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和菓子屋たぬきつね  作者: ゆきかさね
《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐
227/259

   『その人生が決まった日』   5/6





 それは今と同じくらいの、秋の気配が肌で感じられ始める季節の事だった。

 アサカは小学五年生だった。官舎ひづりとランドセルを揺らしながら、二人いつもの帰り道を楽しく歩いていた。

「だからね、たぶんみーちゃんお姉さんはお父さんのことが大好きだから、あんな風にお酒を飲んで駄目なところを見せて……ねぇアサカちゃん、聞いてる?」

「うん、聞いてるよ」

 先週末に泊まりに来たという父方の叔母の醜態について語る幼馴染に、アサカはニコニコしながら相槌を打っていた。実際この時アサカはひづりの話をほとんど聞いておらず、ひづりが浮かべる困ったような表情を内心「なんてかわいいんだろう……」と噛みしめたり、ちょっと首を傾けたりするたびに肩の上を不規則に流れ揺れる彼女の黒髪にぼーっと見惚れたりしていた。当然前もろくに見ていなかったので、ひづりと歩いている時はよく躓いた。

 アサカにとってひづりは、自分と同じくらい運動が出来るのに自分より勉強の成績がよくて、ひどい事を言う男の子に対しても堂々と言い返したり喧嘩で打ち勝つことが出来て、なのにそれらを鼻に掛けずいつも優しい笑顔でそばに居てくれる、そんな素敵な幼馴染だった。また元々面倒見が良かった事に加え高学年に上がった頃からアサカの背をひづりが少し追い抜いたのもあって、この頃のアサカはひづりの事をちょっとお姉さんのようにも感じていた。

 アサカにとってひづりと過ごす毎日はいつだって輝いていて、彼女の所作全てをずっと見ていたいと日々真剣に思っていた。今週に入ってもう既に登下校だけで二十回以上転びかけていたが、彼女の隣で彼女の横顔とその仕草を眺めその声を聴いていられるなら、膝に何百枚絆創膏が増えようとどうだって良いと思えた。

 そんな具合に毎日大好きなひづりの顔ばかり見ながら下校していたから、この日アサカはいつもの通学路の先に見慣れない車が停まっている事にも直前までまるで気づかなかった。

「あの家の前に車があるの、珍しいね」

 ひづりがそう言ったのを聞いて初めてアサカはその大きな白いワンボックスカーの存在を知覚した。

「本当だ、珍しい」

 ひづりが言った「あの家」とは、この辺りに住んでいるというクラスの男の子たちが「お化け屋敷」と呼ぶ空き家の事だった。古い木の柵が周囲をぐるりと囲んでいて、いつも開け放たれている門の向こうに見える和風建築は「お化け屋敷」と呼ばれるのも納得という具合にいつでも暗く、人の気配がさっぱりと絶えていた。小学五年生のアサカにはその家がどうしてそういう状態になったのかなど分からず、ただ前を歩く時いつも漠然と「なんだか怖いなぁ」と感じるだけだった。

 そんな空き家の前に、車が停まっている。今までアサカもひづりもここに人の気配を感じたことも、またこんな風に車が停まっているのを見たことも無かったので、この時ちょっとだけわくわくして、つい「家の中を覗いてみようか」とお互い口にした。

 停まっている車と柵の間は丁度大人が一人通れるくらい開いており、アサカとひづりはそこを通って古民家の門の中を覗こうとした。

 その時だった。

「わっ!?」

 ばんっ、といきなり車の運転席のドアが開き、マスクで顔を隠した男性が現れ、アサカとひづりの前に立ちふさがった。突然の事に二人が驚いて小さく悲鳴をあげたのも束の間、続け様に車のトランクルームからニット帽を被った大柄の男が飛び出し、二人に迫った。

 今度こそ大きな悲鳴を上げようとしたアサカだったが、ニット帽の男の分厚いグローブによって乱暴に口元を塞がれた。男はそのまま反対の手で後部座席のドアを開けるとアサカを車内へぐいと押し込んだ。知らない臭いのする座席に放り込まれたアサカはそこでようやくはっきり、自分たちは誘拐されようとしているんだ、と確信した。

「っ!」

 外のひづりがランドセルに付けていた防犯ブザーを鳴らそうとしたのが見えた。しかしマスクの男に掴み掛かられそうになった彼女はブザーから一旦手を放すと素早く男のお腹の辺りに潜り込みいつも男の子たちとの喧嘩でやっているのとまるで同じように父方の伯母から毎週教わっているというその柔道の技で一気に態勢を崩させ、そのままマスクの男をニット帽の男に向けて投げ飛ばした。小学生の女の子にまさかこんな反撃を受けると思っていなかったのだろう、うおっ、と男たちの悲鳴が上がった。

 ひづりはアサカの手を掴んで車外へ連れ出し、壁になっていた運転席の扉をばたんと閉め、車の前方へと走り出した。

 良かった。逃げれる。ひぃちゃんが助けてくれる。そう思ってアサカは安堵した。

 だが。

「ぐっ!!」

 前を走っていたひづりの体が突然真横に飛んで、古民家の柵に顔から激しくぶち当たった。

「え、え? ひ、ひぃちゃ……。……!!」

 しゃがんだひづりのそばに駆け寄ったアサカは、そこで、車の陰に更にもう一人、サングラスをかけた男が隠れていた事を知った。ひづりは彼に蹴飛ばされたようだった。

「あ、あ、う、く……」

 アサカは、今の自分に出来る事を、と考えを巡らせ、それから先ほどのひづりの行動を思い出し、自身も防犯ブザーを鳴らそうとしたが、しかし恐怖で体中が震えてしまっていて、うまくストラップを掴む事さえ出来なかった。

 動けないアサカにサングラスの男が近づく。左からは立て直したらしいマスクの男とニット帽の男が恐ろしい言葉を吐きながらこちらへ集まって来ていた。

「ううううう!!」

「うおっ!?」

 サングラスの男の手がアサカに触れようとした瞬間、アサカの背後からひづりが飛び出し、唸り声をあげながらサングラスの男を投げ倒した。

「アサカちゃん!! 走って!!」

「っ!!」

 そのひづりの叫び声でアサカは急に全身の自由が利くようになり、言われた通りそこから離れるべくとにかく走り出した。視界の端でひづりがランドセルを脱ぎマスクの男とニット帽の男の方へ投げつけるのが見えた。アサカもようやく掴めた防犯ブザーのストラップを引っ張るとすぐにランドセルを道端へ投げ捨てた。



 ビビビビビビビビッ!!



 防犯ブザーのけたたましい音が一気に空き家周辺の空気を染めた。追いかけてくる男たちの顔色が俄かに変わったのが分かった。

「──っ!」

 男たちが立ち止まり、何か会話していた。ブザーの音で聞こえない。

「うあっ」

 教科書の詰まった重いランドセルを急に失って重心が崩れたからか、それともひづりが心配で前をちゃんと見ていなかったからか、アサカは派手に転倒した。

「アサカちゃん!!」

 追いついたひづりがそばへ来てアサカを抱き起そうとするが、どうやら足を捻ったらしく、アサカは痛みですぐには立ち上がれなかった。

「っ!! ひぃちゃん!!」

 その時、男たちの乗り込んだワンボックスカーのタイヤが甲高い音を立てながらこちらへ迫って来るのが見え、アサカは叫んだ。ひづりもそれに気づいて背後を見た。

 突然アサカの視界がぐるりと回転し、一瞬の浮遊感のあと、体に強い衝撃を受けた。

 何が起きたのかは分かっていた。ひづりがアサカの体を路肩へと投げ飛ばしたのだった。

「ひぃちゃん!!」

 アサカはすぐに体を起こしてひづりを振り返った。するともう車のバンパーはすぐそこにあって──。



 ──……ブロロロロ……。



 男たちの白いワンボックスカーが狭い道路を乱暴な運転で駆け抜けて行った。

「ひぃちゃん……ひぃちゃん……」

 アサカは受け止めたひづりの体を大事に大事に両腕で抱えた。車に轢かれそうになる直前、ひづりはどうにか路肩に居るアサカの元へ逃げる事に成功していた。

「良かった……うう、良かったぁ……」

 アサカはめそめそぼろぼろ泣きながらひづりの頭に顔を押し付けた。

 防犯ブザーや車の音を聞いてだろう何事かと近隣の住民たちがぞろぞろ表へ出て来た。

「ひぃちゃん、大人の人、出て来たよ。ありがとうひぃちゃん、助けてくれて……。……ひぃちゃん?」

 異変を感じ、ぱっと顔を離して見ると、ひづりは目を閉じてぐったりとしていた。顔は青く、酷く体温が高く感じられた。

「だ……誰か!! お医者さんを呼んでください!! 誰か!!」

 集まって来た大人たちにアサカはそう叫んだ。

 しばらくして救急車やパトカーが到着し、二人はすぐに病院へと運ばれた。








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