『不器用な二人に必要なもの』 6/6
「…………」
アサカの口から語られたその誘拐未遂事件の顛末にあたしは驚いて言葉が出なかった。幼少期の彼女らがそうした事件に巻き込まれたというのもそうだが、何より当時小学五年生だった官舎ひづりがアサカを護りながら誘拐犯の大人三人を退けた、という部分は、正直俄かには信じられない気持ちがあった。官舎ひづりが《魔術》を習い始めたのは最近のはずだし、それにいくらその柔術を教えた人間が優秀な先生で、官舎ひづりに飛び抜けた武術の才能があったとしても、十一歳そこらの子供が急に大人に襲われてそんな上手くいくものだろうか。……いや、でも今の高校生の時点で既に《悪魔の王様》相手にあんな肝の座った話し方が出来る女である。全く有り得ない話では無いかもしれない。それにそうして思い返してみると、《アウナス》に命じられて監視していた時、官舎ひづりは日本の平和ボケした女子高生にしてはやけに高い防犯意識が染みついているなと感じる瞬間が多かった。あれらはこの幼少期の誘拐事件が元で習慣化したものだと考えれば確かに納得がいく。
「ひぃちゃん、左右の肋骨と、右手の指の骨が折れていたんです。たぶん蹴られて柵にぶつかった時だろう、ってお医者さんは言ってました。普通だったら大人だって立って歩くのも無理なくらいの痛みがあったはずだけど、きっと興奮状態だったのと……私を、友達を護らなきゃって思って、いっぱいいっぱいで、それで一時的に痛みが薄れていたのかも、って。でも……」
アサカはまた一段と体を小さくした。
「ひぃちゃん、手術が終わっても、しばらくの間、家族の人や私以外とは面会したがらなかったんです。ひぃちゃん、きっとすごくすごく怖くて、痛くて、それでも私を逃がすためにって、あの時頑張ってくれたんだと思うんです。私は、ひぃちゃんに甘え過ぎていたんだって、その時気づいたんです」
アサカの眼がじっとフェンスの向こうを見つめた。そこには《ボティス王》たちと一緒にアインと遊んでいる官舎ひづりの姿があった。
「確かにあの日の事は、私にとって人生の大きな分かれ道でした。それまでひぃちゃんの強さとか頑張りに甘えていた弱い自分を捨てて、これからはひぃちゃんを護れる自分になる、って決めた、この今の私の土台になった出来事だったんですから。ひぃちゃんのそばで、いつだってひぃちゃんを護れるように、剣道でも古武術でも何でも習って、強くなって、これからはもう何があっても絶対ひぃちゃんが怖い思いをしたり追い詰められたりしないようにする……それが、今の私の全部なんです」
普段の少し抜けた様な喋り方からは想像もつかないほどそのアサカの声は芯のしっかりとした響きを持っていた。
けれど、すぐにまた彼女はしぼんだ風船のようになって言った。
「でも今、ひぃちゃんはそれを望んでないかもしれなくて。ひぃちゃんはアルバイトを始めて……私の知らない大人の人たちともたくさん知り合いになってて……。最近始めたっていう『私に教えてくれない何か』もそうです。ひぃちゃんは、どんどん新しい事を始めて、どんどん大人になっていきます。子供の私はそれに全然追いつけなくて。こんな私のままじゃ、ひぃちゃんのそばに居られないのに……」
最後の方はもう完全に涙声だった。
「……っ? ラミラミさん……?」
あたしは思わずアサカのその細い体を抱きしめていた。
そして、言ってやらねばならん、と思った事を伝えた。
「アサカさん。アサカさんは頑張っています。ひづりさんに置いて行かれるようなその気持ち、あたしにも少しは分かります。でも、焦ることなんて無いんですよ。あなた達はとても若くて、成長のスピードがとても速くて、今のひづりさんはちょっとだけ、縁や運勢の巡り合わせで、それが同年代の人より少し速くなってしまっているだけなんです。だから、そんな風に焦ってしまう必要なんて無いんですよ。今は駄目に思えても、アサカさんも後からちゃんとひづりさんに追いつけます。だって、さっきも言いましたよね、ひづりさんを護ってあげられるのはアサカさん、あなただけなんですから」
なだめるように、安心させるように、アサカの頭を優しく撫でてやった。
「……そうでしょうか。ぐすっ。そうなんでしょうか……」
「そうです。大丈夫なんです。世界中旅して色んな人たちを見て来たこのラミラミが言うんですから、間違いありません」
こんな風にお姉さんぶって子供のお守りをするのはあまり得意ではなかったが、それからしばらくアサカが泣き止むまでそうしてあげた。
しかし。この二人の問題はあたしが思っていたよりずっと根深いものだったらしい。
たった今聞かされた二人の過去。そして彼女たちの気持ち。冗談じゃない。こんなのはもう愛情そのものだ。親子とか、姉妹とか、そういう血縁の固い絆で結ばれた人間の関係だ。この子たち、お互いを浮かれた色恋の相手とかじゃなく、人生懸けて護らなきゃいけない妹みたいなものだと思っていやがるんだ。その感情があまりに大き過ぎて、当たり前の「恋しい」とか「好き」とかそんな子供らしい気持ちが潰されて見えなくなってしまっているんだ。
二人の仲が進展しないのはどう考えてもこれが原因だ。お前たちはお互い我が侭に好き合っても良いのだ、と、ここをちゃんと分からせてやらなければ、きっとどうやったって事態は一歩だって前に進まない。どうやらこれが今回あたしが押し付けられたこのタチの悪い仕事の向き合わねばならない本質らしい。
ならばやはりやるしかない。この子達のお互いを大事に想い過ぎるその激重感情が吹っ飛ぶくらいの、一発で恋に目覚めて頭がおかしくなって何もかも全部投げ出したくなるくらいの《完璧なデート》ってやつを、このあたしがセッティングしてやる。ここまで来たらもう《ボティス王》からの命令だとかそんなもん関係ない。乗りかかった船を宝島に座礁させてやる。イタリア生まれのクールで美人でミステリアスな大人気占い配信者ラミラミこと、このロミア・ラサルハグェがやってやる。
文化祭まであと二週間、猶予はもう無い。それでも何とかして間に合わせる。
やってやるとも……!!




