廊下を横切り校舎裏へ向かおうとするテトの姿を発見した。
「あぁ、待って待って……!」
アサカはカメラとバッグを体に密着させるようにして抱え直し急いで渡り廊下へと向かった。
「静かに……ゆっくり……」
到着した渡り廊下に既にテトの姿は無く、校舎裏へ移動したものと思われた。こちらに気づいたらテトはきっといつもの様にすぐに逃げてしまうだろうと思い、そこからアサカは足音を消して校舎の壁にぴったりと体をくっつけ、カメラを手にそーっと校舎裏を覗いた。
「……!」
居た。テトだ。彼女は花壇のそばにしゃがみ込んで、一人の女子生徒に頭を撫でてもらっていた。
アサカは音を立てないようカメラを構え、レンズ越しにテトを画角に捉えた。
よし、いける……! そのまま絞るようにシャッターを押そうとした。
……が、そこでふとある事に気づいた。
テトを撫でているその女子生徒が、一体誰であるのか。
「げっ」
女子生徒の方もアサカに気づき、俄かにアサカとそっくりな苦虫を噛んだような表情をした。
「え、何やってんの、味醂座さん」
同じクラスの女子生徒、美化委員の夜不寝リコだった。彼女は怪訝そうな顔で引き気味に声を掛けて来た。テトもこちらに気づいており、完全にシャッターチャンスを逃していた。
「あ、あぁ夜不寝さん、テトを捕まえてて──」
思わずそう言い掛けたアサカだったが、けれどテトは何故か夜不寝リコの足元に座り込んだまま、逃げるそぶりを見せなかった。
「あれ? なんで?」
アサカはそのまま一歩、二歩、と近づいてみたが、何故かテトは逃げなかった。夜不寝リコの手に撫でられて気持ちよさそうにへそ天すらしていた。
「何、テトの写真撮りたいの?」
夜不寝リコは重武装のアサカの風貌を見てそう言った。アサカは我に返り、答えた。
「う、うん。文化祭実行委員の仕事で、パンフレットなんかに使う写真を撮ってるの。でも私……テトの写真うまく撮れてなくて……」
逃げられてしまうんだ、と正直に言うとバカにされそうだったのでアサカはちょっと誤魔化した。
「ふうん? じゃあ今のうちに撮れば?」
しかし意外にも夜不寝リコは興味無さそうにそう言うのみだった。
「……じゃあ……」
滅多にないチャンスであるし、アサカは言われるままテトの撮影に入った。
カシャ。カシャ。カシャ。
十枚ほど撮ったが、やはりテトは逃げたりせず、なんならすっかりリラックスした様子でうたた寝すら始めたほどだった。
「夜不寝さん、猫を撫でるの上手なんだね?」
彼女がこんなにテトの扱いが上手だとは知らなかった。百合川などから「ネコ」というあだ名で呼ばれているのは知っていたが、こうした特技からつけられたものだったのだろうか、とアサカは感心した。
「意外? まぁそうかもね。飼った事ないし。……でも、なんかウチ、どうも猫に縁がある人生っぽいんだよね」
アサカはハッとした。テトを撫でる彼女のその横顔はこれまで一度も見た事が無い、とても柔らかなものだった。
夜不寝リコと綾里高校で過ごせるのは今日が最後なのだと、今朝ホームルームで担任の須賀野が言っていた。今月頭に知らされた彼女の急な転校。苦手な子だったし、先月は何故かひづりの職場に勤めたりもしていたため、アサカとしては彼女が居なくなってくれるのは正直万々歳だったのだが、何となく今の彼女は以前とどこか雰囲気が違って見えた。
「そういえば夜不寝さんはここで何してたの?」
これまで校内で見かける彼女は大体いつも友達と一緒だった。テトとお別れの挨拶をするにしたって、今はせっかくのお昼休みなのだし、一人で来る理由は無いように思えた。
夜不寝リコは眉根を寄せ、難しそうな顔をして唸った。
「んー……まぁ、うん、色々ね。……友達って、案外大事にした方がいいんだね」
そしてマントの様にして肩に被っていた薄い緑色のブランケットのすみっこを指先でいじりながらそう独り言のように呟いた。それは今朝クラスの友達グループから「新潟は寒いだろうから」とお別れの品として贈られていた物だった。
「? そうだね?」
「…………」
「…………」
会話はそこで終わったらしく、無言が生まれた。テトのごろごろという喉の音が鳴っていた。
やがて夜不寝リコが言った。
「官舎さんてさ、中学の頃、荒れてたんでしょ。誰彼構わず突っ掛かってたって。とんでもない不良だったって」
「あれは──」
「あぁごめん、違うの。悪く言いたい訳じゃなくて」
反射的に言い返そうとしたアサカの言葉を夜不寝リコは謝罪で遮った。
「官舎さんを責められるほど、ウチも大人とは言えないし。ただ、今の官舎さん……あの《和菓子屋たぬきつね》で働いてる官舎さんは、もうそういう感じじゃないんだろうな、って、そう思って。ウチ、官舎さんとか、味醂座さんことも、結構誤解してたんだと思う。それ、最後に謝っておこうと、思って……」
夜不寝リコは落ち着かない様子で顎や髪先を触りつつ言った。
「…………」
アサカは絶句していた。目の前に居るのは夜不寝リコの皮を被った偽物ではないかと思った。
しかし同時に、月初め夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》を退職した後、ひづりが「案外楽しかったんだよ」と意外な感想を述べていた理由がアサカは今ついに分かったようだった。
そう。夜不寝リコはきっと《和菓子屋たぬきつね》でひづりと一緒に働くうち、ひづりの《光》に当てられて、そのねじ曲がっていた性根が正され、以前より幾らかマシな人間へと更生したのだ。そうでもなければ、こんな殊勝な態度で謝ったり、ひづりが一緒に働いて楽しかったなどと言う訳がないのだから。
愛する幼馴染が《和菓子屋たぬきつね》で夜不寝リコと一緒に働く事に対しこれまでずっと胸の中にもやもやした重たいものを抱えていたが、アサカはたった今それが綺麗に消え去ったように思えた。
そして、土曜日のアインの散歩の折にラミラミが言っていたのはきっとこういう事だったのだろう、ともアサカは腑に落ちていた。
幼馴染が先へ行ってしまうなら、自分も幼馴染と同じように大人になっていけばいいのだ。こんな風に、嫌いだった奴がある日そうじゃなくなったなら、それをちゃんと受け止めて、前に進める様になればいい。
きっとそれが先へ行ってしまっている大事な人の傍へ追いつくために必要な成長ってものなのだ。
だからアサカは意を決し、言った。
「夜不寝さん、その花壇、夜不寝さんがお世話してたんでしょ? 花壇とテトと夜不寝さん、一緒に写真に撮らせてよ。きっと良い画になると思うんだ」
アサカの提案に夜不寝リコは眉根を寄せて「一体何を言い出したんだ」という顔をしていたが、しかし拒絶するでもなく、やがて諦めたように笑うとテトを抱き寄せて膝の上に乗せた。
「ちゃんと可愛く撮ってよね」
アサカも鞄を置いてカメラを構えた。
「私の写真、前に写真部の部長さんに褒められてたらしいから、安心していいよ」
それから二人は予鈴が鳴るまでああでもないこうでもないと言い合いながらテトを転がしつつお互い撮ったり撮られたりした。




